救いの手は間に合わず
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
新月で部屋は暗い。簀子の軒先に下がっている弱い釣燈籠の灯が、バタバタ暴れてもつれ合う二人の姿を仄かに照らしている。と、言うか影の塊にしか見えないけど。
だから柊の君は私と百合姫を見間違えたのよ、そうに違いないわよね。美しい方に手を伸ばしたのではないはずよ、なんて一瞬くだらないことを考えたわ。だって、恋人に相手を間違われるって、女として侮辱的なことよね。
捕らえた人物を床に抑え込もうとする柊の君と、それを押し退けようとする百合姫。
さすが男姫ね、腕力があるんだわ。私だったらもうとっくに柊の君の腕の中に囚われて動けずにいたことでしょう。己の正体の露見が掛かっているから、重くて動きにくい袿に裾の長い打袴姿でも、必死に力尽くで柊の君を押し返しているわ。
「四の姫君? 本当に四の姫君か? 先日より、(体が)大きくて、(胸が)小さいようだが……? おまえは……?」
「いや~、触るな! 離せ~!」
何が大きくて、小さいのでしょう、柊の君? そういえば先程、お二人でくっついたと思えば、ゴソゴソやって何か確かめていましたものね。
恐怖のあまり完全に己を見失い、甲高い声で悲鳴を上げる百合姫。もちろんお助けしたいのですけれど、暴れる殿方を相手に、か弱い私に何ができるかしら。おろおろするばかり。
取り敢えず、無礼にも男姫と私を間違えた柊の君に、高貴な姫としてははしたないですが直接お声を掛けて、その手をお離しになってもらいましょうか。
あの、ともつれ合う二人に遠慮がちに声をかけたと同時に、御簾を引き千切るように掻き分けて、狩衣姿の誰かが勢いよく部屋に乱入した。
「四の姫、今お助けしまずぞ! 鬼め、四の姫から離れよ! この紅葉の少将が相手だ! とう!」
「何だ!?」
「離して~!」
ようやく現れた救いの主、紅葉の少将がもつれ合いに強引に参加。殿方?三人が私の部屋で、押し合い圧し合いの取っ組み合いを始めたわ。
あれ~、とバタバタ暴れて柊の君の腕から逃れようとする百合姫、腕の中にいるのが私ではないと気付いたらしく混乱して押し飛ばされた柊の君、そこへ念願の鬼に体当たりして抑え込もうとする紅葉の少将。
どうやら少将の君は、姫君の前と思ってご自慢の太刀は抜かず、ご自分のお体のみで勝負されているご様子。ホッとしたわ。
まずは、貴公子? 三人の絡み合いから、紅葉の少将の加勢もあって、見かけによらない力強い腕力で天女の君が離脱したわ! ゼイゼイと激しい息遣いで、わずかでも明るい簀子へ這いずって逃れた。私も取っ組み合いに関わらないように簀子の方にそっと移動し、百合姫の様子を確かめる。
百合姫の有様ときたら、もう上着の袿も内着の単も乱れて、線の細い首回りが開いて見えている。でもその線の細く白い首筋に、ちょっといけない色っぽさを感じるわ。でも滂沱されて青いお顔は、まるで地獄の恐怖を味合われたよう。
「お、男に身体を、胸をまさぐられた……。気持ち悪い! ……どうしてくれるのよ! もう、お婿をもらえないわ!」
「しっかりなさって、百合姫様。お婿はもらえなくても、本来の婿入りには問題はありません。気を強くお持ちになって……」
己が身を守るようにギュッと抱き締めながら、打ちひしがれる天女。お背中をさすさすと優しく撫でて慰めてみるけど、乙女心は酷く傷つき、流れる涙は止まらないみたい。
元々、あなた様は殿方なのですから、お胸を触られたことなど気にせず、と小声で言い聞かす。が、突然、天女は鬼のような目を吊り上げた形相に変貌し、慰める私を睨み上げた。
「あなた、あの不埒者が忍んで来て、あんな事をするのを知っておられたのね! ……知っていて私を身代わりに差し出したのよ! 親友を身代わりにするなんて、鬼よ! やっぱり、あなたは噂に違わぬ悪姫だわ!」
「そんな! 誤解ですわ!」
わ~! と百合姫は伏して大泣きを始められてしまった。
全ては誤解と手違いなのよ、どうしたら分かっていただけるかしら。本来の計画では、柊の君が『私』に近付いた時に悲鳴を上げて、助けが来る予定でしたのに! 百合姫が傍におられるから、私は人を呼ぶことができなかったのよ!
「……落ち着いて下さい。親友を身代わりに、なんてとんでもございませんわ。いくら暗闇とはいえ、まさか恋人を自称する殿方が、お相手を間違えるなんて思いもしなかったの。それに、私、何度もお帰りになられることをお勧めしたではありませんか」
「この悪姫が新月の心細さから、出家するかも、自害するかも、馬鹿な駆け落ちをするかも、なんて心配、いったい誰がしたのよ! お文で見張りを頼まれて、友情から真面目に受けた私が愚かだったわ!」
「そのようなことはしないと、何度もお話ししたではないですか。お信じ下さい!」
「あなた、出家や自害なんて、可愛い姫じゃないわ! 鬼よ! 無邪気な顔して人を振り回す、この悪姫が!」
もう女性そのものの様に激しくお心を乱される百合姫。『鬼、鬼よ!』と声を荒げて喚いては、伏して泣く。
止めてよ、本当に悪気は無かったのよ。まさかこのような事になるなんて、誰が想像できて?
「そんなにお声が枯れるほどお泣きにならないで下さい、美しい四の姫。ご安心を。ほら、この通り、鬼は私が捕らえました」
ん? いつの間にか背後が静まっていたわ。暗くてよく見えないけど、紅葉の少将、不埒者は取り押さえたのですか?
ぐったりとした影が、床に寝そべっている。動かないみたいだけど、私の部屋で死んでませんよね? 柊の君、少将に押し倒されて気絶させられてしまったのでしょうか。
手際よく、紅葉の少将は鉄製の燈台を見つけて、なぜかお持ちになっていたらしい火打石で蝋燭に火を灯されてしまった。鬼退治用に色々なお道具を用意されていたのでしょうか。新月の暗闇対策ね、きっと。
蝋燭の明かりが、私達、姫君の姿を殿方に見せてしまう。姫の嗜みとして殿方に顔を見られる訳にはまいりません。咄嗟に私は扇で、天女の君は袖で顔を隠す。
「ああ、御簾内におられたあなたは、お顔は分かりませんでしたが、高貴な姫に相応しく毅然としたご様子でした。でも、こうして間近で見るあなたは、こんなにもか弱げでお美しい……」
簀子で固まっている私達の所に、紅葉の少将が姿を確かめるためか燈台を持ってにじり寄ってきた。まあ、少将もいつまでも私の部屋にいる訳にもいかないし。でも気のせいか、ご様子が荒々しさから恥じらうようなおずおずした雰囲気に変わっていませんか?
「あなたを鬼からお守りしたのが私で良かった。こうしてお側に寄れる機会など、本来ならありませんから……」
暗がりから大きな手が伸ばされ、恐怖に伏して震える乙女の白魚の指にそろりと触れて、慰め力づけるようにそっと握った。
「ヒィ!」
「ああ、天女のようにお美しい四の姫。あなたのご無事を確かめたいだけなのです。お文で言われていた通り、新月の晩の鬼に怯えておられるのですね。でも大丈夫、この紅葉の少将が姫をお守りします」
ええ、私が想像した通りね。紅葉の少将が握った乙女の手は、百合姫のものでしたわ! すかさず美しい方の姫を『高貴な四の姫』と判断されたのね!
この三貴公子達? は、無意識とはいえ、どれだけ人を侮辱すれば気が済むのか! 女として、このような侮辱は許せません!
しかも! 紅葉の少将、私を側仕えの女房とでも思っておられるのですか? 邪魔するなとばかりに、シッシと私に後ろ手を振って、下がるように伝えている!
下がってほしいなら、ええ、このまま下がりますよ! もう、三人で勝手におやりなさい!
ちょっと百合姫、私の袿を固く握った手をお放しく下さいな。私、恋人の美しい語らいを邪魔するほど、無粋者でも鬼でもありませんので! ふんっ!
二度までも男姫に負けて著しくご機嫌を損ねた私がその場を離れようとしたら、パタパタと邸奥から足音と持ち運びのできる手燭の明かりがいくつか近づいてきたわ。
「わ~! 宮様! どうなってるの? 大変だ、どうしよう! お目をお覚まし下さい、宮様!」
その声に驚き、紅葉の少将がパッと身を離されたわ! 百合姫も慌てて袖で顔を隠し、必死に這いずって私の背後へ逃げ込んだ。あら、百合姫、動けるではないの!
新たな参加者が二人、飛び込んで来たわ。やって来たのは慌てふためく山吹の君と、白梅の君。取っ組み合いに参加しなくてよろしかったの? 不埒な鬼退治は、紅葉の少将が一人でされてしまいましたよ。
弟の山吹の君は灯りの点いた部屋に飛び込むなり、ぐったり横たわる柊の君を泣きながら介抱する。その後に続いて、白梅の君が柊の君の様子を確かめている。
「山吹の君、落ち着いて。大丈夫なご様子です。……四の姫様ともうお一方様は、ご無事ですか?」
「ええ、私は別に……。紅葉の少将にお助けいただきましたので」
「まずは姫様方は御簾内に。几帳はこちらにございます、どうぞ。少将様、我らは外の簀子ではなくとも、せめて部屋の外の廂へ出て控えましょう。姫君方に失礼があってはなりません」
まるで古参の女房の様にテキパキと、白梅の君が混乱したその場を仕切ってゆく。
助かるわ。殿方が室内で、姫君が外にいるなんて逆さまだもの。
「しかし、鬼が中に……」
「山吹の君にお任せすれば大丈夫ですから。それに、あの方は、鬼ではございません。鬼ならばこの陰陽師の鬼除けの術が効いているはずです」
いつの間にそんな術を施されていたの、白梅の君! この間、お出でになられた時かしら? それともたくさんのお札に術が?
とにかく、皆がそそくさと、百合姫はビクビクずりずりと、互いに場所を移動する。白梅の君が転がっていた几帳まできちんと直し、どこからか百合姫の扇まで探し出して渡してくれた。私達はその几帳の後ろに隠れる。ひとまず、あるべき形? に落ち着いて助かった、とそれぞれ安堵の息を漏らしたわ。
「宮様、申し訳ありません~! どうしてこうなるんだ……。四の姉上だと、お遣いも、逢引きの手引きも、碌な目に会わない。せっかく官位を頂けるのに、もう、右大臣家は終わりだ~」
姉を疫病神みたいに言いながら泣くのではなくてよ、山吹の君。もうじき成人の儀を迎えるのでしょう(たぶん)?
「おい、陰陽師の君、そなたはあの者を存じておるのか?」
「はい、実は……」
「言わなくて良い、陰陽師の君。久しいな、助かったぞ。……まだ間近で顔合わせしていないので、分かっていないのなら、お互いにその方が良い」
あら、介抱の甲斐があったのか、問題なくお目を覚まされたみたい。これに懲りて悪ふざけは止めていただきたいのだけれど。
「はい、かしこましました。ご気分はいかがですか?」
「頭を床に打って少々目を回したが、問題ない。……そろそろ鬼は、少将と陰陽師に打ち負かされて退散しよう」
ニヤリと柊の君が笑う。この笑みは危険だわ。
「ただ負けるのも癪だな。……お美しい四の姫が手に入らぬのなら、可愛らしい傍の女房を代わりにいただいて行こう」
はあ? 何を言われているの、柊の君? ここに女房なんておりませんよ。そういえば、この騒ぎに小雪を始め、一人も来ないわね。鬼に怯えているのかしら?
几帳の陰で疑問に頭を傾げていると、突然柊の君が几帳の幕を巻き上げ、私を抱き上げてしまった!
「ん!? 柊の君、何を?」
「ああ、小さくて柔らかい身体。意外と大きいし。そう、沢山食べて、こうならなくては。なあ、私の可愛い姫君?」
何が小さくて、大きいの? と柊の君に聞き返したいけど、その前にこのような悪ふざけを止めてほしいわ! さっさと放してよ!
「宮様! もう、無茶はお止め下さい! いくらのんびりな姉上でも、これ以上の醜聞は困ります! 白梅の君、お願い、止めて!」
「宮様! 悪ふざけはお止めください。姫様のためにもなりません! どうか思い止まりを!」
咄嗟に山吹の君と白梅の君が、柊の君の足元で考え直すように伏して訴えるけど、楽しそうに笑って聞き入れる気は無いみたい。
ちょっと! 入内前にこれ以上の醜聞は問題よ! 戯れは止めてと何度も伝えているのにこれだわ!
「……違う、ここにいるのは人ならぬ鬼だ。新月の晩に現れた鬼だよ。ハハハ。そして四の姫の『女房』を攫うんだ」
「ひ、姫様! 姫様をお放し下さい!」
百合姫が行かせまいと、私の袿を掴もうとされたけど、柊の君は私を抱いたまま、素早くさっと几帳から離れてその手を躱す。百合姫は紅葉の少将や白梅の君に身をさらすことはできないから、几帳の影からは動けず固まっているわ。少将もガッチリ抱え込まれている私の身の安全を優先してか、腰を浮かせて機会を伺っているけど、飛び掛かれずにいるみたい。
「おのれ! その者を離されよ!」
「ならば、少将、代わりにそこの美しい四の姫をいただくが、良いのか?」
「いや、それは……、だが、しかし……」
ちょっと、紅葉の少将、私を見捨てる気? 美しい男姫の方を選んだわね!
「残念ながら、鬼は、四の姫は諦めよう。鬼はこのまま可愛い女房を攫ったのだ。分かったな! 攫われたのは主の四の姫を庇った『女房』の方だ!」
右大臣家の四の姫たる私を醜聞から護るためか、柊の君はクスクス笑いながら、わざとらしいほどの大声で宣言した。これで近くに家人や女房がいたとしても、犠牲になったのは扇で顔を隠している女房ということになる、のかしら?
「ハハハ! 残念だったな、少将の君、陰陽師の君、救いの手は間に合わずだ!」
もうすっかり悪役の鬼になりきって、楽しそうに笑う。柊の君は私を横抱きにして、スタスタと部屋を出て簀子を歩いていく。
ちょっと! これって、ひょっとして無理矢理の『駆け落ち』になるのではないの? 私どうなるの? 誰か、止めてよ!