にゃんスケ、小学校に行く
今日はニャンすけの小学校入学前の健診だ。お昼ご飯が食べ終わる頃に保育園に迎えに行った。
担任の先生は不在で、他のクラスの先生が引き渡してくれた。
「就学前健診の時期が来ると、もうすぐ卒園だと言う感じですね。早いですよね」
と、その先生がおっしゃった。
その先生とは個人的に話すのが初めてだったので少し驚いた。
私的には4月まで半年もあるので卒園に意識が向いていなかったが、考えてみれば、2歳になる歳からかれこれ4年も同じ保育園にお世話になっているのだから、成長著しい幼児の時期の五年間を共に過ごしている感覚なら、残り半年しかないという気持ちになるのも当然かもしれない。
検診の受付は小学校の体育館で行われた。
私たちは受付時間のギリギリに入ったので、全部で65人のうち61番目だった。
体育館に入ると、すでに受付を済ませて待っている子供達の中から、「にゃん君!」と呼び声がいくつもする。同じ保育園のお友達が何人もいたのだ。
「あ、なお君だ!鈴木君もいるよ」
「そうだね。マコちゃんもいるし、ナナちゃんもいるよ。にゃん君、お友達たくさんいてよかったね」
新しい場所に行くと緊張しがちなにゃんスケは、気心の知れているお友達の顔を見て安心したようだ。普段通りの振る舞いができている。
と思ったら、ケンタの担任の先生が係員をしていて、「ケンタ君にそっくりですね」と突然見知らぬ大人から話しかけられて固まってしまった。
受付が終わると、親と子が分かれて座った。子供が別の教室で内科、眼科、耳鼻科などの健診を受けている間、親は入学に必要な書類の説明や入学前の心得について話を聞いた。
2時間後、順番に子供達が戻ってきた。
にゃんスケもお友達と仲良く歩いている。保育園の仲良しさんと一緒だったようだ。
さて、これからもう一つの予定をこなさなければいけない。小学校の近くにある病院で予防接種を受けるのだ。
「にゃん君、これから予防接種を受けに行くよ」
「予防接種ってなに?」
「大きな病気にならないように、注射を打つの。ちょっと痛いけど頑張ろう」
「ぼく、前にも注射打ったことあるよ。痛いけど我慢した」
「そうだね。にゃん君は我慢できたよね。今日は一つだけだからすぐ終わるよ」
病院の待合室に入ると、午後の受付が始まったばかりなのに、すでに4、5人が待っていた。年配の人ばかりだ。次々と名前を呼ばれて、すぐににゃんスケと私だけになった。
にゃんスケは待合室の本棚からドラ○もんを見つけて読み出した。まだひらがなしか読めないせいか、絵を見て楽しむだけのようで、あっという間に1冊読み終えてしまう。
この一年、ケンタがドラ○もんにハマっているので、家で一緒になって読んで、ドラ○もんの道具にも詳しくなった。
家でケンタと遊ぶ時はケンタ主導になるので、年相応の遊びが少ないように感じる。
その代わり、私と二人だけの時は、折り紙を折ってとせがまれたり、塗り絵をしたりしている。
15分くらい経った頃、名前を呼ばれて診察室に入った。
「今日は風疹の予防接種ですね。就学前健診に行かれた後だから、会っていますよね」
どうやら小学校の近くの内科のお医者さんは、就学前健診で内科検診をやってきた後らしい。
その口ぶりからは、ニャンスケの顔は覚えていないようだ。
全部で60人ほどを一気に診ていくのだから、いちいち顔なんて覚えていられないだろう。
検診は仕方ないけれど、小学校に入ったら、先生からはちゃんと顔と名前を覚えて接してほしいなと思う。
今の保育園では、担任でなくても、どの先生もにゃんスケを名前で呼んでくれるから。
それが当たり前の環境で5年も過ごしたら、先生から名前を覚えられないなんて寂しくなると思う。
私なら絶対そうだ。
と言っても、小学1年生の記憶がほぼないので、どうだったか分からないけれど。
注射を打つ間、にゃんスケは全く動かず、泣きもしなかった。
「はい、終わりましたよ。すごいね!よく頑張ったね」
お医者さんもにゃんすけの頑張りに驚いていた。
病院を出た途端、にゃんスケが喋り出す。
「ちょっと痛かったけど、ぼく頑張ったよ!」
「うん、にゃん君は我慢強いよね」
「もう注射は何回も打ってるからね。痛いけど我慢できるんだよ」
心なしか鼻高々な感じを醸し出しているにゃんスケ。にゃんスケにとって注射は乗り越え済みの障害なのだ。
自分の力で乗り越えたからこその自信なのだろう。小さいことだけれど、6歳児の自信を感じる。
きっと、これからも色々な障害に出会って、自分で乗り越えていくんだろうな。
私はただ、信じていればいいんだ。
にゃんスケならできるよ!って。
後日、担任の先生にお会いした時にも、「就学前検診が終わっていよいよ卒園が近づいてますね」と言われた。
保育園の先生は小学校入学に関することが始まると保育園が終わることを意識するんだ。
始まりがあるということはその前に終わりがある、という当たり前のことに改めて気づかされた。