闇夜の疾走
長くなったので2話に分けました。連続投稿します。
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
邸の私の部屋から少し簀子を歩いて、柊の君が私を抱いたまま階を降りると、持ち運びのできる手燭を持った家人が一人、足元を照らすべく私達を待っていた。首を垂れて、そっと私達に礼をとる。
そのまま静かに弱い灯に導かれて、柊の君は暗い庭を横切る。自分の邸とはいえ、暗闇なのでどこの辺りを進んでいるのかよく分からないわ。
「堂々と誰にも邪魔されずに忍んで来られたのですから、どこぞの階に直接牛車を付けられたのかと思っておりましたわ」
「確かに、山吹の君に言いつけて邪魔するなと人払いをさせたが、一応お忍びだからね。大丈夫、裏口に従者も家人も待機しているよ。四の姫君をそのまま連れ出せると最初から分かっていたなら、牛車も邸に直接付けておいたんだが。あなたが、あんな少将の君や陰陽師の君を呼びつけておいて、騒ぎを起こすつもりだったとは思わなかったからね。それにしても面白い騒ぎになったな」
「酷い戯れをされるから、懲らしめたかったのです。いっそ紅葉の少将の君に、お体を縄で縛り上げられれば良かったのよ。面白がられては心外ですわ!」
クスクス笑われたので、扇で肩と思しき所をパシンと軽く叩いてやったわ。紅葉の少将に押し倒されてお目まで回されたくせに、ちっとも懲りてない様子だったから。
「戯れとは、それこそ心外だ。普通なら、闇夜の恋人の逢瀬になるはずだったんだよ。こうしてあなたを抱くことに、変わりはないとはいえね。……本当に、あなたといると普通にはいかないな」
「普通とは違うことをされているのは、あなた様です! わたしは何もしておりません!」
「おっ! 噂に聞くお得意のお言葉だね」
家人の先導で、裏口と思しき戸口が開けられ、家人を後ろに従えて二人でくぐった。
新月で月明かりが無いから、邸の外は本当に真っ暗で怖い。人と明かりのある所にしかいたことがない私だったので、思わず柊の君に縋ってしまったわ。
「姫、大丈夫だ、怖くないよ。迎えの牛車はすぐそこに……?」
ボンヤリとした数個の灯が近づいて来たけど、その速さに余裕というか主に仕えるといった様子がない。焦り? 緊張? ただならぬ雰囲気だわ。
やだ! 来たのは、顔に黒っぽい布覆いをした男達だわ! 明らかに柊の君の家人や従者ではない! 夜盗?
「その姫、こちらがもらい受ける!」
「何者だ! 下がれ、無礼者! 誰かおらぬか! 怪しい者達だ!」
あっという間に数人の男たちが、太刀を抜いて私達を取り囲む。逃れるためさっと身を翻して、柊の君は右大臣邸の戸口に再び入ろうとする。けど、何故なの? ここまで案内してくれた家人がその戸口の前に立ち塞がって、中に私達を入らせまいとしているわ!
「暗がりで気付かなかったが、お前も、夜盗の手の者だったか……。まさか右大臣邸の中まで入り込んでいるとは……」
「その『女房』をこちらにもらい受けます。素直にお渡しいただければ、御身には危害を加えることはございません」
「ふざけるな! 誰が渡すか! そなた何者、いや誰の手の者だ? 私の従者や家人達をどうした? 殺したのか?」
柊の君が、ひときわ大きな態度をとっている夜盗の一人を大声で厳しく誰何する。おそらく時間稼ぎするおつもりなのね。
「ご案内した出入り口が異なるのですよ。この暗闇でお気付きになられなかったのですね。あなた様の家人達は、あの角向こうにご無事でおいでです。こちらとしても騒ぎは大きくしたくないので」
「なぜ、私達が今夜ここに現れることを知っていた?」
「邸内は常に手の者に見張らせていました。その姫様にお近づきになれる時を探っていたのですよ。今夜の闇夜は何やら人の出入りが激しいと連絡があったので、手の者を家人として庭先に隠れさせていました。上手いことお出でになられるとは、思いませんでしたが。……先日の牛車の故障の時も狙っていたのですが、すぐに近くの寺からの迎えが来るのが分かって、止めました」
参詣の時の牛車の不具合のことね。おかしいと思ったのよ、危ないところだったのね! でも牛車をすぐに貸して助けてくれた百合姫には、今更だけど大感謝だわ。
離すまいと、柊の君は私をギュッと抱きしめてくれるけど、反対に私を抱えていることで両手も塞がって使えない。
進退窮まっていたその時、私たちが出てきた右大臣邸の戸口が、邸側からバンバン叩かれた。
「宮様! こちらですか? お迎えの者が見当たらないと心配しております!……この戸をお開け下さい!」
この声は白梅の君!? 咄嗟に私はお腹に力を込め、誰か助けて! と叫んだ。
「陰陽師の君! 戸を打ち破れ! 曲者だ!」
「宮様! 姫様! 少将様、手伝ってください! 打ち破ります!」
今度はドンドン! と戸口に体当たりしているらしい音が響きだした。おそらく、紅葉の少将の君が体当たりしているのね! 逞しい殿方だから、すぐに開いて、助けてくれるはずよ! それにしても父上、防犯のためとはいえ、戸口をやけに丈夫に作られましたわね! こういうとき、逆に困るわ! 確かに、こんな外で危機に陥るなんてこと、誰も考えませんけど!
バッと数人が私達に襲い掛かった。太刀で切りかかったわけではないけど、腕の中の私を力づくで奪いにかかったのだ。大柄で逞しい柊の君といえども、両手も使えないまま数人掛かりでは、抵抗らしい抵抗もできないまま。あっという間に私は見知らぬ男に抱きかかえられ、乱暴に肩に担ぎ上げられてしまった。
いや~! 離してよ!
私も手や足を力の限りバタバタ動かして暴れるけれども、重ねは少なくとも重い袿に袴姿では、抵抗にもならない。せめてもと、扇を畳んで棒のように振り回してあちこち叩くけど、効き目は無し。くやしい~!
「姫を離せ!」
「動かれますな! あなた様のお命も、姫のお命ももらい受けますぞ!」
「宮様! 今、お助けにまいります! ご無理はしないで下さい!」
少将の君がもう少しで来てくれるのは分かっているのだけれど、柊の君は太刀を突き付けられ、更には、私にも太刀が向けられたため、動けなくなってしまった。
まずいわ! 馬の蹄の音が近づいたと思ったら、私は馬の背に荷を放り投げられるように横向きに伏せて乗せられてしまった。お腹が馬の背に当たってるから、安定感悪くて苦しいんですけど! その横に誰かが乗って、馬の腹を蹴った。
ひぇ~! そのまま馬が走り出した!
乗ったことなんてないのよ、馬など! 大揺れして怖い! しかも獣臭い! 助けて!
姫! と柊の君が呼んでいるけど、私は馬の背から落ちないように祈るので精一杯。
キイン! と太刀がぶつかり合う音が響いた気がする。だけど、あのお声からすると柊の君はお怪我も無くご無事だと思う。紅葉の少将が間に合ったのかしら? お願い、あなただけでもご無事で! ギュッと武器代わりの扇を握りしめて祈る。
暗闇の中、馬が進んでいく。まあ、例え月明かりがあったとしても、碌に邸内から出たことのない私では、周りを見てもどこにいるのか分かるはずもないけれど。
慣れぬ揺れにすっかり気分が悪くなったけど、ようやくとあるお邸に連れ込まれた。そこは夜盗や盗賊に相応しいあばら家などではなく、立派な貴族の邸だった。父上の政敵のお邸かしら?
抵抗しても無駄なので、夜盗に導かれるまま扇で顔を隠しつつ簀子を歩き、とある部屋へ入れられた。燈台が一つあり、灯してあるから良かった。暗闇に一人で置かれるなんて、怖いもの。夜盗もそこまで鬼ではないらしい。
その部屋の周りは、外の簀子と中廊下の廂の間の仕切りになる格子と、御簾も降ろされている。貴族の邸は基本的にあちこち解放されていて御簾ぐらいしか仕切りが無い。真冬や嵐でもない限り滅多に使わない重い格子が降りているので、一応閉じ込められている形かしら?
邸に仕える女房の姿も見かけなかったけど、部屋の整えられた様子、調度品などから、きちんと上級の教育を受けた女房の手入れや、お邸の主の上品な趣味がにじみ出ているわね。決して低い身分の者の邸ではないわ。
明かりの傍で腰を下ろし、静かに次に何が起こるか待つ。わざわざ攫ってきたのだから、すぐには殺さないでしょう、たぶん。殺すつもりだったなら、あの場で太刀を向ければ済むことですもの。
それでも見知らぬ場所で不安が募るけど、右大臣家の姫たる私は取り乱してはいけないわ。強者の姉上様方を見習わねば! ジッと静かに我慢、我慢。
トタトタと誰かが邸奥からこちらへと、廂を歩いて来るわ。外の簀子ではないから、おそらく邸の者。袴を引き摺る音とも違うから女房ではなく、歩き方からすると上品な殿方だわ。悪の頭領のお出ましかしら。
御簾を上品にからげて部屋に姿を現したのは、雅やかな狩衣姿の美しい細身の貴公子だった。顔を隠すために扇を構える私をジッと厳しい眼差しで見下ろす。ほんのしばらくの間だったけど、扇越しに睨み合ってしまったわ!
だって、私この殿方を存じ上げているもの。この橘の宮様を!