寝ながら月見
私にとって、夜の寝かしつけほど時間が長く感じるものはない。
なぜなら、子供達がなかなか寝てくれないから。
私が眠くて眠くてすぐにでも寝てしまいたい!という時、大抵ケンタかにゃんスケどちらかは眠くなくて、ずっと話しかけられるので相手をしているうちに私の眠気がどこかへいってしまい、二人が寝ついた頃には私が眠れなくなっている。
私が全く眠くない時、二人を早く寝かせて、読みかけの本を読もうと企てていると、二人の相手をしているうちに一緒に眠ってしまう。
子供と暮らすようになって10年近く経って、やっと悟ったことがある。
子供は早く寝かそうとすれば寝ず、寝なくてもいいとのんびり構えていればすんなり寝るものなのだ。
秋分を過ぎて、やっとクーラーなしでも涼しく寝られそうだ。何ヶ月ぶりだろう。
ケンタとにゃんスケは、寝るときになると体温が上がるせいか痒がってしまい、クーラーの温度を少し上げただけでボリボリかき出して、その音で私が目を覚ましてしまう。私は寒がりなので、クーラーの風が当たらないところを探して、二人が寝た後に移動するのだが、気づくと隣ににゃんスケかケンタがくっついていたりする。狭くて寝苦しいのでまた移動すると、少し経ってまたあちらも移動する。小さな寝室の中で、あちこちに移動する親子3人をビデオに収めたら結構面白いかもしれない。
というわけで、今夜はどうなるだろう。
ベランダの窓を網戸にして、私の右ににゃんスケ、左にケンタ、まずは3人並んで横になる。
「風が気持ちいいね」
とケンタが言う。
「お外、明るいね」
にゃんスケも嬉しそうに話し始める。
「月が見えるよ」
「あ、雲は月を隠しちゃいそうだ」
「雲は動いてないようでも動いてるからね。そういえば今週は満月があるから、どんどん月が膨らんでいくよ」
私が言うと、今度はケンタが太陽系について話し始めた。
「太陽は太陽系の星を全部燃やしちゃうかもしれないって言う科学者がいるんだよ」
「水金地火木土天海冥全部?」
私が驚いてみると、
「それ何?すいきんちか」
にゃんスケが聞いたばかりの言葉を早速反復しようとする。
「太陽系ってどれくらいの星があるのかなぁ」
ケンタは太陽系について思いを馳せる。
「あ、また月が出てきたよ」
にゃんスケはずっと空を見ていたらしい。雲に隠れた月が顔を出したのに気づき教えてくれる。
こんなに明るくて子供達が眠れるかなと心配になったものの、3人でお月見しながらのおしゃべりが心地よくて、明日からまた学校があるけれど、まぁいいかと久しぶりにクーラーなしの気持ち良い夜を楽しむことにした。
眠くなってきたのか、ケンタがせがむ。
「ママ、ぎゅっとして」
にゃんスケも真似して言う。
「ママ、僕もぎゅっとして」
私は右と左で二人を腕枕をしてささやく。
「おやすみ、いい夢見てね。愛してるよ」
「おやすみ、ママ、大好きだよ。」
ケンタは小さい時から、いつも眠るときに自分から私を抱きしめて、大好きだよと言ってくれる。
一時期にゃんスケもケンタの真似をして言っていたが、真似しているだけで気持ちが入っていないので借り物感がハンパない。私の反応がつまらないのか、最近にゃんスケは寝る時には言わなくなった。昼間、二人きりでくっついてテレビを見てる時に言ってきたりするのが可愛い。
ケンタは心の底から出てくるのが分かるので、私の胸が温かくなる。
「ママもケンちゃんのこと、大好きだよ。明日も元気に起きようね」
少し前までの私はケンタに大好きだよと言われると、あなたが私を好いてくれるほど好いているか分からなくてごめんねと思っていた。
そんな思いの始まりはケンタが生まれた時からだ。三十五過ぎてからの妊娠だったけれど、高齢出産にあるような、子供が欲しいからさぁ子作りしましょうというのではなく、結婚前は会えばするのがお決まりのパターンだったのが、結婚して一緒に暮らし始めるといつでもできるからしないのか、お互いの生活リズムを尊重し合った結果なのか、心の交流で満足するのか、たまにしかしなくなったにも関わらず、まさに偶然の賜物だった。
そのせいか、ケンタは私にとって神様から預かった生命という感覚が強くて、一時的に世話をさせてもらっている存在なのだと思っていた。自分の子供というよりも、もっと尊いもののように感じていた。だから、どうしたら健やかに育つのかということに心を砕いたし、大切に接していたけれど、ケンタが特別ではなくて、外で出会う赤ちゃん達にも同じ思いだった。
ケンタの自我が出てきて、私の感情が揺さぶられ始めると、自分の感情を抑えることに躍起になっていった。それでも感情はどこかで生成され続ける。抑えても抑えても膨らんでいくものを逃すために過食したり、夫に八つ当たりしたりしたが、根本的な解決にはならなかった。小さな子供の言動に感情的になるなんて、いい大人が情けないと、むしろ罪悪感を募らせた。
変えることができたのは、にゃんスケを妊娠してからだ。今の自分が二人の子供を健全に育てられるとは思えなかった。それで、たまたま知ったインナーチャイルドセラピー講座を受けることにした。にゃんスケがお腹にいる期間、講座のある日は実家の母に来てもらってケンタの世話を頼み、自分のインナーチャイルドを癒す試みをした。母を相手に宿題をしたことは自分を変える上でとても強力な体験だった。(母に私が子供の頃感じていた本当の気持ちを話したり、普段では聞きづらい母の気持ちを聞いたり、なかなか勇気のいるものだった。)
講座を受けていた期間、自分のインナーチャイルドを癒すと同時に、ケンタのインナーチャイルドも癒すことになったのが良かったんだと思う。夜泣きするケンタを無理に寝かせようとせず、とことんケンタの心に寄り添った。ケンタの気持ちを代弁すると、不思議とスッと静かに眠ってしまうのだ。ケンタが2、3歳の頃、そんな接し方をしていたら、心の底からケンタと繋がっているという感覚が生まれた。どんなことがあっても、この子とは大丈夫という確信とも言えるものができて、それ以来、「ママ、大好きだよ」に同じくらい「ケンちゃん、愛してるよ」と返せるようになった。
腕枕をして少し経つと、ケンタはスースーと寝息をたて始めた。今夜は案外早く眠ったな。一方のにゃんスケはまだ起きている。
「ママ、こっちに来て」
網戸の前に枕を運んで、月がよく見えるところに陣取っている。
にゃんスケの隣に横になり、二人で月を眺める。
「ママと二人でお月見するの初めてだね。今日はうさぎさんが半分見えるね」
「金曜日にはまんまるになるから、また見えるといいね」
「どんなお団子を作る?」
「どんなお団子が食べたいの?」
「普通の、棒に刺してあるの」
「わかった。じゃあいつものお団子用意するね」
二人きりのお月見に満足したのか、にゃんスケも私の胸に手を伸ばしてすぐ瞼を閉じた。
私はにゃんスケの手をそっと外し、台所に行った。時計を見ると22時24分。寝室の電気を消してから1時間以上過ぎていた。