105、中学校分離式 (1988年3月下旬~4月上旬)昭和63年 中学2年生~中学3年生
1988年3月下旬、いよいよ今世でも中学校分離式の日が来た。
「2年間過ごしてきたこの校舎との思い出、一生忘れる事の無い思い出となるでしょう。
私達は新たなる中学校に分離しますが、心は皆様と共に居ます。
どうか友人、仲間としていつまでも覚えていて下さい。
分離生代表、鏡原三花。」
僕のスピーチが終わると拍手が鳴った。
続いて残留生代表のスピーチが行われる。
「皆さんとの2年間、楽しい事、苦しい事、色々ありましたが今では良い思い出です。
分離される皆さんの今後の発展を祈ります。
時々で良いので母校に遊びに来てくださいね。
暖かく迎える事でしょう。
残留生代表、〇〇。」
そうして残留生のブラスバンド部による演奏を背に分離生達は会場を後にする。
教室に戻ると、分離生と残留生の生徒同士で握手し合ったり、抱き合って泣いている生徒も見受けられた。
スピーチでも言ったが2年間の思い出は色々ある。
分離した中学校での新生活に思いをはせるのと同時に今までの軌跡を思いだしたりしていた。
入学式、遠足、運動会、プール、宿泊学習、プレハブ校舎での授業、文化祭、音楽コンクール等々今となれば懐かしい思い出だ。
僕個人としては、残留生である生徒副会長に生徒会会長としてのタスキを渡す。
いわゆる引継ぎに大忙しだった。
かねてより引継ぎ作業はしていたがいよいよ最後の日、生徒会室で握手をして学校への思いを受け継がせていた。
生徒会でも僕と三花ちゃんを始め分離する者、残留する者が半々いてお互いに握手したりしていた。
実は今年度の生徒会は僕らが分離すると言う事でいつもの倍の人数いた。
どの役職の者もそれぞれ長と副長の2人がいてお互いに労をねぎらったり、引継ぎ作業をする。
来年度からは生徒会の人数が半分になる。
1年生の生徒会メンバーが入るまでの辛抱だ。
後日の話になるが、お互いの生徒会で話し合い、学校交流しようと言う事になりアンケートが取られた。
お互いに代表者が向かうか、旧2年生、1年生の生徒全員のメッセージカードのやり取りするか等取られたが、やはりと言うか代表者が向かう案はその他大勢に不公平である為、メッセージカード交換する事に決まった。
ちなみに分離生は1学年6クラス、以前に比べてかなりの人数が減った。
すなわち地元の小学校のクラスがそのまま登下校すると言う事であり、
元の中学校はマンモス校とは言えなくなる規模になった。
新たなる中学校の歴史が始まった。
僕と三花ちゃんは3年生として頑張っていこうと思う。
そして当学校の初代3年生でもあるのと、初代生徒会長、会長補佐から初代副会長に昇進した三花ちゃん。
ついては初代卒業生になる見込みだ。
学校の新たなる始まりとして、創立記念式典が開催された。
そして1年生の入学式、始業式を経て、新中学校での新生活が始まった。
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