5過去と求婚
「あの…バイロン副団長。ひとつ、ご相談したいことがありまして…」
「ん?シェリーが俺に?珍しいな。」
クライドが魔法棟の偉い人を脅し……もとい、説得してから2年。
クライドは、シェリーの元で仕事を学びながら、別の先輩から高度な魔法を学んでいた。
…といっても、クライドは私の仕事などとうに熟せるようになっていたため、私から仕事を学ぶという体で、私の仕事を手伝ってくれていた。
今日は、クライドはこの国の筆頭魔法使いの元で転移魔法を学んでいる。
いつも通り自分用に割り当てられた部屋で黙々と仕事をしていたところ、バイロン副団長が訪ねてきてくれた。
バイロン副団長は、直属の上司にあたる。
魔法の師匠ではないが、右も左も分からない頃の私に、いちから仕事を教えてくれた。
殆どのことは「なんとかなる」と笑って受け流してしまう人柄の良さで、多くの人に慕われる愛妻家。
20歳になった私より一回り以上は歳上であるが、親子ほどの年は離れていない彼を、私は心の中で“お父さん”と呼んでいた。
…本当の父親がどんな人かは知らないが、バイロンのような人が父親なら良いなと思っている。
「クライドのことで…」
「だろうな。」
バイロンのお気に入りのアールグレイの缶を取り出し、紅茶を淹れる。
忙しいながらも、時折こうして私を気にかけて、仕事のついでと称して部屋を訪ねてきてくれる彼に少しでも休んでもらおうと、常に常備しているものだ。
紅茶を淹れる間に、と使い魔を呼び出してバイロンの隣へ座るよう命じる。猫形の魔獣はツンデレ気質で殆ど触らせてはくれないが、「そのつれないところが奥さんににて可愛い」と、バイロンのお気に入りだった。
紅茶に砂糖をひとつ落として軽く溶かすと、バイロンの目の前へ置く。
自分の紅茶に蜂蜜を少し垂らして混ぜてから、私はバイロンの向かいのソファへ腰掛けた。
「その…、なんと言えばいいのか…」
「なんだ?ついにプロポーズでもされたか?」
「いやそれはいつもなんですけど」
「いつもなのか…」
バイロンは呆れたように紅茶を啜ると、熱かったのかすぐにカップを口から離してふうふうと息を吹きかけている。
「この間、クライドの誕生日だったんです。」
「あー、そういやそうだったか。今年で13か?子どもの成長ってのは早いもんだなぁ」
「それでその、誕生日プレゼントが何が良いか聞いたら、『名前で呼ぶことを許して欲しい』って言われたんです。」
「へぇ…」
蜂蜜いりの紅茶を啜り、ひと息。
バイロンも、少し冷ました紅茶を啜る。
ゴクリと呑み込んでから、私は重い口を開いた。
「それで、もしかしてあの…クライドって私のことが本気で好きなんじゃないかと」
「ぶはっ」
バイロンは勢いよく紅茶を噴き出した。
横に座った猫形の魔獣が、嫌そうな素振りをしてソファから降り、私の膝元へ移動する。
そう、クライドの13歳の誕生日。彼が望んだものは、私を「シェリー」と名前呼びにすることだった。
クライドが偉い人を脅して私の元へ戻った『師匠事件』(周りはそう呼んでいるらしい)以降、彼は私への好意を口にするようになっていた。
「好きです」から始まり、「師匠は僕と結婚するので」等々、私にだけでなく周りにも堂々と宣言している。
私はといえば、最初は「あらあら大人への憧れかしら?」可愛らしく思って受け流していたのだが、数ヶ月、1年経ってもその発言は変わらないどころか、むしろ増えている。
…ここ最近、時々見せる大人びた表情に、むず痒いような、なんとも言えない気持ちになることもあった。
そしてついに、誕生日になって名前で呼びたいと言われ、恋愛事に一切の興味が無く鈍感な私でも、「これはもしや本気なのでは…?」と気付いたというわけだ。
「今更かよ!そりゃお前のこと好きだろ!どっからどう見ても!!」
「いやぁ、ほら、ね?あるじゃないですか。思春期特有の……」
「いーや、そんなんじゃねーなあれは。アイツはお前と結婚するまで諦めねーよ。」
「えぇ…」
「いや、結婚どころか死んでも追いかけそうだな…」と不穏な発言をするバイロンに、なんと返して良いか分からず膝元の魔獣を撫でた。
本当はもっと前からなんとなくそうじゃないかと思っていたが、周りからの見た私達の関係もそうなのかと思うと、これからどんな顔をして良いのか分からなくなる。
「シェリーも、クライドのことは憎からず…だろ?人付き合いが苦手なお前が一番親しくしてるのは、間違いなくアイツだからな。」
「まぁ、そうなんですが…」
家族すらいない私にとって、人間の中で一番親しいのは間違いなくクライドだ。その次にバイロン副団長。その次は……、強いて言うなら光魔法の師匠だろうか。
とにかく、私は人とは深く関わってこなかったため、片手で数える程度しか親しい人がいない。
ひとりか魔獣といるのが楽だから。
「アイツはあんなだけど、優良物件だと思うぞ?間違いなくクソ重いが、シェリーが本気で嫌がることはまずしないだろうし」
「それは分かっているんですが、なんというか…今はまだ、彼の世界が狭いんじゃないかと思うんです。」
クライドは人付き合いが苦手で、私以外の人を信用していない。
そんなところまで私に似なくても良いのに。
「クライドは間違いなく天才で、才能に溢れています。だから…これから色々な未来があるのではないかと思ってしまって。」
「はぁ、つまりあれか?もっと良いお嬢さんと結婚できるって?」
「………はい」
自分で世界を狭めている私が言えることではないが、クライドには一番幸せになる選択をして欲しい。
…クライドに、幸せになって欲しい。
そっと目を伏せ、祈るようにティーカップを持つ手に力を込めた。
「それ、その顔でアイツに言ってやれよ。」
「…え?」
「巻き添えくらいたくないから、俺のいないとこで」
バイロンが話している最中、突然猫形の魔獣が膝から飛び降り、後ろを警戒した。それと同時に背後から魔力の気配がして、振り向く。
光と魔力が急速に集まり、人の形を取ったかと思うと、光が霧散してクライドが現れた。
「あぁ、成功ですね。お疲れ様です、シェリー。」
「あ、うん…お疲れ様、です?」
クライドは私とバイロンを交互に見ると、腕を組んで顔を顰めた。
「…浮気ですか?」
「そんなはずないでしょう!」
「うわ執着系彼氏こわ…」
私は溜め息を吐くと、まだ紅茶の残るティーカップを持って立ち上がった。
ちなみに先程まで警戒していた猫形魔獣は、今はクライドの足に「にゃあん」と可愛らしく擦り寄っている。その分かりやすい態度、嫌いじゃない。
「彼氏…悪くない響きですね…」
「はいはい…クライドも紅茶飲む?同じもので良い?」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、俺はお暇するか」
バイロンは紅茶を飲み切ると、空のカップを置き、「ごちそうさん」と手と振りながら部屋を後にした。
それを見送った後、クライドはローブを脱ぐと、バイロンが座っていたソファにどかりと乱雑に腰掛けた。
「今日の訓練はもういいの?」
「はい。訓練ついでに、ここまで転移魔法で帰ることにしたんです。…まだ流石に消費魔力を抑えきれていませんから」
珍しく疲れたようにソファの背に頭を預けたクライドは、膝元に乗ってきた猫形魔獣を優しく撫でる。
淹れたてのストレートの紅茶をテーブルに置くと、クライドは向かいのソファに腰掛けた私をじっと見つめた。
「…で?」
「ん?なに?」
「あの人と何を話してたんですか?」
あの人、とはバイロンのことだろう。
真剣な表情で聞いてくるクライドに、『貴方のことを相談していました』なんて言えるはずもない。
「…クライドに、幸せになって欲しいなって話をしていたのよ。」
「僕、ですか?」
「えぇ」
嘘は言っていない。
誤魔化すように温くなった紅茶を啜ると、クライドはふむ、と顎に手を当てた。
「なるほど。結婚式は僕の17歳の誕生日で良いですか?」
「えっ」
「流石にこの国の制度上、僕はまだ結婚は出来ませんので。少々待って頂くことになりますがまずは婚約だけでも」
「えっ待ってこわい」
私の弟子がこわい。
饒舌に語り出すクライドを、待ってと手で静止した。
「僕の幸せはシェリーといることですから」
そう言ってくしゃりと笑うクライドに、結局私は何も返せないまま、曖昧に笑うことしかできなかった。