13天使と日常
「…それからは貴方を家に連れて帰って、今に至ります。」
クライドはそう言って話を終えると、はっと口を噤んだ。
私の……魔獣である“シェリー”の小さな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちていたから。
(ごめんなさい…)
私は今の今まで、魔獣としての生活を楽しんで、天国だとか暇だとか考えていたのだ。
(ごめん、なさい…私……貴方の気持ちも考えないで……)
先程までの自分を引っ叩いてやりたい。
クライドは私の涙をそっと指で拭うと、困ったように眉を下げて笑った。
「僕のために泣いてくれるんですか?」
(クライド、わたし……)
「泣かないでください…泣くくらいなら、その代わりに、これからはずっと僕の傍に居てくれませんか?」
クライドは祈るようにそう告げると、ふにゃりと笑った。
「僕は、どうしても…例え、人間でなくても、貴方が……シェリーが、好きなんです。」
私は、人間ですらないのに。
それでも、“シェリー”がいいのだと言う彼に、私は何を返せるだろうか。
(…私も、好きよ。)
それならせめて、ずっと、貴方の傍にいる。
その言葉を言えない代わりに、私はそっと彼の顔に近付き、触れるだけのキスをした。
それからというもの、私はクライドの肩に乗り、仕事中もずっと一緒に過ごすようになった。
私は恐れ多くも「天使ちゃん」もしくは「天使様」の名前で呼ばれ、あのクライドが連れている魔獣としてすぐに魔法棟で有名になった。
「あぁ…天使ちゃん……今日もきゃわいぃ…」
「今日は天使様を見られたから良いことが起こるはず…!」
まだ発見されていない珍しい種類であることと、可愛らしい見た目、人の言葉を理解できる魔獣としての知能の高さも相まって、魔法棟の一部に熱心なファン…らしき人達まで現れていた。
「あの、クライド様…天使様に触らせて頂いても…?」
「……彼女が良いなら」
(どうぞー)
「あっ、あの、俺も…!」
「貴方はダメです」
そしてクライドは、私を魔獣ではなく“シェリー”として扱った。
私が“シェリー”であることは周りには言いたくないらしく、人前では決して名前を呼ばない。けれど、言葉通り、自宅でも仕事場でもやむを得ない場合を除いてずっと傍に居るし、男性には指一本触れさせない。
そんなクライドの態度に、『クライド様は魔獣と結婚しようとする程の真性の魔獣フェチで、人間には全く興味がない』等という、とんでもない噂も立ち始めた。
もちろんそれはクライドの耳にも入っているが、「まあ、シェリーは今は魔獣ですし、僕はシェリーしか愛せないので間違いではありませんね。」と否定しなかったため、更に噂に尾ひれがつきどんどん広まってしまっているのが現状だ。
「く…っ!何故俺は男なんだ…!!」
私に触れることを許されず、本気で悔しがる男性を見て、なんともいえない気持ちになる。
「では、僕達は仕事がありますので、これで。」
「はい!ありがとうございました…!」
「あぁあ…天使様………」
クライドは名残惜しそうな彼らには目もくれず、その場を立ち去った。
「…あまり人気すぎるのも困りますね」
クライドは私を執務室の机に置くと、ローブを脱ぎながらぽつりと呟いた。
(まぁ、可愛いからねぇ)
自画自賛になるが、今の魔獣の姿は本当に可愛いと自分でも思う。
私が好きな魔獣の良い所を寄せ集めたような、白くてもふもふで可愛らしいフォルム。
私が人間で、この姿の魔獣に出会っていたら、間違いなく彼らのようにファンになっていたに違いない。
「さて、では、仕事の前に…」
クライドは椅子に座ると、流れるような動作で私をがっしりと掴んで顔を近付けてくる。
思わず前足を出して突っ張ると、その端正な顔に私の前足がめり込んだ。
「…何故嫌がるんですか?」
(当然でしょう!!)
「先日はシェリーからキスしてくれたのに…」
クライドは不満気に唇を尖らせる。
クライドは私がシェリーだと確信して以降、何か吹っ切れたのかやたらとスキンシップを仕掛けてくる。
今となっては、私が人間であった頃と比べるまでもないほどに過剰だ。
嫌、ではないが、いくら自分が魔獣の体とはいえ、思わず逃げてしまう。
それがクライド相手であれば、尚更。
「あぁ、シェリーがキスしてくれないと仕事をする気が起きません…」
(どういう原理なの?それ…)
「ずっと傍にいて、いつでもキスしてくれると言ったのに…」
(言ってない!)
何やらクライドに都合良く事実が捻じ曲げられている。
…とはいえ、今日はやけにしつこいクライドに、良くない予感がする。
昔から彼は、一度機嫌を損ねるとなかなか治らず、数日引きずることもあるのだ。しかも、機嫌が悪い間はやたらと私に近寄り、干渉してくる。
このままでは、面倒…もとい、私にとってもよろしくない。
仕方ない…と覚悟を決めて、彼の顔に突っ張っていた前足を退けたとき、ノックの音が響いた。
「…チッ……どうぞ」
盛大に舌打ちしたクライドは、私から手を離すと、ノックの主に入るよう促した。
「お前なぁ、外まで舌打ち聞こえてたぞ。俺だから良かったものの…」
「別に誰に聞かれても構いませんよ。」
「まーたそういうことを…」
ドアを開けて入ってきたのは、バイロン団長だった。それと同時に、クライドは私を机の端に座らせる。
「これ、3日以内に返事欲しいってよ。」
「はぁ…」
バイロンはクライドに書類の束を渡すと、ふと私を見下ろした。
そして、自然な流れで私の頭を撫でようとしたその手を、クライドに叩き落とされた。
「…なぁ、俺、一応お前の上司なんだけど?」
「おや、そうでしたか?そうとは知らず失礼しました。」
「棒読みやめろ!」
おー痛い、とバイロンは叩かれた手を大袈裟に振る。
クライドは心を許しているバイロンでさえ“男性”とみなし、私に触れさせようとはしない。
(バイロン団長、魔獣好きなのにかわいそう…)
そう思って、彼に手を伸ばす。
ちょん、とその前足でバイロンの叩かれた手に触れると、光魔法を少しだけ流し込んだ。
(こんな治療も久しぶりね…)
「これは…!」
バイロンが驚いたように自分の手と私を交互に見る。
「本当に、“シェリー”そっくりの魔力なんだな…」
(まぁ、前世がシェリーだから…)
「………」
(うわっ!?)
突然の浮遊感に驚いて振り向くと、クライドに抱き上げられていた。
クライドは、もう片手にある先程とは別の書類をバイロンに押し付ける。
「帰るならついでにこれ、お願いします。」
「は?なんで俺が…」
「彼女の治療を無料で受けたんですから、その手間賃ということで。」
「元はといえばお前のせいだろうが!」
バイロンは怒りつつもその書類を受け取ってくれる。
彼は以前からよく「俺の周りには変人ばっかり寄ってくる」と愚痴を零していたが、そういうところにきっと皆引き寄せられるのだろうな、と思う。
本人は無自覚のようだが、彼にはやや難ありな人を惹きつける不思議な力があった。
「あぁ、あと、この間お前に頼まれてた例の宝石商の件。『是非一度お会いしたい』って言ってたぞ。」
「ありがとうございます。では、それも含めて今回の治療は無料ということで。」
「ほんっと可愛くねぇなお前は!」
バイロンは「仕方ねぇな」と言いつつ、ひらひらと書類を振りながら不機嫌な様子もなく立ち去った。
滅多に怒らない穏やかな性格も変わってないなぁと思いつつ、彼を見送る。
バイロンは「じゃあな」と私に手を振ると、パタリとドアを閉めた。
「シェリー」
(なあに?)
クライドは手招きすると、ここに座れと言わんばかりに自分の膝を叩いた。
それに気付かないふりをしながら机に乗ると、ちょん、と鼻に触れるだけのキスをされる。
「今度、デートに行きましょう」
(デート?)
「楽しみですね…」
何やらよく分からないが、クライドが嬉しそうに笑っているので良しとする。
ところで、魔獣と人間が出掛けるのはデートと言うのだろうか…とどうでも良いことを考えながら、私はふわぁ、とひとつ、欠伸をした。




