終幕B 理解不能、だからこそ
『影』を操る魔法師、九鬼有栖。……正確には、神影有栖と呼ぶのが正しいのかもしれない。そもそも『九鬼』というのは、彼女が外の世界に出てから偽名として使っていた姓だ。
そして何よりも。現在、彼女は再び神影家の敷居を跨いでいるのだから。
それはもちろん、彼女が自ら望んだことじゃないのは明白だ。彼女の置かれているこの状況を見れば一目瞭然だろう。
彼女が地べたで足を組み、冷たい床に尻を置いて座っているこの部屋は、だいたい平均的な子供部屋くらいのスペースしかなく、ここから出られないということも加味すればやはり手狭だろう。
それに加えて、床や壁もコンクリートで造られており、生活に必要な家具は必要最低限。ちゃぶ台を一回り小さくしたようなテーブルと、部屋の隅には和式トイレ、寝心地は寝袋以上布団以下の寝具、だけ。
この殺風景な部屋は、神影家の地下深くに造られた、軟禁部屋だった。
彼女は本来なら、こんな所にいるはずがなかった。あれだけの罪を重ねた訳だし、殺したのは人ではなく人形だとしても、まず十年は刑務所にでも入れられていたはずだ。……そっちの方が幾分かマシだったかもしれない、とも思う。
では、九鬼有栖は一体何故、こんな所に軟禁されているのか。それは至極簡単な話で、警察に身柄を確保されていた彼女を『神影家』が圧力を掛けて、強制的に回収したからだ。
神影家は魔法に関してトップクラスの権限を持つ名家である。魔法が関係する、それも、魔法特区内で起きた事件というものなら、警察なんか簡単に黙らせられるほどの力はあってもおかしくない。……改めて、敵に回してしまった相手の強大さを実感する。
奇跡的にここから抜け出して手に入れた自由、僅かな希望が、またしてもこの場所で絶望へと染め上げられた。しかし、そんな状況下においても、彼女の顔には『笑み』が浮かんでいた。
どんなに深い絶望に叩き落とされても、この決意だけは変わることはない。彼女はまだ諦めてはいなかった。生まれ育ったこの場所、家族、その全てをぶち壊すことを。
彼女は二度と忘れる事のないだろう、あの顔を思い出す。それは、ただの人形師とその魔法人形の顔だった。
魔力を喰い強化された彼女なら。例え魔力を喰らう前だったとしても、血の滲むような努力を重ねて魔法学院にてCランクまで成り上がった彼女なら、まず負けるはずがなかったはずの。再びこの絶望にまで叩き落した張本人の顔を。
「感情……か」
あの不条理で不可解な力の源。あの得体の知れない、セキュリティルームの資料にすら載ってなかった二人目の人形は、それが『感情』だと言った。到底理解できないし、しようとも思わない力だ。
しかし、本当にそれだけなのだろうか。たったそれだけのことで、彼女が通っていた魔法大学における、最強の称号をほしいままにする『水上の破壊姫』でさえ顔を真っ青にしてしまいそうな。
あの全てを照らす光を放った人形は一体、何だったのか。
「……分からんな」
何もかもが理解不能の、あの光景を再び想起しながら静かに笑うと一言だけ、そう独り言を呟いた。




