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逃げるは恥だし役にも立たない?





 スパルタの美女ヘレネを、トロイアの王子パリスが自国にかどかわしたことから始まったこの戦争も、既に十年目を迎えていた。そんな長期の戦争の最中にも関わらず、いや、だからこそ、集まった兵士たちの気分は高揚していた。


 

「われらが総大将アガメムノンのもとに、ゼウスの使いが舞い降りた」



 そんな噂が飛び交っていたのだ。ゼウスといえば神のなかでも最上位の存在、そんな存在が大勝利を伝えたとするならば、それは確実な予言に間違いない。きっとそうだ。前にもゼウスは総大将に勝利を約束しておられた。



 わざわざ皆を呼び出すくらいだから、もうすぐ勝利が訪れるというお告げに違いない。


 


 興奮状態に兵士の前で、王の証である杖に身を擡げながら、アガメムノンは次のように演説を切り出した。



「皆の者よ聞いて欲しい。我らアカイア軍は、人数においてトロイアの軍に大きく勝っている。だからといってこちらの兵士が、練度が低いということはない。むしろ、よく鍛えられていると言っていいだろう」



 堂々たる体躯と大声は、聴いている者に、発言の正しさを確信させる力があった。自分たちがよい兵士だと言われて喜ばない者はいない。



「だが、そうだとするならば、おかしいのではないか?」



 そう気を緩ませていると、次の言葉に頭を打たれた気持ちになる。大将は何を言っているのだろう。



「考えてもみて欲しい。もう我らは十年も戦っている。これほど兵力差のある相手にだ」



「実際、船や武器の多くも朽ちてしまった。妻や幼い子らはずっと、我らの帰国を待ち続けている」



「そんな中でわしは、我が父祖たるゼウスよりお告げを受けたのだ。このままトロイアを落とすことは諦め、帰国せよと」



 一同が騒然となる。喩えるならば嵐の大波、風に吹かれる稲穂のように蠢き、ざわめく。勝利のお告げではなかったのか。



 そんな混乱する兵たちを手で制しながら、アガメムノンは続ける。



「諸君らの言いたいことも分かる。以前のお告げはどうだったのか。ということだろう。わしだって同じ気持ちだ。ゼウスも酷いことをなさる。一度告げたことと逆のことをおっしゃるのだからな。だが、あの方の力の大きさは諸君らの知っての通りだ。どうか皆従って、祖国へ帰還して欲しい」



 そうアガメムノンが言い終えるや否や、戦闘への意欲を削がれ、実際早く帰りたいという気持ちもなきにしも非ずな兵たちは、我先にと帰国の準備を始めていた。





 だが、これはアガメムノンの計略であった。実はアガメムノンの受けたお告げは、勝利が間近であるということであった。実はこのお告げもまた、アガメムノンに無謀な攻勢を仕掛けさせ、アカイア軍に多大な被害を出してやろうとしたゼウスによる嘘のお告げなのだが、そのことは後で触れよう。



 そのような幸先の良いお告げを受けたアガメムノンが行ったのは、敢えて虚偽を述べることで、兵士の志気を試すことであった。なかなか剛胆な試みだが、戦争に乗り気でない奴を見極めることも目論んでいたのかと思うと、狡猾とも言えよう。


 

 そんな総大将の意図などいさ知らず、我先にと帰国に取り掛かる兵士達。アガメムノンの軽率さと想定以上に志気の低い兵士達のせいで、本当にこのまま戦争が終了してしまうかの状況である。



 言うなれば、運動部で成果を出せてないチームに対し、気合いを入れさせるために監督が、帰っていいよと言ったら、本当に帰る準備をしだしたようなものであり、アガメムノンの真意を知る側近たちは、気が気ではない。





 そんな中、その状況をよしとしない者が動き出した。神にも等しい知謀を備えると称えられる男、オデュッセウスその人である。



 彼は直ちに総大将の真意を見抜き、有力な者には説得を行い、不平を述べる兵卒には脅しつけ、あの手この手で一筋縄ではいかないアカイアの男達を静かにさせていく。



 そうして改めて纏めた兵達に向かい、次のように一つ一つ言葉を紡ぎ、叱咤激励を飛ばしたのである。傍らには、勝利を司る女神アテナも控えており、その威厳を一層大きいものにしていた。



「聞け!アカイアの兵達よ、お前達は恥ずかしくないのか!?お前達は戦に臨むに当たり、共にトロイアを陥落させるまで、自らを顧みず、同じ目標を志すことを神へ誓ったのではなかったか?」



「それを考えてみれば、今回のゼウスのお告げはもっともな事だったと言わねばなるまい。お前達は皆、最初の誓いを忘れ、撤退という楽な道を選ぼうとしたのだからな」



「だが、これは好機と考えなければなるまい。このままでは勝てる戦にも勝てないと言うことを、ゼウスは我々に教えてくれたのだから」



「今回のゼウスのお告げは、以前とは逆のことを述べ、我々を試しているものに他ならない。既に偉大な予言者であるカルカスにより、長き苦難を経た上で、10年目にしてトロイアの都市イリオンを攻め落とすことになるとの予言がある。そうだとするならば、今回のことも、勝利を目前にして与えられた苦難の一つに過ぎないのだ」



「問おう!アカイアの兵達よ。お前達の誓い、信義でもって人と人が結びつくために行う誓いは、このような逆境一つで覆されてしまうほど儚いものであったのか?」



 そのように問われ、「然り」と答えることが出来る者がいるはずもなかった。人が自らの名にかけて行った誓いを、いかなる理由であれ破ることは、自らを全く友誼を取り結ぶに値しない人間であることを意味していた。



 そのように説得を行った上でアガメムノンに対し、改めてもう一度軍を率いるようにオデュッセウスは請い願ったのであった。それを見て胸をなで下ろした側近達も、示し合わせたように総大将に改めて指揮を願う。


 

 そうして混乱が収まった後は、軍を分け、どの部隊がどの程度責務を果たしているか明白になるように、それぞれ独立に戦うように改革がなされた。これも、これまでの戦争の成果が、志気の低さによるのではないかと指摘したオデュッセウスの功績であった。



 演説を聴いた事情を知らない兵士はもちろんのこと、アガメムノンの計略を見抜いた上であえて、神であるゼウスの計略の様に述べ立て、総大将の顔を立てたオデュッセウスに、事情を知る側近の者達も感服していた。アガメムノンとしても、自分と神を同じように見立てる言辞を聴いていい気分にならない訳もない。




 「神にも等しい知謀を備えたオデュッセウス」というその名声は、アカイアの陣中にて更に高まることとなった。


















※ オデュッセウス視点






「祖国へ帰還して欲しい」



 総大将のその言葉を聞いた俺は、やっとの事で喜びの余り飛び上がるのを我慢した。やっとイタカの家に帰れるのだ。



 思えば長い月日だった。そもそも俺は戦いになんか参加したくないから、発狂したふりをして、家に残ってようと思っていたのに、まさか参謀にまで持ち上げられてしまうとは、自分でも予想してなかった。



 ここの人間たち、ありえんくらい野蛮で、みんなこぞって戦争したがるんだよな。最初こっちに飛ばされてきた時は、文化の違いに慣れるのに苦労した。今でもまだ内心ではついてけないんだけどね。



 でも今の反応を見るとやっとみんなも、戦争へのやる気がなくなってきたみたいだ。むしろこんな泥臭くて疲れる戦争を、9年も戦ってきたことが凄いと思うけど。日中戦争よりも長いからね。



 まあいろいろ思うとこはあるけど、とりあえず帰ってのんびりしたい!そんな風に思っていた俺の方を誰かが掴む。おい誰だよ早く帰宅の準備したいのに。



 って思いながら振り向いたらあいつだった。戦争と知恵の女神アテナ、その本人が笑顔で俺の肩をつかんでいらっしゃる。



「えっと、何かご用で……?」



 媚びるようにヘラヘラしながら俺は問いかける。こいつには逆らってはいけないということも、こっちに来て俺が学んだことの一つ。適当に言葉を繕ってここはお引き取りいただかないと。

 


「そうですねぇ、寧ろこっちが質問する側なんですけど、どうして席を立とうとしているんですかぁ?」



 そう笑みを崩さないまま俺に問いかける女神様。見る人によっては、慈愛と母性を感じる笑みらしいが俺にとっては悪魔の笑みに他ならない。というか処女神に母性を感じるって、それはそれで不敬ではないのだろうか。



「総大将が帰れっていってるのだから、それに直ちに従うことで忠義を示そうとしているのです。それに、あなたの父親のお告げもありますからね」



 そう言葉を繕うと、キッと睨まれてしまった。この女神、父親とあまり仲がよくないらしい。相手の頭をかっさばいてしまう程度には。



「それは、本気で言っているんですかねぇ?知謀のオデュッセウスは、このような言葉を鵜呑みにするほど愚かな存在だったのでしょうか?」



 だったら「選手交代」ですねぇ、と呟く悪魔アテナ。うおおそれはマズい……。



 勿論アガメムノンの発言が真意ではないことなど、これまでの振る舞いを見ていれば分かるけど、今の志気の低さに付け込んで本当に撤退に持ち込んでしまおうと思っていた。だが、その戦略は神の手により、こうして頓挫してしまった。



 俺が「オデュッセウス」に相応しい働きを見せなければ、ただではすまない。あの時代の知識を殆ど失った俺に出来ることなど、口先三寸だけ。はぁ、早く戦いが終わってくれないかな〜





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