脱走少年と過保護少女-1
熱気を帯びた午後三時の風は、すぐに突然冷たい湿気を帯びた風に変化した。
夕立の雲が近づいていた。でも、帰る気は起きなかった。
俺は一体何の役に立っているんだ。
先生も条辺先輩も、俺の何を見て評価をしているんだ。
便利屋や小間使いという地位に不満はないつもりでいた。
だが、やっと気づいた。
肩書きがもらえないのは、自分が自治会に向いていないことを暗に示しているんだ。
行き着いた先は、例のハイキング道にある休憩小屋だった。
人がいなくて適度に涼しくて、夕立を防いでくれそうな場所はここ以外に考えられなかった。
ただ、この場所を選んだことを既に後悔していた。
冷たい風がどんどん体温を奪っていく。
携帯が震え続けていた。
俺なんかをよく探す気になるな、陽太郎も嗣乃も。
でも、今は会いたくない気持ちの方が僅かに勝っている。
ロック画面がチャットで埋め尽くされていたが、今は見る気がしなかった。
携帯はしつこく震え続けた。
なんでチャットなんだよ。音声通話は使わないのかよ。
画面には案の定、『どこにいる』というチャットが飛んできていた。
『ど こ に い る』
まるで俺が見たことを察したかのように、文字ごとにスペースを開けたチャットが届いた。
『ど』
『こ』
『に』
『い』
『る』
と、一文字ずつのメッセージまで。
向井……?
ああそうだ、本人にせっつかれて名前を書き換えたんだった。
反射的に指が動いていた。
寂しさの埋め合わせに桐花を構っているんじゃないかという瀬野川の指摘は正しいようで正しくない。
桐花を構っていんじゃなくて、構ってもらっているのが正しい。
その証拠に、俺の指は桐花に居場所を伝えてしまった。
チャットを送ってからすぐ、自転車が砂利道を走る音が聞こえてきた。
こんな所に来る人が俺以外にもいるとは。
そりゃいるか。すぐ横に水洗トイレも設置されているし。
寝たふりをしてやり過ごそう……って。
「桐花!?」
チャットを送ってから一分も経過していないぞ。
ワープでも使えるのか?
そんなはずないか。俺が居そうな場所くらいお見通しか。
桐花はまるで頭から水をかぶったかのように、大汗をかいていた。
前髪はべったり額に張り付いて、制服のベストは水がしたたりそうなほどだった。
「……怒ってる?」
そんな質問がしたくなるほど、桐花の表情は読めなかった。
怒っているのか、焦っているのか。
「き、桐花、夕立降る前に帰ろう。ここ寒いし」
桐花はショルダーバッグの中から、銀色の薄っぺらい布を取り出して広げていた。
そして有無を言わさず、俺の体に巻き付けた。
「え? 何それ?」
思い出した。
災害用のサバイバルシートというやつだ。
ペラペラなのに、すぐに体が温まってきた。
「あ、ありがとう」
ちょうど雨が降り始めた。気温が一気に落ちていく。
冷たい風が吹き付け、汗だくの桐花が少し身を震わせた。
慌てて桐花にシートを渡そうとしたが、桐花はもう一枚持っていたらしいシートを羽織っていた。
なんて用意周到なんだ。
桐花は俺の横に座った瞬間、汗ばんだ手を俺の額に乗せた。
「あ、いや、そんなに、調子悪くなくて」
でかいため息を吐かれてしまった。
一言もしゃべらないが、桐花なりに心配してくれているんだろうか。