第五話 金貨の足跡
両替商の看板は、派手ではない。
目立てば、狙われる。
両替商はそういう商売だ。
宰相府の紋章を見せた瞬間、店主の顔が一段硬くなった。
歓迎ではない。警戒だ。
それでも扉は開く。開かせられる。
調査官アーデルハイトは、店の奥へ通された。
石造りの小部屋。
机と椅子。
そして、分厚い帳面が二冊。
「税務の監査と同じ手順で」
アーデルハイトが言うと、店主は小さく息を吐いた。
「……分かりました。出します」
帳面が開かれる。
紙の匂い。
インクの匂い。
人の生活ではなく、金の匂いがする。
「対象は、これです」
アーデルハイトが伯爵家提出の“写し”を示す。
そこには、地方で換金されたという金貨の記録がある。
額も、日付も、綺麗に揃っている。
そして、妙に“気持ちよく読める”。
店主は、帳面に指を滑らせた。
「……その日、その額の両替は、うちにはない」
言い切った。
迷いがない。
「確実ですか」
「確実です。
この規模の両替なら、帳面に残ります」
それは強い。
証言より強いのは、商売の記録だ。
嘘をつけば、税で死ぬ。
アーデルハイトは淡々と問う。
「同額、同日に近い両替は」
「少しずれた日なら、ある。
ただし、名義が違う」
店主は帳面の端を指で叩いた。
「これだ。二日前。
金貨の量は近い。
だが、名義は……」
口ごもる。
「言えませんか」
「言えます。
ただ、面倒になります」
面倒。
つまり、相手が強い。
店主は諦めたように言った。
「王都の“運送組合”名義です。
荷の前払いの形で」
アーデルハイトの目がわずかに細くなる。
「地方事件の金が、運送組合名義で王都を通る」
筋が、変わった。
「この運送組合、どこへ流す」
「表向きは街道の荷です。
でも、額が大きい。
……戦費の時期でもない」
店主が言う。
「じゃあ、何だ」
「権利です」
店主は小さく言った。
「土地、鉱山、徴税。
そういうのが動くときに、金はこういう形で流れる」
言葉が重い。
しかし、妙に現実的だった。
アーデルハイトは帳面の写しを取り、封をして持ち帰る。
その帰り、宰相府に戻る前に、もう一件寄った。
運送組合の事務所。
ここもまた、目立たない。
帳簿を扱う場所は、目立つ必要がない。
受付の男が、宰相府の名を聞いた瞬間に笑顔を作った。
作りすぎた笑顔だ。
「もちろん協力いたしますとも。
ただし、少々お待ちを」
待たせる。
時間を稼ぐ。
その時点で、分かりやすい。
アーデルハイトは椅子に座り、視線だけで部屋を見回す。
紙が少ない。
棚が整いすぎている。
職員の足音が忙しいわりに、机の上が空いている。
――片付けた。
「帳簿は」
「はい、すぐに」
受付の男は笑う。
その間に、宰相府から使者が来る。
皇太子ユリウスと宰相ヴィルヘルムも、状況共有のために合流していた。
「両替商の帳面に、写しの記録はない」
アーデルハイトが報告すると、宰相の目が動いた。
「つまり、写しは作りものの可能性が高い」
「はい。
そして、近似の金が“運送組合名義”で動いている」
ユリウスが短く言った。
「地方から王都へ、線が繋がる」
その瞬間、運送組合の職員が帳簿を持ってきた。
分厚い。
だが、ページが新しい。
新しすぎる。
アーデルハイトがめくる。
「……この帳簿、差し替えていますね」
職員の笑顔が一瞬だけ止まった。
宰相が低い声で言う。
「差し替えたなら、古い帳簿はどこだ」
「火災で――」
言いかけた職員が、途中で口を閉じた。
同じ言い訳を、もう使った。
ユリウスの目が冷たくなる。
「便利だな。火災は」
職員は汗をかいた。
「失礼ですが、殿下。
これは民間の――」
「王権案件だ」
宰相が遮った。
「協力しないなら、監査局を動かす。
税で締める」
職員の顔色が変わる。
税は逃げられない。
アーデルハイトは帳簿を閉じた。
「帳簿は良いです。
ここで重要なのは“差し替えた事実”です」
ユリウスが問う。
「差し替えは、誰の指示だ」
「……分かりません。私は――」
嘘ではないかもしれない。
末端は本当に知らないことが多い。
宰相は淡々と命じた。
「責任者を呼べ」
職員が慌てて奥へ走る。
その背を見ながら、アーデルハイトが静かに言った。
「口封じが来ます」
ユリウスの視線が鋭くなる。
「ここで?」
「はい。
こちらが“線を掴んだ”と気づいた瞬間に、
止めに来ます」
宰相が低く答える。
「なら、止めさせない」
その夜。
宰相府へ戻る途中、両替商の店から急報が入った。
番頭が倒れた。
急病だという。
医師は来たが、意識が戻らない。
ユリウスは、紙を見て静かに言った。
「……二手目だ」
宰相が頷く。
「証言を潰す。
だが、こちらは証言に寄っていない」
アーデルハイトは淡々と言った。
「番頭の証言がなくても、帳面は残る。
ただし、次は帳面を狙います」
ユリウスが短く言う。
「守れ」
「守ります」
宰相が続ける。
「そして、守るだけで終わらせるな。
消せない形に写せ」
アーデルハイトは頷いた。
「はい。
記録は、分散させます」
その言葉が、少しだけ救いだった。
人は消える。
だが、流れは消えない。
金の足跡は、
王都の中で確かに残っていた。




