見下ろす水面と、見上げた空と
「釣れますか」
ポツリポツリと降り始め、そろそろ竿をたたもうかと思った矢先のこと。水面を走る波紋の目指す方、小さな小さな岩場の一番高い所から、そいつはこちらをじっと見上げてそう言った。
「まぁまぁ、かな」
嘘をついてみた。まったくのボウズであることを恥じたわけではないが、かといって見栄が無かったわけでもなく。しかしただ、なんとなく。
「私はずっと見ておりましたから、全て承知しておりますよ」
「なんだ」
知っている癖にあえて問うてくるとは、愛くるしい小柄には似つかわしくないほどに憎たらしい。
「はっはっは」
こいつの目はどこかいやらしい。まるで全てを見透かしているような、その上で何かを企んでいるような。丸く艶やかで大きく、横長に切れた瞳がなんとなく、しかし確実にそう思わせてくれる。
「きっと、餌が良くないのですよ」
「以前はこのミミズでよく釣れた。魚どもの頭がそう良いとは思えんが」
「頭が良いかどうかはわかりませんが、毎度毎度同じものばかりを食べるとは限りませんよ。あなたも、そうでしょう?」
一理ある。毎日代わり映えのしない味、同じものばかりを食っていては、それはあまり健全な食生活とは言えないだろう。しかし相手は魚であるから、そのような概念があるとは到底考えにくい。
「お前たちも、同じものばかりでは飽きるのか?」
「そうですね。他の者がどうかはわかりませんが、少なくとも私は違うものを味わっていたいと願っておりますよ」
「なぜ?」
「さぁ」
思わせぶりな言葉をちらつかせておきながら、食いついたと思えばふわりとけむに巻く。やはりいやらしいやつ。そしてやはり、そんな目をしているように思う。
「ところで――――」
そいつは一つ、深くゆったりと間を置いた。きっと再び思わせぶりなものを寄越してくるのだろう。いつだってそうだ。
「今日は生憎の天気でありますから、そろそろお帰りになられた方がよろしいでしょう」
「そうだな。雨脚も少しばかり急いているようだしな」
「ええ。この時期の雨はとても冷たい。お身体に障ってはいけませんからね」
「気遣いありがとう」
さぁ、一体何を企んでいるのやら。
「それでは、素直に忠告を受けることとしよう」
「そうなりますと、餌のミミズが余ってしまいますね。日持ちするものでもありませんし、腐らせるには惜しいほどに立派なものです。どうでしょう? ここは一つ、それを私が処理しておくというのは」
なるほど、それが目的だったか。
「まったく」
そう来たか、などと思いながらも大きなミミズをつまみ上げ、鼻先にぶらりと下げる。途端、そいつはミミズよりも一際大きく口を開き、ぱくりとうまそうに飲み込んでしまった。
「うん、うん。これはなかなかに食べ応えがありますね。見立て通り活きも良い。こんなにうまいものはそう巡り合えません。いやはや、ありがとうございます」
「やれやれ」
まるでグルメ気どりだな。それにしたたかなやつ。やはりあの目は何を企んでいるのか、わからないものだ。
「ところで――――」
また一つ。今度は口の周りをぺろりとやりながら、食後の余韻でも愉しむかのようなため息をついた。
「あなたは今、私が初めからそれを企んでいたのではないのかと、そうお考えでしょう?」
「その通りだ」
「それは違います。私はあくまでも、あなたの身体を心配しているだけなのです」
ミミズを一息に平らげ、満足げな顔をして何を言う。全てがそこに表れているじゃあないか。
「もっと正直に生きても、良いんじゃあないか?」
「時に、人は嘘をつくものでしょう」
「蛙の分際で何を言う」
「人は人、蛙は蛙。しかしどちらも同じ生き物です。お互い様、ということですよ」
「お互い様、ねぇ」
「はっはっは。あなたも『まぁまぁだ』と、嘘をついたではありませんか」
そう言うと、蛙はぽちゃりと池に飛び込み、すいすいとどこかへ去っていった。
誰が何を見上げ、誰が何を見下ろしていたのか
時に見上げ、そして時に見下ろし
そういう感じ