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セカンダリ・ロール  作者: アイオイ アクト
第三十一話 四人姉弟の時間の終わり
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『四人姉弟』の時間の終わり-3

『八時』の概念を知らないのか?


 光画部時間で二時間遅くなることはあっても、一時間早くなることなんてあり得ない。


 でも、向井桐花は朝七時に我が家へやってきた。

 そして、俺に茶碗大盛り一杯余分に米を食らわせた。

 自転車は驚くほどカロリーを使うらしい。

 自重を支える必要がない分足が疲労しにくく、エネルギー切れに気づきにくいんだそうだ。


 桐花は嗣乃から弁当らしき包みを受け取ると、大きなリュックにしまった。

 荷物くらい自分が背負うと言ったが、自分の方が体力があると断られてしまった。

 その通りなので言い返すという無駄はしないんだが。



 真っ直ぐな農道を走り続けるのは快感だった。

 十字路も四方は田んぼで見通しがよく、車が来なければスピードを落とさずに通過できた。


「うわっと!」

「指示をよく見て」


 早い速度で走行中に突然停止指示が出ると、案外対処に困る。

 でも、桐花はぎりぎり背後を走れというのだ。

 前を走る人の風よけとしての恩恵を受けにくいらしい。


「ドリンクまだある?」


 最初の休憩場所は道の駅だった。


「え? ええと、三分の一くらい?」

「自転車停めて」


 ずいぶん過保護にしてもらっているな。

 自転車に関してはいつも活き活きと語る桐花なのに、今日は朝から表情があまり芳しくなかった。

 俺が思った以上に遅いからだろうな。


 いくら暖かい日だからと言っても、やはり十一月の気温は汗と共に体温を奪っていく。

 安物のクッション入りレーパンの上からトレパンを履いて、薄手のナイロンジャケットも装備してはいるんだが。

 桐花は冬用のサイクリングウェアに、小さめの登山リュックを背負っていた。

 下は長いレーシングパンツにダウンジャケットのような生地のスカートを履いていた。

 自転車は普段用ではなく、お母さんと共用のカーボン製フレームだという自転車に乗っていた。

 同じ緑と青の中間色だが、明らかに空力が良さそうな流線型デザインだ。

 しかも、前後のホイールの真ん中には金属製のディスクが装着されていた。

 ディスクブレーキという代物らしい。


「あの、桐花。このお寺になんかあるの?」

「あるから、ちゃんと付いてきて……サイクリング、楽しくない?」

「いや、楽しいに決まってるだろ」

「ほんとに?」


 桐花はサングラスをかけているが、疑いのまなざしを向けているのは分かった。


「女子に呼び出されて嬉しくない奴はいないだろ」


 最近の桐花は本当に兄弟のように接してくるので、自分がいかに勘違いを誘う行動をしているか自覚して欲しいんだが。


「姉だもん」


 ヘルメットを被った頭に手を乗せられた。

 その設定続けていたのかよ。


「次はペダリング見るから前走って」

「え? あ、休憩終わり?」

「あんまり休むと体が冷えて動かなくなるから。まっすぐ行くと定食屋さんがあるから、そこまで」

「え? は、はい」



 次の停車場所として指定された定食屋は至極分かりやすかった。

 店の前に置かれた低めの物干し台のような物に、ロードバイクが何台も並んでいた。

 高級なロードバイクにはスタンドが付けられないらしく、バイクラックと呼ばれる台に引っかけなくてはならない。

 それがない時は、立てかけたり横倒しにするしかないのだ。


 しかし、定食屋ではなかった。

 小さいが、この地域によくある大衆割烹料理屋兼旅館だった。


「ここで食べるから」


 昼飯まで考えてくれていたとは。

 嗣乃から受け取った包みはなんだったんだろう?


「おいそこの!」


 え? 何このじいさん?

 割烹帽を被っているということは店主だろう。

 でも、電気椅子にかけられている人の絵なんてグロい柄のTシャツを着ているのはどうしてだ。


「おめ、娘っ子とどういう関係だ?」

「む、むすめっこ?」

「クリスの娘っ子とどういう関係か聞いとるすけぇ!」


 なるほど、桐花のお父さんの知り合いか。


「ええと、友達……?」

「男連れて来たか!」


 出たよ中高年特有の早合点。


「名前は?」

「安佐手……月人です」


 店の中から、ピチッとしたサイクリングウェアを着たシニア世代が大量に出てきた。


「安佐手って、あの双子と一緒んなったちっけのかね?」


 結構年を重ねたおばさんは我が両親を知っているらしい。

 しかしこの人達、どこかで見たような気がしてならないんだが。


「あぁ、大鉾(おおしき)姉妹の子けぇ!」


 ヤバいTシャツのじいさんも母上を知っているのかよ。

 これはまずいぞ。


「おめさどっちの子供(こどん)だ!?」


 元ヤンの母上達に迷惑をかけられた経験があったらどうしよう?

 母上の罪咎は息子も受けざるを得ないのかな?


「い、妹の方です」

「おお! 似とんな! 目ぇ茶っけぇしな!」


 目の色だけかよ。


「やめて! 個室行くから!」


 桐花が大声で叱責するとは。


 遠慮無く店の中へ入っていく桐花に付いて行くと、個室の座敷に通された。

 桐花は慣れた手つきでカウンター横の水のピッチャーを個室へと持ち込んだ。


「こっち来ないで!」


 座りつつ、個室の外へ向かって叫んだ。


「あ、あの人達、母上に被害被ってたら、謝るのはこっちだし」

「母上、すごいね」

「悪いことしてただけだろ」


 顔から火が出る思いだ。

 個室の障子戸が開けられ、変なTシャツのじいさんが入ってきた。


「ほれ、汁」

「あ、ありがとうございます。メニューは……?」

「気にすな」


 えぇ?

 大衆割烹はランチも結構高そうなんだけど。

 いや、やめよう。

 自称姉とはいえ、女の子と二人という俺にとっては一生の内に一度あるかないかだ。

 どーんと構えて五千円札を投げつけるくらいの度胸を見せてやろうではないか。


「娘っ子はいつもんな」


 桐花が頷く。


「いつものって何?」


 店主がニヤっと笑いながらこちらを見た。


「おめさ娘っ子のアレってわけでねーんけ? 好物も知らんと」


 だからそう言ってるのに。

 でも、なんだか少し悔しいな。


「弟なの!」

「き、桐花!」


 ママゴトを他人に持ち込むなと言いたかったが、店主の物凄い睨みのせいで口が硬直してしまった。


「はぇぇ、気に入られとんの。桐花ってのはあれらろ、友達に付けられた名前らろ! おまあらか? 他の子もおるんろ? こんど連れて()ぇ!」


 なまりがきついな。


「いいからご飯早く!」

「おお! クチボソふっとつ炊いてっからな!」


 桐花に一喝されて我に返ったのか、じいさんがバタバタと出て行った。


「ここって、知り合いのお店?」

「お父さんの友達。二人とも家にいない時は、ここに預かってもらってた」

「保育園行ってるんじゃなかったっけ?」

「保育園の後」


 なるほど、そういうことか。


「あの、桐花、ごめん」


 桐花が首をかしげる。


「いや、昼ご飯の場所まで考えてくれて」


 桐花の表情が少し曇る。


「ここくらいしか、分からないから。本当は遠回りさせてる」

「いや、それはいいよ全然」


 正直だな。

 同じコミュ障だから分かる。

 チェーン店でもない限り、気心知れた店でないと入れない。


「みんなお父さんの自転車の友達で。変だけど、いい人だから」


 確かに癖がある人達だ。

 桐花のお母さんが言っていた通り、桐花の周囲は常に大人ばかりだったようだ。


「そういえば、桐花の好きな食べ物って何?」

「ここでは、いっつも南蛮エビ食べる。好き嫌い多いって仁那に言われた」


 瀬野川はわがままそうに見えて好き嫌いはほぼないからな。


「納豆以外何が嫌いなの?」

「ウニとかアン肝とか、生ガキとか。不思議な味は無理」


 お、舌はアメリカ人のイメージに合致してるな。

 多分親御さんがあまり食べさせなかったのかもな。


「……外人ぽいと思った?」

「まぁ、ちょっとは」


 正直に答える。

 桐花の頬が少し膨れたが、すぐにしぼんだ。


「何が好き?」

「俺? 揚げ物はなんでも好きかな」


 ふわっとした答えだな。

 毎日食いたいような好物はなかった。


「こんど作る」

「え? うん。ありがとう」


「ほれ、おのれで並べぇ」


 テーブルの隅に、巨大なクチボソことマガレイの煮付け丸々一尾置かれた。

 更に、刺身の端切れ大量に乗っかったサラダが置かれた。


「生で()えんのねぇから揚げたど」


 やたら赤い色が目立つかき揚げの山が置かれた。

 この地域では南蛮と呼ばれる甘エビだ。

 地物なんてほとんど食ったことがないぞ。


 しかもこんなデカいカレイ一尾に刺身まみれのサラダって。


「……き、桐花、俺、所持金これを払えるほどは無いんだけど……」


 かっこ悪い。

 でも、仕方ない。


「いらないもん」

「そ、それは駄目だろ!」


 確かに大皿からよそわせるなんて身内扱いなんだろうが、無料は駄目だろう。


「結婚式手伝ったもん」

「へ? もしかして、模擬結婚式のこと言ってる?」


 頷かれた。

 やっとここにいるじいさんばあさんへの既視感の理由が分かった。

 昨日とは打って変わってラフな格好をしていて気付かなかった。

 新郎新婦はいないようだが。


 だから桐花の父さんは「ガッデム」なんてジョークをかましていたのか。

 昨日の凛とした桐花の姿が、思い出されてしまった。


「……なんで、俺達に教えてくれなかったんだよ?」


 桐花が少しふて腐れた顔になった。


「……見せたくなかったもん」

「な、なんで?」


 桐花が唇を尖らせて黙ってしまった。

 次の言葉を待とうにも、空腹に耐えきれなかった。

 煮付けを箸でほじくってみると、恐ろしいほど旨かった。


「お父さんは資格持ってるから、牧師してて」


 おひつのご飯を盛りながら言う。


「へぇ」

「あの高校はバプテスト会派で、お父さんとお母さんも同じ会派だから手伝ってて。ここの近くに教会があって、保育園の後はそこに預けられてたから、夜遅くなる時はここにいて」


 なるほど、教会とやらもこの場所の近くなのか。

 随分家から遠いところに預けられてたんだな。


「それで、教会に預かってもらってる時に、メイドやるようになって」


 なるほどな。

 桐花のお母さんに聞いた通りだ。


「秘密にしてた理由は?」


 露骨に目をそらされても。


「……しばらく、してなかった」

「はい?」


 入学以来手伝っていなかったってことか。

 自治会は激務だし。


「すごく、下手になってて」

「あれで? きれいにできてたと思うけど」


 素人目には完璧だった。


「リハーサル参加して、上手くできないからやりたくないって言ったのに、お母さんが勝手にやるって言ってて」


 でもここでお世話になった人達の手前、断り切れなかったのか。


「生徒会長さんが、旗沼先輩に許可取ってて」

「え!?」


 あんの腐れ会長!

 こっちにちゃんと情報よこせや!


「その、とにかく、上手くできなかったのはお前の中でのことだろ?」

「……どうだった?」

「俺が見た限りじゃ、格好良かったよ」

「……もっと、ちゃんとできる時に見て欲しかった」


 なるほど。

 自分の中で満足いく出来栄えでない姿を見せたくなかったんだな。


「いつか満足いく出来栄えの時に見に行けるの?」

「は、早く食べて!」


 むぅ、誤魔化された。


 最後に置かれた白玉を口に入れてみると、甘い中に塩味がした。初めて我が家に来た時、桐花が披露してくれた味だ。


「うまかったけ?」


 桐花がトイレへ立ったところを狙い澄ましたかのように、例の変なTシャツのじいさんが個室へ入ってきた。


「は、はい。すごく。ありがとうございました」


 金を請求されたら間違いなく払えないほどには旨かった。


「また来たらいくらでも食いにけぇ。あっこの奴らのツケに上乗せしておくっけぇ」

「マスター聞こえてるすけ、えぇ加減にせぇよ!」


 言いながら、全員ゲラゲラ笑っていた。


「娘っ子はな、おめぇが倒れたって落ち込んでたんだからな。知っとぅか?」


 俺の醜態はこんなに離れた場所にまで知れ渡っていたのか。

 恥ずかしい。


「んでよ、あっこに座ってる赤十字の先生にしゃべれんようになるの治してくれなんて泣ぎついでな。おのれが頼りないからなんてゆうてよぅ」

「へ? は、はぁ」


 市の中心部の赤十字病院か。

 お医者さんまでいるのに相談しなかったのかよ、桐花の奴。

 そもそも、頼りにし過ぎていたのは俺の方なのに。


「おめぇのおとうとちごてえぇ男でねぇの。娘が見せたくなる訳さぁ」

「え、いや、その……」


 訛りのキツいおばさまにおだてられるのはなんだか照れくさい。

 頼りないのは俺の方なんだけど。


 それに、桐花は俺をこの人達に見せるつもりなんてなかったと思うんだが。

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