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セカンダリ・ロール  作者: アイオイ アクト
第三十五話 選ばれないことを選ぶ選択
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選ばれない事を選ぶ選択-3

 嗣乃は薄目を開けたまま、殆ど動かなかった。


「よーと会いたくないのか?」


 少し首を起こして横に振る。


「ほんとは?」


 首を縦に振る。

 何なんだよ全く。


 嗣乃は陽太郎を全然好きじゃない。

 多江の言葉が脳裏を過ぎる。

 そんなことはないとは思うが、気になってしまう。


「どうすんだよ、これから?」

「うるさい」


 人が心配してるってのに。


「分かった。よーに来るように言うわ……あだっ!」


 嗣乃がもぞもぞ動いて近寄って来たかと思った瞬間、目の前に火花が散った。

 片耳からキーンという音がする。

 耳を殴るのはダメだろ。


「分かった! 呼ばないから大人しくしてろ」


 なんだまったく。


「寝たら仕事に戻れよ?」


 チケット仕分けの最終確認が残っていた。

 手伝わせたいが、寝かせておいた方が良さそうだ。


 しかし、こういう時の嗣乃は数分で放っておくとろくなことがない。


「痛ってぇ……なんだよ! 痛いって!」


 這うように近づいてきたかと思ったら、思い切り噛みつかれた。

 気を惹きたかったらなんでもしやがる奴だ。


 そして、俺の膝の上に頭を乗っけた。


「頭が軽い」


 なんだその要求は。

 頭に手をのせかけて、すぐに降ろす。


 自分で決めたんだった。

 もう、嗣乃の頭を撫でたりはしない。

 それは例え親友とか兄妹であっても、俺達の年齢ではやることじゃないんだよ。


「……なんでよ?」

「何が? 痛てぇって!」


 突然上半身を起こした嗣乃に、首の付け根を咬まれた。

 食い込む歯の痛みに負けて嗣乃の体に手を回すと、咬む力が少しだけ弱まった。


「だ、だから、お前、男に咬みつくなって……痛って!」


 嗣乃が俺に対して何を要求しているのかは分かる。

 気持ちが沈んでいるから慰めろ、頭撫でろ、膝を枕として提供しろ……。


 分かっているけれど、それは俺に望んで良いことじゃないのも分かって欲しい。


「ちょ、ヤバい!」


 窓の外に誰かがいた。

 だが、安心した。

 窓を開けて入ってきたのは瀬野川だった。


「なんだよ。つぐ見つかったのかよ」

「ごめん、迷惑かけて。痛えよ!」


 痕についたらどうしてくれるんだよ。


「つぐ、もう一度コイツを咬んだら甘えさせてやらねーぞ」


 瀬野川がモッズコートを脱ぎ捨てていつものツナギ姿になってから、どさっと腰を降ろした。


 嗣乃はすんなり俺から離れ、瀬野川の膝に頭を載せた。

 そして両腕を瀬野川の腰に回してロックした。


「ごめん、瀬野川」

「ごめんで済むかボケ。飼い主なんだからちゃんと世話しろ」


 などと言いつつ、瀬野川の手は優しく嗣乃の髪の毛を撫で付けた。

 俺にはもう一生できないことをしてくれやがって。


「嫌なことでもあったのか? おっぱいでも吸うか?」

「吸う」


 明瞭に答えるな。

 俺の百合脳が活性化しちまうだろう。


「あ、あの、瀬野川、例の農協が押しつけてきた米粉が余ってるんだけど、フリマで売っ払えないかな?」


 なんとか話題を変えようと試みてしまう。

 嗣乃を横取りされた気分になっている自分を忘れたかった。


「は? 確か地場産センターがフリマに出店するからそこに頼んでみるかなぁ……いや無理だわ。十キロの袋なんて持って帰れねぇわ」

「あぁ、そっか」


 そりゃそうだ。

 袋の大きさは運びやすいように小さくしてもらったみたいだけど、それでも一袋十キロある。

 公共交通機関での来校をお願いしている立場上、こんなものは売れない。

 生徒が開封して小分けにするなんて労力的にも衛生的にも無理だ。


「仕方ねーな。余ったら引き取ってもらうしかないっしょ。後はまぁ、生徒に配ってもいいかもしれねぇし……痛てぇよつぐ」


 嗣乃が仁那の体をグイグイと締め上げていた。


「……仕事とあたしどっちが大事なの?」


 どれだけ人の気を惹きたいんだ嗣乃は。


「……お前に決まってんだろ。仕事なんてお前を死ぬまで愛し続ける目的のための手段に過ぎないのさ……おいつっきー、この女まじでアッタマ悪いぞ」


 頭悪い女の質問に対し、ナンパ男の模範解答をしておいて罵倒するとは。


「瀬野川、仕事はいいのかよ?」

「もう急ぎの仕事はねぇよ。残務は全部なっちがしてくれてるからサボりに来た」


 そんなこと言って、嗣乃が心配で来てくれたんだろう。


 嗣乃と瀬野川の仲は不思議だ。

 まるで、出会うべくして出会ったような関係だ。


「ほれ、少し寝な。美人が台無しだぞ?」


 歯の浮くような台詞を平気で言ってくれるねぇ、瀬野川さん。

 嗣乃は素直に胎児のような姿勢を取った。


「ごふ」


 嗣乃が変な音を立てた。

 嗣乃が深い眠りに入った時の合図だ。

 この音が聞こえたら嗣乃に毛布をかけてやるのが、三家のルールだ。

 呼吸音に少しズズっという音が混じった。


「横向いててもいびきかくのコイツ? ほんといい女子力してんなぁ」

「疲れてる時はそうかもな……しばらくそのままにしててもらえると助かるんだけど」


 手持ち無沙汰を解消するためにノートパソコンに手を伸ばしたが、うまく指が動かなかった。


「気にすんな。ここ来る前にクソもションベンも済ませてきたよ」


 人に女子力を説いておいて何を言っているんだ。


「瀬野川も寝てないのか?」


 瀬野川の顔色は少しだけ良くなかった。

 てんこ盛りのメイクで多少隠れてはいるが。


「昨日の夜はずっとコイツの相手してたからな」

「え?」


 なんて迷惑かけてんだ、馬鹿が。


「つぐを責めないでやってよ。お前らの中じゃコイツが一番子供なんだし」

「嗣乃が? まぁ……そうかもしれないけど」


 でも、それは微々たる差だ。

 全員所詮高校一年生の子供だぞ。


「なぁ、さっきつぐをだっこしてただろ? 少しはコイツに欲情したか?」

「は、はい? いや……分かんねぇ」


 嘘だよ。

 ずっとこうしていたかったと思ったくらいだよ。

 嗣乃の重みを感じられないのが辛いよ。


「そっか」


 罵倒されるかと思ったら、瀬野川はそう呟いただけだった。


「……もう少しだけ、このままでいられないかなぁ?」


 思わず、呟いてしまった。

 陽太郎と嗣乃と俺の関係は特別すぎる。


 嗣乃がもし陽太郎か俺かを選んで、どちらかと深い関係になってしまったら。

 この関係はどこにでもある普通の関係になってしまう。

 俺達三人だけの特別過ぎる関係は完全n失われてしまうんだ。


 陽太郎と嗣乃は兄妹だけど兄妹じゃない。

 親友という表現では全然足りない。

 もしかすると俺の無意識は陽太郎が踏み出せない奴だと分かった上でけしかけて、現状維持を企ているのかもしれない。


「つっきーだけじゃねぇよ。コイツが一番その現状維持を願ってんだよ。オメーよりずっと今のままがいいって思ってるよ。でもさ……」


 瀬野川はただ、じっと膝の上の嗣乃を見下ろしていた。


「でもさ、二次元に命捧げてる訳じゃねえから、ちゃんと人を好きになっちまうのさ。しかもよ、ずっと近くにいたお前らと血の繋がりもねーんだよ」


 そうか。

 ならこの話はハッピーエンドを迎えてくれると思うんだけどな。

 早くその瞬間が来てくれないものか。


「何遠い目してんだ。よたろーはナヨっちいのにクソが付くほど女子人気あるしよ、アンタもアンタで急に目立つようになっちまったしよ。まぁ、コイツも今寝てることだから、色々教えてやろうか。起きるなよ?」


 嗣乃の体が少し動いた。

 寝たふりを決め込めという強要に理解を示したんだろう。


「……つぐはさ、よたろーのことを諦めてたんだよ」


 口を開きそうになったが、堪えた。

 瀬野川の真っ赤に充血した目が、今にも涙を流しそうに揺れていた。


「昨日の夜さ、このバカがアタシに対してなんて言ったと思う? なんでなっちと付き合っちゃうの? だってさ。よーの何がいけなかったのかって。もうワケ分かんねーよ」


 俺には訳が分かる。

 嗣乃の卑屈さが俺にそっくりだからだ。


「アタシさ、中学でつぐに一目惚れしちゃったんだけど、多分その、よたろーのことも、始めて見た時に……多分、一目惚れしてたっぽいんだよね。制服も着崩してなくてさ。せっかくいい顔してんのにイモくせーなってずっと思ってた。私服もクソダサかったし」


 美人にそんなふうに思われて羨ましいねぇ。

 我が従兄弟がちょっと誇らしいよ。


「ずっと妄想してたよ。もうマジでアタシ変態だった。よたろーは細めのコーデでそつなくまとめて、アタシはその気が無い雰囲気出すためにボーイッシュに決めて、中の下着だけクッソエロいのにしといてぇって」


 本当は陰キャと同じ精神構造をしている瀬野川だ。

 驚きはしない。


「しかもそうやってよたろーをエロい目で見てたのつぐにバレてたし。うっわ、本格的に気持ち悪いって思うっしょ?」

「う、うん、わりとキモいな」


 素直な感想を漏らしてしまった。


「い、今、白馬にベタ惚れしてる理由はなんだよ?」


 前にも聞いたような気はするが、なんとも曖昧な答えだった。


「はぁ? そんなの忘れた。もうなっちが誰の入る余地も無くしちゃったんだもん」

「そんだけ惚れてんのに白馬と俺達を脳内で絡ませてたのかよ?」

「今もしてるし。あ、でも身長的にちょうどいいからアンタと絡ませることが多いかな?」


 うわぁ、知りたくなかった。


「その妄想の中でお前はどこにいるんだよ?」


 意味のない質問をぶつけてしまった。


「アタシ? 存在しねえし」

「は?」

「アンタだってエロ漫画読んでる時に自分がどこかにいるとか想像しねーだろ? 世界の創造主として見守ってんの! 何? お前もしかして彼氏とか彼女をオカズにするのは良くないとか考える手合い? もったいねぇな!」


 腐女子怖い。

 ただ、ちょっと納得した。


「とにかくこの馬鹿娘はさ、三人それぞれ別の相手を見つければいいんじゃないかとか本気で思ってたらしいんだわ」


 なんてこと考えてやがるんだ嗣乃の馬鹿め!


 あれ?

 どうして俺の額にはブーメランが刺さっているんだ?

 そうか、昔同じことを考えなくもなかったな。


「でも、コイツには無理だったんだよ。よたろーかつっきー以外の男なんて無理って気付きやがったんだよ。よいしょっと」


 瀬野川が無理やり嗣乃の上半身を持ち上げ、嗣乃の顔に結構大きな音を立ててキスをした。

 そして、そのまま抱きしめた。


 唇同士でキスするなよとは言い辛かった。

 瀬野川がこんなことをしたのはきっと、嗣乃が涙と鼻水の処理に困っていたからだ。

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