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幸福の箱庭

作者: 猫井 ハル

 御伽噺のような可愛いお話を目指したはずでした。

 無駄に長いので、読む際はご注意下さい。

 それと色々とおかしい点がございますので、頭を空っぽにして読む事をお勧めいたします。

 空は青く澄み渡り、日差しも穏やか。時折吹き抜ける風は心地良く、香る花々は目にも鮮やかで歩いているだけでも楽しかった。足元の芝生を踏む度にさくりさくりと音が鳴る。

 王宮内にあるその庭園は奥まった場所にある為に人はほとんど寄り付かない。元よりその場所は、たった一人のためだけに作られた箱庭であった。

 その庭園に、今は二つの人影がある。

 一人はふわふわとした茶色の髪に、柔和な光を碧眼に灯す男。白を基調としたその服はこの国の騎士団の物で、胸元に光る幾つもの勲章からそれなりの地位のものであると分かる。ジェイド・レイスという、三大公爵の地位を持ち第二騎士団の副隊長を務める男であった。

 だが騎士にしてはその体型は随分丸みを帯びており、突き出た腹に回るベルトが幾分苦しそうに見える。そんな彼が厳かに手を持ってエスコートする女性。

 名をレムリア・ウィル・ヴァルガンと言う、この国の麗しき第三王女である。遠い異国で親しまれている桜という花に似た髪色をしており、目元を隠す様に薄布を付けていた。だが風に煽られて時折露わらになる素顔から覗く紅い瞳は、紅玉の様な澄んだ輝きを放っている。

 近隣の国々に美姫と名高い姉に引けを取らぬ程に、それはそれは美しい顔立ちをしていた。だがレムリアが素顔を隠す原因となっている紅瞳、『魔眼』によって別の意味で名が知れ渡っている。

 王族や貴族というものは、高い魔力を有する。そうなるようにと代々血を繋いできているので当然で有るのだが、しかし紅い瞳を持つ者は生まれながらにして高い魔力適性を持つ。それは生まれ持った魔力が異常に多く、未来を見通す力があるとされる。また精霊の寵愛を受けている事を示す。

 紅い瞳を持つ者は世界的にも数が少ない。この国においても近隣諸国においても、レムリア以外に『魔眼』を持つ者などいない為に、『魔眼の姫』として恐れられ敬遠されてきた。ジェイドもまた、その見た目から『醜い豚公爵』と謗られている。

 そんな二人は一月程前にレムリアの兄である現国王によって、王命を持って婚約させられたのである。レムリアはその魔眼さえ無ければ、引く手数多の美姫だ。それが自分の様な醜い人間に嫁がされるなど、哀れでならなかった。しかしそれと同時に恋焦がれた姫と婚姻を結べる事を密かに喜んだ事も確かで、ジェイドは内心複雑であった。

 けれども、エスコートの為に差し出した手をレムリアが何の躊躇いもなく掴んだ上に優しく微笑んでくれたものだから。ジェイドはこの身を賭してでも彼女を守り、幸せにしようと誓った。

 一方レムリアも、自身を恐れる事なく差し出された手が嬉しくて仕方が無かった。優しい光をたたえる碧眼が真っ直ぐに見てくれる事も、レムリアの心を悦びで満たした。例えこれが様々な思惑によって結ばれたものであったとしても、二人はこの時確かに幸せであったのだ。




◇ ◇ ◇ ◇



 レムリアと婚約してからというもの、ジェイドは小まめに手紙を書き贈り物をしてきた。時に取るに足らない野に咲く花を添えたり、レムリアの髪に映えるだろうと繊細な意匠を凝らした髪飾りを。彼女の心を慰められたらと、年若い娘が喜びそうな詩集や小説を渡したりと気配りを欠かさなかった。そのどれもにレムリアからは喜びと感謝の言葉が綴られたものが返され、時折彼女が刺したという手巾を貰ったりした。

 ゆっくりと、穏やかに。

 二人は周りが焦ったくなる程の歩みで、互いの心に寄り添っていた。互いに忙しい事もあり会う回数は少なかったものの、王宮内のあの庭園、レムリアの為だけに作られた箱庭で心を通わせて来た。

 そうしてジェイドが二十一、レムリアが十六の歳になった頃。二人は式を挙げて、正式な夫婦となった。

 表向きは祝福されていたが、裏では貴族達の嘲笑の的であったと知っている。レムリアには心の底から祝い喜んでくれている、領民や友人達の声のみを聞かせた。そんな祝いの日にまで自分達を愚弄することに余念の無い貴族達の言葉など、心優しい彼女には聞かせられなかった。

 そうしてジェイドは真綿で包む様に大事にしてきた。レムリアもまた、健気にも支えてくれる。二人は評判の仲の良い夫婦であったが、しかし夫婦としての契りなど一年経った今でもした事はない。嫌がらずに自分などと婚姻を結んでくれただけでも喜ばしい事なのに、欲を持って触れるなど、そんな大それた事は出来なかった。何よりも、こんな醜い男に触られて嬉しい人間などいまい。

 だからジェイドは夫婦であっても寝室を分け、適度な距離を持ってレムリアに接してきたのだが。


「………姫様が可愛過ぎてツライ」


 この一言に尽きた。

 結婚してからというもの、レムリアは慣れぬであろう女主人として家を支えてくれている。無理はしなくて良いと言っても、


「私は貴方の妻ですから!」


 と言って、健気にも頑張っている。それがいじらしくて可愛らしくて。ジェイドは日々、懊悩している。

 そんなジェイドを呆れた様に見ているのは、第二騎士団の隊長を務めるリーマス・ソルデだ。


「お前、未だにレムリア様のこと姫様呼びしてんのかよ。結婚して一年も経ってんだろう? 良い加減名前で呼んだらどうだ」

「簡単に言うなよ。それに、彼女は敬愛すべきお方だ。そう軽々しく呼べる訳ないだろう」

「いや、だから。その敬愛すべきお方はお前の嫁だ。名前で呼んだって何らおかしい事じゃねぇだろうが」


 そう、レムリアは妻だ。頭では分かっているが、どうにも心が追い付かないのである。

 それに、彼女はまだ若い。故に他に恋い慕う人が出来ても可笑しくは無い。それは何よりも恐ろしい事ではあるが、しかし彼女が離縁を申し出てきた時には素直に受け入れるつもりであった。だから式での誓いの口付け以外で、彼女に触れたことなど無い。その口付けも唇は避けて、そうと分からない様に気を付けながら唇の端に触れるか触れないかの所にしておいた。

 

「姫様には幸せになってもらいたいんだ。その為なら俺は何だって出来る。それに、」


 俺が呪われている事をお前は知っているだろう? 

 そう言って、ジェイドは自嘲した。

 ジェイド・レイスは呪われている。その事を知っているのは両親と、信頼のおける従僕に友人。そして国王のみ。

 そもそもこの呪いはジェイドを標的としたものではなく、彼の父親に対してのものだった。女好きで有名であった前公爵は女遊びが酷く、度々トラブルを家に持ち込んできた。だが今回のものは嫉妬深い魔女に手を出した挙句、飽きたという理由で切り捨てた事から始まる。魔女は捨てられた腹いせにその父親に対して強力な呪いを放った。だが父親はそれを事前に察知して、他の人間にその呪いが降り注ぐ様にと矛先を変えたのだ。それがまさか自身の幼い息子だとは夢にも思わなかったのだろうが、しかし呪いはジェイドを襲った。

 事の経緯を父と、その呪いを掛けた張本人から聞かされて怒り狂ったのは母親であった。母は父の事を無能な癖に良いところだけを持っていく、クズな女好きと評している。ジェイドも父親を反面教師にして育った事もあり、そう変わらない評価を抱いている。そんな父であっても息子は可愛いらしく、それなりの愛情を注いで貰った自覚はある。

 母は家の事に興味の無い父に代わってまとめて来た。家に迷惑を掛けないのなら好きにしろと、結婚早々言い放ったらしい。だが、今回の事にはとうとう堪忍袋の緒が切れた様だ。

 早々に離縁を言い渡し、ジェイドを連れて家を出ると言い出したのだ。それに慌てたのは父よりも家の者たちだ。今母に家を出て行かれると確実に傾くのは目に見えていたし、何よりも当主よりも母子を主人として純粋に慕っていたのである。そんな二人がこんなクズのために家を出て路頭に迷う事などあってはならなかった。

 一方父も遊び呆けていても、きちんと母とジェイドの事を愛してはいたらしく、みっともなく泣いて縋ってきたのである。「捨てないでくれ」だとか「お前達を本当に愛しているんだ」とか叫びながら。だが母はそんな父を蹴飛ばし、もうお前など知るかと啖呵を切っていた。

 そんな阿鼻叫喚な一同を黙らせたのは、その呪いを掛けられた幼い息子ジェイドであった。


「母様、どうかその辺で。わたしの事で気に病むことは、おやめください。それにこの呪いで死ぬ訳でも有りませんし、見た目が変わった以外に害はありませんから」

「ジェイド……。ですが、貴方はそのせいで要らぬ苦労を背負う事になるやも知れないのですよ?」

「確かにこれでは、わたしに嫁いでくれる女性は居ないでしょうし、居たとしてもお金か権力を狙っての事でしょう。跡継ぎはもしかしたら無理かもしれませんが、しかしそれ以外なら努力次第ではどうにかなるかもしれません。ですので、どうか母様。皆のためにもどうか」


 その言葉で母は父を殴り倒して床に転がすに留め、その代わりに醜く変貌したジェイドをギュッと力一杯抱きしめた。


「貴方は本当に優しい子ですね。ですが、それでは貴方が苦しい思いをするだけ。そんなものは母は望みません。ですから、貴方に私から祝福を贈りましょう」


 そう言うと、母は沢山の愛を持って祝福を贈った。

 ジェイドが魔女から掛けられた『異性を遠ざける』という

呪いを上書きする様に。


「愛しい子。貴方のその呪いは強力な物。ですが、真に貴方を想う人からの口付けで呪いは解けるでしょう。ジェイド、貴方が相手を大切に想えば同じものを返してくれる人が必ず現れますからね」

 

 その祝福はまだ、効果を発揮してはいない。



◇◇◇◇


 ジェイドの身体は呪いによって肥え太り、顔も愛らしいものから子豚のように変わってしまった。顔はもう、どうしようもない。だが肉体ならどうにかなるのでは無いかと思い、それこそ血反吐を吐くような努力を積み重ねたものの、相変わらず肉は付いていおり落ちた様子は無い。しかし元々の高い魔力と剣技によってそれなりに機敏に動けているし、武功も多く立てて今の地位を築いた。呪いによって見た目が醜くなろうとも、彼自身の能力は全く衰えていなかった。

 そんな優秀な彼は十八の成人の儀を終えてすぐ、早々に父親から公爵の地位を譲り受けた。それというのも母や周囲がこんな奴に権力を持たせたからだと言って取り上げたのである。慣れるまでは母の支えがあったが、しかし暫くすると領内に小さな屋敷を構えて隠居生活を送り始めた。父はその後を追うようにして領内に引っ込んだが、母は嫌そうな顔をしていたと使用人の一人から報せが届いてつい苦笑してしまった。そんな矢先に第三王女との婚約話が降って湧いてきたのである。

 魔眼持ちであるとは言え、あの美しい姫と自分などあまりに不釣り合いだ。そう思って進言したものの、王にはからから笑って流された。姫は、と問えば妹は喜んでいたと嘘かまことか分からぬ事を返される。それに王命だと言われれば、本人の意思がどうあれ拒否など出来るはずもなく。

 ジェイドは是と答えたのだった。

 そんな昔の事をつらつらと思い出していると、いつの間にか馬車は屋敷へと着いていた。重い溜息を吐いてから馬車を降り中に入ると、迎えの者達からおかえりなさいませと声が掛かる。その中に普段ならばある筈の姿が無く、不思議に思って近くの使用人に尋ねれば部屋で休んでいるとの事。すわ病気か何かかと焦ったが、単にうたた寝をしていたので起こすのが忍びなかったとの事だった。

 それに安堵の息をついたジェイドは自室に帰る前にと、レムリアの部屋を訪れた。ジェイドの一つ先の場所に設けられたその部屋は、彼女が何不自由なく過ごせるようにと用意したものだ。コンコンとドアを数回叩くも返事は無く、失礼かと思ったがどうしても顔が見たくてそのドアを開いた。

 探し人の姿は直ぐに見つかり、窓辺に置かれた椅子に腰掛けてすうすうと寝息を立ている。足元に本が落ちていたので、読んでいるうちについうたた寝をしてしまったのだろう。静かに室内へと足を踏み入れたジェイドは足元のそれを拾い上げると、近くの机の上に置いた。そしてレムリアの近くに膝をつくと、どうすべきか迷ってしまった。

 ここまで気持ちよく寝て居られると、確かに起こすのは憚れる。それに結婚をしてからは目元に着けていた薄布を外してくれていたので、素顔が惜し気もなく晒されている。その為、彼女の澄んだ紅玉が見たくなった。

 そう思ったら無意識のうちに手が伸びていて、彼女の頬に指先が触れるところであった。ハッと我に帰って慌てて手を引っ込ませると、結局は起こす事を諦めて静かに帰りの言葉を口にする。


「ただ今帰りました、姫様」


 そう言って淡く笑うと、纏っていた外套を脱いで彼女の痩躯に掛けてやると音もなく部屋を後にした。

 その後静かに紅玉を覗かせたレムリアは外套をそっと抱き締めると、小さく何事かを呟いた。


「やはりあなたは私に触れては下さらないのですね………」

 

 その顔には悲しみの色が浮かんでいた。




◇ ◇ ◇ ◇



 晴天の空の下、勇ましい男達の声が城の一角に響く。刃がぶつかり合う甲高い音や、風を切る音。剣を奮うその顔は皆真剣そのもので、その中に混じるジェイドもまた高い集中力を発揮していた。

 ジェイドは剣技を中心に、魔法を混ぜた戦い方を得意とする。だがその両方を得意とする第一騎士団と、魔力が高い者が多く所属する第三騎士団とは違い、第二騎士団は殆どが魔法を使えない者達で構成されている。本来ならジェイドはその戦いの様子から第一騎士団に配属される手筈であったのだが、貴族至上主義の者達とはウマが合わずに自ら第二騎士団へと志願したのであった。他とは違い自分の腕だけでのし上がる実力主義の第二の方が分かり易いぶん良かった。

 だがそれでもジェイドに対する良くない噂や不躾な視線はどこに行っても変わらず付き纏う。入団当初は先輩にあたる者達からそんな身体でまともに動けるのかと馬鹿にされて嗤われていたものだが、それを魔法を使わず剣の腕だけで叩きのめして見せたのだ。それ以来ジェイドに突っかかってくる者もいなくなり、気付けば副隊長という肩書が増えていた。

 それに当時の隊長にいたく気に入られていたというのも大きいだろうが。

 ジェイドの打ち合いの相手はリーマスである。互いの手にあるのは木剣。彼等が真剣を使って本気で打ち合うと、大怪我どころでは済まなくなる為、鍛錬の時はそれを使うようにしていた。 

 リーマンが力強く真正面から打ち込むと、ジェイドはそれを軽く受け止めて力を流すようにいなす。そして刃先がぶれた事で出来た隙を見逃す事なく拳を頬に叩き込もう力を込めた。だがそれを予期していたリーマンに軽々と避けられてしまい、思わず舌打がこぼれた。なればと今度はジェイドが袈裟懸けに振り下ろせば、それを紙一重で避けられてしまう。たらりと冷や汗をかいていたのは見間違いでは無いだろう。


「おいおい。随分と今日は荒れてんなぁ」

「煩い。………くそっ、ちょこまかと鬱陶しい」

「ひどいい草だねぇ」


 けらけらと笑いつつも、ひらりひらりと避けられては腹立たしさが勝る。だがそれはリーマンも同じで、中々に重い一撃だと自負して木剣を振り下ろしても全く手応えは無く、簡単にいなされてしまう。器用な奴だなと、リーマンは楽しげに笑う。互いの力は拮抗しているが、しかし剣技と力だけで言えばリーマンの方が勝る。

 ググッと互いに鍔迫り合いに持ち込んだところで、リーマンが押し勝った。尻餅をつくという無様な真似は防いだものの、僅かによろめいた事で己の未熟さを実感する。日々の鍛錬に体幹を鍛えるものを追加した方が良さそうだ。

 木剣を肩に担いだリーマンがからからと笑っているのを見て腹が立ち、足元への注意が疎かになっているのを良いことに足払いを掛けて地面へと転がしてやった。「何しやがる!」と吠えるリーマンに鼻で笑ってやっていた所に、王宮内で働く女官が所在なさげに鍛錬場の出入り口に立っている事に気付く。はて女官がこんな所に何の用かと首を傾げつつも、話し掛けるべきか迷う。どうにも女性はジェイドの見目がよろしく無い事を良く思わず、挨拶をしただけでも顔を顰められる事が多々あるからだ。勿論扇で顔を隠して密やかに、ではあるが。

 仕方なくリーマンに水を向けると、彼はハイハイと言ってそちらへと向かって行く。それを見送ってから、ジェイドは打ち込みをしている他の騎士達の指導へと回る。だが暫くすると名を呼ばれたので幾通りかの指示を出してから向かえば、どうやら妻であるレムリアが登城しているとのことだった。朝はそんな事を言っていなかったが。

 それで女官は王の指示によって、ジェイドを呼びに来たとのことだった。どうやらレムリアは思うところがあって兄である王では無く、王妃に面会に来たらしい。先触れは数日前に出してあったから問題は無いのだが、どうも気落ちしている様子であったと。だから夫であるジェイドに迎えに行けとの事であろう。

 

「レムリア様はあの庭園にいらっしゃいます」


 それはあの箱庭を指しているのだろう。ジェイドはリーマンに後の事を任せ、急ぎ件の庭園へと向かう。はたして其処には東屋の椅子に腰掛けているレムリアが一人でいた。城内であるとは言え、人も付けずにこの様な場所で何かあったらどうするのか。

 近付けば近づく程、レムリアは憂えた表情で肩を落としているのが分かった。公爵邸以外では付けられる薄布があっても表情くらいわかる。何をそんなに気に病んでいるのか、その理由が思い付かなくてジェイドは二の足を踏む。しかし微力ながらでもその憂いを晴らしたくて、結局は彼女の側へと近づいて行く。


「姫様」

 

 そう呼べば、ゆるゆると顔を上げたものの直ぐに顔が逸らされた。それに幾らかのショックを受けるものの、自分の事よりもレムリアだ。だから椅子に腰掛ける彼女の側に膝をつくと、仰ぎ見る。


「女官から、貴女が登城していると聞きました。それに、何処か気落ちしていると。………わたしでは、力になれませんか」

「…………」

「それとも、わたしと離縁したいですか」

「ーーーーっ!?」


 レムリアは答えない。しかし婚約当初から考えていた事だ。もし、彼女が望むなら己の本心がどうあれ叶えたいと。彼女はまだ若く美しい。こんな財と権力しかない年上の醜男などを充てがわれて、きっと本心では嫌に違いない。けれど優しいばかりに言い出せず、また王家と公爵の間に不和を招かぬ様にと言葉を飲み込んだのだろう。

 結婚してまだ半年。けれど自分の様な男と、良く持った方だと思う。極力彼女に触れぬ様最新の注意を払ってきたつもりだ。王女であるレムリアの経歴に傷を付けてしまったが、しかし心身共に美しい彼女ならば、きっと。

 そう思っての言葉であったのだが、しかしレムリアは悲鳴じみた声で否定の言葉を叫んだ。


「どう、してっ! どうしてそんな事を仰るのですか!!」

「姫様、わたしは………」

「私は嬉しかったのに! 貴方のように優しい方と結婚出来て、大事にされて。それなのに貴方は私の名前を呼ぶどころか触れてすらくれないっ」


 そんなにこの瞳が恐ろしいのですか。

 滑らかな肌を、幾つもの滴が伝う。泣かせてしまったと、唇を噛んだ。悲しませるつもりはなく、いつだって笑っていて欲しいのに上手くいかない。

 しかしこれだけは伝えねばと、ジェイドは瞳を逸らさずに真摯に告げる。


「わたしは貴女を恐ろしいと思った事など、一度もありません。むしろその紅瞳は宝石のように美しく、貴女に相応しいと思う」

「それならば、何故………っ!?」

「わたしが醜いからです」


 彼女の負担になり、尚且つ嫌悪の表情向けられるのが嫌で黙っていた想い。それを静かに紡ぐ。


「美しい貴女には不釣り合いな程に、見ての通りわたしは醜い。陰で『豚公爵』と渾名されるような男です。そんなわたしが貴女に触れたら、きっと穢してしまう。それが嫌なのです」

「そんな………」

「それに、一度でも貴女の名を呼んでしまえば歯止めが効かなくなってしまうでしょう。きっと、貴女が嫌がっても手を離してやれなくなる………」


 嗚呼、これできっとレムリアは自分の事を嫌うだろう。それでもいい。彼女が自由の身になって、今度こそ幸せになれるのなら。


「ずっと貴女をお慕いしてきました。だから、貴女には幸せになって頂きたいのです」

「なんですか、それ………っ」


 全ての科白を聞き終えたレムリアの身体が、怒りか嫌悪からかふるりと震える。だが予想に反して、レムリアはジェイドの腕の中へと飛び込んで来た。


「姫様っ!? お召し物が汚れて………」

「どうして言って下さらなかったの! 私だってずっと、ずっと貴方のことを心からお慕いしていたのにっ。見た目など、老いれば見る影も無くなります。それに、私は貴方の優しさに惹かれたのです。ですから、どうか離縁するなどと悲しい事を仰らないで………」


 好きなのです。それに、私は毎日幸せでした。貴方に恋をしてからも、結婚して共に過ごせる日々も。

 そんな、まさか。夢のような話があるものか。

 ずっと恋い焦がれた彼女もまた、自分と同じ気持ちであったなど。ああ、けれどーーー。


「………レムリア、様」

「どうかレムリア、と」

「ーーーレムリア。貴女を心より愛しています」

「ーーーっ!! はいっ、はい。私も、ジェイド様貴方を愛しておりますっ」


 ぎゅっと抱きしめ合った二人は、出会ってから初めて心を通わせた。そして丁寧な手付きで薄布を取り払うと、涙に濡れた紅玉が露わになる。瞳に映るのは、互いだけ。

 そうして二人はゆっくり、唇を重ね合わせた。

 触れ合うだけの、子供じみたそれ。しかし心はどんなものよりも満たされた。

 すると二人の周囲を淡い燐光が漂い始め、ガラスの砕けるような音ともに光が弾ける。其処にいたのはふわふわとした茶色の髪と新緑の瞳を持つ、優しげな美貌の青年。そして、紅瞳から髪色と同じ桜色の瞳をした美しい姫君だった。






 ひっくひっく、と庭園に子供の泣き声が木霊する。しかし周囲に人は居らず、まだ十にも満たない幼い少女が生垣に隠れるように蹲って大粒の涙を零していた。一人ぼっちの彼女は、声を殺して泣き続ける。

 この庭園は少女、レムリアを思って父王が作らせたレムリアだけの箱庭だ。その為に訪れる者は彼女しか居らず、元より瞳のせいで家族以外誰も彼女に近寄りすらしないのだが。

 しかし幼いながらも彼女に対する畏怖や嫌悪は感じ取れる為に、人々の視線に耐えられなくなるとこうして隠れて泣く事が多い。今日も一頻り泣いたらいつものように笑って過ごそう。そうしないと家族や乳母が心配する。

 そう思っていたのだが、今日は違った。

 一人の騎士がレムリアを見つけて涙を拭ってくれたのである。彼はとても心優しい青年で、瞳を見ても怖がるどころか綺麗だと褒めてくれた。それに何の躊躇いもなく抱き上げて、王太子である兄の所に連れて行ってくれさえしたのである。青年は兄にレムリアを預けると、一礼して去って行く。

 そんな彼をぽうっとした顔で見送りながら、レムリアは兄へと問い掛ける。


「お兄さま、お兄さま。あのかたは、何てお名前なのですか?」

「ん? ああ。彼は友人のジェイド・レイスだよ。レイス公爵家の嫡男だ」

「ジェイド、さま………」


 そうしてレムリアは、生まれて初めての恋を知る。兄である王太子はそんな妹の様子におや? と思いつつも、微笑ましく見守る事にする。

 そして数年後、お互い両片想いであると知った国王となった兄は、お節介と思いつつも二人の幸せを願って婚姻を結ばせたのだった。






 ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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