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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

霧に覆われた滅亡世界の中で幸福について思いを馳せる

作者: 明日今日


「霧が嫌いになったのは何時の事だろう」


 俺の隣に座っていた少女がその様子を映すモニターを見ながら呟いた。その肌は白く顔色が悪い。別に彼女が深淵の令嬢と言う訳ではない。この世界に住む生きている者はみなどこか患っている。

 勿論、俺も含めて……それは戦士であるメディエーターと言えど例外はない。俺たち人類は常に強化スーツの補助がなければ歩いて遠出をすら出来ないのかもしれない。


「物心ついた頃には恐怖の対象だったから覚えてない」


 俺はその少女、ソウジュの言葉にため息を吐いてモニターに映る外の雪の光景を見る。真っ暗闇であるはずの光景は輪郭をくっきりと写しだしてその向こう側に存在する霧を捉えている。説明するとこのモニターは質量観測レーダーから得た情報を3D化して再現したものだ。

 霧のせいで既存の機器は全て使えなくなった。あいつらが来ると知らせるくらいの役目、糸と空き缶と石による簡単なトラップ程度の役割しか果たせない。


「ムジョー、昔はちゃんとしたカメラがあってそれを有効活用できていたのよね?」

「ああ、ノイズ・ビースト(ND)がこの世界に現れる前だがな」


 ムジョーと呼ばれた俺は肩を竦めた。ソウジュよりも知っているがそれは父が生きていた頃に聞かされた話で俺が直接知っている訳じゃない。


「聞かせてくれる? ムジョーのお父さんの話を」


 何十回聞かせた筈の話をソウジュはせがんだ。俺もする事がないので唇を動かして物語を紡ぎ始める。まるで死ぬ前の老人のようだなとモニターに映った自分の姿を見な──

 それらを見ないように俺たち二人はいつものように現在()から目を逸らす。



 あいつら(・・・・)は2020年に突如としてこの世界に現れた。

 人類がそいつの存在を認識したのはかって中国と呼ばれた国の一部だったタクラマカン砂漠。最初は民族独立を目指したテロとマスコミは発表していたらしい。

 元々、真実など公表しない国家だったので一部の人間は胡散臭い物を感じていたようだ。だが大半の人々は非難するだけで行動を起こす事はなかった。

 アメリカという国ですらも。


 東京オリンピックがあるから波風を立てるなと言う意見も日本国内にあったらしい。今から考えるとそれどころのレベルの騒ぎではなく人類が総力を持って挑むべき命題であったのにも関わらず──

 だがあいつら(・・・・)は人民軍を圧倒的な力で排除し、そこに住んでいた人間、動物は勿論の事、周囲の生態系にまで甚大な被害を及ぼし始めた。このレベルで中国政府はただの反乱ではない事に気がついていたのだろう。面子を優先した為にこの事は世界に伏せられた。

 しかし、2年後に1枚の写真がインターネットを介して情報が流出する。ノイズ混じりでぼやけた写真に映っていたのは禍々しい獣の姿。既存の生態系ではありえないおぞましい生物。

 俺も当事者ではないので想像できないがある人間が色んな意味で命を賭けて告発した訴え。それは無情にも無視された。余りに現実離れしていたのだ。


 父さんは中国の情報やマスコミの情報など疑っていた。そんな人物ですら信じるのを躊躇うほどの異形の怪物。余りに奇怪で異常な姿。当時存在したTVゲームやインターネットゲームに出てくる魔獣その物だったのだ。

 インターネットではゲームタイトルが飛び交い揶揄する人たちもいた。今から考えるとそれがどれほど愚かな事か俺にはよく分かる。でも俺が当時の人たちの認識を理解できないように彼らもそれを理解できなかった。

 そんな懐疑的な空気を打ち破ったのは人民軍が中国国内で生物兵器&化学兵器を使用した衝撃の事実が伝わってからだ。偵察衛星からその二つを使用した映像が動画サイトにUpされてその衝撃的な動画が10億を超える再生回数を叩き出した。


 俺にはそれが凄い事なのか分からないが。

 世界中が中国に非難と経済制裁を加え始める。それが人類にとって裏目に出た。異形の怪物いや異形の獣たちはその隙を突くように急激な進化を遂げる。

 勿論、最初は通常爆弾による空爆だったのだろう。それですら耐え抜いた獣たちに中国は生物兵器&化学兵器を使うしかなくなった。しかし、その方法が禁じられている間にあいつら(・・・・)は進化した。


 それから2年、最初の発見から4年後、中国政府の手に負えない状態に陥った所で彼らは面子を投げ捨てて全ての情報を開示する。電子機器を無効化するノイズを発生する異形の獣はノイズ・ビースト(NB)と呼称されるようになる。

 それでも人類は事態を舐めていた。父さん曰く、現実味がない話だったからだろう。先に挙げられた写真もノイズまみれでピンぼけしていた。そして当時としては残り少ないポラロイドカメラやインスタントカメラで写されたものだったから──デジタルカメラで撮られた物ではなかったのだ。

 アメリカを中心とした国連軍が事態収集に乗り出すがノイズ・ビースト(NB)の強さは予想を遥かに上回っていた。


 人民軍がひ弱だったから負けたのだ。そういう認識が心の何処かであったのだろう。その頃には中国と呼ばれた国の首都は陥落していた。父さんは都市名を覚えていたが俺は思い出せない。

 奴らとの戦いの後遺症のせいだろうか。強化スーツを着ていてもこれだ。そんな俺を見かねたのか、ツッコミを入れたかっただけなのか、ソウジュが「ペキン」と付け加える。

 俺はありがとうと軽く答えて続きを話す。

 そして最悪の事態が発覚する。


 ノイズ・ビースト(NB)と呼ばれていた獣たちが最初に発見されたのはロシア連邦の一つのとある区域、エカテリンブルクのはるか南に位置するとある湖だったらしい。

 それも8年も前の話だった。ロシア軍は小規模な核兵器でノイズ・ビースト(NB)を駆逐したという報告がもたらされる。それを聞いた国連軍は中国国内で核兵器を使用を決定する。アメリカの仮想敵国である事と周辺国から嫌われていた事も大きかったのだろうと父さんが皮肉めいた笑みを浮かべていたのを覚えている。


 その笑みがどういう意味だったのかを俺は知る事ができない。聞いておくべきだったのだろうが。

 人類は核兵器を使う前によく考えるべきだったのだ。ノイズ・ビースト(NB)が現れた場所とその位置の意味と何故、ノイズ・ビースト(NB)がノイズを発生させるのかを──そう、両者とも核関連施設があった区域だった。

 そしてノイズが発生するのは奴らが非常に強い放射能を放っているからという事実に──

 考えればごくごく簡単な事だったのだ。人類はそこから目を逸らしていた。

 ここまで話せば誰にだって分かるだろう。核兵器による攻撃は無力だった。いやそれより酷い結末が待っていた。戦場は汚染され、大勢の人が死に絶えた。

 勿論、国連軍の兵士たちもボランティアで人々を援助してた連中も──


 だがノイズ・ビースト(NB)たちは数千度の炎に焼かれ全滅したと思われた。いや確かにそこにいたノイズ・ビースト(NB)たちは息絶えた。二度と動かなくなった。

 その事実に喜びかえる人類を嘲笑うようにすぐにノイズ・ビースト(NB)たちは爆心地(グラウンド・ゼロ)から現れた。それも今まで以上の数で。


 そう、核による攻撃は地球を汚染し、あいつらノイズ・ビースト(NB)を強化しただけだった。

 次に国連軍が考えたのは転移してくる先を滅ぼす事。ノイズ・ビースト(NB)が現れる瞬間に転移先に核を使う事。オペレーション・コキュートス。

 オペレーション・コキュートスは成功した……筈だった。軍の特殊部隊隊員が空間の裂け目に核を打ち込んだ。でも転移先などなかった。映像中継で悲鳴を上げる特殊部隊隊員たちを嘲笑うように返ってきた(・・・・・)核兵器によって焼き尽くされる。

 異世界から来た敵ではなくこの地球から発生した悪夢だったのだ。


 父さんは自嘲気味に笑ってこう教えてくれた。

 アメリカやその他の国はノイズ・ビースト(NB)を兵器転用しようと思っていたのだろう。放射能に関する治療法やそれと共に生きる強靭な生命力を──だが目論見はすべて打ち砕かれた。


「好きだったな。ゴ○×。ノイズ・ビーストは……いやノイズ・ビースト(NB)は放射能を食ったんだよ。あいつみたいに。わざわざ敵を強くしちまったんだ。ごめんな。大人たちが馬鹿でこんな世界しか残してやれなくて」


 父さんが今際の際に俺に謝った。最後の言葉だったからよく覚えてる。むしろ、変な宗教に走って意味不明な物に縋ったりせずに俺を育ててくれた父に感謝してたのに──

 話を戻そう。ABCすべて効果が薄く倒しても倒しても次のノイズ・ビースト(NB)が現れて地球を汚染していく。勿論、追い返しても倒してもノイズ・ビースト(NB)が撒き散らす放射能と霧は人類を含めたすべての生態系は病み、力尽き、滅亡していった。


 ただでさえ人類は疲弊していったのにノイズ・ビースト(NB)は神の使いとか言い出す馬鹿な輩によるテロで更に追い詰められていった。奴らも正常を保てなくなった哀れな犠牲者だったのかもしれないがとても同情する気にはならなかった。

 そして程なく人類同士の争いが始まる。

 正常な汚染されていない土地と食料を奪い合って──しかも人類の為に戦っていたメディエーターたちにも牙を向けた。それが加速度的にノイズ・ビースト(NB)の生存圏を広げ、人類の生存圏を奪っていく。


 最初は核実験場だった。その内にノイズ・ビースト(NB)は核の事故が起きた地域にも出現し始める。安全圏を奪われた人々はパニックに陥り、それが混迷の度合いを増して人類の数を減らしていった。

 一般人はとうの昔に死に絶えてメディエーターたちも僅かに残った地下施設に逃げ延びた。地上でノイズ・ビースト(NB)が居ない区域などない。強化スーツなしで人が住める場所はないし、汚染されていない区域などあるのかどうか疑わしい。



「やっぱり何度聞いても嫌になるね。昔の話は」


 ソウジュは大きなため息を吐く。それと同時に彼女は慌てて口元を手で抑える。今更隠すつもりもないのだろうが手には血が飛び散っていた。


「大丈夫か? 何ていうのは愚かな言葉だな」


 肩を竦めてソウジュの背中を擦る。出会った頃に比べるとその背はやせ細っていた。こんな身体でも抱ける自分に嫌悪感を抱くがもうお互いを慰めあえる相手は残っていないのだ。

 もっとも若い女の子であるソウジュは引く手数多なのだろうが彼女は俺を相棒に選んだのだから最後までそれに応えないと──


「え? 自分の男が心配してくれるのは喜ばしい事だよ。浮気しないか心配になるし」


 今、吐血したとは思えないあどけない表情でソウジュが笑う。この基地の同年代で生きてる女の子はお前くらいじゃないか。冗談は止めてくれ。


「それだけ元気なら心配しなくていいかもな」


 俺は咳き込みながら皮肉を返す。口元を抑えた手には血が付着していた。俺もソウジュも長くない。近いうちに死を迎えるのだ。それは仕方がない。

 でもノイズ・ビースト(NB)たちに人類の意地を見せつけてやらないと気が済まないのだ。父さんと母さんを奪ったあの異形の獣たちに。


「ええ。だからオペレーション・ラグナロクには参加する。ムジョーや司令が反対しようと絶対に」


 死の影を追い払うようにソウジュが満面の笑みを見せる。


「反対なんかしないさ。お前が居ないと俺の援護して背中を守ってくれる奴がどこにいるんだ?」

「居ないだろうね。生命を顧みないような戦い方はね」


 ソウジュはクックククと烏が鳴くような笑い声を漏らす。戦士として動ける限界までやせ細っているので傍から見れば恐ろしくも見えるのかもしれない。


「それよりもノイズ・ビースト(NB)たちの親玉はどこにいるんだろうな。集団なんだから必ずボスが居る筈なんだが」

「そいつを殺せたとしても状況は変わらないよ。もう遅すぎるし」


 そう人類は滅亡する。それは回避不可能な事実なのだ。地球上の最小存続可能個体数を割ってしまった上にこの汚染された地球では生きてゆけない。宇宙へ逃れた金持ちたちもいずれ全滅するだろう。

 もっとも最小存続可能個体数を割ってしまったのは人類だけではない。ノイズ・ビースト(NB)たち以外のすべての生命はほぼ死に絶えつつある。

 他に生命を育んでいるものがあるとするならば、ノイズ・ビースト(NB)が発生させる放射能汚染で異常化した植物たちくらいだ。


「そんな事は分かってる。ただこのまま、やられっぱなしじゃ気に要らないだけだ。勝てるから戦う。負けるから戦わないじゃないだろう?」

「確かにね。……安全圏ないとかあればいいのに。そしたら──」


 ソウジュが言い淀んで俺の手を握った。見た目からは想像できない強い力で。俺はその手を握り返す。


「アダムとイブになるのか? 反逆罪だな」

「別にそれでもいいよ。私は……。だってこんな状況で戦うのもバカバカしいと思っているもの。確かに人としての意地はある。でもそれが無駄な事だと心の片隅では理解してるから」


 俺は室内を見渡す。誰にも聞かれては居ないだろう。休憩室に盗聴器などがあれば別だが──

 別の誰かが居たとしてもソウジュを責めるものなどこの基地には存在しない。人類はみな疲れ果てているのだ。オペレーション・ラグナロクも凄絶な自殺なのかもしれない。いや、自殺そのものだ。


「霧が晴れてきたな」


 俺はモニターに映った光景にため息を吐く。


ノイズ・ビースト(NB)たちの活動が収まってきているのね。同時に日暮れが近い事を意味してるけど」


 ノイズ・ビースト(NB)は活動する際に体内の排熱と同時に粉塵を吹き出す。放射能を含んだ石に近い成分のそれは人の目には白い霧に見えた。死の霧としてノイズ・ビースト(NB)出現を示す白い霧になった。

「そうだな。だが夜になったからと言ってこの世界の状況は変わらんだろう。昔は僅かに残った非汚染地域へと向かって移動していたらしいが……今となってはただの自殺行為だ」

「適応したノイズ・ビースト(NB)の一部が空を飛び、一部が夜行性に変化したのはいつ頃なんだったけ?」


 ソウジュは独り言のように呟く。度重なる戦闘の後遺症で記憶が曖昧なのだろう。彼女は記憶を保持する事ができても時系列順に物事を並べる事ができなくなっていた。

 俺も人の事は言えないが──


「確か……アスワン・ハイ・ダムじゃなくてスエズ運河の攻防戦の前後だったな」


 イスラエルがノイズ・ビースト(NB)の決戦を挑み全滅した後、生き残った人々はノイズ・ビースト(NB)が海を渡る事が出来ないのを利用してスエズ運河から東側を核でふっ飛ばして時間稼ぎを試みたのだ。


「当時の人達の絶望は察するに余りあるわね」


 モニターの中に夕闇が迫るのを眺めながらソウジュがクックックと笑う。ここにも人が多かった頃にはその自嘲が混じった笑い声を咎める者も居たが今はこちらを遠巻きに見ている者がたまにいるくらいだ。

 俺は適当に相槌を打ちながら映像で見たその瞬間を思い出す。

 希望を叩き潰すようにきのこ雲の向こうから夕日へと殺到する飛行型ノイズ・ビースト(NB)は絶望に怯えて怯んだ国連軍を飲み込んだ。まるで地面に落としたソフトクリームに群がる蟻のように──

 その後、海に囲まれていた日本がどうなったかなんて説明するまでもない。北のロシア側から、北西から南西からあっという間に蹂躙されて俺たちは流浪の旅に出た。


 勿論、ノイズ・ビースト(NB)と言う追手付きで。各地で人類は連戦連敗を重ね、そんな状態を繰り返した後にアメリカ合衆国が陥落した。その間に俺たちはなんとか北極圏まで生き延びた。

 その逃亡劇の間に「俺たちは遊ばれているのか? 人の味を覚えたノイズ・ビースト(NB)の玩具に成り果てたのか!」などと叫んだ男の事を今も覚えてる。威勢だけは良かったが──

 そして残ったのは諦めいや諦観に飲み込まれ、今日を生きるのが精一杯で俺たちのように戦いながら死にゆくのを待つだけのメディエーターたちだけだ。


 ソウジュが俺の肩を叩いたので俺は現実に意識を戻す。外の景色が映し出されていたモニターには壮齢の男性の上半身に切り替わる。この基地の司令だ。


『緊急事態だ。隠していてもどうせ分かる事なので君たちに知らせておく。

 衛星軌道上にあった基地が、新たに進化した大気圏突破型のノイズ・ビースト(NB)の攻撃を受け、全滅した。これで地球と宇宙の補給路も絶たれた。我々の生命はあと数日で尽きるだろう。せめて私は、いや人類は戦士として死ぬべきであると思う。


 故に我々はオペレーション・ラグナロクを決行する。前にも話したが本作戦の目的はエカテリンブルクのはるか南の湖を巣とするノイズ・ビースト(NB)のボスであるスルトを倒し、宇宙へと逃れた人々を守る為である。スルトさえ倒せばノイズ・ビースト(NB)は統制を失い、ただの獣へと成り下がる。

 例え、地球上の人類が滅んでも宇宙に逃れた同胞が助かるのだ』


 司令は悪いニュースを告げた後、演説を行い、メディエーターたちを鼓舞しようとする。

 もっとも今はそんな言葉で鼓舞するような者は居ない。


「人類ね。宇宙に逃げた奴らなんて私たちを捨てて逃げた金持ちだけじゃない。そんな奴の為に戦えだなんて……」


 悪態をつくソウジュの肩に手をおいて首を横に振った。さすがに咎める気はないが俺以外の誰かに聞かれるのはマズイ。


「じゃあ、糞野郎どもじゃなくて俺の為に付き合ってくれ。父さんと母さんの仇を取りたいんだ」

「了解。でもスルトを倒しても私たちは詰んでるけどね」


 ソウジュは死病に冒された深淵の令嬢を連想させる笑みを浮かべた。いちいち一言多いよ。



 それから数時間後。俺たちはブリーフィングルームに居た。文字通り最終作戦であるオペレーション・ラグナロクを決行するためだ。

 作戦を察知され、攻撃される前に。出発は深夜。特殊飛行機で明け方に湖へと進軍。そしてノイズ・ビースト(NB)の巣へ降下して奴らが動き出す朝になる前にスルトと呼ばれるノイズ・ビースト(NB)の親玉を倒す事が目的だ。


「作戦の概要は以上である。質問がある者は?」


 スクリーンの前で話す司令に対して集まったメディエーターたちは誰も口を開かない。こうして集まっているのを誰かが見たら死者が集まっているように見えるのだろうか。

 これから墓に入る死者の群れのように誰も口を開かない。


「ないのならば作戦準備にかかれ! これが地球上に残った人類の最後の抵抗だ!」


 司令は檄を飛ばしてブリーフィングルームを出て行った。毎度の事ながら自分勝手である。もっとも異を唱える者はいない。地球に残された者たちはどう死ぬかくらいしか選べない。残された選択肢は殆どないのだ。


「じゃあ、準備して死を待ちましょうか」


 ソウジュは俺の隣で笑えない冗談を言う。それはまるでテラスで茶菓子でも食べてお茶にしようと言っているように勘違いさせるほどに穏やかだった。

 周囲にとって笑えない冗談を周りの連中も咎める気力もないのか何も言わない。彼らは喋るのすら億劫になってきているのだ。それほど国連軍やメディエーターの消耗は激しい。

 こんな状況で最後の反攻作戦など正気の沙汰ではない。自殺と呼んでも大差ないだろう。そんな作戦に参加する俺も人の事は言える立場ではないが。破れかぶれになっているのは自分の体の事に今の地球、この全てから目を逸らしたいのだ。

 死こそ救済。


 昔、ノイズ・ビースト(NB)が神の使いだとほざいてたイカれた連中が言っていたがこの地球と人類に残されているのはそれしかないのかもしれない。

 俺は立ち上がろうとして喉の底から湧き上がってくる熱を感じて口元を手で覆う。まるで臓器を吐き出すような勢いで血を吐く。同時に床に両膝をつく。


「大丈夫?」

「平気だ。スルトの面を拝むまでは死ねない。倒せないまでも奴に一太刀浴びせてやらないと死んでも死にきれない」

「怖い事を言うわね。悪霊になって現世を彷徨わないでよ」


 ソウジュは笑いながら強化スーツごしに俺の背中を擦る。


「こんな地球に未練はないさ。せめて……いや、止めておく。準備をしよう。残された時間を憎しみで埋め尽くしたくない」


 俺はソウジュに支えられながら基地の格納庫へと向かった。



 特殊輸送機の格納庫の中でため息を吐いた。装甲車のように鉛で覆われたこの輸送機はノイズ・ビースト(NB)の霧を防ぐ為と飛行型ノイズ・ビースト(NB)に探知されないためである。

 もっともこの厳重な装備を持ってすら最近では進化したノイズ・ビースト(NB)の目や耳に鼻をごまかせるかどうか──


「ジャパニーズ、神風特攻隊みたいだな。なんか盛り上がる言葉ないのかよ」


 この基地で最後の生き残りとなったイタリア系アメリカ人のダニエルが軽口を叩く。他のメンバーを見渡しながら俺はため息を吐く。喋れる元気があるだけマシか。


「その頃から90年以上経ってるのに知るか。ハリウッド映画の決め文句か聖書の文言でも呟いててくれ」


 奥で北欧系のアレクサンドラが「死の陰の谷を~」ナンタラカンタラと唱えている。アルビノで白い強化スーツを着てベルトで席に固定されて祈りを捧げる姿は餌にされる羊が祈りを捧げているように見えた。


「あんなんじゃ辛気くせえ。こう、ガッとくるのねぇのかよ」


 アレクサンドラがダニエルを睨みつけた。その骨が浮いて生気の失せた白い顔は死神のように見える。諦めたのかダニエルは舌打ちをして黙り込む。

 俺は隣のソウジュを見る。彼女は目を瞑って黙祷しているようにも見えるが余計な体力の消耗を抑えているようだ。


 カーゴルーム内のメディエーター全員が死を待つ死者のように思えてしまう。

 手を伸ばしてソウジュの手を握る。強化スーツごしに胸が動いているので生きているのは分かっているのだがどうしても不安になってしまった。

 この地球上に残された人類はいつ死んでもおかしくないのだから。



「あと5分で作戦行動地域へと侵入いたします。各員戦闘準備」


 女性の声で無機質な音声が機内に流れる。この音声を撮った人も存命ではないのだろうと思うと何をしに来たのか分からなくなる。勿論、死ぬ前にノイズ・ビースト(NB)に一発かましてやる為に来たのだが──

「アメリカ人ならケツにカマしてやれとか言うんだろうな」


 ダニエルは答えない。視線が前方で止まっているが死んでは居ないようだ。


「彼、ハリウッド映画は嫌いなんじゃなかったけ?」


 まぶたを開けたソウジュが巨大な銃を片手に皮肉る。


「そうだ。スルトのケツの穴に思い切りぶち込んでやれ!」


 操縦席から出てきた司令が野太い声で叫ぶ。下らん事を言うんじゃなかったと内心で舌打ちするがそれもすぐにかき消された。


「司令! 飛行型です。敵に見つかりました」

「構わん。無視して敵の巣へ突っ込め!」


 帰りの燃料など積んでいないし、迂回する余力はないのだから攻撃される前に墜落してでも巣に突っ込むというのは正しい判断だ。


「まさに神風ね」


 ソウジュは白い鴉のように異質な笑みを浮かべる。


「墜落時に死ななきゃ良いけど」


 そう言ってソウジュが上半身を曲げて防御姿勢をとる。俺も訓練の時に教わったように防御姿勢にはいった。一発でいい。せめてスルトに対して人類の意地を見せてやらなければ──そんな事を考えていたら俺の意識はブラックアウトした。



 次に意識を取り戻した時には俺は冷たい洞窟の土の上に投げ出されていた。起きたのは付属品のガイガーカウンターが振動して状況を伝えてくるお陰だ。状況を確認すると強化スーツのお陰か全身に怪我や損傷はない。武器である銃も刀剣も近くに落ちていた。


 だが仲間の姿とソウジュの姿はない。天井には穴が空き、飛行機らしき物の残骸が突き刺さっている。小型の鳥や犬型のノイズ・ビースト(NB)が群がっており、周囲には血が撒き散らされていた。誰かが殺されたか死んでいた者たちが食われたか──


 俺はソウジュや仲間の無事を祈りながら地面から立ち上がり刀剣を構えたまま落ちていた銃を拾う。周りには怪しげに光るクリスタルが何本も地面や壁、天井から生えていた。

 手首に装着されているガイガーカウンターのセンサーをクリスタルに向ける。異常な程の数値が出た。


「ウランとかそういう鉱石の塊か」


 強化スーツがあってもこんなものを触るのは自殺行為にすぎないがノイズ・ビースト(NB)は放射能測定値の高い場所を好む。つまり、ノイズ・ビースト(NB)の親玉であるスルトはこのクリスタルが立ち並ぶ場所に居るはずだ。

 俺はクリスタルを目印に洞窟の奥へと進んでいく。激しい交戦が予想された筈だったのに洞窟の内部は静まり返っている。ノイズ・ビースト(NB)の最大の生息地にしては静かすぎるのだ。


 センサーが役に立たない為にウランの光源を頼りに俺は洞窟の奥へと進む。目が慣れていく内に倒れている人影が見えた。近くには交戦したのか地に伏したノイズ・ビースト(NB)が見えた。巨大な狼のようなタイプ。罠であるか周囲を念入りに確認し、倒れているノイズ・ビースト(NB)が死んでいる事を確認した後、その人物に近寄ってみた。……ダニエルだ。強化スーツを貫通するほどの牙による2つの大穴が空いていた。

 傷もそうだが強化スーツに巨大な穴が空いてしまっている。ダニエルの生命は長くない。


「よ、よう。ど、ドジッちまった。た、多分、この奥にスルトが居ると思うんだが……」

「他の連中はどうなった? ソウジュは?」


 俺はダニエルを抱え起こす。


「分からん。く、そ。目が霞んで、きやがった、ピザが、くいてぇ。イタリアの、うすい、ピッツァが」


 虚空へ手を伸ばして瞳孔の光が消えると同時にダニエルは力尽きた。

 俺はダニエルを地面に横たえ、使えそうな刀剣と弾薬を持っていく。


「敵を討ってやるとか言えたらいいんだが」


 独り言を呟いて奥へと歩きだす。俺の生命も長くない。もってあと数時間。強化スーツのバッテリーが切れれば傷を負っていなくても放射能で殺されるだろう。



 それから数十分。ノイズ・ビースト(NB)の姿は見えず、誰も見つからない。本拠地にしては静かだ。いっそうノイズ・ビースト(NB)たちが死に絶えてくれれば何も言うことはない。人類の勝利なのだから。


『聞こえるか? また悪い知らせだ。衛星軌道にあった人類の拠点から輸送艇に入り込んだノイズ・ビースト(NB)が月の居住区へ侵入したそうだ。SOSを要請している』


 俺は通信を無言で切った。地上にいる俺たちには為す術がない。敵地の奥深く、宇宙へ、月へ行く手段もない。どうやって助けに行けというのだ。

 それにこの静けさとノイズ・ビースト(NB)の月侵攻から考えられる事は一つだけ。ここにはノイズ・ビースト(NB)の親玉であるスルトもいないのだ。人類はノイズ・ビースト(NB)に一太刀すら与えることなく絶滅するのだ。


「くそったれ」


「そういう言葉遣いはどうかと思うよ」


 前方から声が聞こえた。反射的に銃を構えて現れた人物を見る。逆光の中、立っている人物はソウジュだった。

 だがその姿がおかしい。


「ど、どうしたんだ? ソウジュ」


 俺は頭を振る。信じたくない。考えたくないと言う意思表示のように。


「どうやら人の姿を失ったみたい」


 強化スーツが破損しているのにも関わらず、ソウジュは立っていた。普通なら死んでいる状況だ。破損した前腕の部分から出ているそれは人間の腕ではなく狼のような手だった。その手には青い血に濡れた刀剣が握りしめられている。ノイズ・ビースト(NB)と交戦した証だ。

 ソウジュの足元を見ると両足の強化スーツが砕け、白い肌を白い毛と狼のような脚がはみ出していた。


「それとこの奥にスルト()がいる。復讐するんでしょう? 時間がないから行こう。人類の意地を見せてやらないと」


「意識はソウジュなのか?」

「勿論、ムジョー行こう。私たちが人だった証を立てないと」


 ソウジュが背を向けて歩きだす。俺は戸惑いながらも彼女を追う。


「ショックだ」

「私も。でも良かった。会った瞬間、ムジョーに撃たれたらどうしようかと思った。そうなった方がショックだし」


 その言葉に俺はソウジュを撃つかどうか迷った。だが止めた。彼女は俺の相棒なのだから。


「すまん。こんな事になるのなら……俺は、いやお前を連れて何処かへ逃げればよかった。そうすればただ死ぬだけで済んだ」

「もう遅いよ。最後まで付き合うからリクの思うようにやろう」


 ソウジュが広い空間に出た。その正面にはノイズ・ビースト(NB)の親玉スルトらしき巨大で白銀の狼が鎮座していた。この地球上の王と名乗らんばかりに──


「貴様1人か」


 俺は銃口を向けて反射的に引き金を引く。マズルフラッシュがウラン鉱石の中で閃く。だがスルトは銃弾を豆鉄砲でも受けたかのように効いていない。

 いや、効いているのだろうが皮膚を浅く傷付けただけで青い血が僅かに流れ出るだけだった。


「クソぉォォ!」


 刀剣を引き抜いた俺は破れかぶれ気味にスルトに斬りかかる。だがアッサリと回避され、後ろから衝撃が来て壁に叩きつけられた。後ろからスルトの前足で軽く撫でられたのだろう。

 それでも俺は強化スーツを潰され、その一撃で内臓にダメージをもらった。


「ち、畜生。く、クソッタレが!」


 地面に落ちた俺は残された力を振り絞ってスルトを見る。奴は攻撃する対象とすらみなしていないのか哀れみすら込めた視線を向けている。


「じ、人類を、舐めんな」


 せめてもう一太刀と思って地面を這う。そんな俺に興味をなくしたのかスルトはソウジュを見る。このままでは殺される。俺は飛び上がってジャンプ。スルトに斬りかかった。


 奴は避ける必要すらないと言いたげにその一撃を額で真っ向から受け止めた。刃はわずかに肉に食い込んだだけで青い血がじんわりと滲むだけで中へと入っていかない。全力で押し込んでいるのにも関わらず徐々に押し返されていく。

 まるで関取に挑む子供相撲だ。舐められてるとしか表現できない。前髪を払うように右前足でぞんざいにあしらわれた。俺の世界がくるくると回り背中から地面に叩きつけられ、呼吸が出来ない。


「こいつ、もうやめろって言ってるよ」


 歩くのがやっととような状況のソウジュが刀剣を杖代わりにして俺の傍で膝をつく。もう起き上がりたくないと言いたげな姿は老いた猫のように見えた。

 彼女も死期が近いのだ。肉体への急激な変化が起きればどうなるかは想像に難くない。


「奴の言葉が分かるのか」

「テレパシーみたいな感じというかツイッターのタイムラインみたいな感じ」

「なら言ってやれ! 俺たちから何もかも奪っておいて何を言ってやがる! 全力で戦え!」


 ソウジュの状態も考えないで俺は残された力で叫ぶ。強化スーツが砕けたところから見えたのは俺の腕がソウジュのように変化していた。放って置いても俺も死ぬ。


「お前は我に一太刀浴びせたかったのだろう? その強い意志に一つの生命として敬意を払ったからその攻撃を受けてやったのだ。これ以上、無様を晒すな」


 ソウジュは地面に正座して俺を膝の上に乗せてスルトの方に顔を向けさせる。スルトは俺に興味を失ったのか何処かへと去っていく。同時にさまざまなノイズ・ビースト(NB)たちが俺たちを取り囲む。逃げ場はない。

 もっとも俺たちに逃げる気力は残っていないが──

 口を開こうとしてソウジュがバイザーごしに俺の口元を抑えた。


「もう、もういいよ。もう負けたんだから。せ、めて、最後に、私を」


 最後まで言葉を紡ごうとしたソウジュが血を吐いた。血に泡が混じっている。肺をやられている。


「ソウジュ! ソウジュ!」


 前のめりに倒れそうになるソウジュを支えようとするが身体が動かない。振り払われた時に脊髄を損傷したのか右手を伸ばそうとするがこれも骨が折れてるのか動かない。

 くそ、俺は馬鹿だったのか。ソウジュと死に場所を探せばよかったのだろうか。


「こうなって、分かったんだけど、ノイズ・ビースト(NB)は地球、再生と生命の再構成、目的だったみたい。だからふつうのほうしゃの─と」

「ソウジュ、すまない。お前と逃げてれば……ごはぁ」


 喉から灼熱の魂が吹き上がってきた。バイザーが俺の血で赤黒く染まる。クソ。これじゃ彼女の顔が見えない。


「気に、しないで、心中な、らここで、も出来る」


 彼女は俺の首元を触ってスイッチを推し、強化スーツのヘルメットを脱がせた。ソウジュは死期を悟っているのかヘルメットを脱いでいる。いや頭頂部が盛り上がって変化していてヘルメットを被っていられなくなったのか。


「ひ、どいな」


 手を伸ばそうとしたのを察してくれたのかソウジュが俺の左手を掴んで自分の頬に添える。


「こん、どは、私の、わがまま、に、リクが、付き合うばん」


 ソウジュは消える前の生命を最大限燃やして笑顔を浮かべた。何かが降ってくる。キラキラと煌く粉塵。恐らくはノイズ・ビースト(NB)が体内から噴出していた『石』なのだろう。


「綺麗だな」


「わたしたちの、いのちを、うばうのに、ね。あなた、からそんなコトバを、きくなんて」


 その言葉を言い終える前にソウジュの口元から血がこぼれ落ちた。


「ソ…ウ…ジュ?」


 彼女の口元が動いてない。力尽きたのだ。


「クソ、おれが」


 己への罵りの言葉をソウジュの死に顔が止めた。安らかに笑っていたのだ。何の無念も後悔も残さず逝った者の顔だった。視界が歪む。涙のせいだ。


「すまん。い、や、もし、生まれて……」


 そう言いかけて俺は言葉に詰まった。ソウジュは、彼女はこんな状況でも十分に幸せだったのだ。それを俺が否定してはいけない。そう、俺はただ黙って彼女の後を追えばいいのだから。

 身体ももう動かない。この乱反射する輝く雪の中で息絶えるだけだ。もう数十秒もこの身は持たないだろう。


「そうじゅ、ありが、とう」


 俺は輝く光の中で最後の息を吐いた。そして意識は虚無へと飲み込まれていく。だが悲しくはない。愛した人と共に逝けるのだから──俺は幸福だったと自慢できる。


 《了》

 『面白かった』

 『主人公たちの活躍がもっとみたい』

 『長編で読みたい』


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[良い点] こういうの結構好きです
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