11.世界を穿つべきか《直前の葛藤》
待つだけの時間というのは、色々と考えてしまう。
そして、彼は今。『この世界を本当に壊してしまっても良いのだろうか?』という、この計画の根本をも揺るがす葛藤に苛まれていた。
作り物とはいえ、この世界は生きている。人々の想いがある。納乃と奈那をはじめ、些蜜や九鬼、一輝にリリアだって。名前を挙げずとも、そもそも名前さえ知らない人々も。言うまでもなく、やはり生きていた。
それを、彼の一存で壊しても良いのだろうか? 引き返せない所まで来てしまって、本当に今更ではあるのだが、ふと考えてしまった。
「『多重接続者』ッ! 準備はできた。リミッターが壊れた今、調整するまでもなく勝手に射角は下を向いている。あとは発射ボタンを押すだけだ! ……ひと思いに、やってくれ」
些蜜の言葉が、開いたままになっている非常口のドアから飛び込んでくる。
立ち上がり、発射ボタンと思われる、タッチパネル内でも黄色と黒で彩飾された一際目立つボタンに指を重ねてみる。
が、押せない。押せる訳がない。改変前の世界を取り戻したい、という気持ちは本物だ。だが――この世界に生きるみんなの顔が、声が、記憶が――それを阻む。
「……やっぱり、俺には……押せない。ここまで来て、みんなに迷惑をかけて、でも……」
あれからどれほどの時間、ボタンへと伸ばすが奥へと進めない、今も震えるだけの人指し指を見つめていただろうか。
その時、視界の横から真っ直ぐに飛んできたのは。
――ドゴオオオオォォォォッ!! と、脳髄にまで響くような鈍い音と共に叩き込まれた右拳だった。
それを放ったのは、暗い赤の髪で片目を隠した、白衣を纏う女性。些蜜繰亜だった。
「貴様、まさかと思うが。われらをここまで巻き込んでおいて、今更そのボタンを押せないとでも言うつもりか?」
「っがああッ、そ、そりゃ……押さなきゃいけないのはわかってる、けど……」
彼の弱々しく吐かれた言葉に対して、あからさまな不快感をあらわにしながら。彼女はまた静かに、その右拳を圭司の腹部へと容赦なく叩き込んだ。
「貴様が返すべき言葉は一つだ。これ以外は断じて認めない。『このボタンを押す』――とな」
「はあ、はあ……、待ってくれ、些蜜、さん。考える時間を……」
四つん這いのような体勢でもがきながら、圭司は言うが――帰ってきたのは当然、言葉ではなく脇腹をムチのように打つ彼女の右足だった。
「さて、答えを聞こう。われはこのまま、貴様が死ぬまで続けても構わんのだぞ?」
「うぐ、ああ、……なん、どうして……」
「どうして、だと? 貴様。どうやら、われを本気で怒らせたいようだな?」
今まで以上に不愉快そうで、苛立ちを見せた彼女は、吐き捨てるように。
「自分が死ぬと、この世界が壊れると聞かされて。それでも貴様に付いた、われは勿論――納乃や奈那、あの時送り出してくれた九鬼有栖の気持ちを、貴様は踏み躙るつもりか?」
そこまで聞いて、ハッとした。思えば、ここにいる些蜜、納乃、奈那は彼の話を聞いたうえで、それでも共に戦ってくれていたのだった。彼が世界を壊そうとしていると、そう知った上で。
焦らず、冷静になって考えてみればすぐに分かることだったはずだ。
みんながここまで繋いできた想いを無下にするほうが、よっぽど酷であることが。
「……ごめん、些蜜さん。おかげで目が覚めたよ。ありがとう」
「散々殴られて、礼を言うとは……もしや『えむ』なのか? まあいい、また心が変わらないうちに、さっさとぶっ放せ。世界最強の魔力砲『メーザンド・タワー』を」
「……ああ」
彼は、そう一言残すと、さっきまでのおぼつかない足取りから一転、一歩ずつ踏み締めるような強い足取りへとすっかり変わっていた。
さっきまであった、指とボタンの間が見えない壁に阻まれているかのような感覚がまるで嘘のように。するりと、指はタッチパネル上に映し出される発射ボタンへと触れてしまう。
「…………ありがとう、みんな」
彼が最後に放った言葉の余韻がまだ残る、その瞬間。
――ドドドドドドドドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!
たった一人の『女神』によって造られた、あまりにも都合が良すぎる世界はたったいま、跡形もなく消し飛んだ。




