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「断罪の令嬢 ― 弁護士の記憶が織りなす逆転劇」  作者: 月白ふゆ
第二章

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第十話 折れない証拠

折れない証拠は、冷たい。


人の声は折れる。

怖さで折れる。

怒りで折れる。

金で折れる。

祈りでも折れる。


でも、折れないものがある。


帳面の数字。

運送の記録。

税の控え。

監査の台帳。


それは誰かの心と違って、

「都合が悪いから」と言って消えたりしない。


消そうとすれば、逆に痕が残る。


宰相府の会議室に、紙が増えた。


増えすぎて、机が足りない。

だから床に並べる。

床に並ぶ紙は、戦場の地図みたいだ。


調査官アーデルハイトは淡々と報告を始めた。


「両替商の税帳、三年分。

 該当額の両替は、伯爵家提出の写し帳簿の日付には存在しません」


宰相ヴィルヘルムが頷く。


「写しの金の流れがまず嘘だ」


「嘘、というより」


アーデルハイトは言葉を選ぶ。


「成立していません。

 この額をこの日に動かすなら、税帳に残る。

 残らないなら、動いていない」


皇太子ユリウスが短く言った。


「折れたな」


「ここからです」


アーデルハイトは次の紙を置く。


「王都の運送記録。

 運送組合の差し替え帳簿ではなく、

 “組合外”の記録です」


宰相が眉を動かす。


「組合外?」


「門番の通行記録。

 荷車の出入りは、都市の治安管理として必ず控えがあります」


ユリウスが息を吐く。


「そういうのが残るんだな」


「残ります」


アーデルハイトは淡々と言う。


「そして、その記録は運送組合が勝手に書き換えられない」


紙には、日付と荷車の番号、荷の種類、重量、出入りの時間が並ぶ。


そこに、問題の“近似額”に相当する物資の動きがあった。

だが、行き先が伯爵家提出の写しと一致しない。


「写し帳簿では、地方子爵領へ送ったことになっている」


アーデルハイトが指で示す。


「しかし通行記録は、逆です。

 地方から王都へ入ってきている」


宰相が低く言った。


「金の流れではなく、物の流れが逆。

 つまり、話が違う」


「はい」


アーデルハイトは頷いた。


「そして、これが監査用台帳です」


三つ目の束を置く。

監査局が保管している台帳。

王都の委託金口座の出入りに紐づく番号が記されている。


「委託金口座から、運送組合名義へ支払い。

 そこから地方へ――ではなく、

 “特定の権利の担保”へ転用されています」


ユリウスの目が鋭くなる。


「担保?」


監査局の担当官が淡々と答える。


「徴税権の先取りです。

 来季の税を見込んで、今金を動かす。

 王都の実務では珍しくありません」


宰相が静かに言う。


「珍しくないから、隠しやすい」


担当官が頷く。


「ええ。正しさの顔をして通ります」


ユリウスは机の端を指で叩いた。


「つまり、この案件の目的はクラリス夫人の罪じゃない」


宰相が答える。


「子爵領の権利移転。

 そのために“信用を潰す訴え”が必要だった」


アーデルハイトは淡々と続けた。


「証言は場で作られ、帳簿は成立せず、

 金と物は王都へ吸い上げられている」


一拍。


「これで“筋”が固定できます」


そのとき、侍従が入ってきた。


「宰相閣下。

 神殿より文書が届いております。

 “聖女の神託の付記”とございます」


空気が一段冷たくなる。


紙が運ばれる。

封が切られる。


中身は短い。短いのに重い。


――神は告げた。被告の不実は明らかである。

――領の穢れを払うには、速やかな裁きが必要である。


そして、最後に「聖女フィオナ・セレネ」の名が添えられていた。


ユリウスは、読んで、息を吐いた。


怒りではない。

疲労に近い。


「……この形で来たか」


宰相が静かに言う。


「権威で押し切るつもりだ」


監査局の担当官は、紙を一瞥して言った。


「これは証拠ではありません。

 しかし、“人を動かす”には十分です」


その言葉が、現実だった。


証拠じゃなくても、裁きは動く。

だから危ない。


ユリウスは、紙を机に置いた。

置き方が丁寧だった。


丁寧なのに、拒絶だった。


「信仰は否定しない」


声は低いが、揺れない。


「神殿の言葉は、人を救うことがある。

 心を支えることもある」


一拍。


「だが、裁きの根拠にはしない」


宰相が小さく頷く。

それが、皇太子の線引きだった。


アーデルハイトが淡々と補足する。


「神託は“指針”にはなります。

 しかし、訴えの成立は別です。

 成立しない訴えに、神託を添えても成立しません」


ユリウスが言う。


「前回と同じだ。

 信仰を盾に、紙をねじ曲げるのは許さない」


宰相が淡々と口を開く。


「神殿に伝えろ。

 神託は受け取る。

 ただし、裁きの資料には採用しない、と」


監査局の担当官が少しだけ眉を動かした。


「神殿と軋轢が生まれます」


「生む」


ユリウスが即答した。


「それでも、線を引く。

 線を引かないと、次も同じになる」


その瞬間、会議室の空気が“前へ”動いた。


アーデルハイトが、紙を整える。


「では、こちらの結論を“折れない形”にします」


まず、両替商の税帳。

次に、門番の通行記録。

次に、監査台帳。

そして、委託金口座の出入り。


これらを日付順に並べる。

金の流れと物の流れが、一本の線になる。


「ここで写し帳簿と完全に矛盾します」


アーデルハイトが淡々と言う。


「写し帳簿の記載どおりなら、

 この記録群が全て偽造されている必要がある」


宰相が低く言った。


「偽造できるか」


監査局の担当官が首を振る。


「不可能ではないが、

 それをやれば王都全体の運用が壊れます。

 “この案件のためだけに”やる規模ではありません」


ユリウスが言う。


「つまり、写しが嘘だ」


「はい」


アーデルハイトは頷く。


「嘘というより、成立不能です」


宰相が言った。


「これで“裁けない形”へ持っていける」


ユリウスが頷く。


「次だ。

 結論を作る。

 誰かの感情じゃなく、記録で」


そのとき、また侍従が入ってきた。


「宰相閣下。

 伯爵家より追加の嘆願が――」


宰相は手で止めた。


「今は要らない」


アーデルハイトが淡々と言った。


「嘆願は、こちらの線を曲げます。

 曲げる必要がなくなった」


ユリウスが、静かに言う。


「折れない証拠は、折らない」


その言葉は短い。

だが、今までの王都の空気を少し変える力があった。


証言が正義を決める世界から、

記録が正義を守る世界へ。


少なくとも、この案件では。


会議室の隅で、宰相府の侍従が小さく息を飲んだ。

彼らは知っている。


この線引きは、敵を増やす。

だが、味方も増やす。


「では」


宰相が静かに言った。


「次は、手続きだ。

 勝つのではない。

 裁けない形にする」


アーデルハイトが頷く。


「はい。

 “差し戻し”の形を作ります」


ユリウスは、神託の紙を見ずに言った。


「信仰は信仰の場所へ返す。

 裁きは裁きの場所でやる」


折れない証拠が揃った。


あとは、それを“制度の言葉”に翻訳するだけだ。

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