134、あの頃の体育の時間での事 1993年正月三が日とそれ以前 大学1年生
1993年(平成5年)を迎えて、僕は家族と共に家で正月三が日を過ごした。
リビングに集まり家族皆で駅伝を観て参加者の応援をしていた。
僕は普段からコンサートのステージ上では端から端まで駆け回っているが、
駅伝選手みたいに長時間走るのは体型的に難しい。
と言うか胸部が上下に揺れて俗に言う『クーパー靱帯(胸のふくらみの内側にあり、バストのふくらみ全体を包み込んで乳腺や脂肪を支えている骨同士を繋ぐ強靭な結合組織の短い束で胸を支え続けている大事な組織の事)』が伸びる可能性を防止する為に、コンサートの時は僕のサイズに合わせた特注のスポーツブラをしてその上に衣装を着用している。
前世の男だった頃はこんなに痛いものとはまたもや知識としては知っていたけど、
身にしみて今生では思い知らされた。
僕の場合は1982年の小学3年生の時に胸部がみるみるうちに成長してきた。
この年の運動会では苦労した記憶が有る。
確か普段の着用する為の物とスポーツ時に着用する物を準備して、僕の場合は身長が130㎝しかないのでどうしても特注で注文する必要が有ったからだ。
話は戻るけど、中継で観ている駅伝選手が羨ましいと思う。
確か中学、高校の体育の行事で校内マラソン大会が開催されていた時、胸部が上下にあまり揺れない様に少しきつめのスポーツブラをして参加していた。
が、どうしても丸々と実った僕の胸部はゆさゆさとしていたと当時の同級生が証言している。
被写体として僕は何枚もの写真を撮られていた。
これは子役として芸能界活動していたので、話題性が有り卒業アルバムに掲載されていた。
今となっては中学、高校の卒業アルバムは同級生達のお宝となっており、聞いた話では他校の学生が僕の同級生に頼み込んで卒業アルバムを閲覧したと言う。
将来ネットの海でこの時の写真や動画が世界中に広がる事を僕は前世の記憶でこういった体育祭動画等の事を知識として知っていたので、1980年代、1990年代当時の記録として恥じない様に心がけていた。




