18.白煙に隠され《走る車内》
アメリカ最大級の魔法機関、MagiCAから始まって、日本三大機関のひとつである神影機関まで。
ここまで、気にする余裕さえなかったが……考えてみれば、とてつもなく大事になっているんだなあと納乃は実感する。
納乃はもちろん、圭司やシエラには、人形喰いとの戦いですらかなりの大事件だと思ったのに。それですら、ここまで大きな組織が関わってはいなかった。
なのに、今は国を跨いで二つの機関を巻き込んだ大騒動になってしまっている。規模が大きすぎて、これからどうなっていくのか、一介の魔法人形である彼女には想像さえできない。
「……はあ」
そんなことを考えながらも、窓の外を見つめて思わずため息をついてしまう。
(やっとこうして落ち着けたような気がします。圭司さんも、意識を失ってしまっただけとはいえ、安静にしておかないとですし)
この国最強の人形師にして、シエラから感情を奪い、あの場所に捨てた張本人。今のような事態じゃなければ、こうして共に行動することはなかっただろう。
もちろん、今も足を組んだりなんかして、優雅にくつろげるような状況ではないのは当たり前。
だが、MagiCAの魔法師と敵対し、追われ続けていたさっきまでの状況に比べれば、やはり安心感はある。
「……納乃様。何か考え事ですか?」
「あっ、いえ。色々と大変でしたけど、なんだかんだで助かったんだなあと思うと、つい安心してしまって。ふふっ」
当然といえば当然なのかもしれないが、車内にはやはり、ピリピリとした空気が流れていた。
納乃とシエラはこうして会話を交わすことはあったが、この車を運転している神影翼は全くの無口だった。
そんな彼がはじめて口を開いたのは、いたって普通の、なんてことのない会話だった。
「助かった、そう胸を撫で下ろすのは全てが終わってから。……実戦経験の少ない学生にとっては分からないかもしれないが、例えばこんな事も起こり得るんだよ」
そこだけが浮かび上がるかのように、彼は言った――その瞬間。
何の変哲もない乗用車に付いている、それぞれのエアコンから。黒板消しをパンパン叩いたような、息苦しさを感じる……そんな白い煙がぶわっと噴きだし、それらはあっという間に車内へ広がっていく。
「えっ、あの、これは一体……!?」
「納乃様、アレを吸い込んではいけません。これが何かは分かりませんが……やはり嵌められたのでしょうね」
「……嵌めたつもりは別にない。保護する、というのも嘘ではないのだが」
納乃はハッとして、しかしもう煙は目前にまで迫っていた。二人は煙を吸い込まないように呼吸を止める。
「ノーレッジが開発中の『魔力鎮静剤』というものでね。その名の通り、人間なら魔法が使えなくなるし、人形は意識を失くす。……あくまで鎮めるだけだから、時間が経てば証拠も残らず元通りなのも扱いやすい」
だが、その煙さえ吸い込まなければ大丈夫だろうと。……そう思っていた。
魔法人形にとっての『呼吸』とは、魔力を体内に循環させるためにある。人間とは違って、しばらく呼吸を止めていても問題はない。
ただ、少し考えてみれば分かる。彼は最強の人形師である以前に、『神影機関』というこの国で最大級の機関に属するナンバーツー。
そんな人間が、息を止めるだけで乗り切れるほど生易しい仕掛けを用意するだろうか?
それらは呼吸器官だけではなく、身体中のあらゆる隙間から体内へと入り込んでいく。
「直接吸い込まなくとも、意識を落とすくらいの効果は見込めるんだよ。魔力にしか作用しない分、毒性を強くできるからね」
今すぐ逃げ出すしか方法はない。が、車は今も走り続けている。そして、ここは山道。つまり信号待ちとかそういったチャンスさえも巡ってこない。
「……それでも、このまま何もせずに捕まるよりはっ! シエラさん、窓ガラスを思いっきりぶった斬ってください! 私は後ろで眠っている圭司さんを連れて行きます」
「はい。光の剣が使えなくとも。ガラス程度、シエラの敵では――」
既に魔力がじわじわと削られているのが、身に染みて分かる。ただでさえMagiCAの二人と連戦をこなした後で、さらに魔力を奪われ始めている。そんな状態でもう光の力は使えない。
しかし、シエラは元々光の力に頼らずとも戦える。その右手に握った剣で、車のドアをその内側から一撃、叩き込む。
……が。まるで金属でも殴ったかのような高音と共に。その剣は、ガラスに傷ひとつすら付けられずに弾かれてしまう。
「戦場にまで持っていく車が、その程度で壊れる訳がないだろう?」
当然、ドアには鍵が掛けられている。ここから逃げるという線は消えた。既に煙が充満しきっているこの状況で、もうできることなんて残されていなかった。
ただ。納乃には一つ、気になる点があった。
「でも、これだとあなたの人形だって私たちと同じく無力化されてしまうんじゃないですか? 自分の首を絞めるようなことをわざわざするとは思えません。つまり、これは――」
「――ハッタリ、ではない」
それは、口にすることで彼女の中では確信へと変わっていった。が、最後まで言い切る前に、軽々と否定されてしまう。
「『魔力鎮静剤』があるのなら、その逆。『魔力活性剤』があっても別におかしくはないだろう? ああ、もう聞こえていないか」
煙の充満する車内の後部座席にて。二体の魔法人形はパタリと倒れて、そのまま意識を失ってしまっていた。




