婚約破棄に振り回される王様
この話を始めるに当たって、まず語るべきはこの国の歴史だろう。歴史と言っても、どの王が何をしたとか、そういった細かい話ではない。もっと大雑把な、現状に至るまでの大筋の様なものだ。
この国の歴史は長く、余りに長すぎて一般的な歴史の講義では細かい事柄を追う事は適わず、一つ学んだかと思えば次は百年後の王の話だったというのがざらにある。歴史学者は時代によって専門となり、全てを語れる者はいないと言われている。
それ程までに長く存続出来たのは、周囲に外敵がなかったというのもあるが、一番は国を治める人間達の気性にあった。歴代の王と貴族達は誰もが民を思い、誰かが道を踏み外そうという時には諌める事の出来るという人格者達であった。中には欲深い者も居たのだが、それが続くという事はなく、貴族間の力関係は緩やかな変動のみで大した変化は起こらなかった。
そんな長い歴史の中では、貴族達は互いの協力を得るべく婚姻という血の繋がりを利用するという、当たり前の事が行われてきた。建国初期は近場の領地から。そこから徐々に遠方の領地とも婚姻を結ぶ事が増えていった。
そうして数えるのも疲れる程の年月が過ぎ、今代の王が生まれる二十年ほど前に、一人の歴史学者がある発表を行った。
『各貴族家の家系図を始めから追っていくと、なんだかんだで全ての貴族達は皆血の繋がりを持っている』
その時、それまで祖父の代か、或いは曾祖父の代までしか血縁を意識していなかった貴族達に、衝撃が走った。
それじゃあ、これまでライバルだと思っていたあの家も遠い遠い親戚なのか。あ、この家とは五十代前の当主に嫁がきてるし、無理に婚約しなくてもいいか。
そんな話が其処彼処で聞こえ出し、政略結婚は何故か下火となった。
その後、先代の王が平民の子と結婚した事で、王太子もしてるんだしいいじゃないと平民との禁断じゃない恋が一時ブームとなり、先先代の王を苦しめたのだが、これは本件とは関わりがないので割愛する。
それらの前置きをして、今代の王の話をする。
今代の王は、先代とは違い、特にロマンスと呼ばれるものもなく、普通に公爵家の令嬢と恋をして、普通に結婚した。子宝にも恵まれ、王子が三人、王女が四人。ちょっと張り切り過ぎだ。
やがて第一王子が貴族や有力な平民が集まる学園に入った頃、王の苦難の時が始まる。
先先代の苦難を聞かされて育った王は、第一王子に婚約者をあてがったのだ。その婚約者は王妃の友人である侯爵夫人の娘で、多少高飛車な所はあったが、幼いながらも器量好しの美幼女であった。
婚約者は王子を好いている様子で、第一王子はあまり興味はなさそうだったが、いずれは良き夫婦となるだろうと王は楽観視していた。
そんな中で、王に最初の一報が届いたのは入学して一月経ったある日の事だ。
どうやら、王子が同じクラスの男爵令嬢を気に掛けているらしく、婚約者の侯爵令嬢はそれが気に入らないらしい。
そこから次々と王子の近況が送られていたが、政務で忙しく、手を出せぬ内に卒業の時期がやってきた。余談だが、王はこの時政務が滞ってでも何とかしておけばよかったと、酷く後悔している。
『侯爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と婚約するので許可を下さい』
そう添えられた手紙には、侯爵令嬢が男爵令嬢にした嫌がらせなどが書き連ねられていた。王は当然婚約者の居る相手に手を出すのが悪いのではと思いもしたのだが、無理に結婚させて険悪になるよりはいいかと婚約破棄を認めた。これが、いわば王の第二の過ちだろう。
男爵令嬢と王子の恋は物語として市井にも伝わった。王はこの時点では、楽観視していた。
『侯爵令嬢と婚約するので、許可を下さい』
その書類が届いたのは、破棄の一年後だ。侯爵令嬢とは件の侯爵令嬢であり、それはとある伯爵家の子息からの申請であった。それに判を押す際、何故か悪寒を感じたが、王は侯爵令嬢への罪滅ぼしも兼ねて申請を受理した。第三の過ちである。
その後、市井では婚約破棄された令嬢が幼馴染の伯爵子息と真実の愛に目覚めるという物語が第ブームを起こした。そして、その熱は影響を受けやすくある意味ちょろい貴族達にも伝わってしまったのである。
『子爵令嬢と婚約破棄し、貴族位を返上します』
『男爵子息と婚約破棄し、騎士様と結婚します』
『伯爵子息と婚約破棄し、その父である伯爵の後妻になります』
『男爵令嬢と婚約破棄し、その令嬢と兄が婚約し、私は彼女の姉と婚約します』
『多分婚約者様は別の方を好きになると思うので、婚約を破棄してください』
『恐らく私の婚約者から婚約破棄の申請が届いていると思うのですが、無視して下さい』
『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『婚約破棄』『破棄』『婚約』『破棄』『婚約』『破棄』
もう勝手にしてくれ。そう王は誰かに投げ出したくなるのだが、そうもいかない事情がある。
この国の法律には、貴族の結婚には王自らの許可がいるというものがある。当然婚約も婚約の破棄も王の仕事だ。連日届く婚姻関係の書類に、政務は第一王子に引き継がれた。
その後二十年ばかりも婚約破棄のブームは続き、王の在位はその間も続いた。第一王子はこの王の現状を知り、即位をなんやかんやと拒んだのだ。早く退位して孫を可愛がりたい王のストレスは日々高値更新中だったという。
「なんなのだ、この配役とは。入学時に立ち位置を決めて、その通りに動く? 芝居と変わらんではないか」
王が見ているのは、学園の報告書だ。婚約破棄予備犯の巣窟と言っても過言ではない学園を、王は人一倍警戒している。これもそんな中で上がってきたものの一つだ。
報告によると、入学時に生徒の一部からランダムで選ばれ、それぞれに設定がつけられるらしい。今年は、悪辣な子息と、その婚約者の可憐な令嬢、令嬢を陰から支える幼馴染の子息、悪辣子息に目をつけられた強気な平民少女、悪辣子息に立ち向かう騎士見習い、婚約者の令嬢の友人で世話焼きの令嬢が一グループで、他にも何グループか存在する様だ。
そのグループ内で、カップルとなる存在は決められているらしい。しかもそれは初対面の状態で決められ、上手く行くはずがないと王は思っていたのだが、結果は婚約破棄と婚約の申請で伝わってきた。
最近ではスタイリッシュ婚約破棄などとよく分からない言葉まで生まれている。意味が分からない。
「のう、誰かわしに毒を盛ってくれんか。大丈夫、罪には問わんから」
「退位したいからって、それは許可できませんよ陛下」
「ぐぬぬ、わしだって孫を構い倒したいのじゃ」
「諦めてください」
結局、王が願いを叶えたのはそれから五年ばかり後の事であった。
婚約した令嬢が、一途に相手を想い、両思いになるという物語が流行したからだ。王は何を当たり前の事をと一時激怒したが、即座に退位が可能になった事で機嫌を取り戻した。
王は無為な激務によって失った時間を取り戻すかの様に孫達を構い倒した。
退位から十年経った頃、令嬢達の間で沸き起こった謎の爺ブームに巻き込まれ、ご隠居は人生初のモテ期とこれまた初めて妬かれた妻のヤキモチに右往左往する事になったのだが、それはまた別の話ーー。