プロローグ
「やっと着いたか……」
凍える様な寒さの北の孤島、ノヴァヤゼムリャの地に降り立った私はその道程の長さに辟易していた。
飛行機を乗り換えること3回。途中、政府の許可を貰うのに手間取って空港で一夜を明かしたりもした。
何故私がこんな僻地に来る事になったのか。その理由は私の職業に関連している。
私の職業は時計職人だ。人生の大半を費やして来たおかげか、この業界においてそれなりの権威である。
時計職人としてここに来たと言っても、別に時計を作りに来た訳では無い。私は時計を見に来たのだ。
勿論、ただ見に来た訳ではなく、鑑定も兼ねているが。
長い事この仕事をしてきた私だが、此度転がり込んできた依頼は今までとは毛色が違う。依頼者が匿名なのだ。更に制作時期不明、作者不詳、材質不明、原理未解明。しかし未知の存在が大好物の私は周囲の制止を押し切って依頼を受けた。
そんな訳で到着した場所は正四面体の形をした施設だった。厳重な警備のを抜け、その中に入ってみるとガラスケースの中に1つの腕時計があった。
「……っ!」
私は目を見開いてその時計を見た。
その見た目は異様であった。
相当な年着物であるように思われたが、それを時計と呼ぶ事さえ躊躇われる芸術品であった。。表面には針以外一切の凹凸が無く、情報通り見たことも無い金属で出来ていた。形は丸みを帯びており、スイッチやぜんまいのようなものも無いようだった。見たことも無い模様が彫られていたが、文字のように見えなくも無かった。文字盤には見たことも無い数字(?)が彫られていた。耳を澄ましてみると、カチッ、カチッと言う規則的な音が聴こえた。この事からこの謎の時計はクォーツ時計では無いかと考えた。クォーツ時計とは、電池を使った一般的な時計であり、水晶の一定の振動数で振動する性質を利用している。
しかしここで私は違和感を感じた。
(どうしてクォーツ時計の分析に私を呼んだのだろう?)
というのも、私達の様な人間が手掛けるのはクォーツ式ではなく機械式時計で、動力源はぜんまいである。これは音が前者よりも連続的に聞こえる為、どんな素人でも判断基準さえ知っていれば容易に聞き分けられる。勿論、私が今身につけている時計も自作の機械時計である。
そんな理由から機械時計の専門家である私をクォーツ時計の解析に呼ぶのは、お門違いも甚だしいもので、依頼人の意図がイマイチ理解できなかったのだ。
兎にも角にも分解しないことには何もわからないと思い、近くに居た女性にガラスケースを開けるように頼んだ。彼女はケースを開けると出て行こうとしたので、
「何処に行くんだ?」
と聞くと、
「我々にはこの先を知る権利は与えられていないのです」
と答え、部屋の残りの全ての人間も出ていった。
急に一人ぼっちにされ少し不安になったが、職業柄、一人には慣れているので作業を開始する事にした。
時計を分解する際には、まずカバーを外す必要がある。しかし困った事にカバーどころか穴一つ見当たらないのだ。これでは折角持ってきた道具も無用の長物となってしまうので、片目に付ける時計用ルーペを装着し、隅から隅まで見ることにした。
一通り見てみてみたが、やはり内部を弄れるような場所は見当たらなかった。
そこで次に考えたのは、からくりの存在である。
時計というのは、既知の物でも摩訶不思議な見た目や構造をした物は少なくない。その中でもからくり仕掛けの時計はくせ者で、特殊な操作をしなければその本性を見せてくれないのだ。
しかし私はここで新たな疑問を持った。
(そもそも、動力源は何なんだろう…?)
先に述べたようにクォーツ時計は基本的に電池、すなわち電力を、動力源としている。もしこれが本当にクォーツ時計ならば電池が切れれば時を刻むことも出来なくなるのだ。ただこの時計はまだ動いており、これが10年や20年そこらのものでは無いと経験でわかっていた。
つまりクォーツ式(?)であるのにも関わらず電池が使われていないのだ。
何が何だか分からなくなった私は取り敢えず時計を腕に付けてみることにした。
今思えばこんな不用心な事は無いが、未知の時計に興奮していた自分に用心など出来るはずはないとも思う。
まず時計を自分の腕にはめたのだが、驚くべきことに
、視力検査のマークの様だったベルトが、液体の様に伸びて私の腕にしっかりと巻きついたのだ。
慌てて外そうとしたがもう遅く全く取れる気配が無かった。
ふと見ると時計が光りつつあるのに気づいた。
よく見ると時計本体は淡く光っていて、掘ってある模様部分が明るく光っていているのが分かった。
そんな観察を続けていた次の瞬間、いきなり光が大きくなって僕の目の前を覆った。そこからの私の記憶は朧気になっている。若い女性の声が聞こえたような気がした。