第二話 到着した被告
王都の門は、高かった。
石の壁に囲まれたその入口は、いつ見ても堂々としている。
けれど今日のクラリスには、それが「守り」ではなく「檻」に見えた。
馬車は泥だらけだった。
側面の板は割れ、幌は裂けている。
走ってきたというより、逃げ込んできた、に近い。
護衛の騎士が一人、肩を押さえている。血は止まっているが、顔色は悪い。
もう一人は唇を噛み、王都の兵に状況を説明していた。
「襲撃は街道で。数は三、いや四。顔は布で……」
言葉が整理できていない。
それが、現実味だった。
クラリスは馬車から降りた。足をつく瞬間だけ、膝が小さく笑う。
転びそうになるのを堪えて、衣服の乱れを整えた。
貴族の習慣は、体の奥に残る。
今さら役に立つかどうかは別として。
宰相府の迎えは早かった。
黒い外套の男が近づき、必要最低限の礼をした。
「王権の名において、事情を伺います。
拘束ではありません。安全の確保です」
言い方がうまい。
“捕まえた”とは言わない。
でも、“逃げるな”は含まれている。
クラリスは、頷くことしかできなかった。
馬車はそのまま宰相府の側門へ回される。
人目につかない動線。
それだけで、この件が普通ではないと分かる。
通された部屋は、質素だった。
豪華な客間ではない。
取調室でもない。
机と椅子。
暖炉。
窓には厚いカーテン。
「ここで休んでください。水を」
侍女が一人つく。宰相府の者だ。
優しい顔をしているが、目はよく見ている。
クラリスは椅子に座り、両手を膝の上で組んだ。
震えが、止まらない。
「……私は」
声が掠れた。
「何も、していません」
それは嘘ではない。
でも、それだけでもない。
部屋の反対側で、調査官アーデルハイトが書類を開く。
淡々としている。人の顔より紙を見るタイプだ。
「提出された訴えは読んでいます。
まず確認します」
視線が上がる。
「王都へ来る途中で襲われた。
襲撃者の目的は、あなたの身柄か、荷か、口か」
クラリスは瞬きをした。
目的。
そんなこと、考えたこともない。
「わかりません……ただ、急に」
「襲撃の前に、兆候は」
「……」
言葉が詰まる。
その沈黙に、調査官は追い詰めるような表情をしない。
ただ、次の紙へ行く。
「分かりました。では訴えの件に戻ります」
机の上に一枚、置かれる。
「横領と背信。
帳簿の写し。
あなたの署名がある確認書。
そして証言」
クラリスの喉が鳴った。
署名。
それだけが、胸の奥を刺す。
宰相ヴィルヘルムも同席していた。
彼は一言も挟まず、顔色ひとつ変えない。
その静けさが、逆に怖い。
皇太子ユリウスは、椅子の背に寄りかからず、まっすぐ座っている。
視線は厳しいが、断定の色がない。
それが救いだった。
「原本はありますか」
調査官が問う。
「伯爵家が持っていると……」
クラリスは答えた。
「私の家には、ありません。
私は帳簿を管理していない」
「では、あなたが不正をしたとされる金の流れについて、知っていますか」
首を横に振るしかない。
「私は……夫の代理で印を押しただけです。
伯爵家から“形式だ”と言われて」
言ってしまった瞬間、胸が冷えた。
しまった、と思う。
でももう遅い。
ユリウスの指が僅かに動いた。
「形式だと言われて、何に印を押した」
クラリスは唇を噛む。
「……確認書です。
“差異は調査中”という文言があって、
私が認めるとか、そういう意味では――」
「文言を覚えているか」
宰相が初めて声を出した。
低い、冷たい声だった。
クラリスは首を振る。
「正確には……覚えていません」
アーデルハイトが紙に書き留める。
「あなたは、署名の意味を理解していなかった」
「違います」
クラリスは反射的に言った。
「理解したかったんです。
でも、伯爵家の家令が、私の目の前で、ずっと――」
言葉が途切れる。
“逆らうな”という圧があった。
それを口に出したら、自分の弱さが確定してしまう。
ユリウスが静かに言った。
「続けていい」
短い言葉だった。
だが、クラリスの肩が少し下がった。
「……家令が、私の家の借財の話をしました。
返済が遅れたら、夫の立場が危うい、と」
言い終えた瞬間、恥ずかしさが波のように来た。
皇太子の前で。
宰相の前で。
情けない話だ。
けれど、宰相は顔色を変えない。
「その“確認書”は、いつ押した」
「半月ほど前です」
「提出された訴えは、昨日付だ」
宰相が言った。
「つまり、準備は前からだ」
クラリスは、息が止まりそうになった。
自分が署名した紙は、すでに刃になっていた。
その刃が、今になって首に当てられている。
アーデルハイトが紙を揃え、淡々と宣言する。
「本日から、あなたは王権の保護下に置きます。
拘束ではありません。
ただし、外部との接触は管理します」
「……はい」
頷くしかない。
宰相が、侍女へ指示を出す。
「彼女の身の回りを整えろ。
持ち物の確認。
手紙の出入りも記録する」
侍女が一礼し、淡々と動く。
その手際の良さが、怖い。
それは優しさではなく、制度だ。
そして、その夜。
宰相府の控え廊下で、小さな騒ぎが起きた。
クラリスに付いていた侍女――
正確には、彼女が連れてきた側の侍女が一人、消えた。
部屋には、衣類が残っている。
靴もある。
窓は閉じている。
扉の鍵も壊れていない。
逃げたのか。
攫われたのか。
それとも、最初からここにいなかったのか。
報告を聞いたユリウスが、短く言った。
「……始まったな」
宰相が頷く。
「裁き以外が、速い」
アーデルハイトは、淡々と紙を開いた。
「では、こちらも速くします。
原本の確保。
証言経路の隔離。
次は“消せない記録”へ」
その言葉を聞いたクラリスは、胸の奥で理解した。
自分は、もう地方の揉め事の中にはいない。
王都の、
王権の、
そして――見えない誰かの戦場に、足を踏み入れてしまった。
その夜、彼女は眠れなかった。
灯りを消しても、
目を閉じても、
「整いすぎた書類」が頭の中で綺麗に並び続ける。
――あれは、私を殺すための文章だ。
そう思った瞬間、
初めて涙が出た。
声は出ない。
ただ、静かに落ちる。
そして、誰にも見られないように、
クラリスは指でそれを拭った。
予約ミスってしまい
誤って先の話を一瞬上げてしまいました、
見てしまった方申し訳ありません。
内容本来の話に差し替えてあります。




