最終話 誤算
鬱蒼と生い茂った森の中に一本の小道が走っている。
トルギルからシャーヤに向かう街道という話だったが、街道というよりは獣道のようだ。馬車が走れる程度には木々が伐採されているが、道そのものはまったく舗装などされておらず、轍ができている以外は他の森の中と一切変わりはない。
新大陸に来てしばらくになるが道路事情はどこでもそれほど変わらないということのようだ。
俺は幌馬車の御者台で注意深く馬を進める。ちょっと注意を怠れば、伸びた木々の枝が幌に引っかかりかねない。俺は馬車を左右に揺らしながら、時には風魔術で木の枝を切り落として、前に進む。
やがて先行していたシャーリエが馬を駆って戻ってきた。
「ご主人様、この先で倒木が道を塞いでいます」
その報告を聞いて俺は頭をガリガリと掻いた。
「自然と倒れたものか?」
「いいえ、切り倒した痕跡がありました」
「まあ、気付かなかった振りをしよう。いかにも立ち往生しているように見せかけるんだ」
あまりにも古典的すぎてため息のひとつも付きたくなるというものだ。しかし実際の話、馬車の足を止めるには有効な手段である。普通の荷馬車なら倒木をどうにかしなければ前に進めないし、この狭い街道では折り返すにも一苦労だ。
まあ、俺たちの場合、さっさと倒木を地面に埋めてしまうなりして、道を整備し、先に進むこともできる。しかしそれでは依頼を遂行したことにはならない。
俺はさらに馬車を進め、倒木の前で馬を止めた。
さて、どう出てくるか?
探知スキルは馬車を取り囲むように布陣する無数の気配を捉えている。10や20ではない。数えるのも億劫になるほどの数だ。
なるほど、これだけ数がいれば魔術士が護衛についている馬車でも襲えるのだろう。お陰でトルギルからシャーヤへの流通が途絶え、まだ食料を生産する体勢の整っていないシャーヤでは飢えが始まっているという。
シャーヤの住民は馬車に積んだ食料を、それこそ喉から手が出るほどに欲しているはずだ。
そんなことを考えていると、何の警告もなく一斉に俺に向かって矢が射掛けられた。どうやら厄介な魔術士をまず倒してしまおうという算段らしい。
だがそんなことは十分に予測していたので、俺はすぐに風の障壁を張って、矢をすべてあらぬ方向に曲げてしまう。
「かかれ!」
そんな声が上がって、山賊たちが一斉に森の中から躍り出てきた。
同時にこちらの幌馬車の中から7人の冒険者が姿を現した。今回の依頼を一緒に受けた冒険者パーティのメンバーだ。全員が熟練の冒険者で、彼らの心配はしなくてもよい。
予想もしていなかっただろう増援の出現に山賊たちは一瞬たじろいだが、数の利があることを思い出したのか、鬨の声を上げて襲いかかってきた。
俺はシャーリエと連携を取って、山賊たちを打ち倒していく。実際のところはそれぞれ別に戦ったほうが効率はいいのだが、それでは個々の能力の高さが知られているスキル以上であることに気付かれてしまいかねない。
ここはシャーリエとの連携で見せかけのスキル以上の活躍ができていると思わせるべきだ。
木の上に陣取った弓使いを風魔術で打ち落とすと、落下点に駆け込んだシャーリエが短剣を一閃させ、正確にその喉元を掻っ切る。血しぶきが舞って、絶命した弓使いには目もくれず、次の獲物目掛けてシャーリエが森の中を疾走する。
山賊たちは数に物を言わせて俺たちを取り囲もうとするが、俺たちの走る速度に付いてこれない。包囲網が完成する前にシャーリエがその一端を食い破り、逆にその輪を飲み込もうと襲いかかる。
俺は攻撃に専念するシャーリエの援護だ。飛んでくる矢を風魔術で打ち払い、山賊の中に何人か混じっていた魔術士の魔術に対抗する。
そうして一時間ほどで半数ほどまで数を減らした山賊は散り散りになって森の中に逃げ込んでいった。
「追撃は我々にお任せを」
「頼みます。俺たちは積み荷をシャーヤに運びます」
流石は熟練の冒険者たちというところだろうか。彼らも怪我ひとつ負うことなく山賊を撃退していた上に、まだ追撃する余力があるという。そちらはもう任せておいていいだろう。
俺たちは馬車の下に戻り、倒木を土魔術で埋めて道を作ると再びシャーヤに向けて進みだした。
それから2日でシャーヤに辿り着いた俺たちは村人たちから熱烈な歓迎を受けた。なんだか意外と元気そうで肩透かしである。まあ、村人が飢えで衰弱しているようなことがなくて良かったというべきか。
積み荷の麦と米――そう、新大陸には稲が自生していて、その栽培も始まっていたのだ!――を降ろし、俺たちは一転帰路についた。
道中で山賊を追った冒険者パーティと合流する。
彼らは散り散りに逃げた山賊たちを追って、そのアジトを突き止めたのだが、そこにはまだ多くの山賊がおり、一旦引き返してきたのだという。ということはまだトルギルからシャーヤへの街道は安全だとは言い難い状況なわけだ。そうなるとトルギルに帰還した後は改めてその討伐依頼が出ることになるだろう。
「帰ったらもう一仕事だな」
「はい、ご主人様」
それ以降は特に何も起こることはなく、俺たちは無事にトルギルの町に帰還した。
トルギルは新大陸の内陸部にあって物流の拠点となっている町だ。人の出入りが多く、人種もまばらで、天球教会の影響力も及ばない。新大陸に来てから俺たちはこの町を拠点に活動している。
すでに馴染みになった冒険者ギルドで、冒険者たちのリーダーであるエルーと共に受付嬢のロンドにシャーヤに積み荷を送り届けたこと、そして山賊の拠点を突き止めたことを報告する。
概算で百名を超えるという山賊の数にロンドは目を丸くして驚いていた。
「ちょっとした集落ですね」
「拠点には女子どもの姿もあった。それも含めての数だ。元は食うに困ったどこかの村の者たちなのかもしれん」
とはエルーの言だ。
「とは言っても被害も大きいですし、そのままにはしておけません。ギルド長の判断を仰ぐことになりますが、大規模な討伐隊が編成されることになるでしょう」
「道案内なら任せておいてくれ」
「ではその時はよろしくおねがいしますね」
「その討伐の際には女性や子どもの扱いはどうなりますか?」
思わずそう尋ねていた。
山賊の一味であることに違いはないが、女性や、特に子どもに危害が及ぶとなれば心にざわつくものを感じないではいられない。
「基本的には投降を呼びかけることになります。抵抗するようであれば、当然ながら討伐の対象となります」
「討伐とは言っても、捕縛できれば問題ないですよね」
「それは勿論ですが、わざわざそんな手間をかけられるんですか?」
「出来るなら、ですが。討伐隊には俺たちの名前も入れておいてください」
「それは構いませんよ。日取りが決まりましたら使いの者をやりましょう」
「お願いします」
そう言って俺とシャーリエは冒険者ギルドを後にする。
「ご主人様、女子どもとは言え山賊の一味です。手を差し伸べれば噛み付かれ、隙を見せれば背後を刺されますよ」
「分かっているよ。油断するつもりはない。けれど必要以上の殺戮になるのは阻止したい」
この世界にやってきてから厳しい現実というものを嫌というほど突きつけられてきた。記憶こそ無いが、平和な日本に居ては滅多に直視することもないような凄惨な現実だ。
そんな中で俺は必要とあれば手を汚すことも覚えた。
随分身勝手な話だが、自分や仲間を守るためだけではなく、日々の生活費を稼ぐためという理由で、冒険者ギルドから依頼を出されるような悪人の命を奪うことも多々ある。
慣れとは恐ろしいもので、必要とあれば他人の命を奪うことに抵抗が無くなってきているのも事実だ。
人間とは適応していく生き物だと聞いたことがあるが、それはまさしくこういうことを指すのかもしれない。
しかしそれでもなお、俺の中の甘く弱い部分が、せめて女子どもの命は奪いたくないと叫んでいる。
「ご主人様は骨の髄からお優しいですね」
シャーリエの言葉には小さなトゲが含まれていて、俺の心をチクリと刺す。あるいは俺の中に、そう感じるだけの後ろめたさがあるのかもしれない。
そんなことを考えているうちに俺たちは“家”に帰ってきた。
家というのはもちろん住むための建物、つまり住居のことだ。
ここトルギルに腰を落ち着けることにした俺たちは、自分たちの住居を借りたりするのではなく購入した。資金は十分にあったし、その方が自分たちの好き勝手にできるということや、町の一員として認められるという理由もあった。
「ただいま!」
「ただいま帰りました」
するとアレリア先生が家の中から飛び出してきて、俺たちの帰還を祝ってくれるのではなく、口の前に指を一本立てて、
「シーッ、今眠ったところなんだ」
と、言った。
俺とシャーリエは飛び上がって口を押さえるが今更だ。
俺は足音を立てないように注意しながら、寝室へと足を踏み入れた。
そこではベッドに腰掛けたユーリアが、乳飲み子を胸に抱いて微笑んでいる。彼女は俺の姿に気がつくと、唇だけを動かして“おかえりなさい”と言ったので、俺も唇だけ“ただいま”と動かす。
そう、俺たちには嬉しい誤算があった。望めないと思われていた子どもをユーリアが授かったのだ。
ウサ耳の生えたその小さな赤子の手に指を当てるとぎゅっと握り返してくる。そんな何気ないことがとてつもなく愛おしい。
この子を守るためなら俺はなんでもできるし、なんでもするだろう。
記憶を失ってこの世界にやってきて早二年の歳月が流れようとしている。
最初は生きることに精一杯だった。
天球教会を敵に回し、逃げることに必死だった。
それは今も変わらない。天球教会の追手がいつ現れるとも知れない日々を過ごしている。
とは言え、今のところその日はやってきていない。
だから今は、今のこの時を精一杯生きていこう。
こうして俺たちは新大陸で生きている。
これからも生きていく。




