守護獣
最終話です。よろしくお願い致します。
2017/05/03 誤字脱字を修正しました。
ゴトゴト揺れる狭い牛車の中で二人きり。大きな温かいお体に私は包み込まれている。
何故かしら? 物語では、駆け落ちでもするかのような心ときめくこの状況で、私の身体は小さくカタカタ震え出したの。柊の君と密接にくっついていることに怯えている訳ではないのに。
「私、どうしたのかしら……? ホッとしているはずなのに、手が震えて……」
「ああ、私の勇敢な子犬。今頃になって、橘の宮の乱暴が怖くなったのかい? 思い返してしまったのかな。大丈夫だ、私が傍にいる。あなたの大事な御髪もお体も無事だ」
「な、涙が……」
じわじわと溢れてくる涙を単の袖でそっと拭うのだけれど、止まらなくなってしまった。
初めてだったの。宮中で、言葉で傷つけられたことはあっても、直接、悪意の暴力を殿方から受けたことは無かった。
ああ、思い出してみると、何て恐ろしいのかしら! 記憶から逃れるように、顔を手で覆い隠すけど、まざまざとあれこれが浮かび上がる。後から恐怖が私に襲い掛かってきた。
闇夜に攫われて、突き飛ばされて、小太刀を向けられ、切られそうになったなんて!
「おのれ! 姫をこんなに怯えさせるとは! やはり橘の宮には、もっと重い罰を与えるべきだった! 太刀で切ってしまえば良かったんだ!」
ブルブル震える私を慰めるように、柊の君が優しく頭を、背をゆっくり撫ででくれる。
「だ、駄目よ、柊の君、それはだけは駄目です!」
「姫が、かつての婚約者の橘の宮を庇いたかったのは理解できるが、私の心が許せないんだ!」
「私が守りたかったのは橘の宮ではありません! 柊の君、あなた様です! 東宮位に就いたばかりで血を流すことになるなど、東宮様の汚点になってしまいます! ……咄嗟にあれしか、もみ消す方法を考えつかなかった。皆を脅して黙らせた私は、鬼と、悪姫と、何と言われても構わないんです、あなたを守れるのなら!」
私もギュッと柊の君に自分から抱きついた。頼りになる温かいそのお体から、力を分けてほしくて。
「こうして私の腕の中で震えて泣いているのに、やはりあなたは強い。子供の頃は、キャンキャン鳴く可愛い子犬のようだったのに。もう大きくなって、立派な牙を持った。不用意に姫を攻撃した橘の宮は、その牙で喉元に噛みつかれて、息も絶え絶えだ」
「人を獰猛な獣の様に言わないで下さい。あなた様をお守りするのに必死だった私に、酷うございます」
「今宵あなたを護る獣は、私がなるはずだったんだがな。……さあ、着いたようだ。四の姫、お目を閉じて」
「なぜ? どうせ闇夜で碌に見えませんのに。……はっ! まさか御所に連れて来られた訳ではございませんよね」
「さすがにあなた連れで御所に忍び戻るのはできない。私の知り合いの邸の棟を借りたのだが、姫にはどこ所縁の邸か悟ってほしくないんだ」
「こんな深夜の訪問、非常識ですものね。お互いに知らないふりをした方が、気楽なんでしょうか」
クスクス笑って柊の君が私を抱き上げ、牛車を降りる。私は扇で顔を隠しつつ、言われた通り目を閉じた。
私に感じるのは、柊の君様の御召し物から香る、お文に焚き染められたのと同じ、あの上品な香りだけ。
外の簀子から、中廊下の廂に入ったのかしら? 衣擦れの音などから、何人かの動く気配はするのだけれども、話し声は無い。知り合いの邸とおっしゃられていたから、東宮様と知っていて、畏れ多くて誰もお声を懸けられないのね。
闇夜で暗いはず? とはいえ、私も極力顔を見られないように、恥ずかしくも抱かれて運ばれる間中、扇と袖の両手で顔を隠す。
御簾をくぐり、そっと床に降ろされた。もうお目を開けてよいと言われて見てみると、小さな灯りが一つだけ奥に置かれていて、立派な御簾と複数の几帳などに囲まれていた。薄暗くて、よく見えないけど。
しかも、あの、それだけではなくて、寝床の用意もされているわ。もう、確かに真夜中なので、いろいろありましたし、眠りたいのですが。柊の君、なぜいつまでもここに、私のお隣に座っておられるのですか? もう腕はお放し下さい。
はっ! そうよ、ここは東宮様のためにご準備されたお部屋よ、決まっているではないの! 私ったら、のんびりね。では、早々に失礼させていただきましょう。
「あの、『東宮様』お疲れでございましょう、どうぞごゆっくりお休みなさいませ。私はこれにて御前を失礼させていただきます」
さり気無さを装ってそっと身を離し、伏して礼を取った後に、部屋から退出するために後ろの御簾へと、ずりずり下がる。
「四の姫、どこへ行くおつもりか? 今宵は『恋人』の逢瀬だよ。ようやく二人きりになれたのに」
「あ、あのですね、柊の君。私、東宮様に『正式』に入内が決まっておりますので、恋人との逢瀬は禁じられておりますの。世間体、というものがありますので。東宮様にも、このお邸の主にもご迷惑をお掛けできませんので、清いお心でお休みしましょう」
命の危機から乙女の危機に変わった!? とてもではありませんが、柊の君に、東宮様に目が向けられない。頑張れ私! 何とか逃げるのよ!
「大丈夫、『東宮』は、何も全く気にされないよ。何故なら、恋人しか知らない事だからね」
柊の君が爽やか気にニッコリ微笑む。けれど無邪気とは言い難い。むしろ邪気が漂っているような……。
「東宮は、今宵私が一晩中お護りすることで、むしろ安心されるよ。それに、世に悪名を轟かせている右大臣家の四の姫は、今更になって世間体は気にしなくてもいいのではないかな」
「悪名とは、酷いおっしゃりようです」
「そうだね、本当は怖がりの泣き虫だからね。私は知っているよ。だからもう恐ろしい目に会わないように、こうして護って差し上げる」
せっかく離れたのに、あっさり腕の中にと引き寄せられてしまった。緊張のあまり、冷や汗が出てきた気がするわ。
「東宮は、ようやく手に入れた最強の姫を二度と手放すおつもりはないよ。私も可愛い人をもう誰にも奪われたくはないんだ」
「最強? 単なるか弱い姫ですわ。武器みたいにおっしゃらないで」
「最高の権力を持つ右大臣が溺愛する四の姫。あなたを妻にできた者が、東宮になると言っても過言ではない。右大臣家の権力をもたらす姫が、その者の最強の盾であり剣にもなる」
あれ? 橘の宮もそう言われていたわね。権力の象徴みたいに言われるのは、とても不快だけれども、事実なのでしょう。政略結婚てそういうものだもの。でも、柊の君もその力が欲しくて私に執着するのかしら? 失恋以上に傷つく。
「私と橘の宮との間では大人の権力闘争のため、生まれた時から四の姫を、あなたを引っ張り合い、奪い合ってきた。私の父帝が優勢の時は私の、兄帝が優勢の時は橘の宮の婚約者になった。左大臣家では相応しい姫はまだ生まれていなかったし」
「知らなかったわ……」
「ある日、私の婚約者の姫が、寝込んで死にそうになっていると聞かされた。無理矢理お見舞いに押しかけて、子犬のような小さい姫に、強引に食事を摂らせた」
母上が亡くなられて落ち込んでいた時のことね。周りの大人は腫れものに触るように私に接していたのに、この若宮は、乱暴なほど、本当に強引だったわ。おかげで元気になれたのだけれども。
「その時から、この姫は私のものになったんだよ。何もできない子供と言われた私が、初めて自らした事で、姫のお命を救うことができて嬉しくなった。恥ずかしい初恋だよ」
真夜中なのに、心に明るい光が差し込んだわ! 柊の君も私が『初恋』なのね! あなた様にとっても、政略結婚だけではない、私にお心を向けて下さっているのよね!
「あの後一年もしない内に、権力闘争の関係で、姫は橘の宮に奪われた。私は保身のため、一切姫に近付けなくなった。もう駄目だと諦めるしかないと思っていた時に、絶好の機会が回って来た。……もう、この機会は逃さない。姫は私のものだよ。東宮も、私も姫は二度と手放さないと決めたんだ」
うおっ! 目つきが変わられたわ! 昔を懐かしむ眼差しから、激しい炎の熱が籠ったものに!
こ、怖い~! 思わず目をつぶったのが失敗だった気がする。
唇に温かいものが優しく触れた。最初は、小さく震えて怯えている私を宥めるようだったけど。
シュルシュル、ゴソゴソと衣擦れの音が私の耳にやけに大きく響く。
その後は、とてもとても大変で、初めてのことばかりだったわ。乱暴ではない。決して乱暴ではなかったのだけれど。
恥ずかしくて小雪にも絶対に語れません!
途中、予想以上に大きく立派に育ってくれてとても嬉しい、と柊の君に囁かれた。だから何が? 私、そんなに背丈は高くありませんし、太ってもいませんよ!
とてもとても大変だった夜を乗り越えて、柊の君がお帰りになった後、ぐっすり眠っていたら、何故か小雪に揺すり起こされた。
「あれ、小雪? ……他所のお邸まで迎えに来てくれたの?」
「他所様のお邸ではありません! 何、のんびりな事をおっしゃっているのです。ここは右大臣邸です。もっとも、普段使われない、姉上の女御様の里内裏棟の一室ですが。まさか東宮様をご結婚前の姫様のお部屋にお通しできませんので、今誰もおられない里内裏のお部屋にご案内するよう殿に言われたのです。さあ、御仕度してご自分のお部屋にお戻り下さい!」
夜明けの日の光で庭を見ると、確かに里下がりされた姉上様のお話相手をした時に、お部屋から見えた庭だわ。
何が知り合いのお邸よ! ここ、私の邸ではないの! 柊の君に思いっきり騙された! むき~! また意地悪よ!
考えてみれば、突然深夜に他人の邸を訪問できるはずもない。密かにとはいえ私が攫われて、心配して待っている右大臣邸に戻るのが一番安全なのよ! 何も説明しなくて済むもの!
思い起こせば、牛車の中から聞こえていた物音からすると、従者の数も多かった気がするから、きっとお迎えも来てたのよ。
身なりをきちんと整えたところで、小雪が柊の君からのお文を差し出した。
結婚初夜後に殿方から送られる後朝の文だわ。ドキドキして開いて読んだら、少しの間恥ずかしくなって動けなくなった。
お部屋に戻ってからお返事は書くことにする。
「ああ~、姫様! 良かった、ご無事だったのね! うわ~ん!」
あら、百合姫、まだ右大臣邸におられたのね! ああ、そんなにお泣きになっては、美しいお顔が紅く腫れてしまいますよ。でも美形は泣いている様も、庇護欲をそそってお美しい。姿絵にしたら、紅葉の少将が喜びそう。
「無事……? ええ、命と髪は無事でしたわ」
百合姫、抱きついて、お顔を私の胸で拭うように擦り付けて泣くのは止めて下さい。見かけは儚げな天女でも、殿方の腕力で締められて苦しいわ。
「ああ、大きく温かく柔らかい。生きておられるのね、本当に良かった! 鬼だなんて、酷いこと言って御免なさい。四の姫様、怒っていらっしゃる? 私のことお嫌いになった?」
なぜ、皆『大きい』と言われるのかしら? 当然、殿方の百合姫より背は低いのに。
「何を言われるのですか、百合姫。私達は親友ではありませんか。心配して下さってありがとう。でも、まだここにおられたのね」
「昨夜攫われたのは『女房』だから、四の姫様がいなければ、おしゃべりな家人や小雪以外の女房に怪しまれるって言われて。いつお戻りになられるか分からないから、それまで姫様のふりをしてくれって、また頼まれたの! といってもここで、几帳の陰にいるしかできなかったけど」
ご迷惑をお掛けして本当に御免なさい、と再度深く謝る。お互いに正体が世間に露見なくて本当に良かったですね。
再度、姫君の友情を固く誓い合ってから、百合姫も日が高くなる前にお帰りになった。急がないと出仕のお時間に間に合いませんよ。
やっと静かになったお部屋で、柊の君にお返事を書いていたら、今度は山吹の君がやって来た。
瞼が紅く腫れあがっている。この子にも迷惑と、心配を掛けた。改めて深く謝ったわ。
「本当に、肝を冷やしたよ。新東宮様は御位に就かれてすぐに、僕をお呼びになって……」
呆れた! 晴れて婚約者がいなくなった私に、柊の君は兎に角会いたくて、山吹の君に逢引きの手引きをするように無理矢理命じた。お諫めしたけど、どうしても諦めない。噂で私にあちこちから求婚の文が届いていると聞いたから。
困った山吹の君が父上に相談したら、内々に入内の話が進んでいるし、ご命令ならば従うしかない、と言われたらしい。
しようが無く、山吹の君は私を二の姉上が嫁いでおられる兵部卿の宮の宴に引っ張り出した。これは鬼騒ぎになってしまった。
次に、参詣予定を聞いて、邪魔が入らないように私と再会しようと、旅先での逢引き計画を実行。御所をこっそり抜け出し、東宮様は別邸で待ち構えておられた。
二人で昔を懐かしみながらゆっくり過ごすはずが、牛車の不具合で危うくすれ違いになりそうになる。東宮様のご命令を実行できないと、山吹の君は大泣きすることになった。
宿にしたあの別邸は、実は東宮様の持ち邸で、今は前東宮様の隠居所になっているらしい。
昨夜あそこから、前東宮様は橘の宮のために駆けつけられたのね! 本当にお二人の宮様をお可愛がりになられているのだわ。
父上は小雪にだけ、私の恋人の正体が東宮様であることを話し、忍んで来られた時の人払いや、お文を渡したり、色々な用事や都合に合わせるよう命じた。
小雪は、心配して訪問した白梅の君と東宮様がかち合わないようにしたりなど、大変だったらしい。でも昨夜、鬼に会いたい紅葉の少将が庭に潜んでいることまでは、気付かなかったそうだ。一人で多くを抱え込んでいたのね。
周りの皆に、私、騙されたわ。都合良すぎる事に気付かない私って、本当にのんびりだわ! そう言えば、百合姫は何かを疑っていたような気がする。
でも、今回の入内は、単なる政略結婚では無いことが私にも伝わったわ。橘の宮の時の私とは違う。あの時の宮中では、私は橘の宮を護るためではなく、自分のためにしか戦わなかった。
今なら咲耶姫は優しいと言っていた、橘の宮の『優しい』の意味が分かる気がする。宮をどう護ったらよいか分かっていなかったのね。甘えたい宮と私との相性も悪かった。
今度、私は東宮妃として入内し、再び悪意渦巻く宮中で戦うことになる。でも私は一人ではないはず。柊の君も一緒に力を合わせて戦ってくれるって信じられるの。
退場した悪役姫は再び宮中に戻る。東宮様の盾となり剣となるため、もう逃げないわ!
そして大事な恋人、柊の君であり東宮様のために、例え悪役姫、鬼と呼ばれようとも、どのような戦いにも勝ち残って見せる!
だから、柊の君、楽しみに入内を待っててね。
終わり。
拙い作品を読んでいただき、ありがとうございました。