悪の次に鬼が出た
頑張って続けます!いろいろ登場です。
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
いつの間にか季節は初夏。婚約破棄騒ぎでボンヤリ過ごしていたら、季節が変わってしまった。
ご懐妊がはっきりして、悪阻に苦しむ異母姉の女御様が、骨休めに実家帰りされた。さすがの猛者も悪阻には負けたようだ。機嫌が悪いらしい。お見舞いにお部屋を訪ねたら、厳しくお説教された。
父上のご正妻様の娘の姉上様方のお三人は、第二の妻の娘である私を虐めることなく可愛がって下さる。特に総領姫の女御様は、一番年が離れているせいか、それこそ厳しい母上のように、遠慮なく私に説教される。実の母を子供の頃に亡くした私には、ありがたい?ことだ。
今回のお説教は、事が事だけに、鬼のように激しいものとなった。
「大体、そなたには宮中で生き残ろうとする根性が足りぬ。……うう。何をされたと誰が騒ごうとも、根性をいれた睨み一つで黙らせてしまうのじゃ。それが威厳というものです。……気持ち悪い」
「申し訳ございません……」
上座にゆったり座ってお体をできるだけ楽にし、扇で顔を隠されていても、姉上様の顔色が悪いのが分かる。
お疲れさせてはいけません。お暇しようとしたら、姉上様の女房達に袖を引かれて引き留められた。姉上様の気分転換に、お話相手を続けてほしいらしい。
「予てより、17歳になっても色気の無い、のんびりした性格のそなたを心配していたが。宮中での件、わざわざ父上が気を利かせたことが仇になったの。……むむ」
「父上は何をご心配になられたのですか? わたしは婚約が決まった幼き頃より、姉上様達と同様、宮中で過ごすための様々なことを学んできたはずですが? 教養も嗜みも趣味も」
私だって、ただボンヤリ楽に過ごしてきた訳でない。琴や学問や礼儀作法などを厳しく仕込まれたはず。
「……うえ。……そなたが行儀見習いを私の下ではなく、橘の宮様の伯母上様の下へ、父上が強引に押し込んだのは何故か分かっていたか?」
「橘の宮様の伯母上であられる前斎宮様は、教養も嗜みもご趣味も大変素晴らしいお方です。女として見習うべき点は、多々ございました」
「違う! そんな事のためにではない! 良くて十人並みのそなたの容貌では、橘の宮様の気は引けぬであろうとご心配されたのじゃ。……よく見れば、そなたはとても可愛いですよ。何せ腹違いとはいえ、私の妹ですからね」
優しい姉上様、最後に取って付けたように褒めていただき、ありがとうございます。さすが宮中で生き残れるだけあって、悪阻でご気分がお悪くても、本当に気が利かれるのですね。
お話に夢中のせいか、悪阻から気が逸れて、顔色が良くなってきたみたい。
「橘の宮様が頻繁にお訪ねになる伯母上様の下にそなたを預けることで、自然に言葉を交わしお互いを知り合う。それでそなたの良さを分かっていただくはずじゃった」
「でもそれ、咲耶姫が既に実行済みでした。あちらは垣間見ただけでも美しい方ですし」
「だから、先行している咲耶姫との恋に焦った父上が、そなたを放り込んだのだと、言っている! しかも、これ幸いと、嫌われるため、女官達の嫌がらせを放置していたのが、見え見えのバレバレじゃ! 結局、咲耶姫にも利用されてしまったではないか! 先が分かっていたのだろう?」
興奮のあまり、姉上様は扇を畳んでピシャリとご自分の膝を打つ。私に代わって怒ってくれているのが、嬉しい。
「まさか、皆様勢揃いの御前で責められ、婚約破棄されるとは、露程も思っておりませんでしたが……。内々のお断りで済まされるものと、甘く見ていました。たわいない悪戯が多かったので(私がやったんじゃないけど)」
「あれは私達も予想外だった。……そなた、橘の宮様のことがお嫌だったのか?」
「お会いした時には、既に私にお心を向けられる気が無いのが分かりました。あの方は良くも悪くもはっきりしたお人柄です。お心の無いまま、大勢の妻の一人にはなりたくありませんでした。私の他にも、三人ほどお輿入れされると分かっておりましたし……」
落ち込んでいる情けない顔を見られたくなくて、扇で顔を隠す私に、姉上様はふう~と諦めのため息をつかれる。
「そなたと弟は、年が離れておる故、皆で甘やかして育てたから夢見る姫になってしまったか。賢いはずなのだが……。まあ、終わってしまったことはもうよい。次は頑張るのですよ!」
「次、ですか?」
「父、右大臣の権力と私達姉妹の各家への繋がりを見れば、嫁き遅れ寸前の17歳のそなたでも、まだまだ結婚の申し込みはある。次は、右大臣家の娘の根性をみせよ! ……もう下がってよい。これ以上怒鳴ったら吐きそうじゃ……」
気分転換が高じて、興奮され過ぎたみたい。ありがたいお説教が終わり、ホッと一息。深々と頭を下げて、姉上様のお部屋を退出した。私の側仕え女房の小雪を連れて、ノロノロと安心の我が部屋へ戻った。
小雪が疲れた私にさっとお茶を出してくれた。さすが一番の腹心の女房、気が利く。
本当なら、私と共に宮中に上がって、次期帝の女御付きの上級女房になれたのよね。こんな所で燻らせて、ごめんなさい。
「次、頑張りましょうね、姫様。『政略絡み』の恋文もまだ来てます。右大臣様のお力は強いです。まだまだですよ!」
「はい……」
ニッコリ笑って慰めてくれたけど、私自身が褒められていない気がする。
「四の姉上、いる~?」
ひょっこりと、末子の可愛い弟の山吹の君が、先触れもなく私の部屋にやってきた。許しも無いまま入って来て、ニコニコとしながら当たり前に座る。
成人の儀である元服前の14歳だから許されることよ。でもお子様ではないんですから、遠慮ってものを理解してほしい。成人したら、姉と言えど部屋に突撃はいけません。私もお説教したくなる。やっぱり姉上様と同じ血筋か。
「あのさ~、今夜、二の姉上様の兵部卿の宮邸で宴なんだよ。そこで、僕、横笛を奏するんだよね。得意だし。姉上も気晴らしに一緒に出掛けない?二の姉上様の所だから、気楽だし。連れて行っても良いですか?ってお伺いを立てたら、喜んでお待ちしてますって。どうせ女の人は御簾の内側にいるんだし、誰にも婚約破棄姫とは分からないよ」
「出だしは良かったけど、最後の一言が余計よ」
ちょっと腹が立った物言いだが、既に二の姉上様に了解の確認を取っているあたり、変に断れない。
ニコニコと『愛らしい笑み零れる山吹の君』である弟は、この得意の笑顔で強引に物事を進めることができるのだ。宮中に仕事手伝いをする童殿上をしていて、この笑顔技と賢い立ち回りで、結構人気がある。
二の姉上様は、兵部卿の宮様のご正妻だ。兵部卿の宮様は、この時代の通例の『妻の実家への通い婿』ではなく、立派なお邸に姉上様を引き取り、二人で仲良く暮らしておられる。そのお邸の紫陽花のお庭は自慢の一つで、毎年花咲く初夏に宴が開かれるのだ。
横笛が上手で知られる山吹の君は、今年の宴で演者の一人に選ばれた。その場にいるだけで見栄えする可愛い弟だし。
「二の姉上様が、待っていてくださるんなら、せっかくだから行ってみようかな」
「そうだよ、久しぶりに会えるって、文で喜ばれていたよ」
宮中の噂の主役の一人である妹に、直接話が聞けると楽しみにしているのだろう。平和なお邸に籠られているので、噂話がお好きなのだ。
夕暮れから始まった紫陽花の宴は、幻想的で美しい。仄かな明かりが多々灯る中、多くの貴族が集ってお酒に楽に酔いしれて盛り上がる。真っ暗に日が暮れたら、せっかくの紫陽花は見えなくなるけどね。日があるうちに盛り上がってしまうから良いらしい。
いよいよ山吹の君の晴れの舞台である楽が始まる。御簾内で姉上様の隣でワクワクしていると、舞台らしき所に若い貴公子二人が現れた。二人とも20歳前後の煌びやかな青年で、傍にいる女房を始めとして、招待された貴婦人達が小さく喜びの声を上げる。
静かなる楽の音と共に、貴公子二人が力強くも煌びやかに舞い始めた。見つめ合い、互いに舞の呼吸を合わせ、近付いては離れてゆく。艶やかに翻る袖、響き渡る笛、箏、打楽の音。ゆっくりだが切れ味良く動く、指先まで優美で若々しい姿態。
扇や袖の陰で一斉に漏れ出る、女性達の陶酔のため息。
「姉上様、あの方々は? 皆さん、見知っておられるようですが?」
「四の君は宮中におられたくせに、今更何を言っているのですか。相変わらずのんびりね。あのお二人が、今をときめく二大貴公子、式部卿の宮家ご長男の『桂木の君』と左大臣家の『紅葉の少将』ですよ。有名ではないですか。あのお二方を揃って宴にお呼びできるかで、宴の格が決まるの。我が殿だからこそ、舞まで舞っていただけるのよ」
なるほど、薄暗い多々の灯に囲まれて舞う姿は、凛々しく色っぽく美形っぽい。優美で雅やかな方が爽やか『桂木の君』(19歳)で、力強くて雄々しい方が燃える『紅葉の少将』(18歳)だそうだ。この二人は共にまだ独身のため、妻の座を狙っている姫が多いらしい。
素晴らしい楽の音に、美しい舞のおかげで、場は大いに盛り上がった。演奏者も皆から大いにお褒めの言葉をもらっていた。山吹の君も褒められたので、姉妹揃って鼻高々だ。
一番の見所が終わったので、私はちょっと姉上様から離れて息抜きに出た。二大貴公子の美しき舞への賛辞に、女性達がキャーキャー騒いで頭痛が……。人が集まって少し暑苦しいし。
誰もいない静かな邸の内廊下の廂を休憩用の部屋に向かって、一人静々と歩く。涼やかな風が吹き抜けた。
思えば、姉上様のお邸に弟と二人で行くのだからと、女房の小雪を連れてこなかったのが失敗だったのよ。
「やあ、久しぶりだね。右大臣の四の姫君」
「!」
突然、見知らぬ長身の貴公子が、立ち塞がるように目の前に現れた。
高貴な姫の嗜みとして咄嗟に扇で顔を隠すが、しっかり見られたのだろう。どこの家の姫か正体がバレている。これはまずい。
余裕のニヤニヤ笑いをしながらその貴公子は手を伸ばし、扇をどかして私の顔をもっとよく見ようとする。
彼は、20歳前後か、妖しいまでにスッキリ整った目鼻立ちに、白月を思わせる直衣姿だ。激しく動いた後なのか、少し乱れた前髪に妙に上品な色気がある。かなり高位の貴族だと思うが、全然知らない人だ。
非常に危険な状況。誰かに見られて、見知らぬ貴公子と逢引きしてたなんて噂が立ったら縁組も来なくなり、もう立ち直れない。
さっと、踵を返して私は姉上様の下に戻ろうと逃げ出す。だが、重い十二単の正装と腰より長い黒髪で、機敏に動けるわけがない。背後から、腕を回されあっさり抱き止められてしまった。お腹に回されている腕を解こうにも、着物が邪魔で上手く動けない。扇でビシビシその腕を叩くが、効果はない。
「逃げるなんて、ひどいな。せっかく久しぶりに会ったのに」
色っぽい声で耳元に囁かないで! ぞわぞわする。
男とは、父親か弟としか、身近に接触したことが無い。橘の宮様は、御簾越しにお話するだけの遠い存在だったし。手に触れることさえありえなかった。
男の力強さをその腕から感じ取り、恐怖でガタガタ震えてきた。
「あ~あ、怖らせちゃったな。まだ、声も聞かせてもらえてないのに。こんなに臆病だったか?」
意地悪気にふふっと男は笑い、背後からさっと私の黒髪を掻き分け、首筋を露わにする。何するのよ!と思った途端、私の首に後ろ横から強く吸い付いた。
喰われる!と思った私は、言葉にならない大声をあげた。もう、誰かに見られるなんて考えもしなかった。
ふっと体が自由になり、わたしは腰を抜かして廊下に座り込んでしまった。バタバタと複数の足音が近づいて来る。
「姉上! どうしたの? 大丈夫?」
「四の姫、お怪我は?」
弟の山吹の君が、ボロボロ泣いている私の肩を優しく撫でて慰める。
ん? 誰を一緒に連れて来たの?
泣きながらも不審げに見る私に、その男性は目を反らして恥じらいながらも、周りの様子を伺って警戒している。その顔には何となく覚えがある気がする。
「四の姫、私です。覚えておられませんか?」
「……白梅の君? 陰陽師家のご子息の?」
「はい、先日、文にお返事をいただきました。今日は少しでもお話できるかと期待して、山吹の君と会っていたのですが、悲鳴が聞こえてきたので」
優しい幼馴染だった。右大臣の父の家に引き取られる前、母上の邸のご近所さんで、よくお庭で遊んだ男の子だ。ある日、泣いている私に白梅の枝をくれて、枝は折れても梅はまた咲くと言って慰めてくれた。あの時もなぜか泣いていたのよ。
「姉上、こんな所で何があったの? 衣装も乱れてボロボロじゃないか……」
「鬼! 鬼が出たの! もの凄く背が高くて、力が強くて! もう少しで首からガブリと食べられてしまうところだったの~! ほら、見てよ! 首に牙を立てられたのよ! 血が出てるんじゃないかしら? うえ~」
思い出してまた恐ろしくなり、私は弟に抱きついて大泣きしてしまった。
よしよしと弟は慰めてくれたけど、鬼退治に行こうとはせず、なぜか白梅の君と一緒に頬を紅く染めていた。
「姫、大丈夫、血は出てません。けど、それは……」
「白梅の君、いいよ。姉上は分かってないんだ。とにかく、いろんな意味で、食べられはしなかったみたいだから……。この事は内密にお願いします」
「もちろんです」
牛車の中でも弟にしがみついたまま、泣いて帰宅した。驚いた小雪は、慌てて寝所へ私を連れていってくれて、手厚く世話してくれた。けれど、鬼に襲われる夢にうなされて、その夜、私は発熱してしまった。