鬼助
初投稿です。よろしくお願いします。
平和だった日常が1人の人間の手によって滅ぼされた。
賑やかな商店街は見る影もなく、火を散らしながら崩れ落ち、あちこちで血に濡れたの死体が転がる。
昨日までは笑顔が溢れる商店街だった。
惨殺された死体の山、焼け落ちた家々からは嫌な硫黄の匂いがする。
恐怖からだろう…
涎を垂らし、泣きじゃくりながら逃げる鬼達。
恍惚の境地で鬼を斬る人間の顔はとてもではないが見るに堪えない顔をしている
遠くからでもわかるケタケタと笑う人間どもの声。 死者の悲鳴と重なりあって響き渡り不協和音を奏でていた。
これはなんだ。 自分に問いかける。
一度だって見たことがない光景だ。
ああ、そうか。これが……これが地獄。
なんでこんなことになってしまったのか、少年は村中にある一本松に身を隠しながらその光景を凝視している。
溢れる涙とこみ上げる怒りに身を震わせながら…
[ 時は遡り数時間前 ]
「おぉーーい。 鬼助、こっちこっち」
「?」
───鬼ヶ島。鬼灯市街地にて。
鬼助と呼ばれた少年は振り返る。
鬼助はいつも同じシャツを着ていた。 胸には「よろずや鬼助」とプリントされているお気に入りのシャツだ。 黒地に赤文字で刺繍された文字はいい意味で目立っている。
背丈ほどの酒樽を軽々抱えて歩いていた。
人目が引く黄金色の瞳に幼さが残る顔立ちをしている彼は周りから少し浮いた存在であった。
鬼人族は基本的に黒髪赤眼が一般的だ。
しかし、彼はその赤目を持たず黄金色の瞳という異色な目を持ち合わせていた。
村八分にされてもおかしくはない瞳を持つ彼は周りから見れば異端そのものであった。
それでも心優しい鬼助は、街の民から愛されていた。
鬼助は鬼助だと彼を受け入れたのである。
鬼助は酒樽を置くとこっちだと手招きをする住民へ駆け寄る。
「なに?」
「鬼助、すまねえ! これをこじ開けてくれんか、俺の力じゃどうにもなんねえ」
そう言って彼が指さしたのは物置小屋だった。
何かが奥に引っかかって物置小屋が開かないようだ。
「おっちゃん、前も開かないって言ってなかったか?」
「いや、ここ、この前はなんだ…違う奴だ! 違う物置で……」
「それにしては似てる気がするけど……おっちゃんは何個物置を持っているんだ」
「えっと…ひぃ、ふぅ、みぃ……」
指を折って数え始めるおっちゃんに鬼助は少し呆れた顔をする。 あーもういいよ。と彼に軽く手を振りつつ声をかけた。
「とりあえずこの前のは違う物置ってことね。 分かった」
大型サイズの物置は少し中が伺える。 鬼助は少し開いている物置を覗き込むと何かが引っかかっているのが見えた。
「竿か? これのせいで開かなくなっちまったんだろうな。 おっちゃん、竿はああいうところに置かないほうがいいぞ」
「ゔっ!! い、以後気をつけるわ…」
扉の少し開いた隙間を掴んだ鬼助は指に力を込めるとミシッと扉が軋む音がしたが鬼助は気にしなかった。
「よいしょっと!」
掛け声と共にドゴっ!!という轟音が鳴り響く。 扉が取れてしまったようだ。 いっけねっと焦る鬼助はおっちゃんの顔を見る。
「あーごめん。 おっちゃん、取れた」
「いやいや気にすんな。 相変わらずのバカヂカラで逆に安心したわ」
外れた扉を近くの壁に立てかけるとそのヒビが入った扉を見て、壊れてんじゃねぇかとおっちゃんはツッコミを入れた。
(新しく扉つけねーと……あ。 そういや、コイツ、バカでっかい石を軽々持ち上げてたなぁ~こいつ)
数日前に起きた出来事を思い出しおっちゃんはケタケタと楽しそうに笑った。
数日前、といっても二、三日前のことだ。 通行の妨げになっていた鬼人の背丈以上の石を軽々しく持ち上げていたのだ。
そしてまるで軽いボールを投げるかのような要領で邪魔にならないところに投げた彼にその場にいた全員にバカヂカラと言わしめた出来事でもあった。
「この前は驚いたなぁ。 俺以上の背丈がある岩を軽々しく持ってたんだから」
「そーいやその前にもあったよな。 大木が倒れて道が塞がって立ち往生して……」
「あったあった!! あれも鬼助のバカヂカラのおかげでスムーズに通れるようになったんだよなぁ」
鬼助が壊した扉を見ながら野次馬が大笑いしている。 過去に起きた出来事を交えながら話をする彼らに鬼助は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。
「鬼をゴリラ族みたいに言うなよ! 俺は鬼だぞ!」
「ガハハっ!! 言われてみればお前は鬼の子だ!! 鬼一の自慢の息子だぁ!!」
バンバン、と背中を叩かれながら快活に笑う男にイダダっと痛がりつつ、鬼助は笑っている。
「おっちゃん。 俺行くわ。 後でこの分の請求書送りしつけとくからな」
「おいおいお金取るのかよ、お前ぇ。 ボランティアだろうよぉ」
「俺はよろずやだぞ〜〜。 よろずやは何でも屋じゃねーの。 立派な商売なんだからな。
見返りなんてない無料の施しはしない主義なの! んじゃまいどあり〜〜」
「ったく。 わかったよ。 那鬼ちゃんによろしくなー!!」
「へいへい!!」
鬼助には妹がいる。 名を那鬼という。
腰まで伸びた黒髪は艶やかで癖っ毛ひとつないストレートだ。
微風が吹けば1本ずつがサラサラとなびく
目は赤く、目尻に沿うよう紅をさしている。
街一番のベッピンさんで自慢の妹だ。
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
鬼助は、にっと歯を見せて笑った。
「ただいま、那鬼。ご飯食ったか?」
「これからよ。今ちょうど作り終わったところなの」
居間には出来立ての夕餉があった。 お盆の上には4つのお皿。 焼き魚、白米、豆腐の汁物、白菜の漬物がお皿におさまっている。
「いつも悪いな。ほらコレ、お土産」
鬼助はバレッタを手渡した。
金の枠の中には純白の百合の花が描かれていた。受け取った那鬼は申し訳なさそうな顔をする。
「お兄ちゃんったら…いつも言ってるでしょう? お土産はいらないって」
「そうだったか? 悪い悪い」
「そうそう今日は年に一度の大宴会よ。 おじさま達がお兄ちゃんのこと、褒めていたわ。 力持ちだって」
自慢の兄を褒められて嬉しいと那鬼は言った。 そんか彼女をみて鬼助もまた、自慢の妹にそう言われて嬉しいと思ったのはきっと彼女に伝わっているはずだ。 少し微笑む那鬼に鬼助は笑い返した。
「よし、ご飯にするか!!」
早々に夜が更ける
いつもは静かな月夜でも、今日は違った。
ご飯のあと、膝を立てお茶を啜っていた鬼助は外が騒々しいことに気付いた。 心が躍る。
「大宴会、盛り上がってるな……」
「そりゃお祭りですもの。 騒ぎたくなるもの無理はないわ」
洗い物を終えた那鬼は鬼助の隣に腰を下ろす。 その手には鬼助と同じ湯呑みを持っていた。
「よくもまああんなに飲めるよな……毎年毎年大宴会の翌日は二日酔いだって愚痴るくせに…」
呆れたようにお茶を啜る鬼助に那鬼は口元を着物の袖で覆いクスクスと笑う。
彼女が笑うのには理由がある。
この大宴会はただのお祭りではない。 まだ15歳に満たない鬼人族が成人を祝う一大行事なのだ。 鬼人族の成人は15歳。 今後の活躍と健康、幸福を願って行われる。
「あ、そういえば……」
ーーーキャァアアアア!!!!
耳を劈くような悲鳴が何処からか聞こえてきたのは。
那鬼は咄嗟に兄の腕をつかむ。 鬼助は掴まれながらもそのまま立ち上がり、様子をうかがう。
何も分からない。 けど、なにか恐ろしいことが起こっているような気がしてならなかった。
「今の悲鳴……大宴会の方から聞こえた…」
彼の視線は大宴会が行われているであろう方角に向いている。
「那鬼、ちょっと待ってろ」
立ちあがり一歩前に踏み出そうとする鬼助の腕を那鬼がさらに強く握りしめる。 その手は明らかに震えている。
「ま、待って。 お兄ちゃん…嫌な予感がする」
「大丈夫。 ちょっと見てくるだけだ」
不安気に揺れる那鬼の眼差しを受けながら、そっと那鬼の手を握る彼はゆっくりと手をほどくと立ち上がる。
少年は護身用として、立てかけてある木製の棍棒を手に取り腰に下げた。
「んじゃ、いってくる!」
「お、お兄ちゃん!!!」
鬼助が家を飛び出す手前、那鬼の泣きそうな声が聞こえた。
大宴会へ近づけば近づくほど濃く香る血の匂い。 大宴会の広場にきた鬼助は息を呑んだ。
そこには血に濡れた同族の姿があった。
そのほとんどは恐怖で引き攣った顔をしている。 その中には朝のおっちゃんや通行人達もいた。
「っ、おっちゃん!!!」
近付いておっちゃんと呼ばれた鬼の安否を確認する。
抱き起こし名を呼ぶとうっすらとおっちゃんが目を開ける。 吐く息が弱々しい。 今にも息絶えそうな雰囲気があった。
「き……す、け……にげ、ろ……」
「おっちゃん、一体何が…何があったんだっ」
「ニ……ゲンが……せめ……て……に、げ……」
「人間……? なんで人間が……」
刹那。 また響く悲鳴。 今度は後ろの方から聞こえた。 同時に聞こえた笑い声はとても不愉快で胸がザワっとする。
「あっははははっ!!弱い!!弱い弱い弱い!!弱すぎるぞ、鬼ども!!!」
「ギャ!!」
一人の人間に斬られる鬼は見覚えがあった。 隣に住む心優しいおじさんだ。 大宴会があれば颯爽と言って、次の日二日酔いに苦しんでいる知り合いの鬼。
おじさん!!と声をあげそうになった。
でも声が彼に届くことはない。 絶命しているのは火を見るより明らかだったからだ。
ぐっと唇を噛み締める鬼助は、仲間を引き連れて逃げ惑う鬼人を切り捨てる人間を見た。
短い黒髪は光の加減によって焦茶に変わる。
瞳は黒。 切れ長というよりもおっとりとした垂れ目だが、その目は愉悦に染まっている。
顔を歪ませ、嘲笑うその姿はまさに狂人といっても過言ではないだろう。
服装は袴だ。 桃色の長着はべったりと赤が滲み、それは浅葱色をした袴にまで滴るほどだった。
人間の仲間である犬、猿、雉は鬼人の足止めのために動いて、人間がトドメをさす。 しっかりと連携が取れているようで一切の隙がない。
その様子を少し離れたところから見ていた鬼助は怒りで目の前が真っ赤になった。
よくも仲間を…よくも家族を!!
棍棒を握る手が強まった……その時だった。
人間がふとある一軒家に目をとめた。 それは鬼助の家だ。 那鬼が待っている彼の家だった。
「っ、那鬼!!!」
考える間もなく鬼助は気付けば走っていた。 怒りと仲間の無念に震える足を無理やり動かして、家へとにかく全力で。 彼らの毒牙が妹にかかるかもしれないと思うと恐怖で震えながら。
やめろ。 彼女は、妹は俺の大事なーーー。
扉に手をかけようとする人間の手を棍棒で叩き落とした。 立ち塞がるように棍棒を構える鬼助に人間は不愉快そうな顔をする。
「なんだお前……鬼か?」
肩で息をして彼らの前に立つ鬼助に人間は眉を顰める。
「桃太郎ぅ。 この鬼、ツノが小さいよぉ?」
そういったのは猿だった。
茶色の毛並みにくるっと軽くまいた尻尾はゆっくりと左右にゆれている。 黒い瞳は人間と似ているようで少し違った。 人間の方は光が一切ない黒に対して、この猿は少し赤みを帯びた黒だった。
「あ? ……ふはっ!! マジだ。小せぇ!! 白波の親指ぐらいなんじゃね?」
猿の言葉に桃太郎と言われた青年はじっくりと鬼助を見つめる。 そして気付いた。 彼のツノがあまりにも小さいことに。
鬼の強さはツノの長さ、そして大きさに比例する。
それを知っているからこその嘲笑だった。
「……桃太郎の小指ぐらいあると思う」
ぼそっと言ったのは犬である。
真っ白な毛並みは血に濡れぼんやりと鬼助を見つめる瞳は鮮やかな紫色をしていた。
ちげぇねぇ、と笑う人間とその一味。 ひとしきり笑ったあと、桃太郎は刀を鬼助に向けた。
「ほらお前、さっさと退け。 鬼は全員皆殺しにしなきゃなんねぇからよぉ」
「何故この島を襲った!! 俺達は普通に生きていただけなのに」
鬼助が吠える。 その問いかけに面倒なものを見るような目で鬼助を見つめる桃太郎はしばらく考えた後、答えた。
「俺は鬼退治を命じられただけだからな。 詳しく知りてぇならグラビッサ王国の上層部に聞け」
グラビッサ王国……人間が大半を占める国だ。
何故その国が鬼ヶ島の鬼を殺すのか…皆目見当もつかなかった。
「あーそうだ。 おまえなら知ってるかもしんねぇな。 おれ、鬼を探してんだ。 万那鬼っつーかわい子ちゃんらしいんだけどよ」
だぁれも教えてくんねぇの。 少しずつ、体を切り落としても、口の中に剣を突き刺しても、誰一人として口を割ろうとはしねぇの。 おかしくね?なんて拷問まがいなことを、まるで今日の夕飯何にしようかと友達に言うかのような軽さで桃太郎は言う。
鬼助は桃太郎の言葉を最後まで聞くことなく持っていた棍棒を振りかざしていた。
しかしひょいっと軽々躱される。
それどころか余裕綽々な笑みで桃太郎は「おいおい俺まだ喋ってる途中だぜ?」なんて笑う。
鬼助が右足を踏み出した瞬間、刀の刃先がコメカミを掠った。
(っ、速い!??)
かすめたコメカミから血が流れるが鬼助は絶えず攻撃を続ける。 それでもこちら側の攻撃は当たらない。 カスメもしない。
(なんで……っ)
なんでこちらの攻撃が当たらない? なんで相手は笑っている……?
相手の考えていることが全くわからなかった。
でもこれだけはわかる。 相手はこの戦いを楽しんでいる。 否、戦いながら鬼助を哀れんでいる。そんな視線だ。
それがどうしても許せなかった。
真剣勝負で相手を哀れむということは相手を侮辱しているも同義。 同じ土俵に立てていないも同然だった。
「んで。 お前は知ってんの?万那鬼ちゃんって子」
「もしその子を知っていたとしても、教えるわけない、だろ!!」
鬼助の鋭い蹴りが飛ぶ。 それを顔を逸らして紙一重で避ける桃太郎は好戦的な笑みを浮かべていた。
左手に力を込めて棍棒を振るう。
当たらない。 これでも棍棒の達人から褒められるの実力は持っていると思っていた。 それが過信であると今気付いた。
一瞬の考えが油断へ変わる。
桃太郎の重たい蹴りが飛んできたことに反応が一瞬遅れた。
「ぐっ!!」
吹っ飛んで近くの木に突っ込む。
「ざぁんねん。 んじゃさよならだな。 黒柿」
「はぁい! まっかせてよぉ。 桃太郎!」
自ら手を下すまでもない、そういうことだろうか。 彼は鬼助に背を向け、黒柿は足に力を込める。
「んじゃ。ばいばぁい」
おわった。 そう思って、痛みに備えた瞬間。
「………はぇ?」
気の抜けた声と同時に黒柿が尻餅をついた。
目を見開く仲間達に黒柿はその場に倒れる。 目は開いているのに声が出ないのか何か焦燥に駆られた。
「お前は今、何をした?」
自分自身が理解できない状況に戸惑う鬼助に桃太郎は問いかける。 無論、問いかけに答えることはできなかった。 何故なら今自分が何をしたのか理解できないからである。
ただただ息を呑んで彼女の様子を見つめる鬼助はガラッと開いた引き戸で我に返った。
「待って!!!」
聞き馴染みのある声だった。 ピタッと動きを止める桃太郎は声のした方を見る。 引き戸を開けて飛び出してしたのは那鬼だった。
彼女の突然の登場に鬼助は目を見開いて固まっていた。
「お、お兄ちゃんに手を出さないでっ。 万那鬼は私です!!!」
兄を庇うように前に出る那鬼。
ふわりとストレートな黒髪が風で舞う。
ひゅっと鬼助の喉が鳴る。
がすぐに目を吊り上げて那鬼を威嚇するように睨みつける。
「お、おま!! バカ!! 何故出てきた!!」
「お兄ちゃんが殺されそうになってるのに家の中に引っ込んでいるわけないでしょう!!」
叫ぶ鬼助に彼女は珍しく言い返した。 いつもは大人しく常に一歩後ろをついてくるような妹が、だ。 それでも鬼助は言葉を止めなかった。
「逃げろ!! バカ!! 狙われてんのはお前だ!!」
「そーそー。 といっても今更逃げても遅いんだけどねぇ。 まあよかったよ、そっちから出てきてくれて。 万那鬼ちゃん」
目当ての人物を見つけた桃太郎はにんまり笑う。 獲物を見るような目で那鬼を見つめるその目はまさに捕食者だった。
「わ、私に何の用ですか…っ」
「グラビッサ王国の第一子アルマ王子が君に一目惚れしちゃったらしくてねぇ。 まあ確かにこんな大和撫子のような女の子ならあのバカ王子が惚れるのも無理はないかも」
そこから語られるのはあり得ない話だった。
那鬼に惚れたアルマは父に泣きついた。 父である国王ヤンデは元々鬼ヶ島から取れる金銀を狙っていた為、鬼ヶ島の村長であり鬼助の父・鬼一に貿易を持ちかけたそうだ。
しかし鬼一はそれを断った。 金銀は争いの火種になると、彼自身分かっていたからだ。
断られたヤンデは怒り狂い、この島にいる全ての鬼人を殺しこの島を乗っ取ってしまおうと企てた。 そこで派遣されたのが桃太郎である。
「まあまさかこんな暴虐暴君が治める国なんてすぐに滅びると思うけど……ほら上からの命令は絶対だからね。 逆らうなんて出来ないわけよ」
肩をすくめる彼に鬼助と那鬼は呆然とした。
「そんな……そんなことで……」
「ところでその鬼一ってヤツはどこにいる? そいつの晒し首を持っていかなきゃいけないんだよねぇ」
万兄妹は同時に鎮痛な面持ちで顔を合わせる。 桃太郎の問いに答えたのは那鬼だった。
彼女は今すぐにでも鉛を飲み込むような沈んだ顔で桃太郎を見る。
「……鬼一なら数日前に急死しました」
その時のことを思い出しているのだろう。
2人は何も言わなかった。否、言えなかった。彼が病気で死んだのはちょうど2人が眠っている時だったからである。
「それは……悪い。 ご愁傷様」
まるで聞いちゃいけないことを聞いたかのような反応を浮かべる桃太郎。 その瞳は一瞬、理性が宿っていた。 がすぐに桃太郎は後ろに控える犬と雉に目を向ける。
「これ、契約違反になるかな…どう思う?」
仲間訊ねる彼の顔はここからでは見えなかったが、笑い一つ含んでいないことは彼の声音から察した。
雉と犬は何も答えずただ少し首を傾げるだけ。 どうするべきかの判断は桃太郎に委ねている、ということだろう。
桃太郎は黒柿を一瞥した後、「まあいいか」と思い直し二度しっかりと頷く。
「皆殺し命令は絶対。 だから本当はお前も殺さなきゃいけないんだけどぉ……気が変わった」
それは何処か深みのある笑みだった。
那鬼を見つめる桃太郎は「一つ提案があるんだけど」と人差し指を立てた。
「君が素直に俺について来てくれるっていうなら君のお兄さんを殺すのはやめてあげよう。 ほらおれ、優しいからさ。 可愛い子のお願いは全面的にOKしちゃうのよ」
それは提案という名の遠回しな脅しだった。
彼らについていかないと選択した場合、桃太郎は鬼助を即座に切り捨てられるだろう。 それこそ周りに転がっている死体のように。
「………」
選択肢なんてあってないようなものだった。
どうする?なんて甘い声で囁く桃太郎に鬼助は叫んだ。
「那鬼!!耳を貸すな!!俺は大丈夫だから!!」
「うるさい口ですね。少しはお静かにお願いします」
そう動いたのは雉だった。
人間へと姿を変えた雉は那鬼の横を通り過ぎる。 色鮮やかな緑色は光沢があり、ゆるりと三つ編みに結んだ髪を横に流し、 切長の黄色い瞳は真っ直ぐ鬼助へ向けられ……たかと思いきや、ガッと彼の口を押さえた。
「今、桃太郎が喋っております。どうかお静かに」
「むぐっ!!むーーー!!」
「や、やめて!!! いく、ついていきますから。 お兄ちゃんを殺さないでっっ」
今にも泣きだしそうなか細い声だった。 那鬼の言葉を聞いた桃太郎は満足そうに笑って頷くと人化した雉を見た。
「……灰仁」
それはワントーン低い声だった。 でもその声にはしっかりとした威圧があった。 桃太郎が灰仁の名を呼ぶとビクッと肩を震わせすぐさま手を離した。 その表情は少し怯えの色がある。
「申し訳ございません、桃太郎。 耳障りな小鳥が囀っておりましたので、つい」
「……」
灰仁はそう言い訳を述べたあと、人化をといて片翼で嘴を隠してクスクスと笑う。
「灰仁、おこられてる」
「うるさいですよ。 白波。 黒柿よりもマシでしょう」
動けない黒柿を冷たく見下ろす灰仁にこめかみに青筋を立てた黒柿は目を血走らせて睨みつけていた。 おぉ怖い怖いと更に笑う灰仁を冷めた目で見るは真っ白な毛並みに紫色の瞳が特徴的な犬の白波である。 うるさそうに顔を顰めていた。
「んじゃ約束通り君のお兄さんは殺さないであげるよ〜。 ほらおいで〜〜」
「……那鬼っっ」
手を伸ばす。 こっちへ戻ってこい、とその手が語っていた。
しかし、その手が那鬼に届くことはない。 彼女の瞳はついていくという覚悟を宿していた。
「ごめんなさい、お兄ちゃん……どうか元気で」
涙を浮かべ笑みを貼り付ける彼女は鬼助に背を向ける。
「那鬼!!!!」
鬼助は叫んだ。
何度も、何度も声が張り裂けるまで叫んだ。
でも彼女は振り返らない。 桃太郎一派と那鬼の背が遠ざかっていく。
「くそ……っ」
鬼助の命と引き換えに彼女は桃太郎一派について行ってしまった。 あの選択はそうせざる終えなかった。そこに那鬼の意志はない。
鬼助の目から大粒の涙が溢れ出る。
悔し涙だった。 顔を歪ませ、五指で抉り取ったような痕が残る地面は彼の心境を物語るようだった。
「くそくそっ!!」
握り拳を握り、地面を叩く。 ダン、ダン!!と地面を叩く力が徐々に強まるにつれ亀裂が走る。
自分の非力さを憎んだ。
自分にもっと力があれば、妹が攫われずに済んだのに……なんて、自分は無力なんだ…
「くっそぉおおお」
彼の悲痛な叫びがここら一帯に響き渡った。
夜明けの前、夜が空を覆う鬼ヶ島に住む鬼人族は一人の青年とその手下によって全滅した。
たった二人、鬼助と那鬼を残して。
▽ ▽ ▽
夜が明けた。 既に空は雲ひとつない蒼一色。
目の下にクマを携えて、ふらふらと歩くその姿はまさに道を彷徨う亡霊。 無気力が彼の心を蝕む中、彼は気づけば自分家の中にいた。
居間だ。 履いていた靴を脱ぎ家に上がる鬼助は一通の手紙を見つけた。
お兄ちゃんへと書かれたそれは妹の字だ。
慌てて書いたのかその文字は少し歪に曲がっている。
『 待ってる 』
たったの一言だけ書かれた文字は若干インクの滲みが目立つ。
上から何か水滴でも垂らしたかのような滲みだ。 彼女はこれを書いている時に泣いていたのだ、と鬼助は察した。
「……那鬼…っ」
あの短時間で那鬼は苦悩したのだ。
いろんなことを考えて、感じて、それでも鬼助を助けたいという想いで彼女は行動した。
泣き尽くしたはずなのに再び目元が熱くなり、涙がまたシトシトと流れ落ちる。
彼女の文字が鬼助の涙で更に滲んだ。
『待ってる』
それはつまり自分が迎えにくるのを待つという意思表示だ。 その一言に込めた意図を読んだ鬼助は唇を噛み締めた。 溢れ出る涙を拭い彼は前を向く。
行かなければ。 妹を迎えに。
今より強くなって、妹を取り返さなければ。
でもどうやって…今のままじゃダメなことぐらい彼自身わかっていた。
「……そうだ、仲間…」
一人で妹の奪還は難しいだろう。
なら一人ではなく、複数で……仲間を集めて妹を奪還すればいい。
立ち上がる彼はまず最初に思いっきり両手で両頬を打ちつけた。 パチンと乾いた音が響く。
「……待ってろ那鬼」
お兄ちゃんが必ず、お前を助けるから。
これは妹を取り戻す為に冒険に出る一人の鬼の少年の物語である。