番外編1 薔薇の香気
らぶらぶ?
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
橘の宮の騒ぎもようやく落ち着いた。でも我が右大臣邸は未だに騒がしさがある。
なぜなら、私の入内、姉上の女御様のご出産、山吹の君の成人の儀が立て続けにあるから。でもおめでたい騒ぎなので、皆、準備に忙しいけど明るく良い雰囲気ね。
でも相変わらず、紅葉の少将は、我が邸の庭で太刀を振るって修行している。今日は山吹の君も一緒のようだ。たまにこちらをチラチラ盗み見て、御簾内の影を気にしているみたい。
残念、今日、百合姫は来ていません。本物の四の姫はどちらか、の誤解は小雪に解いてもらってある。以来、少将様は正体不明の百合姫が気になり、少しでも情報が欲しくて、何かにつけてたまに訪問されるのだ。正体はあなた様の無二の親友、桂木の君なんですけどね。
「ねえ、小雪、紅葉の少将は、今日も何の御用で我が右大臣邸に? 庭で何をされているのかしら?」
「山吹の君様が成人の儀を迎えられるにあたって、武術を習われているそうです。もしよろしければ、姫様にご挨拶されたいとのことです」
そうね、せっかく来ていただいているんだし、先日の騒ぎに巻き込んでしまったから、私からもお詫び申し上げたいわ。
例によって男らしい美形の紅葉の少将を見たいと、私の周りに女房たちが揃う。取次は小雪に任せた。
私の部屋の前の簀子で、山吹の君と二人並んで座られた。二人とも背筋が伸びて精悍な雰囲気がある。
細身で引き締まった男らしい紅葉の少将と、まだまだ少年の線の細さがある山吹の君。二人並ぶと、とても目の保養になるわね。御簾越しとはいえ、皆見とれて、扇越しにホウっとため息が出る。
「少将様におかれましては、先日、我が右大臣家のために色々お力を貸していただき、大変感謝しております、と姫様がおっしゃられております」
「いえ、こちらこそ、ご無礼な事もしてしまいましたが、ご配慮いただきありがとうございました。おかげさまで、問題なく過ごしております」
小雪の取次の言葉を受けて、先日、東宮様に襲い掛かって気絶までさせてしまった件をお互いに反省し合う。分かっている者だけが分かる言葉で。
「本日も、弟の山吹の君が何やら無理を言っているようで、申し訳ございません、とのことです」
「四の姉上、酷いなあ。僕も成人するし、もっとしっかりした強い男にならねばと、先日実感したんだ。宮中に参内したら、少将様の様に頼られる男になりたいから、ご指導いただいてるんだ」
「山吹の君はまだ14歳ではありますが、心構えがしっかりされておりますし、そのあたりの下手な貴族子弟よりずっと真面目に取り組まれている。剣術だけでなく、弓術も体術もきっとすぐに向上されるでしょう」
体術って何かしら? 太刀や弓矢以外で何か戦う術があるのかしら? 柊の君が橘の宮を蹴り飛ばしたように? ……もし可愛い山吹の君が乱暴になったら、ちょっと嫌だわ。あの殿方の争いを見てから、暴力が怖いのよね。
御簾内で私が少し身を竦ませたのを感じ取ったのか、紅葉の少将が慌てて説明する。
「ああ、姫、そんなに怯えないで下さい。大丈夫です。山吹の君に危険なことはさせません。帝の身辺をお守りするために、曲者を取り押さえる術などですよ。血など出ませんから。……こうやって!」
不意に紅葉の少将は素早く膝立ちのまま、座っている山吹の君の後ろへ回り込む。
「え!? ……少将様?」
驚いて中腰になった山吹の君の後ろ首に、肘を当ててドンッと体当たりし、そのまま背後からそのお体の重みを掛けて、山吹の君のか細い身体をギュムッと床に押し倒す。
「ああ! 少将様、止めて下さい! 重いです!」
不安に怯える頼りなげな声を上げて押し倒された山吹の君の背に、少将は圧し掛かり、肘と膝で抑え込む。体格差のある二人だ。山吹の君が、パタパタ手足を動かしてもどうにもならない。簀子で縺れ合う二人。
「さあ、山吹の君。下手に抵抗してはいけないよ。痛い思いをするかもしれない。大丈夫、怖くはないよ……」
「少将様、お願い、止めて……。僕、苦しい……」
何か、どこかで聞いたようなお言葉ね。
背後から優しく言い聞かす紅葉の少将に、少し涙目で後ろを振り向き見上げる山吹の君……。お願い止めてと、心細げに揺れる眼差しが訴える。
ゴホンッ! ゴホンッ! と突然、私の周りの女房達の数人が、息苦しそうに咳を始めた。他にも扇や袖で顔を覆ったり背けたりしているが、簀子の二人から目が離せないようだ。いったいどうしたの? 縺れ合いが、怖かった?
駄目よ、あなたたち、しっかりしなさい! 天下の右大臣家に仕える女房でしょう? そういう嗜好に流されてはなりません! などと小声で女房達が声を掛け合い、騒いでいる。嗜好?
「あの、少将様、若君をお放しいただけませんか? 実践はもう十分見させていただきました。若君も姫様も驚いておられます」
小雪が御簾内の女房達を睨みつつも、少将に山吹の君を放すようお願いする。
ふっと笑って、あっさり紅葉の少将は背から降りて、山吹の君に手を貸して起き上がらせた。さすがに山吹の君は、機嫌を損ねた感じだ。
「ははは、失礼しました。このように、己が身をもって戦う体術なども、少しずつお教えしているのですよ。コツはこのように隙を突いて、相手の背後に回り込むところでしょう。済まなかったね、山吹の君」
「いきなり酷いですよ、少将様。僕、心の準備もできて無かったのに」
「痛くはなかっただろう? これでも優しくしたつもりだよ……。いつか、君にもできるようになるから。私が一から教えるよ」
「お約束、ですよ。いつか僕の方が上になるかも」
なぜか再び咳の嵐に、何故か突っ伏す女房達までいて。女房達があまりに動揺したので、二人の殿方は訳分からぬ顔で、逃げるように退散していった。
本当に、なぜ女房達は騒いでいたのかしら? 山吹の君が可愛いとか、少将様ってまさか……、とか?
少し月が上るのが出遅れる秋の十六夜の夕方、不埒な鬼が気楽な狩衣姿で、またふらりと現れた。
当たり前顔で、私の部屋の簀子と御簾の境の柱に寄り掛かるように腰を下ろす。
ちょっと、御所をそんなに気楽に抜け出されて、本当に大丈夫なんですか、東宮様? 難癖つけられたら、どうされるおつもり?
え? 邪気祓いのお寺参りの帰りに、右大臣邸に立ち寄った。右大臣は味方だから大丈夫?
あのですね、いくら私だって父上だって、庇いきれない事もあるかもしれませんよ、全く! 少しはお慎み下さい!
「こうして愛しい四の姫にせっかく会いに来たのに、怖いね」
「ご心配申し上げているのです。それなのに、柊の君は……」
「嬉しいね。けど、短い逢瀬なのだから、子犬の様に吠えていないで、ご機嫌を直して。満月ではなく、少し欠けた十六夜の月がきれいだよ。こちらに、もっと月明かりで明るい御簾の傍においで。雲に隠れていないで、月の様にお姿を見せて」
こちらに半分お背を向けつつ、十六夜の月を眺めておられるわ。
上手いお言葉で誘われるけど、何を企んでおられるやら……。これまでの悪戯への反省を促すためにも、一度痛い目に合われた方が良いと思う。
そうだ! 以前、紅葉の少将にされたように、また情けなくも、お目を回されればいいのよ!
私は戦闘準備をした。そっと立ち上がり、動きやすい様に表衣の袿と袴の裾を整える。左腕を胸の上あたりに横に構える。声を出しては駄目よ。紅葉の少将が言われていたように、そっと背後から隙を突くのよ! 腕は首で、体当たりよね!
私は横に構えた左腕に右手を添えて、月を眺めて座られている柊の君の大きなお背に向かって、全身で体当たりをした。ええ~い! 簀子の外まで飛んで行け!
ドンッ! 駄目だわ! お背が高いし、お体も大き過ぎて、一度では飛んで行かない。紅葉の少将のように、ドンとギュム~! で二度、三度と全身で押し飛ばすのよ!
柊の君はクスクス笑って、ゆっくり振り向き、その大きなお体であっさり私を受け止めた。あちらは座っておられるのに、頭は私の胸くらいの高さになるのよ。
うわ~ん! 全然上手くいかないじゃない、紅葉の少将! 嘘つき! 二人の体格差、というか力の差がここまであるなんて!
柊の君が飛んでいくのではなく、私が飛び込んでしまった? 私が体当たりするのに気付いていて、待ち構えていたのね!
私の胸にお顔を埋めるようにギュッと抱きしめたまま、ゆっくりわざとらしく柊の君は床に倒れた。そして明るい月の光の下で、しばらくの間、じっと横たわっている。身を離したかと思うと、何故か、とある所ばかりをジッと長く見つめている。
どこにも、そうまで確認しなければならないような、嘘偽りはありませんよ。百合姫ではありませんし。
「わざわざ身嗜みを整えてから、自ら私の胸に飛び込んで来てくれるなんて。四の姫は、今宵、随分と積極的だね」
「ち、違います! そういう事ではなく……。紅葉の少将に伺ったように押し飛ばそうと……。あなた様が大き過ぎるからいけないのよ!」
「いやいや、姫の素晴らしいものが私の背を何度も押すから、私の心は思わず震えてしまったよ。しかし、東宮妃となるはずのお淑やかな姫君が、こんな月の光で明るい簀子で、このように殿方を『押し倒す』なんて、いけないな。これはお仕置きが必要だ」
一度ギュッと抱きしめられたと思ったら、起き上がられた柊の君にそのまま抱き上げられた。恥ずかしさから顔を袖で隠すと、月の光から逃れるように、御簾内の薄暗い部屋の中へと運ばれる。
「ちょっと! 柊の君! 止めて!」
「さあ、四の君。下手に抵抗してはいけないよ。落として痛い思いをするかもしれない。大丈夫、怖くはないよ……」
「柊の君、お願い、止めて……。私……」
ん? 何か、どこかで聞いたようなお言葉ね。
「恋人を前に上の空はいけないな。……私が嫌かい? 立ち去ってほしい?」
「そうではなくて……」
ジッと私の目を見つめ、柊の君は私の中の何かを確認した。嬉しそうに小さく妖しく微笑んで、几帳の奥へと進み……。
お仕置きなんてお言葉とは裏腹に、今宵の柊の君は優しかった。でも、あの、二人の時間は短くて長くて……。
夜が明けきる間に、柊の君はお帰りになったのだけれど、私は動くことすらできず、とてもお見送りなんてできなかった。
「寺ならぬ、右大臣邸ですっかり暗い邪気が落とせたよ、四の姫のおかげだ。長い間お会いできなかったし、入内前にこうして逢瀬を重ねるなんて、まるで禁断の恋のようで盛り上がるね。では、可愛い姫、またお会いする日を楽しみにしています」
柊の君は悪戯が上手くいった風に満足気だった。落としたのは邪気ではなく、邪心ではないかしら?
後日、山吹の君に聞いたところによると、紅葉の少将は東宮様より小太刀を下賜されたそうだ。東宮様曰く、満足のゆく良い指導であった褒めて遣わす、と仰せだった。
「やはり、少将様ともなると、僕以外にも大勢の人にご指導されているのかな。新東宮様はよく人を見ておられるよね。僕も頑張ろう!」
山吹の君はそう嬉しそうに言ってるけど、気のせいか、私には妙な邪心を感じるような。
今度来られた時こそ、ぎゃふんと言わせてやりましょう!
終わり。
胸ムギュ~!です。