8閑暇と外出
「おはようございます。今日も可愛らしいですね。」
(おはよう)
光魔法での治療を受け魔力が安定してきたシェリーは、徐々に覚醒時間が増えた。
今では人間の頃と同じように日中は起きていることが出来るようになっていた。
そして、それに伴って1つの問題が発生している。
(暇だわ…)
この部屋で過ごしてどれくらいの日数が経ったのだろう。
日中、私を保護している彼が仕事に出ている間、恐ろしいほど暇だ。一度、彼が置いていった本を読むことを試しはしたが、もふもふふわふわの手で薄いページを捲れる筈もなく、早々に諦めてしまった。
ここ最近は、魔力操作の練習も行っているが、それにしても有り余る時間が私の精神を阻んでいた。
(“シェリー”の頃は、魔獣になって毎日ゴロゴロできるなんて最高!って思ってたけれど…)
こんなに暇が辛いとは思わなかった。
そして暇な時間があると、“シェリー”の頃の記憶を思い出し、あれからどうなったのだろうかと気にしてばかりいた。
(クライドは無事かしら…)
せめてなにか、“シェリーが死んだ後”のその後が分かるヒントがあれば。
けれど、この部屋は驚く程整理整頓されていて、そのそのヒントどころか、彼の名前すら知ることができなかった。
…外の世界に出れば、何か分かるかもしれない。
今日も窓の外を眺めては、そんなことを考えていた。
「……外に出たい、ですか?」
ぼんやりと考え事をしていると、彼の優しい声が聞こえ、大きな手で背中を撫でられた。
(出たいわ。だけど…)
「…ずっと家でくつろいでいていいんですよ?」
どうやら彼は、私を外に出したくないらしい。
その証拠に、自分で提案しておきながら、彼の眉は困っていますと言わんばかりに下がっている。
彼にそんな思いをさせてまで、我儘を言うべきか…と悩んでいると、彼は私を抱き上げた。
「…仕方ないですね。行きましょう。」
(え?いいの?)
「実は、そうだろうと思って少し前から準備していたんですよ。」
私が過ごしていたのは、一軒家の一室だったようだ。
初めて見る部屋以外の景色に、キョロキョロしていると、やがて庭らしきところへ到着した。
彼は屈むと、そっと私を地面へ下ろし、少し戸惑った後、恐る恐る手を離した。
「…こわい、ですか?」
動かない私を見て、彼は眉を下げる。
(怖がっているのは、貴方なのに)
小さな私の体から離された手は、私が動けば触れてしまう程の距離で保たれている。
それはまるで、私がここから逃げ出すことを恐れているようだった。
(逃げたりしないわ。)
そう言いたくても、話せない。
もどかしさを感じながら、私は小さな一歩を踏み出した。
彼の手をするりと抜け、少し大回りで彼の周囲をゆっくりと歩いて一周する。その後、彼の足にぴたりと体を寄せて止まり、彼を見上げた。
彼は少し驚いたように目を見開いた後、いつものように、嬉しそうにふにゃりと笑った。
「…ありがとうございます」
(こちらこそ、いつもありがとう!)
安心したのかその場に座り込んだ彼の膝にぴょんと飛び乗ると、ふわふわと撫でてくれる。
私はもうすっかり、彼を全面的に信頼して体を委ねていた。
穏やかな日差しに、優しい手。
(きっと“幸せ”ってこういうことを言うんだわ。)
やっぱり魔獣ライフは最高かもしれない。
(…ずっとこの幸せが続けばいいのに。)
しばらくそうして撫でて貰い、うとうとと睡魔に誘われ始めた頃、どこからかガサリ、と物音がした。
「にゃあん」
鳴き声がして振り向くと、猫形の魔獣がゆっくりとこちらへ近付いてくる。
彼が手を伸ばすと、嬉しそうにゴロゴロと頭を擦り付けた。
「この子、たまにこの辺りに来るんですよ。契約はしていないのですが…」
猫形魔獣は彼に撫でて貰いながら、ちらりとこちらを見ると目を細めた。
なんだか、胸のあたりがもやもやする。
(ねぇ、貴方、話せる?)
「…にゃあ?」
どうやら私は、魔獣でありながら人とも魔獣とも話せないらしい。
“魔獣同士が話せるかどうか?”という論文が、前世で亡くなる直前に出ていたことを思い出す。
その論文は確か、『同種間でのみ話せるのではないか』という結論で締められていた。
猫形魔獣は私に近付くと、どけと言わんばかりにその背中を前足でちょいちょいと突いた。
…彼の膝の上を譲れということだろう。
(なんか、嫌な感じ)
私はフン、と鼻を鳴らすとその訴えを無視し、そっぽを向いた。
猫形魔獣は私の頭側にまで周り込んで、講義の声を上げる。
あまりにしつこいので、今度は座る向きを変え、彼の腹部に顔を突っ込んで無視した。
(嫌よ、この場所はあげないわ!)
「…ふふ、戻りましょうか」
彼はそのまま私を抱き上げると、家の中に向かって歩き出した。
遠ざかる猫形魔獣の声を聞きながら、自分に嫌気が差してくる。
(私って、こんなに心が狭かったのね…)
“シェリー”でいる頃は、こんなにも誰かを取られたくないと思うことも、自分の気持ちを押し通すこともなかった。
でも、この場所を誰かに盗られるかもしれないと思うと、どうしても我慢ができなかった。
(だって、)
人間だって魔獣だって、自分の“好きなもの”を盗られそうになったら抵抗する。
“シェリー”であった頃は、そんな気持ちは私には無縁だと思っていた。
(だって、好きなんだもの…)
「…嫉妬、してくれたんですか?」
気がつけばいつもの部屋で、彼はいつものベッドに座っていた。
向かい合うようにして両脇を抱えられ、彼に見つめられる。
目の前が彼の顔でいっぱいになる。
彼の黒い瞳に映る私は、なんともいえない無表情で、鼻をぴくぴくさせている。
……名前も知らない貴方が好き。
私は彼の言葉を肯定するように、自分の鼻を彼の鼻にぴとりとくっつけた。
「…っ、かわいい。大好き。愛しています。」
これまでで一番嬉しそうに笑った彼は、私をぎゅうと抱きしめた。
その苦しささえ幸せに感じる。
私は魔獣になって、初めて“愛”を知ったのだった。