和平交渉――卑屈少年、卑屈を貫き通す-2
外は結構な勢いで雨が降っていた。
「こういう日は呼吸が楽で助かるわ」
自治会室のドアが閉まってすぐ、山丹先輩が口を開いた。
「家の工場のホコリは平気なんだけど、乾いたグラウンドにいると咳が出ちゃってさ。このまま聞いてもらっていい?」
山丹先輩の歩み自体は新校舎の方向へ進んでいた。
その背後の旗沼先輩は無言のままだ。
「月人君も桐花ちゃんも聞いてると思うけど、本当にごめんなさい。あなた達の大事な人を巻き込んじゃって」
不必要な謝罪だ。
「あいつら自分で加担したんですから、謝らないでください」
勝手に首を突っ込んだのは陽太郎と嗣乃で、山丹先輩が頼むはずがない。
「そうね。あなたの兄妹にはほんとに困ったわ」
はにかんだような笑顔で言われると、申し訳ない気持ちになってしまう。
「あの、いつ頃解決しそうなんですか?」
「学園祭の前には……かな」
山丹先輩の表情が少しだけだが明るい。
「それから桐花ちゃんから聞いたんだけど、予算のこと考えてたんだって?」
「え?」
山丹先輩、どうしてそんなことを知っているんだ?
「付箋に書いてた」
「……あ」
うえぇ……あの恥ずかしい付箋の数々が桐花に見られていたとは。
「病み上がりの人にお願いすることじゃないけど、予算の件、頼りにしていい?」
なんと答えて良いか分からなかった。
山丹先輩の表情に少しずつ影ができ始めていた。
「私には、ちょっと無理だから」
山丹先輩は体育館の地下一階へと歩を進め、洗濯室に置かれたベンチに座った。
「月人君に謝りたくて」
山丹先輩が呟くように言う。
「な、なんの件でですか?」
「二年だけで勝手に結論出そうとしたこと、私が本来カバーしないといけない仕事押し付け続けちゃったこと、私が倒れたところでいつものことだけど、元気に正門の坂から自転車通学してくる後輩ぶっ倒しちゃうなんて、無能もいいところよ」
そんなに責任を感じていたとは。
「謝る必要ないです」
桐花お姉様?
それあたくしの台詞なんでございますが?
「眠れないからって、好きなこととか、仕事とかして夜更かししてただけで」
「な、なんで知ってんだよ!?」
あ、すげぇ睨んでる。
かまかけたな。
「どんな理由があっても同じことよ。心配事の一つになってたんだから。もしかして……月人君のこういう危うい所見ててお姉さんになろうって思ったの?」
力強く頷くなよ。
なんか恥ずかしいよ。
「みんな心配」
陽太郎も嗣乃もか。
危ういのは桐花も同じだと思うんだけど。
「あたしもりっくんにお兄さんになってもらおうかな?」
「……冗談は止してよ」
旗沼先輩の声をやっと聞いた。
山丹先輩の表情に反して、旗沼先輩はかなり疲れた顔をしていた。
自分の人生をコントロールしていた人物が全くの他人になって戻って来て、自分のことを全く覚えていないのだ。
旗沼先輩の抱え込んでいる悩みの深さは計り知れなかった。
「ごめんね、ダメな先輩で。でも、予算の件の悪あがきだけお願い」
「は、はい……あ、ダメなんて思わないです」
旗沼先輩は心配そうな顔で俺を見ていた。
「ありがとう。桐花にもお願い。月人君が危ないと思ったら止めて」
「はい!」
声でか!
他人からお姉さん認定されて嬉しそうだ。
しかし、咎めようとしたところで桐花の携帯が鳴った。
「……今週は水曜日以外使えるけど、大声は駄目……はい、すぐ行く」
誰からだ?
桐花は電話だとそれほど詰まらずに話せるのか?
「今、演劇部の宜野から」
宜野はすっかりうちの演劇部員だな。
ちゃんと連絡先は交換したようだ。
「今、最終の脚本があがったから、本読みというのをしたいって。大声出せる場所がないかって」
桐花はちゃんと自分の会話能力を向上させたいという気持ちが強いんのか、はっきり話すように努めている。
でも、俺に対しては単語で話す癖が抜けていない気がするんだが。
「その仕事、任せきりでいい?」
「やらせろって言われてもやらせない」
怖い声でいうなよぉ。
「向井さん、今日は雨でどこも満杯だと思うから、狭いけどここを使ってもらおう」
旗沼先輩の機転はすごいな。
確かに洗濯機の音がけたたましく響くこの部屋なら大丈夫だ。
「湊、自治会室に戻ろう。安佐手君、向井さん、それぞれの仕事を頼むね。念のためだけど、ここを出るまでは一緒に行こう」
旗沼先輩が一緒に来たのはやはり護衛のためか。
俺が倒れて寝ている間に、あの女子サッカー部の連中が何か行動を起こしたのだろうか。
それとも、こちらから行動を起こしてより警戒させたのか。
しかし、俺ごときを狙って何になるんだ。
心配しても仕方ない。目の前の仕事に集中しないと。
予算の奪還か。
たくさんの大人を相手にすることになる。
でも、俺一人の責任で相手をできるのはとても楽だ。
何をやらかしても大丈夫だ。
俺一人が責任を取れば良いだけだ。