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セカンダリ・ロール  作者: アイオイ アクト
第十四話 過保護少年と脱走少女
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過保護少年と脱走少女-4

 いくら祭りで賑やかとはいえ、神社の隅っこの暗がりにある高床倉庫周辺は静かだった。

 中に保管されている神輿は既に運び出されているのだから、当たり前だ。

 その手前、『立ち入り禁止』と書かれたカラーコーンの一つが蹴倒されていた。


 肩の力が一気に抜けた。

 立入禁止をスタッフ権限でいとも簡単に破った金髪は、倉の前で膝を抱えてうずくまっていた。

 でも、安心できたのは表面上の意識だけだった。


「き、きり……」


 あれ?

 声をかけたくても、口がうまく動かなかった。足も前に踏み出せない。

 もし山丹先輩が言っていた外人のように、桐花から触れることを拒絶されないだろうか。

 女子チームの助けを呼ぶしかなかった。

 一人で思い悩んだところで時間の無駄にしかならない。


「え……?」


 画面左上、電波マークがあるはずの場所が『検索中』と表示されていた。

 こんな時に何を検索していやがるんだ。探すべきは電波だろうが。


 ああ、そうだった。

 頭の片隅で携帯は使えないと分かっていたのに。

 祭りの最中は混雑で携帯が繋がりにくくなるので、社務所内の無線LANを使えと言われていたんだった。

 先程の山丹先輩の電話はチャットアプリの通話機能だった。


 とにかく落ち着け。

 今一番苦しいのは誰だ。間違いなく俺じゃなくてそこでうずくまって、ヤブ蚊に集られている桐花だ。

 とにかく、なるべく軽い感じで声をかけよう。

 口の震えは収まった。なんとか話せるだろうか。


「桐花みーっけ」


 いやいやいやこの台詞は駄目だって!

 あの花的な意味で!


「あ、ご、ごめん! 今の忘れて!」


 駄目だ。何してんだ。

 引き返して舞台袖の嗣乃を引っ張ってきても良かったのに。


 俺の意味不明な台詞の数々に驚いたのか、膝に埋まっていた桐花の顔がこちらを向いた。

 頬がわずかな光を反射させているのは分かった。


「えと、近寄ってもいい?」


 顔を上げてくれたことに俺の神経が落ち着いたのか、足が動いた。

 桐花の打ちのめされたような表情が見えた。

 外人に肩を組まれただけでこうなってしまうとは。


「あの、ちょっと、頼みがあるんだけど。俺の手……手首つかめる?」


 桐花は俺の質問の意図を図りかねていたようだが、差し出された俺の右手首を素直に掴んでくれた。


「はぁ」


 ため息と共に腰を下ろした。

 というより、腰から力が抜けてしまった。

 桐花の口だけがぱくぱくと動いている。ごめんなさいと言っているのはすぐ分かった。


「い、いや謝るのは俺……あ、いや、なんでもない」


 俺が謝ってどうする。

『お前にこの仕事は無理だったの知ってたよ。山丹先輩を止められなくてごめん』とでもいうつもりか。


「あの、何があったか落ち着いて話してみてよ?」


 桐花は口を動かしているが、言葉が出てこなかった。

 何度か深呼吸をしてから、改めて口を開いた。


「し、し、しごと」


 声がガサガサだ。


「でき、なく……」

「できてただろ」


 思わず強く否定してしまった。

 でも、桐花はちゃんと仕事ができていた。

 外人に肩を組まれるなんていうイレギュラーが起きていなければ、問題なく仕事はできていたんだ。


 暗闇の中、桐花は盛んに自分の両腕を掻きむしっていた。


「目つむって」


 シューシューと虫除けをばらまいた。

 少しは寄ってこなくはなるだろう。


「腕出して」


 桐花の腕を掴み、法被の袖を退かせる。


「我慢しろよ?」


 覚悟を決めたかのように両目をぐっとつむる姿はなかなか可愛い。

 かき壊した虫刺され痕に、虫刺され薬をべちゃっとつけた。


「ひっ!」

「我慢してくれ。嗣乃に見つかってたらもっと痛い目みたぞ」


 小さい頃、嗣乃に同じことをされた記憶がある。

 情け容赦ない怒り方をする母親達から逃げ出して、この神社の隣の丘にある三人だけの秘密の場所に隠れていた時のことだ。


 へたれの男兄弟二人を置いて、嗣乃がこっそり家まで虫刺され薬を取りに戻った。

 そして、それをビシャビシャと塗ってくれた。

 ただ、塗るものに問題があった。


「あいつ、傷口になってるとこまでキンカン塗りやがったんだぞ」


 すごく痛かったけど、やたら気分が落ち着いた。

 嗣乃がいてくれるだけで心強かった。俺では桐花に嗣乃のような安らぎを提供してやれないが、その十分の一くらいにはなれるかもしれなかった。


「立てるか? 正直に言えよ」

「……もう少し……です」


 どうして突然敬語になるんだか。

 助けを呼びに行くしかなさそうだ。ご両親が帰ってくれていると良いんだが。


「お父さんとお母さんはいつ帰ってくるの?」

「……明後日までいない……です」


 なんだと。

 こんな状態の桐花を一人で居させられないぞ。


「分かった。後で家戻って着替えを取りに行くぞ。今日明日は嗣乃の家に泊まろう」


 おっさんにちょっかい出されただけでこんなに脅えてしまうのに、放っておけるか。


 汀家は事後承諾で大丈夫だ。

 うちの母も嗣乃の母も桐花を気に入っているし。

 陽太郎の両親も遙か遠くの島で会いたいとうるさい。


「お父さんとお母さんはどこ行ってんだ?」

「……田舎?」

「え? ここも結構田舎だけど」

「えと、ノースウッド……ニュージャージー州の……」


 わお、国際的。

 ニューヨーク州の南だっけ。


「まさか自治会のために残ったの?」


 じっと桐花は何かを考えている。

 何を考える必要があるんだか。


「……はい」


 目を伏せながら言うなよ。別の理由がありますって白状しているようなもんだぞ。

 本当の理由に立ち入らない方が良さそうだ。


「そういうことにしとけって? あと敬語やめてくれ」


 はぁ、余計な言葉を付け足すなよ。


「ご、ごめんなさい」

「あ、謝らなくていいから」


 しばしの間、沈黙が訪れた。

 重苦しい沈黙ではなくて、桐花が次の言葉を考えるのに必要な『間』だ。


 桐花は一度も日本を出たことがないと言っていた。

 娘を置いて実家へ帰ってしまうなんて、よほどの理由があるんだろう。

 あの優しい両親が桐花をネグレクトしているとは思えない。


「……叔母さん、怖くて」


 まずい、格好つけて『そう言うことにしとけって?』なんて言うんじゃなかった。

 無理に話してくれなくても良いのに。

 でも、抱えている悩みを話してくれるのは嬉しかった。


「叔母さんって、名付け親の?」


 こちらは向かず、桐花が小さく頷いた。


「顔合わせるのも無理なくらい?」


 桐花が小さく頷く。


「そっか。困ったな」


 桐花がこちらを向いた。

 暗くて見えないが、白目はかなり赤くなっていそうだ。


「……馬鹿にしないの?」

「なんで?」


 この話をどう馬鹿にすればいいんだ。

 実家へ帰省できないほどの天敵がいるのは深刻な話だ。


「お前の悩みに比べたら屁でもないけど、俺も親戚全員苦手だよ。いちいちよーと比べやがって。『月人ん方は嗣乃ちゃんにはふさわしくねぇねー』なんて当たり前なこと言ってケラケラ(わら)いやがって」


 桐花がじっと俺を見ながら、口を開いた。


「叔母さん、怒るとすごく怖くて。一緒に住もうって言う。日本に住んでるの、おかしいって」


 この現代に養子に来いとは。

 アメリカってもっと大雑把でおおらかそうなイメージがあるんだけど。


「日本に住んでるの、おかしいのは、分かってるんだけど」

「別におかしくはないだろ」

「叔母さんの家、行かなきゃ駄目かもって……でも、叔母さんに会いたくない」


 段々、桐花の声がかすれていく。


「な、なら、行かなくてもいいだろ」

「でも、tiny and plainなのはアメリカに住めば、治るって」


 桐花の顔は腕の中に沈んでしまった。

 Plain faceって、確か不細工という意味だったか。

 小さくて不細工とはずいぶんとひどい言い草だ。


「人と……仲良くなっても、そのうち、別れなくちゃ、いけないと思って」


 いずれ叔母の家へと連れて行かれるから、友達を作らずに一人でいることを選んでいたってことか。


「桐花、こっち向いて」


 ティッシュを引っ張り出し、こちらを向いた桐花の顔をぐいぐいと拭いてやる。

 陽太郎と嗣乃みたいに雑な扱いをして申し訳ないんだが、甘やかしたくてたまらなくなってしまった。


「男に顔なんて拭かせるなよ」


 自分でやっておいて何を言ってるんだか。

 ただ、されるがままにしている桐花が心配になってしまった。


 俺と桐花の間に流れている空気とは裏腹に、奉納太鼓が前半のクライマックスを迎えていていた。


「あの、話してくれて、嬉しかったよ。すっごく頑張ってたんだな」

「……頑張れて、ない」


 なんだその自己評価は。


「頑張ってるって。俺も最近桐花に頼りすぎてるから、反省する」


 最近の俺は、どんなことも率先してやってくれる桐花に頼り過ぎていた。

 影でこんな苦労をしていたことなんて、想像したこともなかった。


「立てそうなら教えて」

「はい……うん」


 携帯の電波は相変わらず検索中のままだった。

 つまり、誰も電話をかけてくることはない。


 心配をかけるのは申し訳ないが、俺の目標はあくまで桐花を平和に連れ帰ることだ。

 時間は午後七時を回っていた。

 桐花が自分を立て直すためにも、少しは仕事をさせてやりたかった。

 このまま放っておいたら、明日も仕事ができなくなってしまうかもしれない。

 俺のネガティブ思考回路がそう叫んでいた。


「足は刺されてない?」


 桐花が素直に足を前に伸ばした。

 暗くても分かるほど、筋肉がしっかりと発達していた。

 隣町の競輪場の選手になれそうだな。

 その筋張った足も、虫刺されでボコボコだった。


 ここの蚊は大和民族の味に飽きてるのか、俺は一箇所も刺されていなかった。

 まぁ、桐花と俺しかいないなら桐花の血を吸うよな。


「顔とか首筋とか刺されてないか?」


 桐花が首を左右に振る。


「立てる?」


 桐花は金網に手をかけて、ゆっくり立ち上がった。


「だ、大丈夫、かも」

「じゃあ行くか」


 ゆっくり立ち上がると、桐花は少しむくれていた。


「どうした?」

「……いっつも、迷惑かけてて」

「誰に?」

「……みんなに」


 んなバカな。


「セクハラオヤジに迷惑かけられたのはお前だろ」

「ち、違う」


 なるほど。

 ここでうずくまっていた理由が何となく分かった。


「迷惑って相手がそうだと思わない限り成立しないんだよ。だから俺はお前に迷惑かけられたことなんてねーんだよ」


 我ながら無茶苦茶な理論だが、わりと本気でそう思っている。


「お前の思ってることってこうじゃないか? 肩組まれて、驚いて逃げちゃった。外人さんにもみんなにも迷惑をかけたから、合わせる顔がないみたいな」


 何度も小さく頷いてくれるのは良いけれど、泣きそうな顔をしないでくれ。


「あのな、先輩は全然怒ってないからな。携帯繋がらないし。今頃心配して泣いてるかもしれないぞ」


 桐花が手をぐっと握りこんでいた。

 かえって足をすくませたかもしれない。


「お前が何分くらいここにいたか知らないけど、俺も結構ここでサボってるからな。もし怒られるんなら俺も一緒だよ」


 あ、やばい。

 今度は俺に対して迷惑かけた思ってしまったかもな。

 はぁ、俺は歩き出すきっかけにすらなれないのか。

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