第四話 原本が消える
伯爵家の使者は、昼前に来た。
礼儀は整っている。
服も整っている。
表情も整っている。
そして、差し出した書類も整っていた。
「こちらが帳簿の写しです。
火災により原本は焼失しました」
使者は淡々と言う。
余計な言い訳はない。
迷いもない。
宰相ヴィルヘルムは受け取らず、調査官アーデルハイトに視線を投げた。
アーデルハイトが受け取り、紙をめくる。
綺麗だった。
筆跡は揃い、数字は読みやすい。
余白は一定で、汚れがない。
訂正もない。
折り目もない。
「……写しにしては、綺麗すぎますね」
アーデルハイトの声は、感想に近い。
しかし、場の空気が冷える。
使者は顔色を変えない。
「伯爵家として保管していたものです。
最良の形で提出するのは当然かと」
皇太子ユリウスが、短く言った。
「火災の報告書は」
使者が一礼し、別の封を出す。
「こちらに」
宰相が受け取る。
封を切る。
一枚、二枚。
火災の状況。
焼失した倉庫。
当日の担当者名。
被害一覧。
書類としては完璧だった。
「調査官」
宰相が静かに言う。
「見てくれ」
アーデルハイトが火災報告書を受け取り、目を滑らせる。
そして、そこで指が止まった。
「……発生日が、昨日」
ユリウスが目を上げる。
「昨日?」
アーデルハイトは、帳簿の写しに視線を移す。
「写しの末尾に“作成日”が記載されています」
紙を示す。
――作成日:三日前。
部屋の空気が、一段下がった。
宰相が淡々と言う。
「火災が昨日で、写しの作成が三日前。
筋は通る」
「通ります」
アーデルハイトは頷く。
「ただし、“提出の準備”が三日前から始まっている」
ユリウスが低く言った。
「訴えは昨日付だ」
「はい」
アーデルハイトが、火災報告書の端を指で押さえる。
「訴えが出た日と、火災の日が同じ。
そして写しは、その前に作られている」
宰相は使者を見る。
「伯爵家は、訴えを出す前から、原本喪失を想定していた。
そう読める」
使者は、落ち着いたまま答えた。
「偶然でしょう。
災いは選べません」
「偶然にしては、綺麗に並びすぎだ」
ユリウスが言った。
言葉は短いが、刺さる。
使者は一礼し、余計な言葉を足さない。
それがまた、整いすぎていた。
アーデルハイトは写しを閉じる。
「確認します」
視線を上げる。
「火災の現場、検分は可能ですか」
使者が答える。
「伯爵家の管理地です。
ただし、立ち入りは伯爵家の許可が必要です」
「許可は取ります」
宰相が即答した。
「王権の名で」
使者の目が、ほんの少しだけ動いた。
それで十分だった。
――嫌がっている。
宰相は淡々と告げる。
「そして、写しの提出だけでは足りない。
写しの作成に関わった者、保管していた者、提出を決めた者。
全員の氏名と手順を出せ」
「……承知しました」
使者は一礼し、退いた。
扉が閉まると、ユリウスが息を吐いた。
「原本が無いのが前提だな」
宰相は頷く。
「無いか、出せないか」
アーデルハイトが、淡々と結論を置く。
「どちらでも同じです。
こちらは“原本に頼らない”形へ移ります」
ユリウスが言った。
「外部記録」
「はい」
アーデルハイトは机に指を置く。
「帳簿は作れます。
手紙も作れます。
証言も揃えられます」
一拍。
「でも、金の流れは、痕跡が残ります」
宰相が静かに頷いた。
「両替商、運送記録、税帳、監査台帳」
「加えて」
アーデルハイトが続ける。
「火災報告書自体も検証します。
提出された書類が正しいかではなく、
“正しい形に整えられているか”を見ます」
ユリウスが、少しだけ口元を歪めた。
「整っているほど怪しい。
嫌な世界だ」
「現実です」
宰相が短く返す。
会議が終わりかけたところで、
宰相府の侍従が控えめに入ってきた。
「宰相閣下。
リリアナ・ド・ヴァルフォード様より、返書です」
宰相の眉が、ほんの少し動く。
彼女には“協力を求めていない”。
状況共有だけだ。
それを理解したうえで、返してきた。
封を切る。
中身は短い。
――唯一、後から作れないものは何ですか。
――それが見えた瞬間、話は終わります。
ユリウスが、紙の一行を見て、静かに笑った。
「……問いだけ置いていく」
宰相は答えない。
ただ、紙を机に置いた。
アーデルハイトが淡々と言う。
「後から作れないものは、二つです」
「一つは、複数の外部記録が一致する“流れ”。
もう一つは、作った側が想定していない“綻び”」
宰相が頷く。
「綻びを探せ」
「はい」
アーデルハイトは立ち上がる。
「伯爵家の火災現場へ。
両替商へ。
運送組合へ。
監査局へ」
ユリウスが短く言った。
「速く。だが、慌てるな。
相手の誘導に乗るな」
「承知しました」
返事は淡々としている。
だが、宰相府の空気は、確実に変わっていた。
原本が消えた。
それは不利ではない。
むしろ、性質がはっきりしただけだ。
――この訴えは、作られている。
作られているなら、
作った人間の手が、どこかに残る。
あとは、それを拾うだけだった。




