9日常と急転
朝起きて、仕事に行く彼を見送って、魔法の訓練以外はだらだら過ごして、彼が仕事から帰ってきたら出迎えて、夜は一緒に眠る。
そんないつもと変わらない、魔獣として自堕落な生活を送っていたある日。
どうやら今日は仕事が休みのようで、いつもより遅く起床した彼は朝からご機嫌だった。
「おはようございます。今日はお休みなので、ずっと一緒に過ごしましょうね。」
(やった!何日ぶりかしら…お仕事、結構忙しいみたい……)
彼は朝食を食べて着替えると、本を片手にベッドへ戻り、私を膝に乗せて読書を始めた。
ちらりと本の内容を見ると、難しい単語がずらりと並んでいる。
どうやら、魔法に関しての文献のようだが、私の前世の記憶を持ってしても、半分程度しか理解できそうになかった。
(賢いのね。若いけれど、もしかするとかなり優秀で、立場が上の人なのかも…)
彼は本を読みつつも、時折気まぐれに私の背中を撫でたり、耳を擽る。その気持ちよさに、ふわ、と欠伸をすると、うつらうつらと船を漕いでしまう。
彼の膝から伝わる温かさも心地よくて、眠ってしまいそうになったその時、ふと魔力を感じて顔を上げた。
「………」
(これは…使い魔?)
窓の外に鳥が一羽飛んでいる。
彼はそれを数秒無言で見つめ、溜め息をひとつ吐くと、本を閉じた。
そして私を優しくベッドに置くと、窓を開けて鳥を迎え入れる。
彼が右手を差し出すと、その手に鳥がとまり、ふわりと便箋に姿を変えた。…どうやら、魔法で創り出された手紙のようだ。
それに目を通した彼は、忌々しいといわんばかりにその見目麗しい顔を歪め、チッと舌打ちした。
「…すみません、呼び出しです。」
(せっかくのお休みなのに…)
「いや、気付かなかったことにするか……」
(えっ!?ダメでしょう!?わざわざ魔法で速達を出すくらいなんだから、大事な用事のはず…!)
ツッコミを入れながら、無意識に首をぶんぶんと横に振ってしまう。
それを見た彼は、またひとつ溜め息を吐いた。
「はぁ…直ぐに戻りますから、ここで待っていて下さいね。」
やはり急ぎの用件らしく、彼は素早く着替えてローブを羽織ると魔法を唱え始める。
転移魔法が展開され、彼が光に包まれて、消えていく。
(あ…っ)
その時、「いってきます」と仕事部屋を出て、そのまま戻ることなく命を落とした過去の自分自身が脳裏を過った。
(いかないで!)
「えっ…!?」
考えるよりも体が先に動き、気がつけば私は、彼の胸へ飛び込んでいた。
驚いた様子の彼に受け止められたと同時に視界が白一色に染まり、次に目を開けるとそこはどこか懐かしさを感じる部屋だった。
「おぅ、早いな……って、え?」
これまたどこかで聞き覚えのある声にはっと顔を上げると、そこに立っていたのは、
(バイロン、副団長…!?)
最期に見た時よりも幾分が歳を重ねているが、その姿は間違いなく、バイロンだった。
「………用件は何ですか」
彼は胸に抱いている私をローブで隠すと、これまでに聞いたことがないくらい冷たい声で尋ねた。
「…クラ」
「僕は忙しいんです用事が無いのでしたら帰りますお疲れ様でした」
「待て待て待て!!」
言葉を遮り、再び転移魔法を使おうとした彼を、バイロンが慌てて止める。
少し息苦しくて、ローブからちらりと顔を出すと、バイロンと目が合った。
「…お前、最近やけにご機嫌だと思ったら……」
「僕はいつだってご機嫌ですよ?」
「嘘つけ!」
声といい話し方といい、私の知っているバイロン副団長で間違いない。
…ということは、ここは人間の“シェリー”の生きた国で、私は“シェリー”の死後それほど時間が経たないうちに転生した、ということだろうか。
頭の中が整理できず、私は呆然と何やら言い合いをしているバイロンと彼を眺め続ける。
すると、扉の奥からバタバタと走る音が近付いてきて、扉が勢い良く開かれた。
「大変です団長!さっきの件、やっぱり後日でも構わないってさっき…あっ、」
濃いイエローブロンドの髪を揺らして現れた垂れ目がちの少女は、彼に気が付くと苦笑した。
「あちゃー…もう来ちゃったんですね、クライド様…」
(………え?)
クライド様。
そう呼ばれた彼をゆっくりと見上げると、彼は額に手を当てて、大きな溜め息を吐いた。
美しいプラチナブロンドの髪に、対照的な黒い瞳。
(どうして、今まで気が付かなかったんだろう…)
私の視線に気が付いて、困ったように眉を下げた彼は、間違いなく、“シェリー”の弟子の“クライド”だった。