幸せな夢を見る道具
魔道具とは、魔力の核を使って作るさまざまな便利道具のこと。
夢を見てもいいだろうか。
望むのものがなんでも手に入る世界を。
手を伸ばせばほら、すぐに叶う。
3時のお茶にはクレーム・ブリュレ。
可愛いあの子は庭師の犬。
お気に入りの稽古着からは洗い立ての春の香り。
花と緑があふれた庭園に散歩に行こうか。
私の愛しい人達はみんな笑っている。
誰一人として欠けることなく笑っている。
愛情いっぱいの笑顔の下で小さい私も笑っている。
好きなものはなんでもそこにある。
欲しいものはなんでもここにある。
その全てに浅く淡い3月の光がキラキラ降り注いでいる。
ああ、幸せだなあ。
あたたかくて、満たされていて、本当に幸せだ。
だってそれは、もちろん。
夢だから。
「!」
パリン!
グラスが割れる音で、急速に私の意識は現実に引き戻された。
オルゴールの音が聞こえる。
ロマンティック・ブルー。
古い名曲だ。
私はテーブルの下で粉々になっているグラスに、視線を落とした。
赤く飛び散った酒が入っていたグラスの残骸は、ついさっきまで自分が握っていたものだった。
「あら、もう戻ってきてしまいましたか。如何でしたか? ドリームメーカー」
目の前に座ったピエロが、キコキコ音を立てながら木箱から出たハンドルを回していた。
オルゴールの心地いい音は、そこから聞こえているものだった。
回す度に木箱の上の、変な鼻の長い動物の人形がくるくると回転している。
……なんだ、これ?
「飛那ちゃん、本当に幸せな夢なんて見れたの?」
隣の美威が、まだぼうっとしている私の顔をのぞき込んできた。
そうだ、ここは酒場だった。
このピエロが「ドリームメーカー」とか言う、幸せな夢を見れる魔道具を押し売りに来たんだっけか。
「意外と……見れたかも」
意外とどころではなかったけれど、私はそう答えた。
10年近く前の、古い子供の頃の記憶。
まだあんなに鮮やかに自分の中に残っていたなんて。
すぐにでもあの場所に飛んで帰りたい郷愁が呼び起こされそうになって、私は無理矢理思考を閉ざす。
「ふーん、私も見せてもらおうかな」
「やめとけ」
押し売りのピエロを手を振って追い払うと、私は割れた足下のグラスを片付けに来た店員に、謝って代わりの酒をオーダーした。
「なんで? 幸せな夢だったんでしょ?」
「……現実に戻ってきた時が辛くなるから、やめとけ」
「ええ?」
「あんまりはっきりと思い出さない方がいい、幸せもあるってことだ」
失ったものは還らない。
死んだ人間が都合良く生き返ってきたりはしない。
どんなに望んでも。
これだけ時間が経ったのに、まだそんな思いが強く残っていたことに私は動揺していた。
幸せだった幼い日のことに加えて、どうしてそれが消えてしまったのかを思い出す。鮮明に思い出してしまって、波打つ心臓が収まらない。
「ああ、くそ……」
テーブルに突っ伏して、右手を伸ばす。
相棒の長いストレートの黒髪をひとふさつかみ取って、握りしめた。
「飛那ちゃん? おーい」
「少しだけ……」
「ん?」
「少しだけこうしておいてくれ……」
少しだけでいい。
すぐに元通りになるから。
今一番大切な人の存在が、波だった心を静めていくのを私は目を瞑ったまま見ていた。
相棒の手のひらが、そっと私の頭を撫でていた。
まるで、小さい子供にするように。
『没落の王女』番外編でした。