18視線と研究
(……あれ?)
クライドの仕事が終わるのを窓辺で微睡みながら待っていた私は、ふと視線を感じて窓の外を見つめた。
建物の影から、こちらを見つめる人が見えたけれど、顔はよく見えない。
(クライド…!)
慌ててクライドの足元へ駆け寄り、ズボンの裾を噛んで引っ張る。
こうした“魔獣らしい仕草”も、最近はすっかり身についていた。
元人間としていいのか?とは思うが、気付いてもらうには手や鼻で突くよりもこの方法が一番早いのだ。
(こっち!!)
こちらを向いたクライドと目を合わせてから、再度窓辺へ駆け寄る。
(あ、いなくなってる…)
「…誰か居たんですね?顔は見えましたか?」
相変わらず察しのいいクライドの問いに、首を横に振る。
ここ最近、このように視線を感じることが増えてきていた。
クライドを見つめる女性達とは違う、見張るような視線。
魔獣になってから音や気配に敏感になったからか、とも思ったけれど…クライドも気配を感じているようで、以前よりも周りを警戒していた。
「…そうですか。この部屋は色々対策をしてあるので、安全ですが…」
(対策…?)
「とはいえ、用心するに越したことはありませんね。」
クライドは私を抱き上げると、そっと肩に乗せた。
「シェリー。今のようなことがあれば、またすぐに報告してください。」
(了解。)
「………」
クライドの目を見つめて、ゆっくりと瞬きをする。
了承の合図を送ると、彼は顎に手を乗せ、何か考え込んでいる様子だった。
(…嫌な予兆でなければ良いけれど。)
………それから数日後。
私のそんな考えを否定するかの如く、その時はやってきた。
魔法棟を歩くクライドの肩に乗っていると、突然彼に体を掴まれ、ローブの中に隠される。
視界が闇に包まれ、私は体を強張らせた。
(な、なにごと!?)
「やぁやぁクライド君!今!何を!隠したのかな!?」
「……貴方が気にすることではありませんよ」
「噂の天使ちゃんかい!!?」
「人の話を聞いてください」
暗闇の中で耳をすませると、クライドと男性の会話が聞こえる。
いくつか会話を交わした後、クライドが私を抱く手を緩めた。
そして、「出てきていいですよ」とかなり不満気な声が聞こえる。私はそれを聞いてから、ローブからひょっこりと顔を覗かせた。
(誰…?)
「わー!噂通り可愛い!!初めまして!私はモーリス!よろしくね!!」
眼鏡をかけたテンション高めの初老男性に手を差し出され、目を瞬かせる。
どうしようかと考える前に、クライドが私の体ごと後ろに一歩下がった。
「よろしくしなくて良いですからね。」
「酷いッ!!」
(えーっと…)
モーリス。その名前と見た目に覚えがあった。
私が人間の“シェリー”だった頃。既に彼は魔獣の第一人者として名を馳せていた。彼が研究した資料も、いくつか読んだことがある。
魔獣を愛し、魔獣に全てを注ぐ男。…魔獣に愛を注ぎすぎて人間である妻と子には逃げられた、なんて噂話も耳にした。
魔獣といえばモーリス。そんな風に言われるくらい、彼はこの界隈では有名なのだ。
(論文はすごく細やかで真面目な印象だったけれど…実際は、テンション高めの方だったのね。)
「やぁ、確かに私も初めて見る魔獣だね?お近付きのしるしに是非、我が研究室に…!」
「ダメです。あんな汚い所に彼女を連れて行くつもりですか?」
「いいや!散らかっているように見えてあれはあれで神聖な意味があってだね…」
(……あら?)
何やら饒舌に話すモーリスをクライドは呆れたように見つめるけれど、その場を去ろうとはしないし、きちんと返事を返している。
嫌っている相手と会った場合、クライドは直ぐにでもその場を立ち去るし、返事すら返さないこともある。…ということは。
(…意外と仲は悪くない、のかも?)
「あぁ、そうそう!そういえばこの間の“もふたろう3世”!元気にしてるよ〜!元気すぎて研究室の職員は手を焼いているけどね!」
(もふ…?)
「…そんな名前の方は存じ上げませんが。」
「君が連れてきた仔犬の魔獣だよ!あの仔犬、なかなか素質があってね…!」
先日、女性に連れられてきた仔犬の魔獣は“もふたろう3世”と名付けられ、可愛がられているらしい。
愛されているようで何よりだけれど……モーリスのネーミングセンスには、どこかマイラと似たものを感じた。
「魔力もそこそこあるし、物怖じもしない!いやぁ、あれは大物になるよ!それに魔力耐性も…」
「………」
クライドは、仔犬の魔獣の素晴らしさを語るモーリスから視線を逸らすと、優しく私の頭を撫で始めた。
(あ…クライド、話を聞き流しているわ………)
モーリスはそれでいいのだろうか。
ちらりとモーリスを見たが、夢中で身振り手振りを加えて話す彼は、そんなクライドの様子を気にしていない様子だった。
「そうそう、君から貰った質問!あれも興味深いね!!『魔法使いは、全く違う何かへ“変態”することはできるか?』だったかな?」
「…!」
「いやぁ、君の斬新なアイデアにはいつも驚かされるよ!人間相手に“変態”とはね!!」
(へんたい…?)
変態。…変な意味ではなく、この場合は“姿形を完全に変えること”を意味するのだろう。
つまり、“人間から違う何かに姿を変えられるか?”という話をしていることになる。
(そんな分野の研究もしているのね…)
ひとり感心していると、クライドは私を撫でる手を止め、モーリスと視線を合わせた。
「…それで?」
「んん、難しい議題だが……答えは『YES』だね。いや、『限りなくYESに近い』かな?」
「成る程。やはりそうですか。」
クライドは真剣な顔で頷き、モーリスへ話の続きを促した。
「この世の全ての物は、元を辿れば魔力で構成されている。人間の体も同じだね。だから魔力を持たない人間にも治療魔法が通用する。」
「えぇ。ただしそれは、魔力の中で唯一、全ての魔力に干渉するとができる、光の魔力だからこそ可能である…とされていますね。」
「そうとも!」
「では、一度魔力で体の全ての構成魔力を分解し、再構成することも可能、ということですね?例えば、人が魔獣に姿を変えたり……魔獣を人の姿を変えることも。」
私を抱き締めるクライドの手に、力が込められる。
(それって…私のこと!?)
もしかしてクライドは、魔獣に転生した私を、再び人間に変えようとしているのだろうか。
魔獣が人間になる。
誰もが夢物語だと笑いそうな話だけれど、クライドならいつか本気で実行に移しかねない。
「ふむ。…理論的には可能だろうね。」
「やはり…」
「けれど、不可能に近い。」
モーリスは眼鏡のブリッジを押し上げると、人差し指を立てた。
「問題点は大きくみっつ。まずひとつ目が、魔力量の問題。体を構成する全ての魔力を分離させて、別のものに構成し直すなら、膨大な魔力量が必要だ。例え君でも不可能だろう。そしてふたつ目。そもそも分散した魔力を留めておく方法も、特定のものに構成し直す方法も確立されていない。最後にみっつ目。魂の問題だね。」
「魂……」
「そう、魂。…心の在処。本当に構成魔力全てを分解し、規定のものに再構成できたとして…分解前の心や記憶を保持しているかは分からないからね。」
(確かに…)
私は前世の記憶を持ったまま魔獣へ転生したが、何故そうなったのか原因も分からない。
魂は、何処に宿るのか。
何故、私には前世の記憶があるのだろう。
(分からないことだらけだわ…)
「まぁ、他にも色々と問題はあるんだけど。このみっつ目が一番の難題だね。」
「………」
「…クライド君は、魂は何処にあると思う?」
「そうですね………魔力、でしょうか?」
「あぁ、僕もそう思うよ。その昔、魔物になれる“魔女の血”を持った魔法使いも居たそうだけど…今はもういないからね。研究する方法もない……こともないけど。」
「そんなことをしたら流石に、ね」と言って、モーリスはニヤリと笑う。
その怪しい笑みに、ゾッとして体の毛が逆立った。
「…人体実験まがいの研究をしていた、という噂は本当なんですか?」
「まさか!流石にそこまではしないよ?人間で実験なんてしちゃったら、研究が続けられなくなるからね!」
(人間で…?)
その言葉に、何か違和感を感じる。
「…そうですよね。あぁ、そういえば…魔獣の研究は順調なんですか?確か、大型の魔獣を解剖したとお伺いしましたが…」
「ん?あぁ、鳥型魔獣のことかい?あれも中々研究する余地があってね…!」
(か、解剖…!?)
メスを持ったモーリスが、ニヤリと笑いながらこちらに、ゆっくりと…近づいて来て……
そんな姿があまりにも鮮明に、容易に想像出来てしまう。
(わ、私…モーリスも初めて見る“珍しい”魔獣だった…!)
そのうえ、もし、私が転生していることがモーリスに知られてしまったら。
思わず体がガタガタと震え、クライドの腕にしがみついてしまう。
そんな私を見て、クライドが一瞬、口端を吊り上げたなんて知る由もなく。
(解剖だけはどうか、どうかご勘弁を…!)
「…あぁ、すみません。こんな話を貴方の前でするだなんて…配慮に欠けていましたね。…彼女が怖がっているので、僕はこれで失礼します。」
「は…っ!まさか、わざとこの話を…!?」
私をモーリスから庇うように、クライドはくるりと背中を向けて歩き出す。
「それにしても、人の言葉を理解しているというのは本当なんだね!実に興味深い…!!」と興奮したように言うモーリスの声が、どんどん遠くなる。
(私、クライドに保護されていなければ危険だったのね…)
未発見で、人の言葉を理解する珍しい魔獣。
そんな魔獣、本来であれば保護した時点で研究所行きになるはず。良くて研究所で飼い殺し。最悪、剥製になっていたかもしれない。
(ここのところ感じていた視線も、モーリスなのかしら…)
「…シェリー」
クライドに呼ばれて顔を上げると、頭の上にキスが降ってきた。
「僕の傍が一番、安全ですからね…」
(そう…なのかな…)
そう言って目を細めて笑うクライドに、素直に安心出来ないのは何故だろう。
なんだか怖くなって。私はそっと耳を伏せた。




