Another perspective ~HARUKA~③
自分でも驚くくらいの速度で走っていた。
――貴女の捜していた人物は見つかりました。
つい数十分前、掛かってきた電話で『冬根』と名乗ったマスターが口にした言葉。
聞いた私は呼吸が途切れる程強く心臓が波打った。
たった一日、もし本当に見つけたのなら恐ろしく優秀な探偵だ。
やっぱり水野先輩が紹介してくれるだけのことはあったのかもしれない。
指定された喫茶店が見えてきた頃合いでポツリと頬に水滴が当たった。
本格的に降る前に到着して良かったとは思うが、内心はそれどころではない。
小さなカウベルのようなドアチャイムのついた扉を力いっぱい開けて入店し、すぐさま店内を見渡す。
一番奥の陽当たりの悪そうな席に昨日見た金色を発見した。恐らく冬根というマスターと一緒に居たルナさんと呼ばれた人の頭だろう。
一向に整わない呼吸のままそばまで行くと、冬根は私を見つけるなり口角を片側だけ上げて対面の空いている席を指差した。
「見つかったって、本当ですか! どこにいるんですか!」
到着早々、私が声を荒げてしまうと、冬根は小さく両手をホールドアップして、
「とりあえず落ち着いて。折角だから何か頼みなよ。ここは奢るからさ」
「でも、その前に! 優介は、優介はどこに!」
「春花さん」
興奮冷めやらぬ私に、冬根の低音ボイスがぴしゃりと刺さった。
……そうね、とにかくまずは落ち着かないと。
「ここね、パフェが美味しいんだよ。どれもオススメだけど、この『スペシャルエクストリームゴールデンパフェ』だけは勘弁してね?」
冬根はメニューを開いて見せてくれながら、優しい口調でそう言った。
冬根の隣で、ルナさんは閉眼したまま何かの炭酸らしき飲み物をストローで飲んでいる。なんでこの人はいつも目を閉じているのかしら。
「それじゃ、アイスココアで」
「わかった」
冬根の相槌の後に、ルナさんがそばに置いてあった店員呼び出しボタンを押した。
すぐに現れた店員に冬根が注文を済ますと、コーヒーカップを一つ傾けてから、
「よし。それじゃ、飲み物が届くまでに一つ確認するさせてもらう」
真剣な表情でそう言った。
そういう顔をすると、やはり整った顔立ちをしている。
「春花さんは、自分が普通の人間だと思う?」
しかしながら飛んできた言葉は、無意識に首が傾いてしまうような質問だった。
「どういう意味、ですか?」
「直感でいいよ。普通だと思う?」
「? ……そうだとおもいますけど」
意味が分からない。普通ってどういう意味?
「わかった。あとは春花さん自身の問題、になるかな」
「どういうことですか!」
理解の及ばない物言いへのもどかしさから増長気味の私の声にも大した反応をせず、冬根は腕を組んで私をしっかと見つめてくる。
「今朝、僕は直接春花さんの捜している人に会ってきた」
「会ったんですか!」
声が震えだしながら、一気に安堵感が広がる。
危険な目に遭ったりしていなくてよかった。今朝会ったということは、そこまで遠いところにいってしまったわけでもなさそう。
同時に一気に疑問が浮上する。
……じゃあどうして居なくなったの?
「めちゃくちゃカッコいい人だったね。ムカつくほどに」
冬根はそう言って顔を歪めている。
そうよ! 優介は凄くカッコいいの。男の嫉妬は見苦しいわよ。
「しっかりと話もしてきた。もちろん春花さん、あなたの話もね」
「優介は! 彼はなんて言ってたんですか!?」
訊いた直後、店員がココアを持って現れた。
無意識に乗り出してしまっていた身体を引っ込め、グラスを直接受け取って一口飲むと、喉がカラカラだったことに気付いた。
「妬ましいことに、春花さんのことは本当に好きだと言っていた。愛してさえいると。しかし同時に、こうも言っていた」
冬根は組んでいた腕をテーブルに放り、両手の指を組んでこう続けた。
「もうこれ以上貴女に会うのは怖い、と」
「ど……」
窓ガラスを叩く水滴が激しさを増し始めた。
どういうこと……?
愛している、そう思ってくれていたことは本当に嬉しい。勘違いや紛い物じゃなくて本当に良かったと思う。やっぱり私は間違ってなかった。
それなのに、怖いっていうのはどういう意味?
「結論から言うと、春花さんの前から姿を消したのは『怖かったから』だそうだ」
「全然意味が分かりません!」
「そうだな……それじゃ、先に調査の報告をするね」
冬根はそう言って、隣のルナさんに一瞬目を遣った。
今更気が付いたが、冬根はシャツにジャケットという昨日と違うフォーマルな格好をしていた。
金髪おさげのルナさんは、閉じた目も含めて昨日と全く同じ格好だった。
「まず。小泉優介――――これは偽名だった」
「えっ」
「本人から直接聞いたから間違いはない。それに、春花さんに言っていた職業のバーテンダーというのも嘘だと教えてくれた」
鈍い頭痛が発生してきた。
優介が私に嘘をついていた? どうして?
「春花さんに直接ついた嘘はこれだけだそうだ」
「どうして! どうして嘘をついてたんですか! 何のために!」
じんわりと視界が揺らいでいく。瞬きと同時に頬に涙が伝った。
たった三ヶ月一緒に居ただけかもしれない。それでも私は生まれて初めて心から恋をしていたと思う。
「人が嘘を吐く理由は何種類かあるけれど、少なくとも春花さんを陥れたり騙すことが目的の嘘、ではない。さっきも言ったけど、知られるのが怖かったから、だろうね」
「何を……何をですか?」
わけが分からなくなって、涙が止まらなくなった。
本当の名前も知らないまま、このまま終わるなんて嫌。
「それは――」
歪む視界の中、冬根は私にネイビーのハンカチを差し出しながら、
「直接、本人に訊くといい」
「……え?」
「今から約五分後の十六時。春花さんに会いに、ここに来る手筈になっているから。直接、本人と話すといい」
「優介が? 優介がここに来るんですか?」
涙声しか出せない私を見る冬根は、はっきりとは見えないが優しい顔に見えた。
「まあ、優介ってのは偽名だけどね。その件も含めて、全部話す覚悟を決めたって言ってたよ。本当、男らしくて妬けちゃうね」
急に目の前の冬根が聖人のように見えてきた。
マスターなんてふざけた名前を名乗っているからてっきり変な人だと思っていたけど、まさか本人と直接会う機会を作ってくれるなんて。
「その代わり、一つ絶対の約束をしてほしい」
「なんですか?」
温もりのあるハンカチを目に当ててから私がそう言うと、冬根は右手の人差し指を口元に持って行き、
「事務所の件は他言無用で。場所も、存在自体も絶対に誰にも言わないでほしい。いい?」
「わかりました」
そんなことでもう一度優介に会えるならお安い御用よ。
この後、ここに優介が来る。ちゃんと本当のことを話し合える。
その機会を得られただけで、私はもうそれ以上は望まない。
「っし」
私の承諾を聞くと、冬根とルナさんは立ち上がった。
そして冬根はアクリル製の伝票立ての中身を全て引き抜いてからこう言った。
「僕が奢るのは春花さんの分まで。僕はカッコいい人は妬ましくて嫌いだからね」
「あの、本当にありがとうございます、冬根さん! この恩は一生忘れません!」
「んー……まあ僕はきっかけを作っただけだから」
冬根は鼻頭をポリポリと掻いて、出口の方を見つめてから、
「あとはどうするか、春花さん次第さ。その為にも、これから来る彼女と納得がいくまでしっかりと話すといい」
「はい! ………………え?」
耳を疑った。そんな私に冬根は続ける。
「最後に本名を伝えて僕らは退散することにする。彼女の本名は小泉優香、だそうだ。それじゃ」
こちらを見ずに右手をだらしなくあげてから、冬根は歩いて行った。
続いてルナさんもおさげを優雅に揺らして歩き去る。
――どんな事実が待っていても受け入れる覚悟はあるかい?
――最終的にはきっと、春花さん自身が決めることになると思うから、その覚悟もしていてね。
まるで全てを見据えているかのような冬根の言葉。
マスター、なんて生半可なものじゃない。とんでもない人物なのかもしれない。
そう思うと同時に、耳に飛び込む雨音に楯突くように私は心の中で叫んだ。
――望むところよ!!
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ここまでがプロローグとなります。
次回より本編です。