第2話 《新生活の始まり》
しばらく意識を失っていた。眼が覚めるとそこは森の中だった。どれくらい眠っていたのかなんてわからない。
身体を起こして、取り敢えず落ち着いて意識を失う前のことを考えてみる…。ライトと呼ばれる人物とメールをしていて、新しいゲームをやろうと言うことになり、ダウンロードをしたら急に光り輝き…それから…。
「…騙されたんだ…わたし…」
茶色いショートヘアーの髪の毛に着いた砂をほろい、立ち上がる。周りを見てもそこは森。緑が広がるだけで町らしい物は見当たらない。
帰るにも、どこに帰ればいいかなんてわからない。帰る場所なんてこの世界にはないのだから。
ライトと言う二年間、仲の良かった友達に裏切られた彼女…帰る家を失った彼女…。自然と熱い物がこみ上げてきた。泣いたってしょうがないのはわかっていても、失った物は大きい。
しかし、彼女にはそんな時間すらも与えられなかった…。
先ほどから聞こえる荒い息…ガサガサと草木の茂みを踏み荒らす音…。彼女も不味いと思ったその時だった…。
灰色の毛を立てた狼が現れたのだ。黄色の眼は獲物を強く睨み、剥き出しの牙は先ほど捕食したであろう者の血が滴り、今その貪欲な獣は彼女を襲おうと威嚇している。
「あ…あぁ…」
怖くて足が震える。地面に着いた手はそのまま動かない。目線はその狼から外せない。ふと、頭に自分の死に方が過る。きっと全身を噛みちぎられ、何てこともない狼の一時の餌になるのだと…。
悲鳴すらも上がらなかった…それ程にまで恐怖で身体が固まっていたのだから。
現実の世界だったら、こんなことは日常ではなかった。だから急にこの世界に飛ばされて、急にモンスターと曹禺しても、当然と言えば当然の如く戦い方なんてわからない。
それに相手には牙という凶器があっても、こちらは女性…挙句、武器という武器なんてない。
そしていよいよだった。その狼は10メートル先から大きな跳躍を見せて、未來に襲い掛かった。
彼女は目を閉じて諦めた…今の自分ではどうしようもない。大人しくこのまま餌になって…と、そこまで考えていた。
ーーー刹那
飛び掛った狼は、未來の寸前まで来て宙から落ちた。
「…ふぇ?」
目を見開くと、その狼は紫色の氷に包まれ、まるで冷凍保存されている肉塊のようになり、その冷たい檻の中で絶命していた。
「ど、どうなってるんだろ…」
と、その氷に触ろうとした時だった。未來の後ろからまたもや草木を踏む音が聞こえる。同時に身体に電気が走ったかのようにビクリと震えた。
「…あなた…大丈夫…?」
未來が振り返る…そこには銀髪で、少しウェーブの掛かった髪の毛を揺らし、綺麗で整った顔立ちが印象に残る女性が心配そうに立っていたものだから…。
不意に涙が出た。この世界で、初めて人と出会った喜びと、つい先程までの恐怖の振り返しで今度は不思議と涙が出る。
「ちょ、ちょっと…!? 別にあたしは何もしないよっ? ただ人がグレードッグに襲われそうだったから助けただけなの…。だから、安心していいんだよっ…」
そう言い、その女性は未來の前でしゃがみながら、そこまで膨らみのない胸のポケットからハンカチを取り出し、涙を拭いてくれる。
「ありがとうございますぅう!」
「また泣かない! もう…拭いても拭いても拭ききれないよ…」
「だ、だってぇぇえ!」
何分か泣き続ける未來の涙を、何度もハンカチで拭く彼女。その度にため息が出てしまい、頭を撫で続けながら涙を拭く。
そして、しばらくして落ち着いたところで未來は事の経緯を話した。
何もわからずこっちに来てしまったこと。友達に裏切られたこと。帰る場所がなくなったこと。それ全て、その女性に話した…。
「え…っと…つまりあなたは、そのお友達って人に騙されてこの世界に入り込んでしまったってことかな?」
その質問に未來は力無く、頭を縦に振ることしか出来なかった…。
「うーん…助けてあげたいのは山々なんだれどね…。あたしもこれから帝国に行って書類とか提出しなきゃいけないし…。どうしよっかなぁ…」
「あの…わたしも、その帝国ってとこに着いて行っても……」
「それが出来たらそうするよ。でも、この大陸の中枢機関である帝国は監視が厳しくて…きっとあなただとすぐに捕まってしまうと思うの…」
「そんなぁ…」
先ほど拭いてもらったばかりの瞳に再び涙が浮かび上がる。せっかくの目の前の希望が消えてなくなってしまう…また一人になるのは嫌だ…。そう思わせたその矢先だった。
「あたしの家にしては、ここからだと凄く遠いし…ナギの家を頼っても、あたしの家よりもっと遠い…兄さんの家なんてそれよりも遠いから…あっ!」
「へっ?」
彼女が何かに気付いたようにして、掌に拳を乗せて閃いた素振りを作る。
そして、白いスカートに結んでぶら下がっている小袋を、紐を解いてそれを未來に手渡した。
「ちょっとしかないお金なんだけど、一ヶ月くらいは宿屋で寝泊まり出来るだけはあるから、町に行って宿屋に行くのが今はいいかな?」
「え…えと、でも、わたし…人からお金とか借りるのは…なんて言いますか…」
両手を突き出して、受け取ってしまった小袋を彼女の胸に押し当てる。お金の貸し借りは未來自身好きじゃない。それも、見ず知らずの人から命まで救ってもらい、尚且つお金を借りるなんてことは出来ない。
「借りる? ううん、アゲルよそれ♪」
唐突に彼女の口から出た言葉。それも笑顔で言ってくるものだから、反論しようにも出来なかった。それがとても悪い行いだと思ったからだ。
「困ってる時は、お互い様っしょ♪ あたしは、微塵もそのお金を撒餌にして、あなたに恩を着せるつもりはないもの。純粋に助ける気持ちしかないからあげるんです♪」
その笑顔からは、悪意など欠片も感じられないものだった。彼女は善意で助けてくれてる。それがわかった。それがわかったからこそ、心の中でホッとしていた。
「町の行き方については、東側…つまりこっちだね。そちらの方に歩いて行くと、看板と大きな道が見えて来るから、その通りに進めばいいよっ!」
親切に、指を差しながら教えてくれる。そんな彼女の行動に、少しばかりか尊敬の眼差しで見てしまう未來がいた。
「あ、あの…お名前…聞かせてもらってもいいですか?」
「えっ? うん…いいけど…。でもあたしの名前って凄く忌み嫌われてるものだから…」
「忌み嫌われてる? ですか?」
そこから彼女は少しだけ落ち込んだ顔で下を向き、しばらくしてすぐに顔をあげた時には笑顔になっていた。
「ううん、気にしないで? あたしの名前は“アリア・セイクリッド・グラス”気軽にアリアって呼んでくれたら嬉しいなっ♪ あなたは?」
「はい、アリアさん! わたしは…****って言います…あ、あれ?」
声が…出ない。いや、名前の部分だけになると何故か声が出なくなる。おかしい…何度も発音を試みるが、口パクにしかならない。
アリアはそれを不思議そうな顔で眺めている。
「どうしたの…?」
「名前が…声に出せなくて…」
そのままに伝えると、アリアが「あっ」と言ってまた何か閃いた。
「名前の設定、してないでしょ? だからだよ♪」
そう言って、アリアが「はい」と笑顔で、白紙のプラスチックのようなカードを渡してくる。
「運良く、あたしの使ってない“ネムレスカード”があってよかったねっ。ここに、自分のプレイヤーネーム、やってみたい職業を記入するの。そこだけは確かにゲームっぽいかな?」
「は、はい…。でも、どうやって書けば…」
「カードを持って、目を瞑ります。自分の名前を心の中で三回言って、プレイヤーネームは完了。職業は選択出来る職業が脳内にいくつか出てくるから、そのどれか一つを自分で選択して、完成だねっ。プレイヤーネームは一度決めたら変えられないので注意が必要だよっ? あと、最初に選べる職業は人によってそれぞれ個人差があります。いきなり上級職を選べる人もいたら、職業が一つしかなく、それの選択を余儀無くされたプレイヤーもいるね。自分の好みに合う職業にする人がほとんどじゃないかな?」
アリアの説明を「ほうほう」と首を何度も縦に振る未來…まずは名前を三回…。
未來の名前は、SNSで使っていた固定ハンドルネームである“ノア”と言う名前に設定にした。
「ノアちゃん…うんっ、いい名前だねっ」
そして次に職業…心の中で立派な魔法使いを! とか願いつつも、脳内にまず最初に出てきたのは…。
「…これじゃない…」
盾役で輝く“シールドランサー”だった。分厚い装甲のような鎧を纏い、鋼鉄の盾で味方を守り、一撃必殺とも言える重々しい槍で貫く攻防優れた職業。
しかし、その分疲労の消耗は早く、スピードは全職業で最も鈍足な装備とも言える。
次に出てきた職業は…。
「こ、これも違う…またゴツゴツしたのだし…」
バーサーカー…言わずとも知れる大剣使い。その荒れ狂う剣戟を避けるも防ぐも至難の技とまで呼ばれる。純粋なパワーにおいては右に出るものはない。
だが、一見すると無敵に見えるバーサーカーではあるが、もちろんデメリットは存在する。それは自身にダメージを負えば負う程に攻撃力がアップするという特殊能力のせいで、無傷で勝利することが難しいからだ。その、くせのある特殊能力のせいで斬り合いのさだか死ぬといった事も例外ではない。
ここだけの話になるが、このバーサーカーと言う職業…結構な高ランクの職業だったりする…。
そして未來もといノアにはまだ職業の選択余地はあった。だが…。
「な、なんでまたゴツゴツしたのなの!?」
ウォーリアー。斧を用いる近接型職業。攻防速、どれをとってもバランスの良い職業で、そこからのクラスアップ職業もまたバランスの良いものばかりの人気のある職業だ。
しかし、バランスがいいことがデメリットになってしまい、何かに突出したものがないことに嘆く者も多く、そのせいで武器に依存することが多い。
そして最後になってしまった…。
「お願い…!」
ここでその願いが叶う事になった…のだが…。
「やったっ! って…なんで見習いなのっ!?」
神様の悪戯とでも言える…ノアが願った魔法使いと言う職業の最低辺にあるこの見習い魔法使い。ランクも低く、初期で使える魔法はほとんどない。そして魔力量もやはり低く、挙句には防御力なんてものは皆無であり、ゲームをやっているものならよく聞く紙防御と呼ぶに相応しいものだ。
それでも、クラスアップを重ねればとても強い職業にはなる。魔法使い系統のエクストラ職業にはなれなくとも、その職業の最上位であるセイクリッドマジシャンは、動かなくとも敵を滅ぼす力がある。
「えっと…確かにバーサーカーとかは強いかもだけど…やっぱりやりたいのをやるのが一番かな…」
と、アリアが苦笑いしながらノアに言う。
人にはそれぞれ選ぶ種類が三つある。一つは初期から強いもので始める俺つえータイプ。ただしそれは初めの夢物語であり、中盤まで行くとその夢は終わる。
そして弱いけど自分の好きなもので始めるあたしこれがいいタイプ。険しい道をも乗り越えて自分の好きなものを極めると言う修羅の極意。ただし、最初で躓いて旅の途中で下車する確率が高い。
最後は何でもいいタイプ。ありとあらゆる時間を無駄にせず取り敢えずで始める精神、割り切りが強い。何が強いとか調べてやるより、何も調べずして強くなるのが楽しい。またはそれを生き甲斐と感じるドM思考。しかし、何でもいいで始めたものは中盤以降に大きな損をしている事に気付き、取り返しがつかなくなり引退も早い。引退だってなんだっていいのさ。
ノアは当然二番目のタイプになる。好きなもので始めたいタイプだ。
「最初は見習いでも、絶対に強くなってやるんだから…」
「うんうんっ。その息その息!」
こうしてここから…未來もといノアの新生活がここネムレスで始まった…。




