14愛情と脱走
「これ、わざわざ僕に直接言いに来る必要は無かったのではないですか?」
「あ、いえ……あの…」
クライドの机の向かいに立っている魔法使いの少女はしどろもどろになり、視線を彷徨わせる。
その姿を横目で眺めながら、“何度目だろう?”となんともいえない気持ちになった。
私がクライドと共に仕事に行くようになってから、私たちは本当にずっと一緒に過ごしている。
そう、ずっと。
…クライドに好意を抱く女性が、彼に容赦なく追い払われている間も。
(きっとこの子もクライドに憧れて、その姿をひと目見たくて来たのよね…)
共に過ごしてきた時間のなかで、一体同じような女性を何度目にしてきたことか。
私は魔獣に生まれ変わってから、成長したクライドがいかにおモテになるかを目の当たりにしていた。
(端正な顔立ち、高身長、聡明、将来有望…)
「…まだ何か用事でも?」
「あっ、し、失礼しました…」
(…けれど性格に難あり、ね……)
少女は覇気のない声でそう言うと、クライドの執務室を出ていった。
クライドは基本的に、私以外の人間に冷たい。それは私が“シェリー”であった頃から変わらない。
(もう、そんなに冷たく言わなくても…)
私が人間の“シェリー”であった頃は、可愛らしい少年が大人に対して毒を吐いていたようなものであった。
けれど今は違う。
端正な顔立ちの男性が、その素晴らしい語彙力で容赦なく相手を追い詰める。顔が整っている分、真顔にも笑顔にも迫力があり、その冷徹さをより際立たせていた。
彼に憧れた女性達が、ばっさばっさと言葉と態度で切り捨てられていく様に、嫉妬どころか憐れみの気持ちになってくる。
(生まれ変わったのが魔獣でよかった…)
それでも、クライドを諦めない強い女性達もいる。
魔獣である今でさえも、クライドに言い寄る女性に邪魔者のような目で睨まれることがあった。
けれど今の私は、クライドと四六時中一緒にいて、尚且つ彼が可愛がっている唯一無二の魔獣。…睨まれる以外の実害はない。
でももし、私が人間の“シェリー”のままここに居たら?
想像するだけで、恐ろしい。
「シェリー」
名前を呼ばれて振り返ると、クライドがこちらへおいで、手招きしていた。
「いい子ですね。」
それに従って彼の目の前の机へ飛び乗ると、よしよし、と頭を撫でられる。
(嬉しい、けど………)
彼は魔獣である私のことを最初から“シェリー”だと思っていたのだから、私への態度は最初からほぼ変わらない。
けれど、私としては“シェリー”だということが彼に知られている以上、微妙なむず痒さがあった。
(昔は私がクライドのことを可愛がっていたのに…なんか複雑……)
私をひたすらに“可愛い”と褒め、優しく撫で、キスをする。
動物への愛情だと思っていたけれど、それを“シェリー”に対して行っているとするなら、話は別だ。
いくら私と彼の双方で愛情や好意があっても、何かこう…言葉にし辛いが、とにかく、気まずいし恥ずかしい。
「さて…」
クライドは最後に私の額へキスをすると、書類に向き合った。
何か手伝いたいとは思うが、この体で何かできる筈もなく。私はただ、彼の仕事が終わるのをこの執務室で待つしかない。
机から飛び降りて、最近のお気に入りであるソファへ向かう。
いい具合にクッションを整えている最中に、ふと気がついた。
(……あら?)
部屋の扉がほんの少し開いたままになっている。
ちらり、とクライドを振り返る。
彼は、書類に集中していた。
(チャンス…!)
先程、この部屋を去った少女が扉を閉め忘れたのだろう。
音を立てないようにソファから飛び降り、息を止め、そろり、そろりとソファの影に隠れながら扉へ近付く。
(クライド、怒るだろうけど…ちょっとだけ……)
私がクライドと共に仕事に行くようになってから、本当にずっと一緒に過ごしている。
こうして仕事に同行するようになって、暇なことは減ったけれど、代わりにひとりの時間はほぼ無いに等しい状況になっていた。
クライドと過ごせることは嬉しいけれど、たまには、一人になりたいこともある。
人間であった頃は、一人で過ごす時間のほうが断然長かったからか、このチャンスに胸が高鳴った。
(ちょっとだけひとりで散歩したってバチは当たらない…はず……)
扉まで辿り着き、そっと鼻で扉を押す。
音もなく廊下へ続く隙間が少し広がって、胸が高鳴った。
(このくらい開けば、通れる…!)
ちょっとだけ廊下を覗いてから、ひとつ、深呼吸。
(後で戻ってくるのだから、これは脱走じゃないわ。クライドの仕事を邪魔しないために少し席を外すだけ。ちょっとした散歩よ、散歩…!)
誰に言うでもなく、自分自身に言い訳を並べる。
最後にちらりと後ろを振り向くが、こちらからではソファが影になって、クライドの机は見えなかった。
(さて、では…)
意を決して再び扉のほうを向いて、そこに見えた革靴に、言葉通り飛び上がるほど驚いた。
(ぎゃあっ!?)
「どちらへ行かれるんですか?」
後ろに跳びのいて見上げると、そこには笑顔のクライドが立っていた。
(いや、えっと、これはその…ちょっとした散歩というか!)
「あぁ、散歩ですか?でしたら、もう少し待って頂ければ一緒に行きますよ。」
聞こえるはずのない声が聞こえているのか、恐ろしい程に察しのいいクライドの手に掴まり、抱き上げられる。
「一緒に行くので、少し、待っていてください。」
(ヒェ…)
「ね?」
有無を言わせぬ迫力のある笑顔に、身が縮こまる。
思わず身震いすると、クライドは優しく私の頭を撫でた。
「シェリー、愛しています。…だから、何処にも行かないでください。」
(ご、ごめんなさい…)
「やはり、首輪も検討しましょうか…」
(首輪…!?)
確かに、契約している魔獣に腕輪や首輪といったアクセサリーを付けたがる人もいる。
けれど、多くの魔獣は体にアクセサリーを付けることは好まないため、付けていないことが殆どだ。
そのうえ、クライドは私のことを“シェリー”だと認識している。そんな彼が、私に首輪を付けるようなことはないだろう。
そう思って彼を見ると、にっこりと笑顔が返ってきたが、目が笑っていなかった。
「流石の僕も、貴方に首輪を付けるような真似はできればしたくないのですが…」
(本気だわ…!)
クライドが本気だと思った私は、即座に首をぶんぶんと横に振った。
これが唯の魔獣ならまだしも、人間であった“シェリー”だと認識したうえで首輪を付けるだなんて。
(そんな趣味はないわ!)
「…ですよね。シェリーの体の大きさでは、重いでしょうし…」
(そういう問題でもない!)
「ね?だから、何処にも行かないでください。」
クライドは私に、すり、と顔を擦り付けてから、鼻に触れるだけのキスをする。
(しばらく大人しくしよう…!)
我ながら、とんでもない人に愛されているのでは?
私は彼の綺麗な顔を眺めながら、他人事のようにそう思った。




