過保護少年と脱走少女-6
時間は午後九時を少し周ったくらいだった。
学生は解散を言い渡されたが、全員社務所の講話室という広い畳の間に集まっていた。
講話室に入ってすぐ、俺の隣に立っていた桐花が吹き飛ばされた。
一瞬の出来事だった。
山丹先輩が、桐花にエグいタックルをかまして押し倒していた。
「き、きり、きり、か……! ガイジンごわがっ、ががえっ、あいがうおうー」
外人怖かった、帰ってきてくれてありがとう……って言ってるのかな?
見た目は完全な外人に抱きついて。
理不尽なタックルを受けた桐花は混乱していた。
というか、俺も混乱していた。この人、いつも凜としてる山丹先輩だよな?
「え? 何? 何があったの?」
嗣乃は完全に呆気にとられていた。
山丹先輩が涙と鼻水でぐっしゃぐしゃになった顔で嗣乃達に何かを語ろうとするが、言葉になっていない。
「あ、あどで……」
多分、『あのね』かな。『あとで』かもしれないが。
ちょうどそこに、旗沼先輩が戻ってきた。
「山丹さん、向井さんを離して」
「や!」
え?
何この山丹先輩。超絶可愛い。
「何この光景? あたし、疲れてる……?」
旗沼先輩の巨体の後ろから、多江が顔を出していた。
その更に後ろから現れた条辺先輩が、山丹先輩を桐花から強引に引き剥がした。
そして大量のティッシュで山丹先輩の顔をグイグイと拭いた。
「はい、ちーん」
「ぢーん」
「口で言えって意味じゃねーよ」
そしてそのまま羽交い締めにした。
「桐花ぢゃーん!」
「うるさいアホ湊。本性晒してんじゃねーよ!」
条辺先輩の言葉はいつになく容赦がなかった。
これが山丹先輩の本性なんだろうか?
いつも突っ張って生きていなんて格好良すぎるぞ。
「つっきー何? 痴情のもつれ!?」
流石多江だ。百合への造詣も深い。
どう見ても条辺先輩に山丹先輩、そして桐花の三角関係の妄想が捗る光景だった。
生きてて良かった。
「桐花、大丈夫か? お前のせいじゃないからな」
表情が暗い桐花に、すかさず釘を刺した。
「うん。心配性過ぎる湊が良くない。向井さん、これを」
旗沼先輩が桐花に渡したのは名刺だった。
「おおー英語の名刺ってかっこいいねぇ!」
多江の言う通り、確かに格好良いな。
……ん? 旗沼先輩、山丹先輩を湊って呼んだような。
「向井さんがお話をしていた記者さんの名刺です。無事だったら連絡をくださいと。向井さん、できるよね?」
どうして桐花は俺を見るんだ。
テレパシーなら送れないぞ。
「メール送ったら?」
桐花が目を見開いて頷いた。
先ほどの桐花大逃亡について、山丹先輩は責任を感じているようだ。
アメリカから訪れた三人の男性の記者さんが、桐花を取材に同行させたいと希望したんだそうだ。
山丹先輩はそれを許してしまったらしい。
事件は取材の直後に起きた。
記者さん達と桐花は社務所の前で記念撮影をしていたらしい。
だが、記者さんの一人が桐花を抱き留めるようにした瞬間だった。
桐花は驚いて走り去ってしまったそうだ。
しかし、旗沼先輩まで俺が見つけたことを知っていたとは。
「こ、これで桐花の好感度アップしたと思うなよ!」
「うわぁ!?」
嗣乃の目が嫉妬に燃えていた。
ふむ、これはこれで気分が良いな。
「戻りましたー!」
瀬野川が戻ってきた。背後に陽太郎を従えて。
なんでこの取り合わせなんだか。
「よー? ど、どうした?」
元気なのは瀬野川だけだった。
陽太郎の魂は抜けかけていたというより、抜けていた。
「つ、作り笑い……疲れた」
「アタシ達来年の祭りの宣材モデルに抜擢されちゃった!」
瀬野川も照れがあるのか、テンションがおかしい。
「んで、ずっと写真撮られてたのか?」
「うん……表情固まるかと思ったよ」
陽太郎と瀬野川をモデルに、デート気分で例祭のバイトなりボランティア活動しませんか的なポスターを作るらしい。
まぁ、妥当な選択だ。
嗣乃はポスターになるようなチャラさが足りないし、作り笑顔が苦手だ。
だけど、俺にとってはあまり良くない。
「もう! 仁那がいなくなってあたし一人で掛け声してたんだからね! 喉死ぬっての」
「悪かったって! なかなか終わんないだもん! いやー、緊張したー!」
嗣乃はこんな特殊個人イベント発生に対して何も思わないのか?
後で説教でもしてやろうか。
そしていちいちゲームに当てはめる自分もついでに説教だ。
「おぉ、涼しーい!」
白馬と杜太もやっと戻ってきた。
この二人は出し物の進行管理の助手をしていたはずだ。
それがどうして大きな袋を大量に抱えて戻ってきたんだか。
「あぁー! エサだ!」
白馬から袋を取り上げた瀬野川が叫んだ。
「屋台の人達に呼び止められていっぱい貰っちゃった!」
嬉しそうに言ってるけど白馬、それ色々勘違いされてるぞ。性別とか。
「桐花、何か食べる?」
山丹先輩は結局、桐花の膝枕を勝ち取っていた。
この天使の寝顔を無慈悲に引き剥がすのは無理だ。
「ソースせんべいと、梅ジャム」
「はいはい」
頼まれた物を持って桐花に近付くと、山丹先輩の目が見開かれた。
「……りっくん、飲み物」
りっくん? いや、追求はすまい。
他の先輩方は明らかに聞いていない振りをしていた。
瀬野川だけ目敏く反応したが、条辺先輩に頭を掴まれて向きを戻された。
「全くもう」
旗沼先輩が山丹先輩をぐいっと持ち上げると、いくつか置いてある木製の座椅子に乗っけた。
そして、ほ乳瓶でミルクを与えるようにペットボトルの水を飲ませた。
給油までフルサービスか。
お役御免となった桐花はあまり表情を変えず、何枚も重ねたソースせんべいをばりばり囓っていた。
「ちゃんとした物も食えよ?」
「ふぁい」
口の中の水分がかなり奪われているな。
水のペットボトルを渡すと、桐花がソースせんべいを差し出してきた。
ぼうっと見ていたから欲しいと思われたのかな。
「ありがと……うまいな」
酸味がかなり利いていた。
梅ジャムは案外子供向けではないのかも。
「皆さん、食べ終わったら解散しましょう。明日は十二時に集合してください。十三時から業務開始です」
旗沼先輩がポンコツ化した山丹先輩の代わりに改めて解散を伝えた。
少し冷めたとん平焼きを食べながら、ソースせんべいの袋は手放さない桐花が気になった。
桐花の好物ってなんだろう。ソースせんべいは把握したが。
なんだか気になって仕方がなくなってしまった。
桐花のことを全然知らないことに気づいた途端、色々なことを知りたくなってしまった。