26、国民的ゲーム機の発売 (1983年7月)
1983年7月15日、いよいよ待ちに待ったTVゲーム機が発売された。
後にゲームショップの名前に冠する程代名詞とまでなった有名な名前。
当時のアーケードゲームが家庭でも遊べるという事で人気が出ていた。
「お父さん、ゲーム機買ってよ。」
兄達や弟がねだる。そういう僕も前世では2年後に購入した記憶があるが初回ロットを欲しいと言う欲求があったので、
「お父様、私からもお願いします。」
「三花までもかい?仕方ないな知り合いに頼んでみるよ。」
「わ~い。お父様ありがとうございます。」
そういうわけで発売日に予約注文していたゲーム機と同時発売のソフト数本を購入してきてもらいプレイした。
僕にとっては後世画質が良くなりTVも大画面化していた時代を知っているが、
この当時のブラウン管TV、画面サイズ、画質の懐かしさに思わず目から汗がこぼれてきた。
「三花、どうしたんだい?急に泣き出したりして。」
「いいえ、なんでもありませんよ。ただ自然とこぼれてきたんです。」
「ふ~ん、それならいいけど。」
「三花、このゲーム機の事熱心に頼んでいたからよほど嬉しいんだろうな。つまり嬉し涙と言うやつさ。」
「そっか~、わかったよ。三花の気持ちわかるよ。アーケードゲームが家庭で出来るんだからとても嬉しいよね。」
「はい。そうでしょうね。」
家族は僕に対し話してきてそれに答えた。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎる物で兄弟で順番にしていたらプレイ時間が2、3時間は超えていた。
「お兄様、三郎、そろそろゲームのプレイを終了しませんか?休憩も挟んでいないのと目にも悪いでしょうから。」
「え~三花、まだまだ大丈夫じゃないのか?」
「そろそろ終了した方がいいと思いますよ。目が悪くなると矯正が必要になりますから・・・。」
「いいじゃん。いいじゃん。」
「こら、お前達三花の言う通りだぞ。そろそろ終了してまた明日遊びなさい。」
「は~い。」
僕が兄弟に説明しているけど従わない事に対し代わりにお父様が説得してくれた。
それから新しいソフトが発売していき、そして歴史的な瞬間。1985年(昭和60年)9月13日に発売されたとあるタイトルで爆発的にヒットしてゲーム機本体の売れ行きが伸びた。
それに合わせ『抱き合わせ商法』と言うのが横行して、ゲームソフトの売り上げ全体には伸びただろうけど禍根を残した。
僕は前世では出来なかったソフトをプレイしてそのたびに嬉し涙を流しており、兄弟からは三花は泣き虫だとからかわれた。
当然としてソフトの出し入れは面倒ではあるが、箱と説明書は大事に取ってある。
兄弟達は面倒なので処分しようと言うが、僕は大事さを説得して大切に保管している。
確かに1回、1回出し入れしていたら箱が痛むのは前世での教訓なので、ソフトだけひとまとめにして箱と説明書は別の棚においてある。
余談だが、クラスメイトでも箱と説明書を取っておく派、処分する派に分かれており、僕は取っておく派に属していて意見が対立する。
僕は両方の気持ちは分かるが将来の事を思うと「後悔しない様にしましょう。」とだけ言っている。
『三花ちゃんの視力悪くならなければいいけどな・・・。』
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