変わる日常、残る日常-4
「瀬野川撮ってるだろ?」
「え? お構いなく」
今俺は何をしているかというと、仰向けの状態で片足だけ高々と上げられていた。
元陸上部の美少年によるマッサージとストレッチを受けられる僥倖に浴しているのだ。
ただ、ギャラリーが多すぎる。
携帯を構える瀬野川と、その横には俺を昨晩こっぴどく振ってくれた(※個人の勝手な感想)多江もしっかり携帯を構えていた。
「お、この角度良いわあ。見てよ多江、もうこれやっちゃってるね!」
「おお、ほんとだ! やっちゃってるねこれ!」
「いいからさっさとよーの家行け!」
「いやだから、お構いなく」
この二人に何を言っても無駄なのは承知しているつもりだが、それよりも多江をなんとか遠ざけたかった。
顔を見るとやり場のない悲しみが襲ってくる。
「安佐手君、力抜いて」
慣れたもんだなあ白馬。二人のことは完全無視だ。
「「うっひょーー!」」
「ちょっと聞きましたお仁那さん? 力抜いてですって!」
「アテクシちょっと鼻血出そうですわお多江さん!」
白馬の発言にいちいち反応する腐女子共を前に、力を抜けというのはなかなか難しい。
マッサージが終わったところで瀬野川と白馬は退散したが、一番残って欲しくない多江は俺が寝転がったままになっているベッドの縁に腰掛けた。
「……何?」
どうしても刺々しい言葉になってしまう。
「あははー。いきなり冷たいねぇ。昨日のことちょっと謝りたくてね」
「謝るって何を?」
「え? うーん……突然あんな話しちゃったこと……かねぇ?」
「んー……どんなタイミングでも突然は突然だから気にはしてないけど。まあ話してもらえて嬉しかったかな」
そういえば俺は焦っている時や、嘘をつく時に「んー」と付ける癖があると陽太郎に言われたな。
悔しいがその通りだ。多江に気づかれていないことを願う。
俺の携帯が鳴った。
「あ、杜太はなるべく早く来るってさ」
はぁ、声に思いっきり動揺が出ている。
まあいいか。俺が多少取り乱していることを気付かれたところで、何の問題があるというのだ。
「んと、ちゃんと話聞いてくれて、すっごく嬉しかったんだよねぇ。つぐともつっきーとも友達辞めなきゃいけないのかなーとか思ってたし」
「見くびんな。嗣乃はそんな奴じゃねーよ。元のままって訳にもいかないだろうけど」
それは自信を持って言える。嗣乃はたとえどんな結果になろうとも、正当な勝負の結果ならば誰も恨んだりはしない。陽太郎が選んだ相手なら必ず受け入れるだろう。
ただ一つ、多江にはちゃんと聞いておかねばならないことがある。
「多江、押しかけ女房にどう勝つ気だよ?」
意地悪い質問なのは分かっている。
でも、俺は多江の味方じゃないことを忘れては駄目だ。
「いや、それはね、なんというか、よーちんはつぐのことを家族としか見ていないと思うんよね」
よく見てるじゃないか。
しかし、甘い。
「俺が嗣乃をどう思ってるか見抜けなかったのにか?」
「うぐ! 辛口だねぇ」
「そりゃそうだろ。嗣乃がもし陽太郎が好きだって言ったら、もしくはよーが嗣乃がはっきり好きだと言ったらお前の味方はできないぞ?」
「ほ、ほほー、そ、そりゃそうだねぇ。そりゃ、その、仕方ないよ。むしろさ、もう一年半くらいだっけ? つっきーをずっとつぐとよーちんから借りてて申し訳なかったしねぇ」
永久に借りててくれても良かったのに。
「俺はあいつらの所有物じゃねえよ。俺みたいなのが女子にたっぷり相手にしてもらったんだからお互い様だろ」
「あはは、そんなこと言ってぇ。女として見てくてれなかった癖にぃ」
見てるよ。
だからこんなクソみたいな意見をぶつけてるんじゃないか。
「そ、そりゃ俺のこと男として思ってない多江も一緒だろ」
多江のあははーという間の抜けた笑いがやけに頭に響いた。
「その点はこの際置いとこう」
置いとかないでくれよ。
結構重要なんだよ。
「ま、まあとにかくさ、素敵な男子と付き合いたいのは女子共通の願いだよ? あ、つっきーに素敵な所がないって意味じゃないからね、そこんとこ勘違いしてくれちゃ困るぜ」
「白々しいフォローありがとさん」
「いやいや白々しいフォローなんて捉えんでよ竹馬の友!」
相変わらず俺と多江の会話は遅々として進まない。
このゆるい会話が惜しくならないように、しっかり未練を断ち切らないと。
「まぁ、頑張れば?」
多江が始めて俺の方を振り返った。そしてまた、あははーと笑う。
「あたしを怒らせて遠ざけようとしてるね?」
「え? う、うん」
「なんで男女で友情育んじゃいけないと思うの?」
友情か。
多江が俺にとって友達としての魅力が異性としての魅力に優っていたらそれも成立するだろうが、異性としての魅力の方が勝っているから無理だ。
なんだか気持がどんどん軽くなっていく。
これからは無理に多江の好みや都合に合わせたりしなくて済むからか?
これまで何度となくあった。
たとえ疲れきっている日でも、多江がゲームをしたいと言えば付き合った。
大して興味のないアニメも多江が見るといえば見たり、下校時間が重なるように保健委員の仕事を長引かせたり。
「多江」
「ん?」
そうだ。突き放す良い手段を思いついた。
いっそのこと今、思いの丈を告白してしまえばいいんだ。
そうれば多江は俺の近くに寄ってくることも、話しかけてくることもなくなるはずだ。
すっと息を吸い込む。
「おはよー月人!」
「うお!」
何てことを言おうとしていたんだ、俺は。
突然やってきた杜太には感謝の意を示すために無視してしんぜよう。
「あたしそろそろつぐの手伝いに行くね……と、とーくん! あなた死んだはずじゃ!」
「えー俺そのノリちょっときついよ多江ちゃーん」
『未亡人が他の男と一緒になることを決意した現場に戦死したはずの夫が帰ってきてしまった気まずい』ごっこも理解できんのか、杜太よ。
「もういいよぉ。あー、ちなみに外で困ってたフロンクロスちゃん連れてきたよぉ?」
「は!?」
それ『ちなみに』程度で付け足す内容じゃねえぞ!
部屋の前でフロンクロスが慌てて会釈するのが見えた。
ややぴたっとしたサイクリングジャージにこれまたぴたっとした黒いスパッツのようなパンツ、そして頭には白と黒に金の縁取りがついたヘルメットが乗っかっていた。
どこからどう見ても、チャリで来たことを主張していた。
「やっほークリスティニアちゃん! つぐが呼んでたよそういや」
多江、情報の共有は早めに頼むよ。
「うっわ、クリスティニアちゃんこういっちゃなんだけどさ、エッロいねその服!」
突然現れた瀬野川に、ものすごくフロンクロスが狼狽していた。
口がパクパク動いているが言葉になっていなかった。
「なんで戻ってきてんだよ!」
思わず起き上がる。
今の多江との会話聞かれてないかも心配だ。
「あれぇ? 月人起き上がっても平気なのぉ?」
「へ? おお!」
言われてみれば体を起こしてもそれほど痛まなかった。白馬に感謝しそこねたな。
いや、そんなことよりもフロンクロスをどうにかせにゃならん。
この部屋に置いてある物はとても見せられたものじゃないし、机の足元には大量の初回特典ポスターやらヤバいゲームの箱やらが山積みだ。
「ささ、どうぞ。オタの部屋なんてそうそう入れるもんじゃないからね」
多江ぇぇぇぇ!
死ぬ! 社会的に死ぬ! フロンクロスに汚物扱いされる高校三年間が始まる!
「ほらほらつっきーが好きなギャルゲはこれだぜ? やべーだろ?」
「瀬野川ぁ!?」
「そうそう。つっきーはこの子が好きなんだよ。黒じゃなくて紺色の髪の子ばっかり攻略してんだよ!」
「こ、紺色……?」
何で箱の置き場と俺の性癖を知っているんだよ!
嫌われるのは困るが、好かれる必要もないんだからあきらめるか。
「あ、クリスティニアちゃんそれはエロゲだよ。エロゲってのはね」
「解説はやめろぉぉ!」
多江め。俺を手玉に取る方法をよく知っていやがる。
さすがに仲良くなろうと努力する気もないが、若干後ろめたい趣味について詳しく解説されるのは辛いものがある。
「おめーら早くよーの家来いっつってんだろが! あ、クリスティーナちゃんいらっしゃい!」
はぁ、嗣乃の一喝に救われるのはこれで何度目だろうか。
また名前間違えてるけど。
「もうこんな部屋入ったらヲタが伝染っちゃうよ。あたし伝染っちゃったし。その服ちょっとエロくていいね!」
「え、あ……」
フロンクロスが両腕で体を隠してしまった。
「ふ、フロンクロス、気にするなよ?」
「んなこと言って! つっきも超見たいくせに」
見たいに決まってんだろうが。
でも、紳士にならないと。とりあえず、部屋着のパーカをフロンクロスに投げてよこした。
「……あ、ゲホッ」
慌ててフロンクロスが嗣乃の腕から逃れてパーカを着こんだ。
口が動いているが、何を言ってるか分からなかった。
着てくれたから気持ち悪いとは言ってないだろう。
「ダメだ! よーちんのパーカに変えるぞ! 丈が足りねー!」
フロンクロスが瀬野川の不可解な発言に警戒感を露わにしていた。
瀬野川の狙いなんて丸分かりだ。フロンクロスのぴったりした自転車用のショートパンツの裾よりも長いパーカーを着せたがっているのだ。
「ふ、フロンクロス、さん、絶対それ着替えないで! 絶対!」
知り合って間もない人間にでかい服を着せて『HAITENAI』させようってどこまでスケベオヤジなんだ。
俺以外の全員がバタバタと階段を降りていった。
本当にうるさい奴らだ。
でも、助かった。
確かに多江との日常は終わってしまったが、他の連中のお陰で俺にはまだたくさんの日常が残っていた。
一瞬だけ自ら行動を起こそうとしたのに、それも阻まれてしまった。
でも、今この状態を保てるのであればそれも良いかと思ってしまう。
行動は起こせなかったが、後悔の念は湧かなかった。
日常は常に進んでいる。
一つのことにこだわり過ぎずに、前に進まないとけないんだ。
ただその前に進む行為自体がすごく苦手なんだけど。