93、合唄コンクール (1986年文化の日付近)昭和61年 中学1年生
1986年、文化の日付近に校内合唱コンクールが行われた。
混声四部合唱で行われ、音の高い順に女子、ソプラノ、アルト、男子、テナー、ベースの区分となる。
僕はソプラノの担当で三花ちゃんはベースの担当となった。
歌われる曲に課題曲、自由曲の2曲があり、音楽の授業時間は練習に明け暮れていた。
やはりプロの歌手と言うべきか、僕と三花ちゃんの声量が高く、半ばリードボーカルの様であった。
他のクラスに対し僕達の存在は高いアドバンテージとなった。
ハンデとしてピアノを僕と三花ちゃんで弾くと言う案も有ったが、今回は2人とも唄う事になった。
これはクラスメイトからの強い要望でもあるのと、学校側から2人を歌わせないのは勿体無いと言う話からであった。
歌う曲は2種類、課題曲も自由曲も歌った事のある曲。
でも混声四部合唱では初めてであり、クラスメイト達のやる気を引っ張っていっていた。
僕と三花ちゃんが半ば主体となり合唱コンクールに挑む。
そうして合唱コンクール当日、僕と三花ちゃんで緊張するクラスメイト達に対し励ました。
「いよいよ合唱コンクール当日が来ました。でも今までの練習した事を忠実に生かしていけばきっとうまくいくはず。皆、頑張ろうね。」
「いよいよ本番、皆、実力を出し切ろうぜ!」
「「「「「うん!」」」」」
今、心が一つになったと言う実感が沸いた。いよいよ僕らのクラスの番。
そして伴奏がなり歌いだした。
結果、皆実力を出し切って成績は堂々の1位になった。
「「「「「やった~!」」」」」
「おめでとう!皆!とてもうまかったぞ。」
教室に戻り、担任の先生が褒めたたえてくれた。
結果発表の後、優勝トロフィーと賞状を僕と三花ちゃんで壇上へ上がり、校長先生より授与された。
その時の拍手の大きさと僕らへの視線は忘れられないであろう。
とても感動物だった。
そのトロフィーと額縁に飾られた賞状は教室の後ろの荷物入れの上に置かれた。
1学年も残り5か月余り。今日という記念を忘れない為に僕と三花ちゃんを中心として並び記念写真を撮られた。
後日クラス全員に写真の焼き増しをされて配られて『一生の宝物にする。』と言うクラスメイトもいた。
僕も大事に取っておこうと思う。
ちなみにこの合唱コンクール優勝記念集合写真の大判サイズも額縁に入れられて教室の後ろに飾られた。
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全国区、地方区の中学校合唱コンクールに僕と三花ちゃんも出ないかと誘われたが、さすがにプロの歌手が出場するのは問題が有るかと思い辞退した。
「確かにそうかもしれないね。とても残念だけど君達の意見ももっともだ。」
誘いにきた先生はとても残念がっていて、心に残る物があったけど駄目な物は駄目だと言い聞かせた。
「お誘い大変ありがとうございます。でも倫理的にまずいと判断しました。」
「いや、いいんだよ。こちらこそ軽率だったと反省している。」
再度丁重に断りの言葉を述べた。
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クラス対抗合唱コンクールの優勝はクラス皆の自信に繋がったと思う。
次は球技大会が間近に迫っている。
果たして僕はどの競技に出る事やら・・・。
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