第三章 エンドレス ゲーム
ラストダンスは私に
第三章 エンドレス ゲーム
「あら、なんだよ研ちゃんいないのかよ」
久し振りに研一と横浜駅西口で待ち合わせをした。
和夫は相変わらず時間にルーズな所があり、5時の待ち合わせに20分ほど遅れて横浜駅西口に着いた。待ち合わせの西口交番前へ来たが、研一の姿が見当たらない。時折吹く冷たい風に、思わず手袋をした手で両耳を塞いだ。辺りを見回して改札口まで戻り伝言板を探すとずらりと並んだ伝言の左隅に、それらしき伝言を見つけた。案の定 (5時20分 20分待った 居酒屋潮騒で待つ 研一 )の伝言を見つけた。
「20分待ったのか、もう少しだったな‥潮騒って、確か五番街の奥の方の2階だったっけ」
と言って、和夫は煙草にマッチで火を付けると歩き出した。この辺り一帯は相模鉄道の再開発で街が鉄板で囲われていたが、相鉄ジョイナスができて随分変わってしまった。街のネオンの灯りがだんだん濃くなっていき、人通りがいつもより多く感じた。冷たい風が吹き、何処からかクリスマスソングが聞こえて師走の街並みは活気に満ち溢れていた。五番街を通り過ぎて南幸橋を渡った所で立ち止まり、辺りを見まわして通りの左右に並んだ看板の灯りを探した。冷たい風に、微かな川の異臭がした。振り向くと帷子川に、赤や緑色のネオンが鮮やかに揺れていた。たしかこの辺りだと思い、通りの看板を捜しながら歩くと直ぐに居酒屋の看板の灯りを見つけた。雑居ビルの階段を上ると二階のフロアーに出し看板とサンプルの並んだショーケースがあり、その横の大きな水槽にたくさんの魚が泳いでいた。のれんをくぐって店に入るなり雑踏の中で♪喝采 が大きな音で流れていた。
「いらっしゃいませ」
と、大きな声が店内に響くと、藍色のはっぴを着た若い女子店員がすぐにやって来た。待ち合わせをしていると伝えると、騒がしい店内を見まわして研一を探した。煙草と焼き鳥を焼く香ばしい匂いがした店内は、二十卓以上もある席のほとんどに人が溢れていた。右手の長いカウンター席を探してみたが、研一の姿が見当たらなかった。店を間違えたかなと思いながら探していると、左手の奥で研一が立ち上がって手を振るのが見えた。
「やあ、久し振り研ちゃん遅くなってごめんね、このお店思い出しながら来たよ、ここかなり前に小島と三人で来たお店だよね」
と言ってコートを脱いで椅子の上に置くと、研一の前に座った。入り口に背丈より大きなクリスマスツリーが、派手な電飾で輝いていた。研一はビールを飲んでいて、テーブルの上の大皿に入った大根の味噌田楽が美味そうに見えた。仕事帰りなのか、ダークグレーのスーツに細身のネクタイをしていた。久し振りに会う研一は少しふっくらして見えた。
「やっと来たか、相変わらずだなもしかして、女の子との待ち合わせもこんな風に待たせるのか、カズ何か言い訳はないのかよ」
「いや、昔は20分ぐらい平気で待っててくれたじゃん、研ちゃん何だか歳とともに少し短気になったんじゃあない」
「おい、待たせて置いてその言い方はないだろう、それにそれって高校の時だろう、立派な大人が今だに時間にだらしないのは恥ずかしくないのか、少しはこの寒い中待ってる身にもなって洒落た言い訳ぐらい考えておかよな」
と、研一が味噌田楽を頬張りながら言った。
「えっ洒落た言い訳、何だよそれ」
「たとえばだな、玄関を出る時ドアを開けたら母猫が子猫をくわえて、クリスマスプレゼントって置いていったとか、駅前で突然肩を叩かれて振り向いたら、保育園の時の初恋の女の子で目眩がしたとか、電車の中で天気雨の虹を見ていたら、だいぶ先まで乗り越してしまったとか」
「早、凄い出てくるな、そんな漫画の様な言い訳がよくもまあ次々と出てくるよな」
と、和夫が直ぐに研一の言葉を遮って言った。
「だから、いつまでもガキじゃないんだから相手への思いやりで、遅れる様なら少しは洒落た言い訳のひとつやふたつぐらいは考えておけよ」
「ごめんよそう怒るなよ、でも随分洒落た言い訳だな、誰かの受け売りだろ」
和夫が笑いながら言った。
「それに、昔も平気で待ってた訳じゃあないんだからな、なんか勘違いしてるんじゃないか」
「研ちゃん、今日仕事で何かあったんか」
「えっ、久し振りなのにこの寒い中で待たせている人の事を考えてないだろう」
「ごめんよ、今日は随分ご機嫌斜めだね」
「俺、昔から飲むとなったら待てができないから、ほらあれウルトラマンのカラータイマー」
と研一が言って胸に手をあてながらビールを飲むと、店内に♪心の旅 が流れた。師走の店内は混み合って騒がしく、焼き鳥の匂いとタバコの煙と店員の元気な声がホールに響き活気を感じさせた。慌ただしく先ほどの女子店員がやって来て
「いらっしゃいませ、はいどうぞ」
と言って、満点の笑顔でおしぼりを袋から開けて和夫に手渡した。その温かいおしぼりで顔を拭くと、何故かほっこりとした気持ちになった。研一の手元の残り少なくなった大きなビールジョッキを見て、和夫もビールを女子店員に頼んだ。
「研ちゃん、さっきのその洒落た言い訳、もしかしたら恵ちゃんの受け売りだろ」
と、和夫が上目遣いに声のトーンを下げて言うと、研一が詰まった顔で
「えっ、なんだよ」
「だって、そんな洒落言い訳は研ちゃんじゃ無理」
「なんだ、バレてたか‥いやあいつ、遅れるといつもひと言あるから、あんな言い訳を言われると何故か笑ってしまうよな」
「あれ恵ちゃんが言いそうだもん、研ちゃんじゃあんな小洒落た言い訳、絶対に思い付かないもんな」
「いや俺、今までさんざん恵子の言い訳を聞いて来たから、まっあいつらしいけどな」
と研一が言うと、和夫は声を出して笑った。
「研ちゃん、それってもしかして仕事帰りなのか」
と、研一のネクタイを見ながら言った。
「ああ、現場から早めに抜けて来た」
「そうか大変だな、それにしても研ちゃん久し振りだよな、半年振りくらいか」
「あの夏以来だから、五ヶ月振りかな」
「そう三浦海岸の夏以来だね、でもまだこんな時間だと言うのに何でこんなに混んでるのかね、今日平日だよみんな仕事をしていないのかね」
と言って、和夫が辺りを見渡した。
「たしかにそう言えばそうだな、今日はクリスマスイブだけど平日だよな」
「まだ六時前だよ、何でもう飲んでるんだ」
と和夫が言って、また店内を見渡した。学生風のグループからサラリーマン風のおじさん達や、若い女の子達や老人のグループまでと年代もまちまちで、大声が飛び交う店内はほとんどの席が埋まっていた。
「あっそうだ、恵ちゃんと言えば10日ぐらい前にうちの店に来て、高級ブランドの黒いピンヒールの靴を買っていったんだよ、でも相変わらずだよね、いきなり後ろからヤッホーって肩を叩かれて、振り向くと頬っぺたに指だもん」
と、和夫が笑いながら言った。
「ああそう言えば恵子、ボーナスが出たからって先週の土曜日に馬車道で、焼肉をご馳走になったな」
「えっ凄え、焼肉かいいな」
と言って、マッチでタバコに火を付けた。そして、空になったマールロボの箱を両手で潰した。
「俺、売り場じゃあ一応副主任をやっているのよ、あの頬っぺたに指、それを見てたうちの女子社員達が大笑いして、ただでさえ舐められてるのに」
「それは普段からの、女子社員達との付き合い方じゃあないのかな、新米副主任さんよ」
研一が、オイルライターで煙草に火を付けながら言った。突然、隣の席の若い三人組の女の子達が、手を叩きながら大声で笑った。
「いくらなんでもその新米はないだろう、それに副主任は去年からだから、いやそれにしても女子社員はほんとうに面倒くさい」
と言うと、和夫が大きな溜め息をついた。
「でも、惠ちゃんのあの元気は分けて欲しいよな‥それにあのブランドの靴、いくらボーナスが出たとしても恵ちゃんの所の銀行は景気が良いんだな、お店に来た時はローファーのミハマの靴で、ニュートラが何故かピンヒールの靴を散々迷って高級なブランド靴を買っていったよ、普通の銀行員の女の子じゃなかなかあの靴は買えないもんな」
「えっ、そのニュートラって何だよ」
「ニュートラかい、ニュートラディショナルを略してニュートラって言うんだよ」
「ニュートラディショナル、何それ」
「トラディショナルは、伝統的とか保守的とかって意味かな、コンサバティブなファッションでコンサバ系の一種がトラディショナルなんだよ」
和夫がポケットから、新しいマールボロを出した。
「トラディショナルはイギリスの伝統的なファッションだけど、ニュートラはもともとアメリカのアイビールックが起源で、ほらアメリカのテレビドラマで『サンセット77』って知ってるだろ、その登場人物の女の子のアイビールックを真似て、神戸の女子大生やOLなどで流行ってるんだよ」
「ああ、『サンセット77』見た事あるよ」
「その女子大生達を女性誌のananが取り上げて、最近では横浜でも元町でバックのキタムラや靴のミハマや洋服のフクゾウなどが、フェリス女子大生達の間で流行り出してるとか」
と、和夫が煙草を吸いながら言った。
「カズ凄いなその情報、さすが副主任だね」
「女性誌をチェックしたり、うちの関係業者などから情報を貰って売場の企画をするんだよ」
「へえ恵子のあの靴、ミハマって言うんだ」
と言って、研一がビールを飲んだ。
「違うよ、ミハマは店の名前でうちの店も新しい企画で今度ニュートラのコーナーを設けて、婦人用品部で展開して行くんだよ」
「さすが、副主任になるといろいろと勉強してるんだね、なんかカズ随分と偉くなったんだな」
「何だよさっきから副主任副主任って、所で研ちゃん最近惠ちゃんとはうまくいっているのか」
和夫が、灰皿に煙草を揉み消しながら言った。
「相変わらずだよ、何故か最後はいつも俺が謝る、この世に気の弱い女は世界中探してもいないから」
「そうだな、研ちゃんがそう言うんだったら間違いないか、うちの妹も気が強いからな」
と言うと、二人してうなずいた。すると突然店内に♪また逢う日まで が流れて、隣のサラリーマン達のひとりが、大きな声で一緒に歌い出した。先ほどの女子店員が、大きなビールジョッキを八個抱えて運んで来て、隣の席に置いた。そしてその中から二つ、和夫達のテーブルに持って来た。
「おかわりが来たね、それじゃあ乾杯しょう」
研一がビールジョッキを持って前に差し出すと
「それじゃあ、お久し振り」
と言って、ビールジョッキで乾杯をした。和夫が勢いよく半分近く飲むと
「ああこの最初のひと口、身体に染みる」
と、和夫が大きな溜め息混じりで言った。
「カズ、それはどう見たってひと口じゃあないな‥そうだ、よかったじゃんか今日明日と休み取れたんだってな、でももう少し早く教えてくれよ、いろいろと後の予定があるんだからさ」
研一が、大根の味噌田楽をお皿に取り分けながら言って、和夫のテーブルの前に差し出した。
「後の予定って何だよ、でもこの忙しい時期の有休は大変だよ、去年もこのシーズンに二日間も有休を取ったし、その前のクリスマスも三年続けてこの時期だろう、うちの女連中達はよく覚えているからいろいろと遠回しのイヤミがね」
「そうか、デパートは何処もクリスマスや年末のセール期間中だもんな、まっ副主任は辛いね」
「十月の初めに遅い夏休暇を四日間も取ったので、今回はいろいろ根回ししてやっと取れたけど‥今、うちの主任が肺の手術で夏から長期の病休で休んでいるので、俺の他は女子社員だけだから」
「けど副主任だろうバシッと言ってやれよ、もしかして舐められているんじゃないか」
「バカ言えよ、俺の所の婦人用品部女達が八人いるけどみんな俺より年上の先輩で、もうひとりの女の副主任に入社の時からいろいろと仕事を教えてもらっていたから」
和夫が、大根の味噌田楽を頬張って言った。そして
「俺の所の売り場、入社して五年経つけれど俺の後からは十年選手の女子社員が去年移動して来て、後はみんな売り場では俺より先輩なのよ」
と、和夫がビールを飲みながら言った。
「ハーレムかと思ったら何だお局様ばかりかよ、お前も随分と気苦労してんだ、俺なんか下請けのジジイ達が相手だからまだお前の方がいいよな」
「いやいや、年増の女達は怖いよ」
笑いながら和夫が言った。そして
「うちの店では通称お婆捨て山と言って、各売場から古狸が集まって来て怖がられてる、あの店では有名な売場なんだよ」
「そうなのかなんだか、お前も苦労してるんだな」
と言って、研一が和夫のジョッキに自分の新しく来たジョッキを軽く当ててビールを飲んだ。
「俺の所は研ちゃんの現場とは違うんだよ」
「それで、やっぱり副主任になると売り上げとかも気になるのか」
「ああ、最低でも五年以上しないと副主任になれないけど、個人売り上げが入社三年目に全店で3位に入って、店で表彰されて四年目に副主任になったんだが、そしたら今度は婦人用品売場の靴と鞄の仕入れや売り上げや企画やらの担当責任にされてしまって頭が痛いよ」
と言いながら、和夫が味噌田楽を頬張った。
「でも十年選手以上のベテランばかりのオールスターなんだろ、それにセール期間中のボーナス時期だし、この店もそうだが街に人がいっぱい溢れてるじゃんか、特にデパートなんかはこの時期は稼ぎ時で景気良いんじゃあないの」
「この時期はそれなりに目標ノルマを多めに作るし入店客数は結構多いけど、でもそれが売り上げになかなか結び付かないんだよな」
と、和夫がビールを飲みながら言った。
「そうなのか、それじゃみんなウインドショッピングのでんでん虫か」
「でんでん虫、何だよそれ」
「ウインドショッピングだよ、でんでん虫カタツムリ、買ったつもり」
「おもしろい事言うな、それで研ちゃんの所はノルマみたいなのはないのか」
と笑いながら言うと、和夫がマッチで煙草に火を付けた。すぐ隣の席に大皿に大量の焼き鳥の盛り合わせが運ばれて来て、いい匂いがした。
「一応営業課なんだけど、俺の所は現場だから納期との戦いなので下請けの職人達と上手くやっていくだけだよ、でも遅れると職人達にハッパを掛けながら時には現場に泊まり込んでそれはもう大変だよ、それにうちのジジイ達、俺が言ってる事を若僧の説教だと思って、まったくのカタツムリなのよ」
「何、またカタツムリかよ」
「そうなんだよでんでん虫、全然無視」
「またダジャレかよ、だがそれって研ちゃんの方こそ職人達に舐められてるんじゃないか」
と、笑いながら言った。
「だから、お互い今が一番やばい時なのよ」
すると、先程の女子店員が研一が頼んだ大鉢に入ったモツの煮込みを運んで来て、いい匂いがした。和夫が覗き込むと、山盛りの大鉢に何種類もの野菜とモツが入っていた。辺りにモツ煮の匂いが漂うと、左右の席の何人かが振り返って見た。
「ごゆっくりどうぞ」
笑顔で女子店員が言った。
「あの娘の笑顔いいな、あっこれこれカズここのモツ煮込みは絶品だぞ」
研一が言うと、お椀にモツの煮込みを取り分け、七味唐辛子とネギを一緒に和夫の前に置いた。
「ここの煮込みはモツも美味いが、いろんな野菜がゴロゴロと入っているから一番人気なんだ」
と、研一が煮込みを頬張りながら言った。メニューには赤字で一番人気と書いてあり、豚汁の具がひと通り入っていて、これはまるで豚汁の様だと思った。そしてプリっとしたホルモンがゴロゴロと入っていた。さっそく和夫も頬張ると
「うわやられた、さすが一番人気美味いね、これって豚汁でいいんじゃない」
「だって、このとろとろぷりぷりのホルモンが主役だからそう言うなよ、でもまあ具沢山の豚汁みたいなもんだな、豚肉の代わりにホルモンだけど」
「うん美味いこんなモツ煮初めて食べたよ、ほんとにこのモツとろとろぷりぷりだね、研ちゃんこの店へはよく来るの」
と和夫が、モツ煮を頬張りながら言った。
「よくでもないけど、職人達とちょくちょく来るよ、この店も会社で領収書を落とせるんだよ」
「えっいいな、会社のお金で職人達にいい顔出来るのか、まさか今日も領収書をもらうのか」
「そんな訳ないだろう、会社だって馬鹿じゃあないから、それよりカズ次は何を飲むかな」
と言って、研一が辺りを見まわした。
「そうだな、じゃあ今日は日本酒にするかな」
「えっ、あそうなの日本酒ね」
と、研一が意味深な笑いをした。
「何それ、何か言いたい事があるみたいじゃん」
と和夫が言った。研一が日本酒のメニューを見はじめて、そして和夫の顔を見て
「カズが日本酒なんて、長い付き合いだが今日が初めてじゃん、それで日本酒は何がいいのかな」
と言って研一が日本酒のメニューを和夫に渡した。和夫がメニューを見ると、日本酒と焼酎がそれぞれ20種類ほど並んで書いてあった。すると研一が
「カズ、誰かさん日本酒好きだったよな」
と言った研一の顔が、薄笑いをしていた。小峰の事だったが、和夫はとぼけていた。また、先ほどの女の店員が隣の席に穴子の天ぷらと鯵のなめろうを持って来た。和夫が隣の席を覗き込みながら
「研ちゃん、あの穴子の天ぷらと鯵のなめろう、あれ凄え美味そうだなぁ」
「カズ、ここではあまり飲み食いするなよ、この後中華街のお店を予約してあるからな」
「えっ今年も中華街に行くの、でも予約してるんだったら何で前もって言ってくれないのかな」
「あれ、言ってなかったっけ」
「今初めて聞いたんだけど、もしかして去年と同じで今年も惠ちゃんとケイコじゃあないよね、だっていつも研ちゃんはサプライズが大好きだからな」
研一は何も言わず、ビールを飲みながら目の淵で笑っていた。しばらくすると先ほどのはっぴを着た女店員がやって来て、テーブルにコップの入った枡を置いた。そして女店員が一升瓶の栓を抜くと、低い何ともいい音が聞こえた。和夫の目の前で両手で抱えた一升瓶を注ぎ出すと、酒がコップからどんどん溢れてなみなみと升に溜まった。女子店員が研一のコップにも、日本酒をなみなみと注ぎ終わると、一升瓶に栓をして
「ごゆっくりどうぞ」
と言って微笑んだ。その笑顔を見て、研一が手を高く差し出して女子店員とハイタッチをすると、また
「ごゆっくりどうぞ」
と言って、女子店員が笑いながら行ってしまった。
「何今のハイタッチ、やっぱり飲んで来ただろう」
と、すかさず和夫が言った。
「だってカズ、あの娘のあのとびっきりの笑顔を見たら、俺もうバキュンと秒殺だよ」
「早や、秒殺なのかよ」
と言って、モツ煮を食べ続けた。
「所であの後、小峰さんから連絡はあったのかい」
研一の急質問に、和夫は胸の中がドキリとした。
「えっいや、連絡はないよ」
「この一年、まったく連絡はないのか」
「えっああ、まったくないよ」
「二週間くらい前だったかな、俺小島から聞いたんだけど、カズ長崎に行ったんだってな」
「えっああ、ニヶ月ほど前に長崎へ行って来た」
「へえっ、それで小峰さんに逢って来たのかい」
「いや、その長崎の大村って街へは行ったけど住所が解らないから、その逢えなかった」
と言って、テーブルの上の日本酒をすすった。
「もう何だよそれ、カズよ住所がわからなくてよく長崎まで行ったよな」
「ああ、ただ大村の街を見てみたかったから」
「ただ街を見たいって、何だそれ」
「えっいやその、ただ街を見たかったんだよ」
「小峰さん長崎に帰ってもう一年になるだろう、あんな遠くまで未練たらしいな、カッコ悪いと思わないのかよ」
和夫は、何も言わずにモツ煮を頬張った。
「それであんな遠くまで行ったんだから、その街で何か心当たりなどをいろいろと探して見たのか」
「いや、彼女長崎の事は何も話してくれなかったから、以前彼女の部屋で母親から来た手紙を読んだ事があったけど、住所はまったく覚えてなくて大村の街、思っていたより大きかった」
「こっちで、小峰さんが住んでたアパートの大家さんとかに、何か聞いてみたのかよ」
「ああ、一応聞いては見たけど教えてくれなかった、彼女が一月の終わり頃に来て家具や家財道具を全部処分してくれとの事で、引き払ったそうだ」
「それでカズ、長崎でいったい何をしてたの」
「えっああ、初日はただ街を一日中ブラブラと歩いていたよ、レトロな喫茶店や小さな洋食屋や駅前の花屋にたくさんの秋桜があったり、夕方に入った居酒屋で食べた魚料理が凄く美味かったな、特にきびなごの酢味噌和えが美味かった、それに煮魚や焼き魚と地元の酒も美味かったよ、あっそうそうあの対馬地鶏の水炊き、あれは最高に美味かったな」
「えっ、わざわざあんな遠くまで行って、あてもなくただ街をブラブラして、それで居酒屋でグルメのばか喰いかよ、その大村の街には何泊したの」
「ホテルには三泊した」
「えっ三泊、そうかそれで長崎は初めてなのか」
「うん初めて行った、ほんとうに遠かった」
と言って、二人ともしばらく黙ってしまった。
「そうか、でも長崎はほんとうに遠いよな、よくもまああんな遠くまで行ったもんだ」
「ああ思ってたより遠かった、寝台車で行った」
「そんな遠くまで住所も分からずに寝台車に乗ったのかよ、それって急に思いたったのか」
「いや前々から行って見たかったから、夏の休暇俺だけ取れなかったんで、それで十月の初めに夏の休暇分を使って五日間行ってきた」
「住所もわからないで、いったい何がしたくてあんなに遠くまで行ったのよ、俺には考えられないよ」
研一がビールを飲むと、溜め息をしながら言った。
「どうしても、大村の街を見たくて」
「それで、あてもなく街をブラブラかよ」
「えっああ、三日間ブラブラしてた、今この街の何処かで彼女が暮らしているのかと思うと、何かわからないがとても切なかった」
と、和夫が言って言葉に詰まった。
「なんだかまるで演歌だなあ、何であんな遠くまで行ってひとりで黄昏れてんだよ、一年近く経ったしもうだいぶ落ち着いたのかと思ってたけど」
「うん、もう春頃からするとだいぶ落ち着いたよ、でも去年の暮れから春先ぐらいまでは、仕事も上手くいかず泣きながら毎晩酒を飲んでいたからな、いやほんとに演歌だよな」
和夫がまた言葉に詰まって、そのまま黙った。
「あのごめんな、俺にはそんな経験がないから何と言っていいか言葉がないよ」
研一が言って、枡の中のコップを取り出して枡の酒を飲んだ。和夫も枡の酒を飲みながら、俺はあんなに遠くまでいったい何をしに行ったのかと考えると、ついニヶ月ほど前に行ったのにもう随分と前の事の様に思えた。
「最後の日は、ホテルの近くの金木犀のいい匂いがする公園で一日中海を見ていたんだ」
鉄柵沿いにたくさんの金木犀が、オレンジ色の花を付けて並んでいた。
「海にぼんやりとした虹が掛かって、何か時間が止まった様な気がした」
と和夫が言うと、酒をひとくち飲んだ。研一は何も言わずに、微笑みながら相打ちを打っていた。
「地元の年寄りや若いママさん達が幼い子どもを連れて公園に来ていて、そんなのをぼんやりと夕方まで眺めていたら夕焼けが見えたんだよ」
と和夫が言うと、煙草に火を付けて大きく吸い込んで吐き出すと溜め息をした。そして
「中高校生の頃、つまずいたり気持が折れたりした時、裏の丘の上の公園に行ってそこのブランコで見た夕焼けを思い出して、長崎の公園でぼうっとしてたら急に彼女と出会った頃からのいろいろな想い出が、ごめんなんか泣きそうになる」
と言って、また言葉に詰まった。
「そうか小峰さんに逢えるとよかったのにな、泣くなよ、俺までもらい泣きしちゃうから」
と、笑いながら研一が言った。
「うん、不思議と彼女がすぐ側に居る気がした」
と和夫が言って、握り締めた手を見つめた。
「カズ、なんか切ないね。ごめん、俺にはやっぱりわからないよ」
と言うと、二人とも黙ってしまった。騒がしい店内に♪グッバイマイラブ が流れていた。しばらくすると、和夫が大きく溜め息をして
「俺、一年間しか彼女の事を知らないが、何年も前から一緒にいた気がしたんだ」
と言って、握ったグラスの酒を飲んだ。研一は何も言わず、微笑みながら相槌を打っていた。
「でも俺、あの時一日中公園で海を見ていて思ったんだ、もしかしたら彼女、ほんとうは俺の中にほんの一瞬通り過ぎて行っただけなんじゃあないかと」
和夫が言って、また酒を飲んだ。そして、研一が煙草に火を付けて煙をゆっくりと吐き出すと
「その、俺はカズの様に誰かにこんな風に話せないだろうな、カズの心の中ってきっと今だにセブンティーンなんだろうな」
「何だよ、ガキ扱いかよ」
と言う和夫の言葉が、少し震えていた。
「いや、なんか幼い心が切ないね」
と研一が言うと、突然左隣の若い女達の大きな笑い声がした。ショートカットの娘が男の名前を叫ぶと、また大きな声で笑った。研一と和夫はお互いに黙ったまま酒を飲み、しばらくすると和夫が大きく溜め息を付いた。研一がそれを見て
「その何と言っていいのか、俺うまく言えなくてごめんな‥その、月並みなんだけど陽はまた昇るって言うじゃんか、明けない夜はないって、きっと後で甘酸っぱい笑い話になってるよ」
「えっ、明けない夜か」
「もう一年近くも経ったと言うのに、まだかなり重症なんだな」
「一年か、なんだかな」
和夫が恥ずかしそうに、呟いた。
「だんだんと薄れて行くと思うんだけど、今だにそんなんじゃあな、俺にはよくわからないけど、カズの中じゃまるでエンドレスゲームの様なのかな」
と、煙草の煙を吐き出しながら研一が言った。そのエンドレスと言う言葉が和夫の胸に重たく響いて、思わず手を握りしめた。そして今だにこんなんじゃ、研一が言うこの痛みがエンドレスに続いて行くのかと思うと、和夫は顔を歪めた。そして短くなった煙草を煙そうに吸うと、静かに揺らめく指先の煙草の煙を見詰めた。
あれは、あの街に行った二日目だった。花屋に鮮やかに並ぶ秋桜の花を見ていると、隣に古めかしい喫茶店があった。その店の中から微かにブルースが流れていて、何故か吸い込まれるようにドアを開けた。瞬間、低く流れるブルースのギターが湿った空気に溶け込んでいた。窓から西陽の差し込む光と、低い天井から下がるペンダントライトの淡い光が混ざって、少し寂れた美しさを醸し出していた。店内の狭さと、どこか現実離れした落ち着きを感じて、窓際のテーブル席に座った。客の姿はなかった。白いワイシャツに細みのネクタイをした若い男が、コップに水を入れて持って来た。店内には、和夫の知らないレコードの、小気味いいドラムとベースに乗った女性ボーカルの掠れたブルースが流れていた。コーヒーをオーダーして辺りを見まわした。大きな観葉植物の横の本箱に、青色とオレンジ色の「寄せ書き」と、書かれたノートが二冊吊るしてあった。すぐに小峰と行った馬車道の、あの洒落た喫茶店が目に浮かんだ。和夫はコーヒーを飲みながら、無邪気に笑う小峰の顔を想い浮かべた。そして立ち上がると、オレンジ色の方のノートを手に取って席に座った。オレンジ色のノートには、女性用と書かれていた。微笑ましくページをめくって読み進めると、いきなり和夫のあの独特なピースマークが目についた。ドキリと胸が高鳴るなり、全身が沸き立ち、鳥肌を感じた。
ヤッホー、お邪魔します。今日が二度目です。 またひとりで来ちゃいました。
学生の頃、大変お世話になりました。
オーナーが変わって、マスターがいないのは
やっぱり、少し寂しいです。
ここは私の青春がいっぱいあるから
また旅立つ前に、どうしても来たくて
お花屋さんのついでに、もう一度来ました。
私は隣街なのですが、この街に親友がいて
今は、母親と妹が暮らしています。
この街、大変お世話になりました。
そして、母と妹をよろしくお願いします。
バイバイ‥‥
バイバイの後に、あのピースマークがあった。日付はひと月ほど前だった。和夫の知らない顔があった。それは和夫が知っている小峰とはまったく違う、和夫の知らない時間を生きていた小峰だった。そして何度も読み返して(また旅立つ前に)の一行が胸に刺さった。夏過ぎまではこの街にいたんだと思ったら、いたたまれない気持ちになった。小峰の微笑む顔が目に浮かぶと、この胸の痛みは研一の言うようにエンドレスなのか。と、冷ややかに笑っているもうひとりの自分に問い掛けた。
和夫はバーボンを口に含むと、この事は研一には言わなかった。そしてひとり微笑むと
「今思えばあの人に出逢って良かったと、そして出逢わなければ良かったと同時に思う人だよ」
「そうか、そうやって全部吐き出してしまうと少しは楽になるって」
研一のその言葉に、少し救われた気がした。
「大丈夫、陽は絶対また昇るから。前に恵子と伊豆で夕陽を見てた時、突然恵子が沈んで行く夕陽に向かって『バイバイまた明日ね』ってさ‥うまく言えないが、きっと笑って話せる時が来るから。俺、今までそんな経験がないから、うまく言えなくてごめん」
研一の言葉に涙が込み上げそうになり、酒を飲むと手を握りしめた。そして、明けない夜がまるで研一が言うエンドレスゲームの様だと思った。また酒をひとくち飲むと、雑踏の店内にひときわ店員の威勢の良い声が耳についた。小峰の顔を思い浮かべて見たが、何故かぼやけてはっきりとは浮かんで来なくて、もう遠い昔の様な気がした。店内の威勢の良い店員の声を聴きながら、二人とも酒を飲んだ。溜め息をするたびに体が揺れている気がして、酔っているのかなと思った。そして、この胸の痛みをもうひとりの自分が何処か楽しんでいる気がした。二人とも、また長い沈黙が続いた。突然、研一が大きく息を吐いて、少し間をおいてから静かな声で
「あのな、正直言って今のお前の気持ちが俺にはわからないよ、もう一年だろう普通じゃないよな。もうそろそろ前に進んでみたらどうだ」
と、研一が優しい声で言った。和夫は言葉に詰まって、何も言わず酒を飲んだ。
「いつまでそんな女々しい事しているんか、泣けてくるな‥‥俺にはそんな経験がないから、どこか羨ましいよ。カズ、その痛み、楽しんでいるだろう」
和夫は胸の内を見透かされて、口元で笑った。また、沈黙が続いた。研一の言葉が沁みて、胸が熱くなった。長い沈黙の中で飲み続けるとしだいに気持ちが軽くなって、大きく息を吐き出しながら研一の顔を見て笑った。そして
「研ちゃん、その予約してある中華街のお店だけど、もしかしたら今年もケイコを呼んでるのか」
と、突然和夫がぽつりと言った。研一は何も言わずにモツ煮を食べ続け、そして目の淵で少し笑った。
「その中華街のお店って、去年と同じあのお店」
「えっああ、去年と同じ店だよ」
「そう、それでその料理だけど、去年と同じにまた今年もコースで頼んだのかい」
「ああ、今年もコースでお願いしてある」
「そうか、研ちゃん去年食べきれなかっただろ」
「実はあの店、専門校の時にクラスの友人のコネでその友人と二人で二年続けて夏休みに泊まり込みでバイトしてたんだよ、それであそこの女将さんにはいろいろとお世話になったので、お料理はすべて女将さんにおまかせだから」
「へえ、だから去年食べきれないほど料理が出て来たんだ、でも去年そんな事何も言わなかったから知らなかったよ、それでそのお店は何時の予約なの」
「今年はお店の都合で、9時から2時間の予約」
「じゃあ、まだ随分時間があるけど」
と、和夫が腕時計を見ながら言って
「もしかしてだけど、また今年もアローで待ち合わせでもしているのかなあ」
「えっああ、8時にアローで待ち合わせしてる」
「やっぱり、何で前もって言ってくれないのかな、それでもしかしてだけど、今年もケイコを呼んでいるんじゃないの」
と、また和夫が言うと苦笑いをしながら研一が
「えっまあその、恵子から今年もグッピーのクリスマスパーティーの前にカズを呼んで、中華街の女将さんのお店に行きたいって頼まれたもんで」
「やっぱりそうか、呼んでるのか」
研一は何も言わずに笑うとモツ煮を頬張った。和夫はケイコの顔を思い出してみたが、もう随分と昔の様な気がして口もとで笑った。
「そうか今年も中華街のあのお店ね、去年は食べきれないほど料理が多かったから、今年は女将さんに言って、コースの料理の量を減らしてもらえよ」
「そんな事言えないよ女将さんも喜んでいるんだから、この時期に個室を開けて待っててくれてるんだ、だから頑張って食えよ」
「わかったよ、でもよっぽど女将さんに気に入られているんだな、そう言えば去年なんか親しげに話してた人があのお店の女将さんなんだ」
と和夫が言って煙草を大きく吸い込むと、日本酒の心地良い酔いを感じた。
「あっそうだ、あそこの女将さんも長崎の人だよ」
と、研一が突然思い出して言った。
「ヘえっ長崎の人か、そうかまた随分と遠くに嫁いで来たんだね」
「それが当時は社長が広島にいてそこに嫁いだそうだ、でもピカドンが落ちて」
「ピカドン、何それ」
と、和夫が言葉を遮って聞いた。
「ピカドンは原爆だよ、原子爆弾」
「原爆をピカドンって言うんだ」
「そう、たぶんピカっと光ってドカンだからじゃないかな、それで慌てて子どもを連れて実家の長崎に帰ったらまたピカドンが落ちて、人生二度目のピカドンでもうびっくりしてこの世の終わりかと思ったそうだ、今じゃもう笑い話だよな」
和夫も、思わず笑ってしまった。
「ほら笑った、時が過ぎれば笑い話になるんだよ」
「その女将さんの話、それってほんとうなのか」
と、笑いながら下から見上げる目線で研一を見た。
「ほんとうだよほんとう、あの店の有名な話なんだから、俺も初めて聞いた時は冗談だと思ったけどあのお店の人はみんな知っているから」
「凄いな、あまり自慢できる話じゃあないけど、きっと悲惨な地獄をたくさん見たんだろうな」
「そうだろうけど、でも時が経てば今じゃあもう昔の笑い話なのよ」
と研一が言うと、煙草を灰皿で揉み消した。その女将さんは、きっと人には言えない深い傷をずっと持って生きていると和夫は思った。しばらくして
「カズ、窓から凄いお月様が見えた」
トイレから戻って来た研一が、興奮気味に言った。
「月様、相変わらず研ちゃんロマンチストなんだ、嬉しそうな顔をしてお月様かよ」
「俺、あんなお月様は久し振りに見た気がする」
「様付けかよ、それって子どもの頃の言い方だね」
「でもあの月は、お月様だった」
と、笑いながら研一が言った。
「その、お月様って普通の月とはどう違うのよ」
「何て言うか、あったかい月と出会った時かな」
「研ちゃん、やっぱり何処かで飲んで来ただろう」
と言うと、研一が薄笑いを浮かべて酒を飲んだ。
「やっぱりカズにはわからないか‥月っていつも地球に向かって同じ顔を向けているって知ってた」
「何、同じ顔って」
「月は地球に対して自転と公転が一緒だから、いつも表の顔しか地球には見せないんだよ」
「へえ、じゃいつも地球を見詰めているんだ」
ふと、去年ケイコがあの月、オブラートで包んだみたい と言った月を思い出した。
「宇宙の話は、人間がなんてちっぽけなんだって事に気付くんだよ、月まで38万km光の早さで1.3秒、つまり1.3秒前の月を俺達は見ているんだよ」
「へえ、普段そんな事考えて月を見てないからな」
「光の速さは1秒間に地球を7周半もするんだ、それでも太陽までは8分20秒も離れている、だから8分20秒前の太陽を俺達は見ているんだ」
「えっ、そんなに遠いの」
和夫が、モツ煮を頬張りながら言った。
「そして、夜空に溢れる無数の星は何年も前の星達を見ているんだよ、人類の祖先が新しい陸地を求めてアフリカ大陸を出発してから数万年、今じゃあのお月様まで行っちゃう凄いと思わないか」
「何か、随分でっかい話になっちゃったね」
と、和夫がビールを勢いよく飲んだ。
「ついでに、地球の自転と公転って知ってるか」
「小学生の頃、習った気がする」
「地球は24時間で一周回るから時速1700㎞のマッハ1.4ぐらいのスピードで自転しているんだよ、日本は赤道から少しずれてるからマッハ1.1ぐらいのスピードかな、知ってた」
「でもそんなスピードで回って、何も感じないの」
「時速100㎞の電車に座って、りんごを投げてもまた手のひらに落ちて来るだろう、ニュートンの運動方程式、慣性の法則だよ」
「研ちゃんの口からからニュートンや、慣性の法則が出て来るとは思わなかったな、驚いたよ」
「あと公転、よく聞けよ‥地球は一年掛けて太陽の周りを時速約10万㎞のスピードで回るんだ、その太陽も彗星から冥王星まで九つの惑星を引き連れて、銀河系の中の軌道を時速約80万㎞で回っているんだよ、なんか宇宙って凄いだろう」
「へえ、ほんとうに凄いな」
和夫が言って、ビールをひと口飲み込んだ。
「俺達の天の川銀河さえも2000億から4000億もの太陽と同じ恒星を引き連れて、時速約210万㎞のスピードで膨張する宇宙の中を移動していて、この宇宙は広がって行ってるんだよ」
「どんどんスピードが上がっていくね」
「そして太陽系と同じ恒星を何千億以上も待つ大小の銀河系が、宇宙には何と2兆個以上もあるんだ、びっくりしただろう」
と言って、研一が枡に入った日本酒を飲み干した。
「2兆個以上、ほんとかよ」
「すぐ隣にアンドロメダ銀河があって、我々の天の川銀河の2倍以上ある肉眼でも確認できる大きな銀河で、時速40万㎞の速さで接近していて、いずれ衝突して合体すると大きな銀河になるんだよね」
「うあ、衝突するのか」
「40億年後だから、人類はもういないんだよ」
「えっ、人類は何でいないの」
「太陽の燃料がだんだんなくなって膨張してくるから、地球は燃え尽きてしまうのさ」
「なに、太陽の燃料がなくなるのか」
「ああ、あと50億年後には中心の水素をすべて使い果たして太陽は赤色巨星に膨張して、その後地球サイズの白色矮星となって一生を終えるのさ」
「太陽も、その子供達にも寿命があるんだ」
和夫は少し、切ない気持ちになった。
「それじゃお互いに何千万億もの太陽系達がぶつかり合ったら、大変な事になるね」
「いや、恒星達はお互いにそれなりの距離があるから、恒星が直接ぶつかることはごく稀だろうけど、ガスが圧縮されて新たな星が大量に誕生するんだ」
「へえ、銀河って凄いな」
と言う和夫を見て、笑いながら研一が煙草にオイルライターで火を付けた。そして
「宇宙って広くてデカいだろう、月へ69年にアポロ11号が4日と6時間掛けて行ったけど、直ぐ隣の火星でさえも1年近く掛かるから、人類は太陽系さえ出られないんだ、宇宙では光の速さなんてそもそも遅すぎるのよ、地球に似た惑星は天の川銀河だけでもおよそ100億個以上もあって、2兆億個以上ある銀河系には地球上の砂粒以上似た星があるんだよ、だがなんて切ないんだろか、みんな遠過ぎてお互いに逢う事ができないんだ」
と言って、研一がモツ煮を食べ切った。
「研ちゃん、遠過ぎて逢えないなんてほんとに切ないね、それじゃあ宇宙人とはお互い時間を超えないと逢えないのか」
和夫は遠過ぎて逢えない事を自分の事に置き換えて、遠かった長崎の大村の街を思ってた。そして、いつでも行ける長崎が切なくて恋しく思った。
「悲しいかなそうなんだよ、我々人類が観測出来る銀河系なんてたったひと握りだから、そう考えて見ると人間のほんのひと時の人生なんてそうだな、ちょっとアバウトでいいんじゃあないかな」
「何か、お月様から随分と大きな話になっちゃったね、何を言いたいかわかんないけど、人生アバウトとは関係ないと思うけど」
「だから細かい事に一喜一憂するのも、短い人生の中のほんのひと時なのよ」
「研ちゃん、何か変な宗教にかぶれてないよな」
「おい何だよ、うまく言えないけどこれでも俺なりに一生懸命慰めてるつもりなんだけどな」
「よくわからないけど、ありがとう」
と言うと、二人とも酒を飲み干した。あの無数に輝く星と星とのとてつもない距離や、何処かで暮らしているだろう生物とお互い遠過ぎて光のスピードでさえも逢えない事が、なんか切なくて思わず溜め息をした。そして研一の言う細かい事に一喜一憂するのも、短い人生の中のほんのひと時の様に思えて来た。それでもやっぱり、人生アバウトとは関係ない気がした。そしてこれからも、精一杯もがきながら生きて行くんだなと思った。店内に ♪グッバイマイラブ が流れて来て、先程より客数も増えて一層騒がしくなった。そして一生懸命慰めてくれる研一の言葉がとても嬉しかった。また、和夫はこんなに熱く話す研一を見た事がとても意外だった。
「なんだか壮大な話だね、今日は研ちゃんのまた違ったロマンチックな面を見たよ」
「壮大か‥そうだな、女は悲しい事に足元ばかり見ているけど、男はいつも遠くを見ているからその、ちっとばかり女とは夢の大きさが違うのよ、だからカズも、もう遠くを見てみろよ」
研一の言葉が沁みて、和夫は日本酒を飲みながら足元が見えない男の哀しさも感じた。
「まだ時間が早いから、もう一杯だけ飲もうか」
和夫が、腕時計を覗いて言った。
「そうだな、じゃあもう一杯だけあのとびっきりの笑顔をお願いするか」
と言って、研一がさっきの女子店員を見回して探した。和夫も振り返って辺りを見渡すと、こまめに店員達が料理を運び、空いた器を下げ灰皿を交換していた。すると、右手の奥の方で先程の女子店員が一升瓶を抱えて、日本酒を注いでいるのが見えた。そしてその周りで男達の騒めく声が聞こえ、その中の数人が手を叩いて笑っていた。
「カズほらあの娘だよねあの娘、あららもう始まっているじゃんあの、とびっきりの笑顔が」
と、研一が右奥の方を指差した。
「そうあの娘だ、なんかあっちのとびきり笑顔も盛り上がっているみたいだね」
と和夫が言って、二人で笑った。その後、二人は7時に店を出て電車で関内に来た。駅の北口の改札口を出てすぐに、サンタクロースの衣装を着たお姉さんが通り過ぎて行く人に声を掛けながらクリスマスケーキを販売していた。すぐ脇のテーブルの上には、派手な電飾のクリスマスツリーとクリスマスケーキの箱が山積みされていて、もうひとりのサンタクロースの女の子がレジの前でケーキの箱を袋に入れながら慌ただしく動いていた。テーブルの上のラジカセからジングルベルの曲が大きな音で流れていて、背の高いサンタクロースの女の子と目が合うとすぐに笑顔で寄って来た。手にオレンジ色の電飾のキャンドルを持っていた。
「メリークリスマス、お兄さん達クリスマスケーキは大丈夫ですか、ケーキのご予定はありませんか」
と、満面の笑顔で言った。
「クリスマスケーキ、なんか美味しそうだな」
「はいどうですか、いちごのクリームケーキとチョコレートケーキがありますがどちらも美味しいですよ、ひとつどうですか」
「ごめん、俺達これから飲み会なの」
「あら飲み会、いいですね‥残念だけど楽しんでくださいね、良いお年を」
「ありがとう、君も良いお年を」
と研一が言って、手袋をしたまま手をかざすと女の子が笑いながらタッチして来た。
「寒いよねでも大丈夫、きっとすぐに全部売れちゃうよ、もう少しだから頑張ってね」
と、研一が山積みのケーキの箱を見ながら言った。「ありがとうございます」
と、サンタクロースの女の子も笑いながら研一に言った。伊勢佐木町の通りへ来ると相変わらず人通りが多く、あちこちのショーウィンドウのディスプレイが、クリスマスの飾り付けで賑わっていた。和夫はショーウィンドウに映る二人の歩く姿を見て、研一との久し振りの時間が嬉しかった。時折、冷たい風が吹きつけると手袋をした手で耳を覆った。各店舗のクリスマスの飾り付けを覗きながら歩いていると、ふと時計屋のショーウィンドウの腕時計が目に付いて立ち止まった。先を歩いていた研一が振り返って戻って来ると、二人してショーウィンドウを覗き込んだ。ふと、研一は前もって西口の居酒屋に呼び出して、小峰の事を聞きたかったのかと和夫は思った。ショーウィンドウのディスプレイを覗きながら冷たい風に背を向けて二人は裏通りの福富町に出た。伊勢佐木町とはまた別の街の匂いを感じて、二人は懐かしい気分になった。見慣れた通りに出し看板が灯りを灯していて、行き交う人の数がいつもより多い気がした「ここも久し振りだな、ちょっと早かったかな」
と研一が腕時計を覗きながら言って、アローの店のドアを開けた。十席ほどあるテーブル席は去年と同じ赤色のキャンドルランプが灯って、各テーブルの辺りがぼんやりして見えた。テーブル席の半分以上が客で埋まっていて、左側のカウンター席の隅に今年も小さいクリスマスツリーが灯りを灯していた。驚いたことに、店内の正面に最近までなかった大きなジュークボックスが切なく、♪クレイジーラブ を歌っていた。和夫が顔見知りの女店員に挨拶をして、カウンターの奥を覗いて見たが、マスターの姿は見当たらなかった。女子店員に聞いてみると、今月に入ってからは店に顔を出してないとの事だった。二人してコートを脱いで窓ぎわの席に座ると
「カズ、ここにはボトルが入っているのか」
と、研一が聞いた。
「最近はあまり来ないけど、たぶんボトルがあると思うよ、バーボンだけどいいかな」
「ああ、それじゃあソーダ割にするか」
と研一が言った。しばらくして、バーボンのボトル瓶と氷の入ったアイスペールにソーダの瓶とカットされたライムとレモンがガラスの皿にのってテーブルの上に置かれた。お通しのポップコーンも、バスケットに山盛りに入ってテーブルに並んだ。
「思ったより、バーボン残ってたな」
と、和夫がボトル瓶を手に取って見ながら言った。そして、グラスに氷を入れバーボンを注ぐとソーダとライムを入れて研一の前へ置いた。氷の塊を自分のグラスにも入れて、バーボンを注いで手に持っと
「じゃあ改めてもう一度、久し振り乾杯」
「ああ、乾杯」
と和夫が言って、研一のグラスに軽く添えて互いにひとくち飲んだ。
「やっぱり、俺はバーボンよりスコッチの方が好きかな、バーボンってちょっとクセがあるだろ、スコッチは俺の中ではウイスキーって感じかな、カズはいつもバーボンのロックだけど、何でそんなにバーボンにハマったの」
「だってバーボンは、アメリカって感じだろ」
「そうか、スコッチはヨーロッパって感じだもんな、でも何でアメリカなの」
「やっぱりジェームスディーンかな、俺アメリカ映画が好きだから最近だとアメリカングラフィティを観たけど、凄く良かったよ」
「何だよ映画かよ、それってどんな映画なの」
「ジョージルーカスっていう若手の監督が、60年代を舞台に四人の若者が過ごす一夜を、ロックンロールの数々の名曲に乗せて描いた青春映画だよ」
と、和夫がバーボンをひと口に含んで言った。
「いいなあ60年代のアメリカか、それじゃあ、スコッチはフランス映画だな、俺はどっちかと言ったらフランス映画の方が好きだけどな、カトリーヌドヌーヴのシェルブールの雨傘や幸せはパリでの、あのドヌーヴはこの世の人じゃないな」
「何か凄いな、でもおしゃれ泥棒やマイフェアレディにローマの休日のオードリーヘプバーンの方が俺は好きだけどな」
「そうかカズは映画好きだからな、カズが絶対に観ろと言った卒業、恵子と観に行ったけどあれは二人とも感動したな、キャサリンロスとダスティホフマン、両方とも新人らしいけど凄いと思った」
「良かっただろう、あの全編に流れるサイモン&ガーファンクルのスクリーンミュージック、サントラ盤のレコードとカセットをすぐ買ったもん」
と和夫和夫が言って、バーボンをひと口飲んだ。そして、卒業の映画を観て興奮した小峰の顔が、胸の中で苦く思い浮かんだ。
「あのラストシーンのバスの一番後ろで、ウエディングドレスのヒロインと二人で並んで座っているシーン、二人の表情がとても切なく嬉しそうで」
と、研一が目を細めて言った。
「アメリカ映画は絶対にハッピーエンドだからな」
「そうだな、ハッピーエンドで観ないとな」
「アメリカではハッピーエンドじゃあなくちゃウケないんだよ、あっそう言えばもうそろそろ恵ちゃん達来るんじゃないの」
と言って、和夫が腕時計を見た。研一も腕時計を見ると8時を10分程過ぎていた。
「ちえ、今日はカズといい恵子といいまったく大人のくせに時間にルーズな奴ばかりで、ほんと恥ずかしくないのかな」
と言って、和夫の顔を見た。
「そう怒るなよ、まだ8時を少し過ぎた所じゃあないか、どうしたんだよ」
「お前達の10分や20分は、遅れたと言う感覚がないんだよな、まるでアフリカ大陸だな」
「また随分と大きな話になって、そう怒るなってもう来るから」
「俺は仕事柄時間にはシビアなのよ、まっ鈍感なお前達には言ってもわからないかな、見てろまたひとこと言い訳が出てくるから」
そこに大きな皿に乗ったピザを、和夫の顔見知りの女の店員が運んで来て、タバスコとピザカッターが一緒にテーブルに置かれた。
「おっやっと来たか、マスターがピザにハマっちゃって高価なピザ窯を買って今年の春頃から本格的にピザを初めたら、それが随分と評判が良くて今じゃここの一番人気なんだよ」
「えっ、ちょっとこのピザ大きくないか、カズこの後中華街でのディナー忘れてないよな」
「ああ、頑張って食べるからよ」
と言いながら、和夫がピザカッターでピザを切り分けると、一切れ分にタバスコをかけた。
「そんな顔をしないで、まあ一切れ食べてみろ」
と言って、タバスコを置いた。研一は呆れた顔で
「カズ、ついさっき西口の居酒屋で大根の味噌田楽と、ホルモンの煮込みを結構食ったよな」
「ああそうだったね、なんか休みの日は嬉しくてごめんね、少しだけつままない」
「おそらく今年もコースでお願いしてあるから料理が結構出てくるぞ、女将さんに申し訳ない」
「ごめん、お料理残ったら持ち帰りのタッパに詰めてもらって、グッピーに持って行こうよ」
「だから、この時期に個室を用意してもてなしてくれる女将さんに申し訳ないだろう」
「ごめんそう怒るなよ、頑張って食うから」
と言って、手に持ったピザを皿に戻した。
「あっ、やっとお嬢様達のお出ましだぞ」
と突然、研一が入り口の方を見ながら言った。和夫が入り口のドアの辺りを見ると、濃紺のロングコートを脱いでいる恵子の姿が見えた。すかさず研一が手を上げて、そして立ち上がったので和夫も慌ててその場に立ち上がった。その恵子の後ろで、若い女が黒いハーフコートを脱いでいるのが見えた。そして恵子がコートを抱えて、微笑みながらゆっくりと歩いて来た。恵子の淡いパステルピンクのシャネルスーツに、オフホワイトのブラウスが大人の女の優雅な雰囲気を醸し出していた。
「ごめんなさいね、遅くなりました、いや関内の駅前でケイコと二人で凄いカッコいい男の子達にナンパされちゃって、可愛いといろいろあるのよ」
と恵子が微笑みながら言って、和夫の顔を見ると
「あっカズちゃん、お久し振り」
と言ってハイタッチをした。和夫も微笑みながらハイタッチをすると
「先日は、お世話になりました」
と恵子が言って、頭を下げた。和夫が恵子の足元の黒いピンヒールを見ながら
「その、あの時の‥」
「ストップ、今少し見ない内にまた綺麗になったなって、言おうとしたでしよう」
と、和夫の言葉を遮って恵子が言った。
「えっ何だよそれ今年もかよ、今俺が言おうとしてたのに、それ去年も同じ事言ってたから」
と笑いながら言うと、またハイタッチをした。
「お久し振りです」
と恵子の後ろから、ケイコが微笑みながら軽く頭を下げて言った。淡いライトグレーのタイトスカートに白いシルクのブラウスで、やはり大人の女の匂いがして和夫は驚いた。手には、今年も同じ黒い毛皮のハーフコートを持っていた。
「えっあっ久し振り、なんかすっかり大人の女の人になったね」
と言って、ケイコの上から下まで見渡した。職業柄高価な黒いピンヒールの靴が目に付いた。
「あら美味しそうなピザ、研ちゃん座ってもいい」
と恵子が言うと、慌てて研一が椅子を引いた。二人が椅子に座って、空いてる椅子にコートを置くと
「久し振り、何だか大人の女の人になっちゃって、あのケイコだよね」
と、ケイコを見ながら微笑んで和夫が言った。
「はい、あのケイコです」
微笑むケイコの顔が眩しく見えて、和夫は少し慌ててしまった。去年のあどけなさは消えて、すっかり綺麗な大人の女の人になっていた。飲み物を聞くと、二人ともビールを頼んだ。
「えっ、ビールなんだ」
と、和夫が少し驚いて言うと
「私、今年の春に二十歳になったんです、それで恵ちゃんに教えてもらって、大好きになりました」
「そうなんだ二十歳になったんだ、そうか大人の仲間入りしたんだ、でもほんとうに久し振りだね、一年振りかな」
「はい、ちょうど一年振りです」
「そうだよね、去年もクリスマスイブだったよね」
と言うと、和夫はバーボンをひとくち飲んで、去年のクリスマスイブを思い浮かべた。ここアローで待ち合わせをして、中華街で四人お腹いっぱい食べた事や、貨物船の汽笛の音にマリンタワーの赤と青の灯り、そして大きなクリスマスツリーに雪が降ってきた山下公園。ケイコと恵ちゃんの二人で歌う『ラストダンスは私に』が聞こえてくる様な気がした。
「一年振りって、何だか七夕みたいじゃん」
と、研一が言った。
「あら、研ちゃん素敵な事言うのね何かちょっと染みるね、でもそれって去年も言ってた様な気がするけどな、ねえカズちゃん」
と恵子が言って笑うと、みんなして笑った。
「それに研ちゃん、七夕が素敵なのは一年に一度逢うから素敵なんだからね、お互いが一年分の想いを持って逢うんだよ」
「恵子、あまり重たい事言うなよ、カズにプレッシャーを掛けてどうするつもり」
「カズちゃんが少しくらいプレッシャーに感じてくれるなら、私は嬉しいけどな」
と、恵子が和夫の顔を見ながら言った。
「あっありがとうございます、その時計付けてくれているんですね」
とケイコが言って、和夫の腕時計を見た。
「ああ仕事以外の時はいつもこれを付けてるよ、この腕時計を見るたびにあの去年の山下公園の事を思い出して、ふっとなんか力が抜けて微笑ましい気持ちになるんだよ、ありがとうね」
と言って、腕を差し出して腕時計を見せた。
「嬉しい、何だかわからないがその腕時計とても懐かしいです」
と、ケイコが言って微笑むと店内に♪スタンドバイミー が流れた。
「あっなんかカズいいな、俺も腕時計欲しいな」
と言って、研一が恵子の顔を見た。
「あら研ちゃんそれって、もしかしておねだりなのかな」
「いやそう言う訳じゃないですよ、ただカズいいなと思って」
「また今度ね、私貢ぐ女じゃあないからね」
「わかってます、そんな怒らないで」
「確かつい最近、あの馬車道の高級焼肉屋で奢った気がするけどな、覚えているよねものすごい勢いで食べて飲んでいたっけな」
「はい、ご馳走様でした」
「それに、10月に二泊で伊豆の白浜へ行ったっけな、もちろん覚えているよねあれも私が全部企画からお支払いまでしたけどな」
「はい、いつもお世話になってます」
「夏に‥」
「すみませんでした‥俺、腕時計三個もあるからほんとは必要ないんです」
と言うと、四人とも笑った。
「ピザ、冷めない内に食べないと硬くなるよ」
と和夫が言って、一切れ手に取って口に入れた。すると、みんなでピザを手に取った。
「頂きます」
と言って、恵子とケイコがタバスコをかけてピザを頬張ると、すかさずビールで流し込んだ。
「あの、和夫さんは今夜のグッピーのクリスマスパーティーには今年も行かれるのですか」
と、ケイコが顔を覗き込む様に聞いて来た。
「ああ行くよ、その為に店で大変な苦労をして休みを取って来たから」
「そうですか、よかった私、今夜のクリスマスパーティーで恵ちゃんと二曲歌わせてもらうので、和夫さんに聴いてもらえたら嬉しいです」
「それと飛び入りで、ケイコにソロを1曲お願いしてるのよ、でもケイコがね‥カズちゃんも聴きたいでしょうケイコの歌、お願いしてくれる」
「えっ、俺も聴きたいな」
「ケイコね、五歳の時からピアノを習っているから、だからソロで弾き語りをお願いしてるのよ」
「へえ凄いな、ピアノを弾けるのか、弾き語りね‥あっ、でも確か今年はジャズクリスマスだとかで、オールジャズだけなんでしょう」
と言って、和夫が研一に聞いた。
「ああ、オールジャズだよ」
と、笑いながら研一が言って
「でも、恵子がワンステージやるので、飛び入りで俺も二曲ギターとコーラスをやる事になってる」
「そうかそれは楽しみだな、恵ちゃんはいつもの弾きがたりなのかな」
「それがここのマスターの紹介で、マーメイドのマスターのジャズバンドがバックをやってくれる事になって、先週もニ度目のリハをやったのよ」
「へえそれは凄いね、マーメイドってユミちゃんの店のマスターか、あのマスターがジャズバンドとはね、前に何度かあの店に行ってたけどあのマスターにそんな一面もあったなんて知らなかったな」
と、和夫がピザを一切れ手に取って言った。
「ほらカズ、去年のクリスマスパーティーでマーメイドのマスターが飛び入りでドラム叩いただろう、小島のベースとユミコがキーボードで歌った曲、ほらあの有名なジャズの曲、カズ覚えてないか」
と言って、研一が口ずさんだ。
「ああ、♪ユービーソーナイストウカムホーム、ユミちゃんが歌ったあの曲でしょう」
と、恵子がピザを頬張りながら言った。
「えっ何となく、俺かなり酔ってたからな、それで恵ちゃんジャズ歌うの」
「そうなのよソロで六曲とケイコ達と二曲、研ちゃんがアレンジしてくれた『ラストダンスは私に』と『サントワマミー 』のジャズバージョンで」
と恵子が言って、研一を見た。
「どっちも偽物ジャズバージョンだけど、それっぽく楽しめたらいいかなと、それにマーメイドのマスター達がそれっぽくバックで助けてくれるから」
と、少し照れながら研一言った。
「ケイコ、なかなかジャズっぽくて素敵だよ」
と、恵子が笑いながら言うと
「いや、恵ちゃんのソロのほうが凄くセクシーで、きっとみんなを酔わせてしまうんですもの」
と、ケイコも笑いながら言った。
「それじゃあここのマスターのロックンロールバンドは今年は出ないのか、あのビートルズのロックンロールも楽しみだったけどな」
「カズ知らないの、アローのマスターがピーナッツで毎週土曜日に演奏しているぞ」
「えっピーナッツ、いつから」
「10月からよ、でもカズちゃん伊勢佐木町で働いていて知らなかったの」
と恵子が言って、ビールを飲み干した。
「ああそうなんだ、店が忙しくて最近はここもご無沙汰していたからな、知らなかったよ」
と言って、バーボンを飲んた。
「えっ、ピーナッツってあのディスコですか」
と、ケイコがすかさず聞いた。
「そうよ、ケイコ行った事あるの」
と恵子が言って、灰皿にあった研一の煙草を手に取って吸った。
「いえ、行った事はないんですけどあのディスコは有名なので、名前ぐらいは知ってました」
と言って、ケイコもビールを飲み干した。
「あっ、やばいよもう9時10分前だよ、タクシーをはやく拾わないと遅刻しちゃうよ」
と、和夫が腕時計を見ながら研一に言った。
「えっ、カズの口から遅刻なんて言葉が出て来るなんて、ほんとうにやばいな」
「いいのかい、女将さんが待っているんだろ」
「あらら、まったくこれだもんな、カズ大丈夫だよ、さっきトイレへ行った時にお店に電話したら、女将さんが申し訳ないけど30分ぐらい遅らせて欲しいとの事だったから」
「あっそうなんだ、でももう行こうよ」
「えっ時間にルーズなくせに、これからもその調子で頼むよな」
と言って、笑いながら腕時計を指で指した。四人がアローを出ると、タクシーを探した。風も止み、酔いのせいか寒さは感じなかった。伊勢佐木町の通りに出た所で直ぐにタクシーを拾って、四人で中華街へ向かった。途中、相変わらず暮れの工事渋滞にハマったが、それでも止まる事なく車は流れていて、店の近くの東門(朝陽門)で車を降りた。今年も朝陽門を見上げて、門に掛かる長崎の赤いチャイナランタンを想像した。去年と変わらぬ人通りで賑わっていて、青い牌楼を見上げながら時間に余裕を持って店に着いた。五階建ての大きな店構えで、入り口の所には幾つも龍が舞っていた。赤青緑に金色の派手な装飾で、まるで竜宮城の様だった。これって去年と同じお店なのかな、と思いながら店を見上げていると、直ぐに黒服を着た従業員が出迎えに来てフロントまで通された。四人は大きな入り口からフロアーへ入ると、去年とは違って広いフロアーの真ん中に、色鮮やかな花に包まれた小さなステージがあった。ステージには赤に黒と金色の刺繍の入ったチャイナドレスを着た若い女の娘が、椅子に座って楽器を演奏していた。和夫は初めて見る楽器で、後で聞いた話だとダルシマーと言う楽器で、台形の共鳴箱に張られた弦をハンマーで叩いて音を出す打弦楽器で、ピアノと同じ原理との事だった。何ともエキゾチックな美しい音色で、古い中華の雰囲気を大きなフロアーに醸し出していた。まったりした曲は、聴き覚えのある映画音楽の様だなと思った。フロントで予約のチェックを済ませると、その先の左右にいくつかある待合室の中でも比較的小さな室に通された。師走のクリスマスイブだから団体客が多いかなと思ったが、静寂なフロアーを見渡すとチャイナドレスとダルシマーの美しい音色がエキゾチックな雰囲気を醸し出していた。五分ほどで研一が言う女将さんが挨拶にやって来たその瞬間、和夫は驚いて女将さんの上から下までをゆっくりと眺めた。黒いジャケットに黒っぽいタイトなチャイナドレス姿で、背が高く痩せていてとても綺麗な女の人だった。チャイナドレスのサイドスリットから、黒いレースの綺麗な足が露わに見えた。研一が言ってたこの人が、ピカドンに二度も会った様にはとても見えなかった。それより、どう見ても三十七八歳ぐらいにしか見えないからだ。女将さんの遅くなってしまった事へのお詫びと挨拶が済むと、研一が以前から大変お世話になっていた話を交えて、みんなに女将さんを紹介した。直ぐにエレベーターで三階の個室に通されると、そこは中国四千年を思わせる様な部屋だった。真ん中に大きな楕円形のテーブルがあり、その後ろの壁一面に、彫刻で施された色鮮やかな龍や孔雀の様な鳥が何羽も飛び交い、左右の壁には赤と金色の刺繍が一面に輝いた布が架かっていた。部屋の隅に腰の辺りまである大きな壺が二つ置いてあり、その壺の中で見た事のないカラフルで鮮やかな色の大きな花が幾つも咲いていた。お店自慢のフルコースが始まると、最初にみんなで温かい老酒にざらめ砂糖を入れて乾杯した。今年も前菜から始まって次々と料理が運ばれた。ただ去年と違い、ツバメの巣のスープやフカヒレの姿煮が出ると和夫は初めての料理に驚いた。その後も黒アワビや北京ダック等と高級な料理が次々と出てきて、去年のコースより料理のランクが違い過ぎて驚いた。やはり今年も品数や量も多く、それでも四人ともよく食べて、特に恵子とケイコの食欲には驚かされた。先程から部屋に漂うお香の香りで、急に去年小峰と行った中華街の赤いチャイナランタンの灯りが現れた。
突然だった。吐き気を感じて、和夫は急いで洗面室に行くとドアを開けるなり、直ぐに大量の料理を吐き出した。一気に胸の辺りが楽になった。お香の匂いをいまだに感じていたら、しゃがみ込んだまま身体がふらついた。小峰とチャイナランタンの灯りがまた現れて、かなり酔っているのかと思った瞬間、訳も分からずこみ上げて泣き出した。慌ててポケットのハンカチを出して口を覆った。震える指先を見つけて(お前、どうした)と、冷めたもうひとりの自分が驚きながら言って、込み上げてくる嗚咽を必死に押し殺した。辺りに気を配りながら、ハンカチで口を覆ったまま、声を殺して泣き続けた。
ひと通りコース料理が終わると、今年もデザートのメロンと杏仁豆腐は研一と和夫の分まで女性達が、デザートは別腹だと言い訳をしながら食べた。研一が会計を済ませると和夫が近寄って来て
「研ちゃん、ほんとうに大丈夫なのか」
と、研一に心配そうに言った。
「ああ、ランチタイムの料金だから安心しろよ」
「えっ、それってもしかしてだけど、去年もそうなのかな」
「ああ、女将さんが何度もいいって言うんだけど、せめてランチタイムのコース料金でと無理矢理お願いしたんだよ、だから心配しないで」
「いや、今回のコースには驚かされたから俺、初めて見た物ばかりだったんで驚いたよ」
そこへ慌ただしく女将さんがやって来て、笑顔で挨拶をすると研一と軽いハグをした。続いて女性達もお礼を言いながらハグをすると、和夫も軽くハグをしてもらった。すると、香ばしい不思議な香水の匂いがした。四人は大満足のお礼を言って店を出ると、風もなく酔っているせいか少し暖かくさえ感じた。11時を過ぎてるにも関わらず人通りがあり、通り過ぎる車の数も多い気がした。突然、爆竹の音が辺りに鳴り響いて驚いたら、少し離れた所で人だかりから何人もの大きな笑い声が聞こえて来た。
「カズちゃん、私達買い物があるから」
と言いながら、恵子が近寄って来て研一を見て
「研ちゃんが、クリスマスプレゼントを買ってくれると言うから、申し訳ないが今年もケイコをグッピーまでエスコートのお願いをしてもいいかしら」
と、和夫の耳元で言った。
「えっああ、俺は別に構わないけど」
「別に構わないけどじゃあなくて、もっと嬉しそうな返事をしなくちゃダメじゃないの」
と言って、和夫の肩を指で突っついた。
「あっああわかったよ、是非グッピーまでその、喜んでエスコートをさせてもらいます」
と、笑いながら和夫が言った。
「そうそれ、その笑顔を絶対に忘れないでね、ほんとうはもの凄く嬉しいくせに、ちょっとカッコつけちゃったって顔してたぞ」
と言って、また和夫の肩を指で突っついた。
「恵子、あまりいじめるなよカズは病み上がりなんだから、いやいやまだ少し病んでいるみたいだから、あまりいじめないでくれよな」
「あらそうなのカズちゃん、まだ熱があるんだ」
「えっいや、大丈夫だよ」
と、和夫が苦笑いをしながら言った。
「そう、それじゃあとっておきのおまじないをして、私が薬を処方してあげるからケイコを宜しくお願いしますね、ちゃんとグッピーまでエスコートしてよ、あっそれからその変な病い、ケイコには移さないでよね、ケイコまた後でね‥それじゃあカズちゃん宜しくお願いします」
と言って、小さく頭を下げた。するとそれを見ていた二人が笑い出すと、和夫と恵子もお互いを見て笑った。二人とはそこで別れて、研一と恵子は通り掛かったタクシーを拾った。恵子がタクシーに乗ると窓を開けて
「じゃあケイコまた後でね、楽しんで来てね」
と言って微笑むと、和夫を見て
「カズちゃん、ケイコを宜しくお願いします」
と、また言って小さく頭を下げた。タクシーが動き出すと、窓から恵子が手を振って
「バイバイまた後でね、アーバー」
と言って、走り去った。和夫とケイコは互いの顔を見合わせて微笑むと、ケイコが
「今年もまた、クリスマスイブに和夫さんを貸し切りにしてしまって、ほんとうに申し訳ありません」
とケイコが言って、小さく頭を下げた。
「いや、俺は久し振りに逢えて嬉しいよ」
「私も逢えて嬉しいです」
「グッピーは今年も12時からだから、まだ1時間近くあるけどそうだな、また今年も山下公園にちょっと行ってみる」
と、腕時計を見ながら言った。
「はい私、あの大きなクリスマスツリーを今年も見てみたいです」
と、満面の笑顔でケイコが言った。
「あああのツリー、今年もあるといいけどな」
「今年もありますよ、テレビのニュースで見ましたから、でも今日はクリスマスイブだから混んでないといいですがね」
「いやこの寒さでもうこんな時間だし、去年のイブもぜんぜん空いていたじゃん、まあ貸し切りとまではいかないけどきっと大丈夫だよ」
「でも、今年は映画のロケにも使われたし、ニュースで何回も放送したから、混んでいそうです」
「じゃあとりあえず、行ってみようか」
と言って歩き出すと、ケイコが寄って来て和夫の腕を取ると、シャンプーの匂いがした。山下公園の入り口付近まで来て公園の左手側奥の木立の先を見ると、去年と同じ場所に輝いている所があった。おそらく、あのクリスマスツリーだと思った。振り返って久し振りのマリンタワーの灯りを見て、胸の中が熱くなるのを感じた。そして小峰と二人で、あの展望台で観た港の灯りが痛みと共に蘇って来ると、研一が言ったエンドレスゲームの様に繰り返すのかと思うと、少し笑った。信号が青に変わって交差点を渡り、公園の入り口に入るとケイコの言う通りカップルの姿が目立った。風もなく、酔っているせいか暖かかった。ケイコと体を寄せて歩いている事が不思議と嬉しく、心地よく酔っている自分を感じた。そして、またケイコの背が少し伸びた気がして、目の淵で笑った。ゆっくりと灯りが見える方向へ歩いて行くと、木立の先でクリスマスツリーの頭の辺りの灯りが見えて来た。
「うわあ、去年と同じだ」
と、それを見つけたケイコが無邪気に笑って言うと、和夫も不思議とわくわくして来た。途端にケイコが和夫の腕を引っ張る様にして、早足で歩き出した。直ぐに、港に停泊している何隻かの貨物船の灯りが見えて来た。今年も左奥の大桟橋に、大きな外国の客船が無数の灯りとともに停泊していた。引っ張られる様にして木立を抜けると、去年と同じ大きなクリスマスツリーが無数の灯りで燃える様に立っていた。ただ去年と違って、広場がクリスマスツリーを囲む様に、大きくすり鉢状に幾つかのコンクリートの段差ができていた。そしてそのクリスマスツリーを囲む様に各段差にベンチシートが置かれていて、その数が去年の三倍ほどに増えていた。ケイコが和夫の腕にしがみ付く様に力を入れると、クリスマスツリーを見上げて大きな溜め息をした。身体を寄せて来たケイコの柔らかい体の感覚が伝わって、胸の中がざわめいた。辺りを見回すと、この寒さの中でベンチシートはどれも二組のカップルが程よい間隔で座っていて、空いていなかった。そのほとんどのカップルが大きなブランケットの中で寄り添って座っていた。よく見ると数組のカップルが、寄り添って立っているのが見えた。コンクリートの段差にも、大きなブランケットに包まれて寄り添って座っているカップルが数組いて、ケイコの言う通りこの寒さの中でこんな時間まで大変な人気だった。海風もなく酔っているのか、去年ほどの寒さはあまり感じなかった。
「今年も食べ過ぎて、お腹が苦しいよ」
と、和夫が言うと
「私もです、こんなに食べたのは去年のあの時以来です、いや今年は記録更新ですね」
と、ケイコが言って笑った。
「今年もご両親は居ないの」
「はい、両親は今年も暮れからお正月にかけてハワイに行くので」
「ケイコは行かないの」
「えっええ、私は行きません」
「お正月のハワイなんて凄いじゃんか、芸能人みたいで、何で行かないの」
「えっ、それはちょっと」
と言って、ケイコが目を逸らした。
「ハワイ、好きじゃないからなの」
と和夫が聞いたが、ケイコは黙ったままクリスマスツリーを見上げていた。
「そうか、行きたくないんだ、俺なんかハワイなんて一生行けないかも、羨ましいんだけどきっと何か訳ありなんだね」
「えっ、はい」
クリスマスツリーを見上げるケイコの顔が、ツリーの灯りで輝いていた。
「そう、聞いて悪かったね」
「いえ、いいんです、その実は母の妹夫婦が五年前にハワイに定住して、それで両親がお正月をハワイで過ごす様になって、でも私、叔母が苦手で‥小さい頃に何度か暴力を受けた事があって、それ以来私、叔母がトラウマになってしまって」
と言って、顔を歪めると少し微笑んだ。
「へえそうなんだ、ご両親はその事を知ってるの」
と、少し驚いた顔をして和夫が言った。
「いえ、小さい頃から両親には言えなくて、叔母は若い頃アルコール依存症で、何度か病院に入退院していた時期があって、その頃私の家で一緒に暮らしていたんです、幼稚園児から小学校低学年の頃で、母は歯科医で、私は祖母が母親がわりなのです」
「俺もそう、婆ちゃん育ち」
と和夫が言うと、ケイコが笑った。
「そのうち叔母が結婚して、家から出て行って緊張は解けたんですけど、いまだにやっぱりまともに顔を見る事が出来なくて」
「そうなんだ、じゃあここ何年かはお正月は一人暮らしなのか」
「はい、今度のお正月が三年目です、和夫さんと初めてお会いした時からですので‥あの年の初めに急に祖母が亡くなったので、私、気持ちがパニックになってしばらく立ち直れなくなって、母が気晴らしに行こうと言ったんですがどうしても気分が向かなくて、あれからは一人暮らしのお正月です」
遠くから汽笛の音が、低く響いて聞こえた。
「そう、でも毎年ひとりじゃあご両親もかなり心配なんじゃあないの」
「母はなんとなく知っている様です、おそらく祖母から何か聞いていたのかもしれませんが」
突然、辺りが明るくなって大きな歓声が上がった。二人は驚いて、見まわした。どうやらクリスマスツリーの無数の灯りが少しずつ消えて行き、ある暗さになったら一気にまた全部点灯する仕掛けの様だった。ケイコの驚く瞳が、クリスマスツリーの灯りでキラキラして見えた。そしてケイコの顔を見て、その顔がとても新鮮に感じた。考えてみると去年のクリスマスイブは、まともにケイコの顔を見ていなかった気がした。去年の上の空な自分を、ケイコはどんな風に俺を見ていたのだろうかと考えてみた。だが、去年の俺はそんな余裕なんてまったくなかったし、そして今もそれを引きずっている。そう、今も胸がはち切れそうになる自分を、冷めた別の自分が何処かで見てる事がある。やはり小峰は俺の中から出て行きそうもない事に、嫌と言うほど思い知らされる。エンドレスゲームと胸の中でつぶやいて、もうひとりの自分が冷ややかに笑っていた。
「でも和夫さんや恵ちゃん達との出会いが、私の日々の暮らしを変えてくれたのだから、私はクリスマスイブに感謝しています」
ケイコが、明るい声で力強く言って微笑んだ。
「そうかあれからもう二年経つんだね。でも不思議とケイコとは毎年クリスマスイブに逢うよね。研ちゃんの言う通り、これはまるで七夕だよな」
と言って笑うと、ケイコも笑った。
「所で、大学は三年生になったんだっけ」
「はい、年が明けて来年三年生になります」
「じゃあ大学生活は、もう随分慣れたんだ」
「はい、軽音部に入ってサックスを吹いてます」
「えっ、サックス、凄いじゃん」
と意外な顔をして、和夫が言った。
「はい、中学の時から高校も吹奏楽でサックスをやって来たので、アルトとテナーの二つ持ってます」
「凄いね、ピアノも弾けるしサックスか。今度グッピーで聴かせてくれよ」
「えっ、ええ、機会があれば」
和夫は、ケイコのサックスを吹く姿が想像出来なかった。そして、大学生活のケイコをとても想像出来なかった。そう考えてみると、ケイコの日常生活に触れる事はまったくなかった。俺はケイコの事をまったく知らない事に気づいて、改めてケイコの顔を見た。初めて会ったジキルとハイドの、背伸びしていたあの無邪気な高校生のケイコが、もうだいぶ遠い昔の様に思えた。
「ちょっと、あの辺りに座ろうか」
と、コンクリートの段差を指して言うと、ケイコを誘導した。すかさず首に巻いていたマフラーを取って、コンクリートの段差に敷いた。
「あっ、これ、去年のマフラー」
と言って、慌てて自分の首のスカーフを外した。
「それシルクだろ。これカシミアだからこっちの方が暖かいよ」
と言って、マフラーを畳んでコンクリートの上に敷いた。慌ててケイコがマフラーを取って
「ダメですよ、これ去年のあのマフラーですよね」
と、言って微笑んだ。
「あのう、宜しかったら座ってください」
直ぐ横のベンチシートに座っている女が、立ち上がって声を掛けて来た。ケイコがマフラーを持って振り向くと、ショートカットの幼い顔をしていた。
「私達、もう帰るので、宜しかったらどうぞ」
と、女が言った。
「もうそろそろ終電が無くなるので急いでタクシーを探さないと。よろしければどうぞ」
と言って、横に座っていた男も立ち上がるとベンチシートを空けた。ケイコがマフラーを持ったまま
「えっ、ありがとうございます」
と、すかさず言って、頭を下げた。
「あのもしよかったらこれ、使って下さい」
と、男が厚手のモスグリーンのブランケットを差し出した。ケイコが
「えっ、あの」
と言って、ケイコが和夫の顔を振り向いて見た。和夫もその場で言葉に詰まって、ブランケットと男の顔を見て、そしてケイコの顔を見ると驚いた顔をしていた。
「えっ、あのこれ‥‥お借りしても良いんですか」
と、和夫が聞いた。男を見ると、少しやんちゃな顔をしていた。背が高く短髪で、身体つきからスポーツ選手で自分と同じ歳ぐらいに見えた。
「寒いでしょ。これ差し上げますので、よろしかったら使ってください」
「でもこれ、ほんとうに」
和夫が言葉に詰まると
「今日、クリスマスイブだから僕らからのクリスマスプレゼントで、使ってください」
と、男が笑いながら言った。
「あらトシ君、洒落た事言うのね」
ショートカットの女が笑いながら言って振り向くと
「あの、よろしかったらどうぞ。私達もう帰らないと終電に間に合わないので、どうぞ」
と、女がブランケットを男から受け取ってケイコに差し出した。ケイコがブランケットを受け取ると
「あの、ご住所を教えてください。これ後ほどクリーニングして送りますので」
ケイコが女に聞いた。
「いえ、よろしかったらプレゼントでもらってください。今日はイブだから」
と言って笑った。
「ほんとに、いいんですか」
と、和夫が女に聞いた。女が微笑みながら
「彼女さん、温めてあげてください」
と、少し頭を下げて言った。
「ありがとうございます」
と、和夫とケイコも交互に言って頭を下げた。二人が慌ただしく帰るのを見送りながら、お礼を言って二人はベンチシートに腰掛けた。同じベンチシートに座っている隣の別のカップルと目が合って、軽く会釈した。さっそくもらった厚手のブランケットを二人寄り添って肩まで掛けると、先程の二人の温もりを感じた気がした。
「ふう‥‥あったかい」
と、溜め息を吐きながらケイコが言った。ベンチシートの背もたれには傾斜があり、クリスマスツリーを見上げる様になっていた。すぐにケイコが冷たい手で、和夫の手を握ってきた。和夫が握り返すと、とても冷たく柔らかい手だった。そしてケイコのその柔らかい身体の感触と匂いを感じて、抱きしめたい衝動を強く抑えた。
「もうそろそろ、みんな帰る時間なんだね」
と、和夫が言いながら辺りを見渡すと、あちこちで帰って行くカップルの姿が見えた。ケイコがいきなりブランケットから手を出すと、持っているマフラーに顔を埋めて
「和夫さんの匂い、去年と同じだ」
と言って微笑んだ。和夫も去年を思い出して、あの時のケイコの妖しげな匂いと顔が浮かび、思わず微笑んでしまった。
「三年生になると次はもうそろそろ就職を考えるんじゃあないの。卒業したらどうするの」
和夫がケイコの顔を覗き込んで聞いた。
「はい私、教員になる為に教育学部なんです。小さい頃から教員になるのが夢だったんです」
教員と聞いて、和夫は胸の中がざわめいた。小峰も教員だった事を思い出して、やるせない気持ちになった。そしてケイコの教員の姿が想像出来なかった。
「そう、教員ね。ケイコならきっといい先生になる様な気がするな。所で大学で彼氏できた」
と、和夫が聞いた。ケイコがえっとした顔で
「いえ彼氏はいません。私女子大です」
と、強くケイコが言った。
「あっ、そうだったね。でも誰か友達が紹介してくれないの」
「いえ、今のところ彼氏はいいんです」
と、ケイコが微笑んで言った。
「そういいのか。今まで彼氏はいなかったの」
「いえ、高校二年生の時にヨットスクールのコーチとお付き合いしてました」
「へえ、ヨットスクール」
「はい、夏休みにスクールへ通っていたので」
「そうか、家が逗子だったよね」
「はい、小学六年生の夏から夏休みになるとスクールへ行ってました。そのスクールの大学生のコーチと高校二年生の夏から少しだけお付き合いをしていました」
「そう、素敵な想い出だね」
和夫は白いTシャツに、白いデッキシューズを履いた大学生を想像して見た。短髪で、日焼けした体格の良い若い男を、映画の『海の若大将』の加山雄三を思い浮かべた。
「もう随分と前の事なので、素敵な想い出なんて」
と言って、ケイコがうつむいた。
「へえ、ヨット、小学生の頃からじゃあだいぶ上手なんだね」
「競技に出場する、とかのレベルじゃないんです。スクールは夏だけだから」
「そうか、俺はヨットなんて身近な競技じゃあないから、友人や知人にも聞いた事ないしな」
「母が、中学から大学までやっていて競技にも出た事があるそうで、その影響で始めました」
「そう、スクールへは今年も行ったの」
「いえ、高校までで、辞めました」
「そう、それでその大学生のコーチとは何で少しだけのお付き合いだったの」
「彼、大学を卒業して金融機関に就職したんです。そしたらもうお付き合いどころじゃなくて大変だった様です。そしてすぐにアメリカに転勤されて」
と言って笑った。
「そうか、高校生のヨットスクールでの想い出か、凄いじゃんか。ヨットね‥‥アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』あの映画、良かったな」
「そんな、凄いなんて」
と言って、また笑った。和夫が腕時計を見ると11時40分だった。そろそろタクシーを探さなくてはと和夫は思った。
「グッピーの恵ちゃんのステージは、何番目なの」
「確か、終わりの方だと言ってました。みんなもう酔ってるから嫌だなって、まともに聴いてないから緊張しないでいいよって言ってました」
「そうか、それじゃあ慌てる事もないか」
と言って、和夫が腕時計を見ながら少し微笑んだ。そして、ケイコの顔を見て
「ラストダンスは私に、リハのつもりで去年みたいに歌ってくれないか」
「えっ、ここでですか」
と、ケイコが驚いた顔をした。
「去年、ここで歌ってくれたじゃんか」
「えっ、でも、なんかここじゃあ」
と言って、辺りを見回した。
「去年の、あの時の歌を思い出して聴きたくなったんだよ。少しでもいいから聞かせてくれよ」
「えっ、でもここじゃあちょっと、その周りの方達に申し訳ないので、ダメですよ」
と言って、また辺りを見回した。静まり返った公園内は、まるで時間が呼吸を止めたかのようだ。
「大丈夫だよ、去年みたいに歌ってくれよ。ケイコの歌、今年も聴きたいな」
「えっ、でもやっぱりここじゃ」
「このあとグッピーで歌うんだろ。リハーサルだよ。少し飲んでるから、勢いで歌ってよ」
「でも、その」
とケイコが言って、また辺りを見まわした。静寂の中で、ケイコの微かな白い息を和夫は見た。
「はい、それじゃあ歌いますね」
と、辺りを見回しながら言うと、大きく息を吸ってゆっくり吐き出した。
♪ あなたの好きな人と 踊ってらしていいわ
優しい微笑みも そのかたにおあげなさい
けれども 私がここにいることだけ
どうぞ 忘れないで
ダンスはお酒みたい 心を酔わせるわ
けれどお願いね ハートだけは盗らないで
そして私のため のこしておいてね
最後の踊りだけは
あなたに夢中なの
いつか二人で誰もいないところへ旅に出るのよ
けれど送って欲しいと頼まれたら断ってね
いつでも 私がここにいることだけ
どうぞ 忘れないで
きっと私のため残しておいてね
最後の踊りだけは
胸に抱かれて踊る ラストダンス
忘れないでね
ケイコの澄んだ温かい歌声が、辺りに響いた。和夫が手を叩いて微笑むと、何処からともなく手を叩く音が聞こえて来た。ケイコが辺りを見回すとその音が次第に増えて来て、ケイコが思わず立ち上がって頭を下げた。座ると、隣に座っているカップルも手を叩いていて、ケイコが和夫越しに、隣のカップルに頭を下げた。ラストダンス。また、俺はいったい誰とラストダンスを踊るのだろうか、と考えてみた。そしてまた、小峰は誰とラストダンスを踊るのだろうかと、直ぐに思った。そして、俺のラストダンスは、まだずっと先かも知れないと、そう思って直ぐに考えるのをやめた。
「ラストダンスは私に、久し振りに聴かせてもらったよ。今日のラストダンスは、何か切なかったな」
「暗くしちゃいました」
「いや何か、沁みたな」
と言って、和夫が微笑んだ。
「あの、グッピーでは恵ちゃんとジャズバージョンで歌うんです。恵ちゃんのセクシーな雰囲気には到底かなわないが、ジャズバージョン楽しみです」
「俺も楽しみだよ。今年は最高に盛り上がるな」
と言うと、和夫は初めて行ったグッピーのクリスマスパーティーで、スポットライトの灯りの中で歌った小峰の切ない顔を、ぼんやりと思い出した。
「あの、これ、メリークリスマス」
と言って、ケイコがクラッチバッグから、モスグリーンの紙袋を取り出して差し出した。和夫が驚いた顔で受け取って中を覗いて見ると、赤と緑のリボンの掛かった箱が入っていた。
「えっ、クリスマスプレゼントなのかい」
「はい。今年は母に和夫さんの事を話したら、母が私にクリスマスプレゼントを用意させてくれと、断ったのですがどうしてもと言うので」
「えっ、お母さんが。開けてもいいかな」
「はい、開けてください」
リボンを解いて包装紙を開けると、箱の上に薄いオリーブ色の小さなカードがあった。ケイコを見ると、えっ、とした顔をして和夫を見た。
「このカード、もしかしてお母さん」
と、ケイコに聞いた。
「えっ、カード‥‥お母さんが」
と言って、ケイコが不思議そうな顔をした。和夫が小さなカードを開くと
メリークリスマス
娘を宜しくお願いします
素敵なクリスマスを
と書かれていた。そのカードをケイコに渡すと、ケイコが目の縁で少し笑って、そして涙を流した。
「えっ、ええ、これルイ・ヴィトンじゃないか」
と、箱を見て和夫が言った。
「お財布だと、言ってました」
「お財布って、こんな高価な物俺もらえないよ」
「去年腕時計だったので、今年も身につける物がいいって母に言ったら、じゃあお財布がいいよって‥‥そしてどうしても私に用意させてって母が言うので、その顔を見たらじゃあお願いしますって、もう頼んじゃいました」
それで、こんな高価な物を娘からではなくと、わざわざカードを添えたのかと思った。和夫が箱を開けて見ると、長財布が洒落た柔らかくて薄い透けた布に包まれていた。
「えっ、これ、これってルイ・ヴィトンのロングウォレットじゃないか‥‥えっ、こんな高価な物やっぱり受け取れないよ」
「あの、もらってください。母も喜びますので」
「でもこんな高価な物、俺使えないよ」
「使ってください、お願いします」
「こんな高価な物うちの店でも扱ってないよ。これフランスの高級ブランドで、まだ日本では扱ってないから、これ輸入品なのかな」
「母が考えて選んでくれたので、使ってもらうと母もきっと喜びます」
突然の冷たい風に、二人してブランケットを頭から覆って顔を見合わせて笑った。そして
「でもこんな高価な、まだ会った事もない娘の友人に、これ受け取るには少し重たいな」
「そんなふうに受け止めないで下さい。母からの、心からのプレゼントですので」
「俺、ケイコのもっと微笑ましいプレゼントなら是非もらうけど‥‥これは、ちょっと」
「あの、母の価値観で選んだ物でほんとうにごめんなさい。でも母の気持ちを思うと和夫さんに是非使って欲しいです」
手に持った財布を見て、和夫はだいぶ困ったがこのまま返す訳にもいかないし
「ええっ‥‥うん、それじゃあ‥ありがとう。お母さんに宜しく伝えてね。大事に使わせてもらいます。こんな高価な財布は俺じゃ一生買えないよ」
と言って、受け取った。そして和夫も内ポケットからリボンの掛かった箱を取り出して
「メリークリスマス‥これは、俺から」
と言って、ケイコに差し出した。
「実はこれ、今日アローに行く途中で買ったんだよ‥‥研ちゃんが恵ちゃん達と中華街で食事するお店の事や、ケイコも来るって事を今日になって言うもんだから、俺なにも用意してなくて‥これ、アローへ行く途中の伊勢佐木町のショーウィンドウで、たまたま見て一目惚れして、急に去年のクリスマスイブにケイコにもらったこの腕時計の事を思い出して、つい衝動買いしてしまって」
と言って、腕に付けてる時計を見せた。
「わっ、嬉しいです、ありがとうございます」
「その、去年のケイコを思い出して俺も腕時計だけど気に入ってもらえるといいが、俺好みで申し訳ない。バンドのサイズは後で時計屋さんで調整してもらってね」
和夫が言うと、ケイコが直ぐに赤と緑のリボンを解いて箱を開けた。シルバーのとてもシンプルな腕時計が、クリスマスツリーの灯りで輝いていた。
「うあっ、素敵です、わたし」
震える声で和夫に言うと、その潤んだ瞳が輝いて見えた。和夫が小さく頷くと、震える唇で
「私、私ずっと付けてます」
と言って、箱から取り出して手に取って眺めると
「わっ、ありがとうございます。嬉しい」
とケイコが笑いながら言った。すると突然、遠くで汽笛の音が低く長く鳴った。身体がふわっとして、酔っている気がした。ケイコが和夫の手を握ってきたのでケイコの顔をそっとのぞき見た。その瞳の中にさっきと同じ灯りがキラキラと輝いて、燃えるように揺れていた。ケイコが身体を寄せてきてツリーを見上げると、その身体の柔らかい感触を感じて、突然また抱きしめたい衝動が走った。
「私‥‥和夫さんに会うたびに、泣いている」
ケイコが震える声で笑おうとして、うまくいかなかった顔のまま、そう言った。ツリーを見上げるケイコの顔に突然の風が吹き付けた。すぐに抱き寄せるとその冷たい風が、ずっと前からある胸の中のこの塊を、吹き流してくれる気がした。そして、終わりはあるのかと、もうひとりの自分が冷ややかにつぶやいて笑っていた。遠くでまた、汽笛が長く鳴った。和夫が腕時計を覗くと、12時を少し過ぎていた。
第 三章 おわり




