少年、結局一人立ちできず-2
痛ってぇ。
おでこが痛てぇよ。
クソ寒いグラウンドで始業式を済ませ、雪かきという苦行の小休止中にこの仕打ちはひどくないか?
俺の目線は、相手を刺激しないように下を向いていた。
自治会室の緑色のカーペットに、俺の頭に衝突して落ちたA4の紙束が散らばっていた。
紙束を拾い上げた陽太郎が素っ頓狂な声を上げた。
「こ、学校交流会……行事予定表?」
ご丁寧に元お嬢様学校の認定印付きだ。
こんな物がどうして先生方の怒りを買うんだ……いや、買うように仕向けているのか。
「桐花、えと、総体とかの日程教えて……ひっ! あ、ありがと」
うへぇ。
碧眼が三角を通り越してメデューサの双璧だ。
小さな金髪碧眼の少女の睨みに、先生方までもが怯んでいた。
桐花はなんとか怒りを抑え込んで、携帯の画面と紙に書かれた内容を見比べていた。
「……半分以上、うちの高校は参加したことがないイベント」
勝手極まりない行事予定表だった。
こちらの高校の野球部やサッカー部が、地域の子供向けスポーツ教室などのボランティア活動に組み込まれていた。
しかも、夏の総体やセンバツの時期に。
早々に予選敗退して参加しろとでも言いたいのだろうか。
しかも、生徒自治委員会の安佐手と瀞井が笹井本生徒会長と話し合いの上で承諾したとの記述まであった。
先生方の怒り方からすれば、これを覆すにはあまりにも困難と思われているからだろう。
笹井本という名の効果は抜群らしい。
「交野先生! 今すぐあちらへ出向いてこれを取り下げてください!」
女子バスケ部の顧問の先生が依子先生に詰め寄っていた。
丸めた紙束で俺を叩いたのはこの人だ。
「あ、あの、むぐっ!」
口を開いた瞬間、依子先生に口を押さえられてしまった。
「私が責任を持って取り下げさせます」
感情のこもっていない声だった。
それが依子先生の口から出るとは思えない声だった。
依子先生の地位は低い。
先生のデスクは職員室の出入口に一番近い位置で、生徒の窓口という雑用をこなしている。
女バス顧問の先生の方がずっと若いのに。
「先生方、こんな予定はあり得ません。皆さんは皆さんの予定に合わせて動いてください」
教頭のダンディボイスにある程度納得したのか、先生方は自治会室から出て行った。
「ぶはぁ!」
やっと先生の手が口から外れた。
「なんでゴリラが責任取るんだよ。アタシが話つけて来りゃいい話だろ」
「依子。それは私が許さん」
「格好つけんなよロートルが! ん? 随分冷静な顔してんなつっきー。暴力振るわれて可哀想だからオッパイ吸わせてやろうと思ったのに」
教師にあるまじき軽口だ。
俺も強くなったのか、教師に紙束を投げつけられたのに落ち着いていた。
「そういうのはよーに言ってやってくださいよ」
「ハァ? イケメンに言ったらリアリティあり過ぎんだろ。淫乱教師にする気か?」
「……もう二人とは口利かない」
「はぁ? よたろー何マジへこみしてんの? 嗣乃、揉ませてやれよ」
「え!?」
「依子!」
依子先生は教頭先生に連れ去られてしまった。
「よー、このスケジュールを組み直させるぞ。二月までに一度交流会を招集できるか?」
「こっちからチャットで連絡すればみんな異議なんて唱えないと思う。笹井本会長と宜野が余計なことをしてこなければ、だけど」
してくるに決まってるよなぁ。
まったく、ラノベだったらこちらを煽るようなチャットを送って来られそうだ。
「ん……うわっ!」
チャットアプリを開くと、本当に送られて来ていた。
いや、昨日送信されていたのか。
個人チャットの通知を切っていたのを忘れていた。
桐花と一緒にいる時に『笹井本会長』なんて通知が表示されたらどんな目に遭うか分からないからだ。
『私との浮気は楽しいですか?』
やっぱりこの人は桐花に目撃されることを狙っていやがったな。
それ以降も卑猥な言葉で埋め尽くされていた。
こんなイタズラで下半身がムズつく俺もかなりひどいな。
「うわぁっ!」
あっという間に携帯が奪われた。
あぁ、俺の携帯ちゃんが桐花の手の中でミシミシ音を立ててるよ。
「桐花、挑発に乗らないの。こういう時はどうするんだっけ?」
嗣乃の保護者モードの一言に、桐花は素直に携帯を俺に返した。
「え……?」
桐花さんやたら素直だな。
「つっきーテメェ、彼氏なら分かれ。桐花も頑張って感情のコントロールしようとしてんだよ。つぐの言うことは辛うじて聞くようになったんだぜ?」
瀬野川の言っている意味が分からなかった。
「お、俺、聞いてないぞ? 言ってくれたら俺も……」
「全部言う必要はねーだろ。桐花だって恥をしのんで相談してんだ」
俺に黙って何やってんだ、という言葉をすんでのところをで飲み込んだ。
「うわ、ひっどい内容。多江が読んでる小説よりエグいわ。こんなことつっきができると思う?」
俺の携帯は嗣乃に奪われていた。
「……思わない」
「でしょ?」
はぁ、良かった。
だけど、甲斐性無しだのヘタレだのとディスられている気がしないでもない。
「つっきも桐花もイタズラに踊らされないの!」
「う、うん、ごめん」
会長氏、あんたのくだらない嫌がらせは嗣乃達がはじき返してくれたよ。
「さてつっきーよ。あの会長はきっと色々してくんぞ。せっかく学園祭実行委員会の独立案組んだのに無駄にしてくれやがって。アタシらにこの提案の問題点を黙ってただろ。思ったことは全部言え。いいな?」
「あ、いや、隠してたんじゃなくて、言いにくいっていうか」
瀬野川がわざとらしく肩をすくめた。
「それを黙ってるっていうんだよ。桐花も覚悟決めて頑張ってんだ。オメーも覚悟決めろ」
「ち、ちょっと待って! 仁那、本当に自治会を……」
「つぐー、そこまで」
まるで示し合わせたかのように、自治会室へ戻ってきた多江が嗣乃を止めた。
多江と山丹先輩の萌の塊コンビが怒り満面の表情だ。
休憩時間を大幅にブッチしているんだから仕方がないんだけれど。
「一年委員長自らサボりって何度目かしら? それともオフィシャルな理由があるなら聞きましょうか?」
山丹先輩の口調は軽かったが、怒りは十分感じ取れた。
俺達が何の話していたかは分かっているらしい。
笹井本会長氏のせいで割を食ったのは俺達だけじゃない。
俺の立てた浅はかな作戦の数々で、最終的に生徒や先生に向かって頭を下げたのは山丹先輩だ。
「……それとも、これから緊急会議を始めようかしら? プランAの学園祭実行委員会独立案は今この場で放棄して、私がプランBを伝えてもいいかな?」
山丹先輩がドヤ顔丸出しで伝えた。
ラノベっぽいノリが好きな人だなぁ。
山丹先輩の腹案こそ、一番のプランだった。
「ごめんね、月人君。君にあまり負担をかけたくないから、できればプランAで行きたかったのよ。でも、あの人は君が前に立たないと、この種の嫌がらせをやめないと思う」
「は、はぁ」
会長氏は俺の何を見いだしているのかまるで分からないが、俺がターゲットにされていることは間違いなかった。
それはつまり、俺が全員の盾にもなれるということだ。
プランBとは恐らく、俺が常に学校交流会に参加し続けて屁理屈をこね続けるといういい加減な安打。
「では、プランB発動ね。安佐手君を候補に生徒会役員選挙をしましょう」
「は……?」
生徒会役員選挙って、何を言っているんだ。
俺が立候補者で。
生徒会長なんて俺が就いて良いような地位じゃないぞ。
「あ、あの……ぼ、僕ですか?」
あまりにも現実味がなくて、頭が働いてくれない。
「月人君。私があなたにお願いしたいのは普通の生徒会長なんて華々しい仕事じゃないの。なんとしてでもあの人からこの高校を守ることなの。最後のお願いだと思って聞いて」
そうじゃなくてですね、俺が生徒会長っておかしいでしょうってことなんですけど。
指先が冷たくなっていく。
でも、俺の右手は小さな白い手に包まれた。
「えと……わ、分かりました」
その手からエネルギーが流れ込んだのか、勝手に口が動いてしまった。
「山丹先輩、一つ提案があります」
「何? 陽太郎君」
なんだよ。
せっかく桐花に手を握られて、ドラマチックな決意をしたってのに。
「このプラン、候補者を絞ってつっきの信任投票って予定ですけど、それじゃあ予定調和過ぎると思うんで」
陽太郎、お前まさか。
「俺も、立候補します」
「え……?」
山丹先輩も面食らったらしい。
だが、すぐに落ち着きを取り戻したのはさすがだ。
「うーん、なるほど。それいいね。では二人とも選挙は四月にして」
「四月? 俺達一年のままで選挙活動しろっていうんですか?」
なんてこった。
どうして陽太郎の口はすらすら動いて俺の口は動かないんだ。
「そうよ? 私が生徒会長なんて説得力がないもの。明日にでも決めて欲しいくらいだわ」
説得力しか無いと思うけど。
ただ、一部生徒と教師は恐々とするかもしれない。
笹井本会長と対立する立場になっても、山丹先輩はヘアスタイルも眼鏡も替えていなかった。
山丹先輩にとって、笹井本会長氏は今も大切な先輩だということだ。
笹井本会長氏との直接対決を避けたいと山丹先輩が望むなら、俺は喜んで自分が矢面に立つ。
立つ以外の選択肢がなかった。
「分かりました。つっきもそれでいい?」
「い、いいけど」
決意を新たにしたのに、うまく口が動かない。
陽太郎はどんな思いでいるかも、まるで分からなかった。
「では二人とも、選挙の方法を考えて。学校のスケジュールは変えられないし、全校朝礼もしばらくないわ。ゼロから方法を考えて」
希望が見えてきた。
やり方次第では、形式張った演説活動その他を省略できるかもしれない。
俺は所詮、人前には立てない。
しかし、陽太郎の馬鹿野郎。
生徒会長なんかになっちまったら、嗣乃との時間がもっと減るじゃないか。
俺が会長になったら、常時活動してくれる会員をガンガン増やしてシフト制を敷くつもりだ。
休みを確保しないと、全員身が持たない。
陽太郎は俺とは対照的に何でも楽しんでやれる人間だ。
俺には到底できない『達成感』とやらを心の栄養にできてしまう。
しかも以前の俺に似て、他人に仕事を押し付けることを嫌がるはずだ。
俺が陽太郎に勝てないと、激務が変わらない恐れがある。
「ん? つっき、いつになくいい顔してるね。俺に勝てると思ってる?」
「反抗期宣言した奴に負ける気でやるわけねーだろ」
俺の言葉にぶっと吹き出したのは嗣乃だった。
「今までの自分を棚に上げて何言ってんの?」
痛いところを突きやがって。
「はいはい、二人とも異論も喧嘩の心配もないかな? 雪かき再開!」
山丹先輩がハスキーな声で宣言した。
不思議な展開になったな。
陽太郎と俺が学校を巻き込んで競い合うことになるとは。
教頭先生の承認が得られれば、受験と卒業式が終わった三月から生徒会選挙は始まる。
冷静ではなくなってきた。
やる気が体を巡る感覚には、どうにも慣れなかった。
だが、俺は一つ重要なことを忘れていた。
プラスに向かった気持ちは、すぐに叩き落とされる可能性があるってことを。
全ての方針が決まった二時間ほど後のことだった。
小会議室で教頭先生から告げられた内容に、俺のすべてが溶けて消えた。
「本当に、済まない」
「済まないじゃないですよ!」
陽太郎が教頭先生に声を荒らげていた。
教頭先生は困った顔のまま、陽太郎の言葉を聞いていた。
俺の頭の中はふわふわと宙をさまよっていて、まとまらなかった。
「理由はなんですか!?」
「……月人君は処分歴があるというのが表向きの理由だが、先生方は月人君が怖いんだ」
「は、はい?」
俺が怖い?
良い生徒ではない自覚はあるけど、怖いってなんだ。
「そんなので立候補できない正当な理由にならないでしょう! 生徒を差別するんですか!?」
俺は立候補できないって、誰がだ。
まぁこの二人でどっちが立候補できないかといえば、俺だな。
「……すまない。私も粘ってはみるが、陽太郎君が対立候補と聞いた途端に手のひらを返してね」
「そんなのおかしいじゃないですか!」
教頭先生に食ってかかる陽太郎の言葉は、ずっと遠くで響いているかのようだった。
あまりの気恥ずかしさに逃げ出してしまいたかった。
忘れていた。
俺は陽太郎と同列に並ぶことすら許されない奴だった。
たくさんの人間に選ばれて力を持つ資格なんて、俺にはなかったんだ。




