第3話 《新たなる生活》
名前と職業を決めたノアは、アリアという女性に聞いた道のりを歩いていた。
「よ、ようやく町が見えてきた…」
その台詞から取るに、近いという言葉で収まるような物でもなかった。
歩いて30分…確かに遠くはない。しかし近いという物でもないその距離を歩いたノア。そこでようやくアリアが言っていた町を発見する。
「結構大きい町だなぁ…とりあえず、先に宿屋にチェックインしなくちゃ。えっと…お金は…うっ、この世界のお金の単位もアリアさんに聞いておけばよかった…」
そうぶつくさ言いながらも、嘆いていたって仕方ない。そう思いながらもノアの足は確かに前に進んでいた。
町中には色んな人がいる。店の主や多数の冒険者、商業人、暇人もいたりなんかした。まず探すのは宿屋…なのだが、それらしき物がどれかすらわからない。
「うぅ…人混みはあまり得意な方じゃないんだけどなぁ…」
そうだ。ノア…未來は現実世界の時でも友好関係を持つ人間なんてものは、ほとんど居ないといっても過言ではない。学校はちゃんと高校も卒業している。不登校になった時期はあったけど、それもなんとか克服してきた。でも、それでも友達なんてものは片手で数えるだけしかいない。とても嫌な思いをした事だって何度もある。でもコミュ症なんかではない。ただ…人と接するのはあまり得意ではないようだ。
「こ、こうなったら…て、あっ…」
自分の目が節穴だった。そう言わざるを得ない状況に陥れたのは、紛れも無いノア本人だった。
高い…自分より少し高いところを見上げる。するとそこにはしっかりと《宿屋》と丁寧に漢字で書かれている看板があったのだから。
顔を真っ赤にしながら宿屋に入る…あれだけ町の真ん中で挙動不審な行動をしていたら、色んな人からの注目を集めることに間違いのはノア自身も知っていた。証拠は現に今さっきまでそうなっていたことにある。
「いらっしゃいませー!」
宿屋の中は明るく綺麗なものだった。しっかりと手入れが施されている床に壁に天井。埃なんてものは目に見える範囲じゃまず見当たることはない。
店員は女性の店員で、小さい身長に、控えめな胸と見るからにまだ子供である。
そして無造作な金髪の髪型を左右に振り乱し、元気をアピールするように接客している。年齢的には14歳くらい…。八重歯がちょっと可愛らしく出ていた。
「あれ? お客さんあんまり見ない人だねー? それに冒険者? だよね? 武器も持たないで出歩くなんて怖い者知らず通り越して神経伺うよー?」
と、笑顔で言ってくる少女。その言葉にいささか反論をしようとしたが、事実…武器無しで出歩いていた自分が不用心過ぎると感じてしまい、出る言葉も出なくなってしまった。
「でもこーして生きてるんでしょ? それならよかったんじゃない?」
それだけは確かにそうと実感した。生きててよかった…そう思えるくらい。
「あ、あの…部屋をおひとつ長期間でお借りしたいのですが…」
「あーはいはい。ちょっち待ってねー。具体的にはどれくらいー?」
少女がこの店のマニュアルである本をペラペラとめくりながら言った。料金やら何やらで色々と調べなければならない。
無論、ノアもここの料金システムは知る訳もなく、あたふたした様子でアリアからもらった布袋を取り敢えずカウンターに置いてから…
「と、とりあえずこれくらい…持ってるんですけど…」
ドシャリと、静かに置くつもりが意外と重かった為に不本意で乱暴に置いてしまう形になってしまった。
少女はその布袋から溢れた金貨を手にして驚きの声をこぼす。
「お、おおー…お客さん、実は物凄い強い冒険者だったりします? それともどこかの大陸の大富豪の方だったり!?」
ノア自身、この量の金貨は結構な額である事は予想していたつもりだった。日本円で言うなら大体40万円前後くらいにはあるものだと。しかし、ここネムレスの世界での金額についてはわからないのが正直な話。だからこそ、とりあえずは用いる金貨を見せたのだが…あまりにもすごい反応だったからびっくりするものだ…。
「い、いえ…たまたま通りすがりの方から譲ってもらいまして…」
「ま、まさか…可愛い顔してカツアゲでも!?」
「違います!!」
ですよねー、と…安堵の声を漏らす少女。しかし、だとしたら? と続けて…
「くれた人とかのお名前ってわかりますー?」
そう質問した。更に…
「いやー、たいした事じゃないんですが、ウチのお店はブラックプレイヤーは立ち入り禁止なんですよー。お客さん、ネムレスカード見せてもらっていいですー?」
そう言われて、とりあえずはネムレスカードを出してみる。別に悪い事したつもりはないし、ネムレスカードだってついさっき、アリアに教えてもらって作った訳だから。
「ブルーですねー。とりあえず悪い事はしてない、と…ノアさん…見習い魔法使いでレベルが1ですかー…って、1レベル!?」
1レベルに反応する店主。ノアもそこにばかり反応する店主に失礼な人だなぁと愚痴を小さくこぼした。
「譲ってくれた人の名前は、アリア・セイクリッド・グラスさんです…」
「ええっ!? 氷結の帝に!?」
氷結の帝? ノアはそう呟き首を傾げる。ここに来たのはつい先ほど。そしてアリアに会ったのもつい先ほど。それ程にまですごい人に会ってしまったなんて、この世界初心者であるノアじゃ全くもって理解出来なかった。
「し、知りませんか? この世界に存在する誰もが知っているはずですよ!?」
「も、もしよければ教えてもらえるかな…? わたし、あまり勉強とかしてなくて…」
ここに来て、まだまもないノアにこの世界の豆知識や常識などわかるはずもない。その質問に対して店主はいいですかと言わんばかりに答える。
「この世界には、6人の帝と、3人の伝説がいます。氷結の帝であるアリアさんの他に、焔皇の帝、迅雷の帝、神風の帝、聖光の帝、邪神の帝、と…6人の帝がいます。そしてその上にいるのが、もっとすごい人達です。超時空の剣聖、無軌道の銃神、暴風雨の槍武。ネムレスワールドの英雄たちですねー」
「アリアさん…そんなにすごい人だったんだ…」
「アリアさんは、ここオラクル大陸唯一の帝ですねー。その上にこの大陸には剣聖もいますし…そういった話では他の大陸もオラクル大陸には中々に手が出ないんですよねー」
「で、でも他の帝や英雄がまだいるってことなんだよね…?」
「そーですけど、他の帝なんて剣聖さんからしたら多分オマケ程度のものなんですよー。他の英雄にしても剣聖さんよりはほんのすこーし弱いですー。格付けするなら剣聖、銃神、槍武って感じですかねー? アリアさんだって帝の中では上位にいますしー」
「剣聖さん完璧すぎませんか!? その上、アリアさんも帝内でお強いとか…えっと、オラクル大陸? ってそんなにすごいんだぁ…」
何故か未だ見たことのない、剣聖の顔をイメージして作る…きっと筋肉質で大剣とかを片手で振り回すような人物なのだろう、と。
「ノアさんはもー少しこの世界について勉強した方がいいですねー。歴史とか社会とかを学ぶべきですー」
「は、はい…」
痛いところを突いてくる…自分より明らかに歳下であろう少女に勉強について語られることなど、少なくとも現実の世界ではまずなかった。
しかし、この少女の言う通りだとノアは同時に思う。何も知らないこの世界を自らの目で観察し、その足で歩き、戦い、生き残り、そうすることで現実の世界に戻れる可能性が少しでも近付く。その為には、それは前提条件となる訳で、避けては通れない大きな壁となる物だと、ノアは心のどこかでわかっていたから。
人と話すのは得意ではない。長時間歩くのは苦手。戦いなんて、現実の世界にいた時から、引っ叩き合いすらしたことない。一人で料理なんてことをした暁には必ず焦がす。その為、生き残る知恵も、そのほとんどが他人任せなところが大きいのだ。
この世界で、家族とも離れ、まだ数時間ほどしか経っていないのにも関わらず、実感した初めての一人生活。これからは一人で何でも出来るようにならなきゃいけない。今までサボってきた勉強も、料理も、もっと早くに練習なりなんなりしておくべきだったと後悔してしまっている…が、同時に覚えるにはいい機会なのかもしれないと喜びとやる気もあった。
「まー、いきなり覚えろーだなんて難しいですけどねー。少しずつ頑張ってくださーい。はい、これ“合い鍵”ですー。階段登って、左の通路の一番奥の右側の扉がノアさんのお部屋になりますので、ごゆっくりとこれからの生活に役立ててくださーい」
…合い鍵…?
「あの、合い鍵…って、それに、これからの生活に役立てて…って、わたしは宿のお部屋を借りに来たんだけど…?」
「あのですねー。少なくともウチは経済面、金銭面的には困ってることないんですよー。そんな時に長期間の宿泊って話でですねー…8000万ネムなんて超級大金出された暁には、ノアさんは約215年、ここで過ごせるんですよー。ウチは一泊1000ネムですからねー」
「8000万円!? じゃくてネム!? そして215年!?」
…そんな大金、布袋なんかに入れないで欲しいと思ってしまう。
「えっと、一日1000ネムで…一ヶ月は…むむっ?」
「単純な計算ですよー。一ヶ月は31日と30日のどれかなので基本的に3万1000ネムか3万ネムですー。1年は365日ありますので1日1000ネムで365日支払って頂きますと36万5000ネムですねー。1年の支払いである36万5000ネムを215年支払って頂きますと7847万5000ネムになりますねー。まだお釣りが来るってことですよー」
…ちょっとしかない。そう言われて渡された布袋…そんな中に8000万円という大金を詰め込み、それを平然と笑顔で渡してくるアリアの姿が脳裏に浮かんだ。
言葉巧みに、宿屋で一ヶ月…とまで嘘で覆って、その現実はこの大金…。
人によってはこんな大金誰でも喜んで尻尾を振る犬のように、それを受け取るだろう。しかし、中にはそれを遠慮して受け取らない人もいる。ノアは完全にそれを遠慮し、相手のことを優先に考えるだろう。
それをアリアは、一目見て即座に見抜き、遠慮させることのないように渡した。
そこまで考えてから、ノアはすぐに思った。自分はその人にとてつもなく助けられてしまった…のだと。
「ノアさーん?」
少女が頭にハテナを浮かべ、小さい子供に目線を合わせるかのような仕草で顔を覗き込んでくる。その行動でようやくノアは我に返った。
「は、はい!?」
「とりあえず、ウチでの暮らしについてはこの契約で行こうと思ってますー。部屋は先程教えた場所でお願いしますー。ご飯は朝、昼、夜、ともにありますのでその時間になったらお部屋に運びますー。お風呂は部屋にあるのを使ってくださーい。掃除は13時から14時の間に終わらせますー。外出する場合は必ず鍵を閉めてからお出掛けくださーい。その他わからないことがあればウチはカウンターにいますので、お尋ねくださーい」
「し、食費や光熱費、家賃とかどうするのかな…?」
「家賃は一日1000ネムで構いませんよー。食費と光熱費は頂きませーん。ウチの稼ぎだけで充分に間に合ってますのでー」
…一体どれだけ稼げるのか…気にはしていたのだが、それだけだととても安過ぎる…。
「その代わりなんですがー、ノアさんにも掃除や料理などをお願いするかもしれませんがー、よろしいですよねー?」
「えっ…」
何度も言うが、ノアは掃除は出来るにしても、料理のスキルは皆無に等しい。作らせれば必ず真っ黒な暗黒物質が生まれる。
以前に、まだ現実世界にいた頃の話で、オムライスを作っていた最中のこと…卵は綺麗な黄色を残してケチャップライスの上に乗っていた。しかし、肝心のケチャップライスに関しては暗黒物質同然。フライパンに面している部分が焦げ煎餅を黒く苦くした物に変わっていた。焦げたのはケチャップライスの下の部分に当たるので、それに気付かず家族にご馳走したところ、ケチャップの味は強い。塩胡椒は入ってない。卵の中には当然のように殻が入っている。玉ねぎは黒くなっていて何故かサクサクする。と全員にダメ出しを受けてしまった経験があった。
「はいー。とゆー訳で契約は完了ですのでくつろいでってくださーい」
「は、はい…」
料理が出来ない…だなんて言える訳もなかった。
ノアは用意された自室に行き、即座にベットに倒れ込む。
「うぅ…まさかリアルも二次元も、同じように料理とかもするだなんて…」
それだけの愚痴をこぼし、ノアは死んだように眠ってしまった…。




