脱走少年と過保護少女-5
「……味、分からなくなるんだけど」
嗣乃の名作カラスガレイの煮付けは旨いことこの上ないはずなんだが、陽太郎に睨まれ続けて味が分からなくなってくる。
唯一分かりやすいのは陽太郎作の薄い味噌汁が不味いってことだけだ。
「質問に答えればいいんだよ。どこで何してたの? 二人で!」
陽太郎の怒り声は殊の外恐ろしい。二人でを異様に誇張しやがって。なんで今日に限って親がいないんだ。あ、そうか。飲みに行くって言ってたね。
「んなこと知ってどうすんだよ?」
杜太はソファで寝息を立てている。くそ、呑気なもんだな。
「どうもしねーでやるから吐け。桐花といたでしょ? さっきは引き下がってやったけど。あのくしゃみは絶対桐花だし!」
「え? 嗣乃……くしゃみで判断したの?」
これには流石の陽太郎さんもドン引きだ。当然俺もドン引きだ。
桐花は交流会が終わった瞬間、一目散に会場から自転車で走り去ってしまったそうだ。ということは桐花は常に二枚もサバイバルシート持ち歩いてるってこと? すごくね? いや、家に寄ったのか。
「まず桐花があんたといた理由を教えてよ」
まあその辺は事実を語れば良いだけだ。
「いや、寝不足を体調不良と適当に言ったら真に受けられて」
「ほーう騙したのか。桐花を騙したのか」
俺の髪の毛を掴もうと伸ばされた嗣乃の手は、陽太郎に阻止された。やだ、我が兄弟素敵。
「制裁は後で」
後に回してくれただけかよ。
「その、俺の愚痴も聞いてもらったんだけど」
嗣乃の両眼が真面目さを帯びる。
「そうじゃなくって! お願いだから!」
嗣乃の勘の良さはたまに鬱陶しい。
「俺にじゃなくて本人に聞けよ。俺よりお前の方がずっと仲良いだろうが」
すまんな桐花。本人に聞けカードは出したくなかったんだけど。
「えーそこはさ、桐花の悩みを察してあげたみたいな雰囲気にしたいし。んで親密度アップみたいな?」
「てめーストーカー規制法でしょっ引くぞ!」
「おめーも独占禁止法で訴えんぞ!」
「話が進まないから!」
嗣乃大概気持ちが悪いな。さすが俺の家族だ。
「つっき、向井と会う約束でもしてたの?」
「俺がどこにいるか聞かれたから答えただけだっての」
本当にそれだけだ。
「なにそれ? 懐かれてること自慢してんの!?」
「嗣乃うるさい! あのさ、はっきりさせておかないとまずいんだよ」
何の話だ?
「は、はい? あいつなんかあったの?」
まずい。何の話も聞いてないの自分でばらしてどうする。
「え? その辺の話をされたのかと思ってたのに」
「い、いや、あいつは自己否定っぽい愚痴ばっかり吐くから、そ、そういうことしか話題に上がんねーんだけど」
陽太郎も嗣乃も納得していないって顔だが、知らないってことは伝わったらしい。
「……みなっちゃんを本気で怒らせたのよ、桐花のアホが」
「へ?」
「先輩は向井にかなり厳しくてさ」
陽太郎が心配そうに付け足す。
例祭の頃から思っていたが、山丹先輩は桐花への当たりが厳しいのは気のせいではなく、本人がそう仕向けていたのか。
「理由は?」
「向井が公式な場で本名名乗らなかったんだよ」
「は、はい!?」
「今日の司会進行が向井だったのは知ってるでしょ? 開会の挨拶からいきなり向井桐花って名乗っちゃって」
わぁ……クリスティニアさん、それ単なるあだ名ですのよ……。
「閉会の挨拶は本来俺がやるはずだったんだけど、山丹先輩が向井に回して……でも結局自分の名前は訂正しないで終わっちゃったんだよ」
それはまずい。
学校交流会は学園祭までの話だが、今後山丹先輩との仲を考えると黙っているのも限界がある。
「こっちで用意してたレジメにはクリスティニア・フロンクロスって記名してたから、一応説明はしておいたんだけど」
文書になっている内容に背くのはさすがに困る。議事進行に大した障害はないだろうが、議長校の不信に繋がってしまいかねない。
「それで山丹先輩が怒って桐花を一方的に責め立てて。公民館から駅に戻った途端、桐花が走り出して、自転車で逃げて行くの見てもほっとけって感じだったんだよ」
桐花を擁護したくてたまらない気分が首をもたげてくる。でも、我慢だ。
「山丹先輩もやたら桐花にこだわるな」
「なんか自分を見てるみたいで放っておけないんだよ。みなっちゃんって一年生の時にちょうどあんな感じだったって自分で言ってたし。あたしもちょっと桐花の態度にイラっときちゃって、走って行った時に行かせちゃった」
なるほどな。それですぐに連絡して来なかったのか。
「どのくらい一緒にいたの? この話してないって?」
「ああ、いや、なんつーか、なんも話してないに近いっていうか……」
「はぁ!? あんな可愛い子そばに置いとくだけとかクソ興奮するシチュ作りやがって許せねぇ!」
「お前マジで接近禁止令出すぞ!」
気持ち悪い。我が片割れの一人が本当に気持ち悪い。
「嗣乃、つっきは向井の表情を見るだけでコミュニケーション取れるんだよ」
「はぁ!? 何それあたしもそうなりたいんだけど!」
「信じるなよ! んなことできる訳ねーだろ。コミュ障同士互いにしゃべれとか会話しろとか言い辛えだけだっての」
とりあえず山丹先輩にはちゃんと謝罪するよう、桐花に釘を刺しておこう。
「な、何?」
陽太郎と嗣乃が、俺の顔を穴が開くほど見詰めていた。
なんだろう、この不細工な面に穴でも穿って楽しみたいんだろうか?
「……あんた、桐花のことどう思ってんの?」
はぁ、なんでこうも嗣乃にしても瀬野川にしても、そういう関係性を疑ってくるのかしら?
「どうってなんだよ?」
「そんなん察してよ」
嗣乃は相変わらずこの手の単語に弱いな。
「この前よーに話した通りだっての。例祭の後に。どうせ嗣乃にも言ったんだろ?」
気まずそうに頷くなよ。俺は一切口止めしてないぞ。
たまたま同じクラスで席が隣で、委員会が同じで、根暗で、コミュ障で……まあ似ている要素が多い分距離が縮んで。でも、それ以上縮むこともない。
「ご馳走様。残りは明日食うわ」
二尾あったカラスガレイの一尾を残して米が尽きてしまった。いつもなら米をよそって後半戦に突入するところだが、そういう気分にもなれなかった。