日常、スケベ親父魔族リィナ
――あれから一週間後の夕方。
司は『働き蟻』のバイトを終え、喫茶店『ジャンダラー』に客として顔を出していた。
落ち着きのある店内。夕陽が差し込む窓をボーっと眺め、カランと音を立てるカフェラテをストローで吸う。ほろ苦さと甘さが引越しバイトの疲れを癒してくれていた。
「司先輩、斉藤先輩から聞きましたよ? まさか司先輩も魔族の血統だったなんて。だからあんなに力持ちだったんですね」
ウェイトレス姿の咲希が話しかけてきた。シルバーのトレーを胸の前で持ち、いつも通りの笑顔を向けている。
「ね、自分でもビックリだよ。だけどそれが分かっても、今までと何か変わるわけじゃないんだけどね。……あ、だけど生活費には余裕ができるかも」
司は冷静にその事実を受け止めていた。と言うのも、魔族と人間は昔から共存してるわけで、そこに大きな隔たりを感じたことはない。学校にも魔族の友達は普通にいたし、身近にもたくさん知り合いがいる。つまり自分に魔族の血が流れていると分かっても、何ら変わることはないのだ。
「……どこまで現実的なんですか先輩。だけどそんなところも素敵です。最高ですてやんでい!」
「なんで急に江戸っ子⁉︎」
「まあまあ。先輩が魔族だろうと人間だろうと、私は気にしませんから!」
「ありがとうてやんでい!」
お返しに江戸っ子で答える。顔を合わせ、互いに吹き出す。
これが名古屋に住む人々のスタンダード。だからこそ、司は自分の出自に大きな葛藤はなかった。
(……だけどリィナに近付けたのが一番嬉しいかも。僕も強くなれば、寿命が伸びたりするのかな?)
あれからそのことばかり考えていた。魔族は――特に緑魔力以上の魔族は長寿。つまり、自分はずっとリィナと一緒にはいられない。その見えていた未来もあり、司は自分の気持ちに蓋をしていた。もしリィナとそういう関係になったら、自分の死によりリィナはさらに悲しむだろうと。
――だが最近のリィナの態度は、以前にも増して司の恋心を刺激しまくっていた。
相変わらず昼間はパチンコや魔チンコに行ってるようだが、司がバイトから終わる前に切り上げて帰ってくるようになった。そして司を笑顔で出迎えては、腕に抱きつきながら仕事の疲れを労う彼女に、司は照れながらも新婚のような気分を味わっていた。
(……早く帰ろう。リィナに会いたい)
考えたら顔が熱くなった。早くアパートに帰って、少しでも彼女と時間を共有したくなった。
一気にカフェラテを飲み干す。ズズズ……カラン……と鳴り、グラスが空になった。
「ご馳走様。僕もう帰るね」
「お疲れ様です先輩。またナインしますね!」
「はいね」
レジで待っていた勇に伝票を渡す。勇が生暖かい目で司を見て、「リィナ姫によろしくな。また一緒に顔出せよ」と、社割価格で会計してくれた。
「もちろん。お疲れマンボー勇さん、また明日バイトで」
「おう、またな司、お疲レインボー」
店を後にし、ママチャリに跨る。夕陽に染まった秋空を眺め、司はリィナの元に帰っていった。
***
夕陽が照らす名古屋の街並み。彼は名古屋のランドマークであるミッドランドスクエアの展望台で、卵型のチェアーに身を沈めていた。
「――『鍵』の力は目覚めたみたいだね。ご苦労様、二人とも」
静かながらも上機嫌なワルプルの声。彼を挟むようにチェアーに座るザラと、甲冑ではなく白いダッフルコートを着たリューランは、ワルプルの声色に胸を撫で下ろした。
「ええ、だけどリィナの指輪は封印されちゃったみたいね。オマケに他の店に流した指輪もルーナに回収されちゃったし」
「……手際がいい」
これに関してはワルプルの想定内。ルーナの三つの部門はどれも優秀。それはカイの報告から分かっていた。あの指輪はカイの真意を確かめる踏み絵。……そしてルーナへの宣戦布告のようなもの。
「指輪なんて遊びだよ。本命はあくまであの二人。……妹の命を奪った、忌まわしき封印を壊すためのね」
「ワルプル……」
それがワルプルが抱え、掲げる願い。ゲートが封印される以前は、この世界の人間の欲望が自分たちの世界の糧になっていた。だが千年前に新たな安住の地を求めた魔族たちは、あろうことかこの世界に住みつき、ゲートを封印してしまった。
その結果はあの世界の行く末を閉ざした。糧になっていた人間の欲望――魔力が枯渇した。そして――。
「魔力欠乏症……妹も、他の子供も、大人になる前に死んでいった。……許せるはずがない」
最愛の妹。両親を魔獣に殺され、唯一残されたワルプルの生きる意味だった。しかし彼女はまだ幼い姿のまま寿命を迎えた。
『おにい、ちゃん……ずっと、大好き……だよ……』
病床に伏した妹の最期の言葉。痩せ細った手は、命が尽きる瞬間までワルプルを握っていた。――その時、ワルプルは決意し、妹の亡骸に誓った。
――あの封印を、生まれ故郷を捨て、のうのうと別世界で生きる『逃亡者』たちに復讐しようと。
「……カイ、聞いてるね? 次はザラたちと一緒に行き、アレで『鍵』の力を引き出してきて。――上手くいけば、ジュラを探して来てあげるよ」
そこでワルプルは、この場に姿のないカイを呼んだ。すると姿もないまま、チェアーの影がユラリと揺れた。
「……分かった…………すまねぇ、司っち……」
もはや後戻りできないと分かっていながらも、カイの心は影と同じように揺れた。ワルプルはその声の余韻を楽しむと、もう一度名古屋の街を――遠目に見えるゲートを睨み付けた。
「――――もうすぐだ」
展望台を突き抜け、ドス黒い魔力が空に昇った――。
***
「あ、おかえり司。今日もバイトご苦労!」
「お疲れ様、司君。お邪魔してるわ」
部屋に戻った司を迎えたのは猫耳パジャマのリィナと、スーツ姿のミオンだった。ミオンがいるせいか、リィナは抱きついて来ず、ソワソワしている。
食卓の上にはコップに注がれた麦茶と、大須ういろうが小皿に取り分けられている。
「ただいまリィナ。それとミオンさんこんばんわ。……カイさんは見つかった?」
「……カイはまだ見つからないわ。今日はリィナに依頼の報酬を渡しに来たのよ」
「うむ、あいつのことは心配だが、私は明日この軍資金で打ちに行くつもりだ。もしかしたらカイも仕事が嫌になってパチンコ三昧の可能性もある。ワンチャンどこかで出会えるだろ」
「…………うん、そうだね」
リィナが封筒から現金五万円をチラリと見せる。司はそれを大事そうに握りしめるリィナを眺め、行方不明になったカイを心配した。
――ゲートの封印を修復した後日、司はどうしても気になり、カイのアパートを訪ねた。しかしカイはおらず、仕事先のホストクラブも無断欠勤していた。その事態に胸騒ぎを覚えた司は、それをミオンに報告したのだが……カイは未だ見つかっていない。
「……司君が気にすることはないわ。カイの様子がおかしいのは私も気付いてた。……これは私の責任、あいつを見つけたら取っちめてやるんだから」
「あはは。……うん、早くカイさんを見つけよう」
気にするなと言われても無理がある。司にとってカイは親しい魔族の一人。彼に何があったのか分からないが、心配するのは当然だ。
(やっぱりカイさんはダークと? それとも何か事件に巻き込まれてるんじゃ……)
浮かない顔の司に、ミオンは「あ、そうだ司君」と話題を切り替えた。
「貴方に頼まれてたもう一つのアレ、藤原に遡ってもらってるわ。多分こっちは近いうちに何か分かると思う」
その言葉に司は顔を上げた。頼んでいたのは母親の――九条家の調査。自分の魔族の血がどこから来たのか、知らなければならない気がしたのだ。
「ありがとうミオンさん。藤原さんにもお礼言わないとだ」
「――それにしてもそのペンダント、あれから何も答えないな。司のママさんが教えてくれたら手っ取り早いのに」
ういろうを食べ終わったリィナが口を開いた。リィナが言ったように、あれからペンダントから母親の声は聞こえない。だが司は母親の温もりを確かに感じていた。
ちなみにリィナからの指導もあり、司はペンダントなしでも魔力を引き出す方法を少しずつ身につけ始めていた。
「それは仕方ないわよ。私が見たところ、そのペンダントに込められた魔力はそこまで多くない。多分この先必要な時のために魔力を温存してるのね。パチンコの節電モードみたいなものよ」
例えがいちいちパチンカス。そして同じパチンカスのリィナは、その例えに大きく頷いた。
「言い得て妙だなミオン。恐らく司のママさんも歴戦のパチンカスだったんだろう」
「人の親を勝手にパチンカスにしないでくれる? 父親はともかく、母さんはそんなんじゃなかったよ」
昔の記憶が司によぎる。いつもニコニコして自分を抱きしめてくれた。料理が上手で、司がイタズラすると「めっ!」と叱り、だけどすぐにいつもの笑顔に戻って抱きしめてくれた大好きだった母親。
そんな母親に憧れて、自分もそうあろうとした。――これが司の人格の根幹となっていた。
(母さん……また会える、よね……?)
目を潤ませた司にリィナが「も、もちろん冗談だ」と返す。少し慌てた顔から、本気で言っていたことがバレバレだった。
「まったくリィナったら。根っからのパチンカスなんだから」
「ふふ、まあな」
「いや褒めてないって」
ドヤ顔をするリィナに、涙を拭った司が冷静にツッコむ。リィナは「な、なんだと⁉︎」と声を荒げた。
そこで二人のやりとりを見ていたミオンが、「さ、そろそろお腹空いたし、私はお暇しようかしら」と立ち上がった。
「あ、だったらウチで食べてく? 今日はカレーうどんともやしのナムルにする予定だけど」
「ば、ばか司! 余計なこと言わなくていい! なんでミオンと顔を合わせて食べないといけないんだ!」
司の夕食の誘い。普段世話になってるミオンへの恩返しと思ってかけた言葉は、慌てたリィナに否定された。ミオンは一瞬リィナを睨むと、しかし司に妖しく微笑んだ。
「そうしたいんだけど、最近はアポカリプスへの警戒体制が敷かれててね、そこまでゆっくりもできないのよ。気持ちだけ受け取っておくわ。ありがと司君」
ミオンの返事にリィナが胸を撫で下ろす。司は残念に思いながら、仕事熱心なミオンに敬礼したくなった。
「そっか……うん、僕も早く強くなって手伝うよ。それまでこの街とゲートをお願いね、ミオンさん」
対する司も真面目な答えを返す。
「ええ、期待してるわ司君。……リィナ、司君を頼むわよ」
「言われなくても。それに司は飲み込みが早い、この分ならすぐに自分の身を守るくらいはできるだろうな」
あれから毎晩、司はリィナの魔力特訓を受けている。その成長ぶりは赤色魔力のリィナにして高い評価を得ていた。
(リィナが素直に褒めてくれるなんて……。頑張ってる甲斐があるし素直に嬉しい)
ミオンはその言葉に頷くと、「じゃあね二人とも。また顔を出すわ」と言い残し、部屋を後にした。
「――さて、それじゃ早速晩ご飯作るね。リィナも手伝う?」
「いーや、エプロン姿の司を後ろから見とく。私だけの特権だからな」
「何そのスケベ親父みたいな発言。……まあいいや、ちょっと待っててねリィナ、すぐに作るから」
「おかのした!」
元気いっぱいに返事をするリィナ。司はキッチンに掛けてあったエプロンをキュッと締め、冷蔵庫を開けた――。