第三話 魔法陣
昨晩のアレリア先生の発言の衝撃が抜けきらぬまま俺たちはドルジアを出立した。
ドルジアの周辺は鬱蒼と生い茂った原生林に囲まれており、俺たちはテオドールの先導で道なき道を進む。
テオドールに迷う様子が一切無いのは、狩人スキルの枝にある地理把握スキルのお陰だそうだ。一度通った道ならば、まず迷うことは無いという。
俺も習得しておくべきか迷ったが、今はテオドールがいるのだから彼に任せておいても問題はないだろう。むしろ先代文明の遺跡でどんなスキルが必要になるのか分からなかったので、余っているスキルポイントについてはそのままにしておくことにした。
凶暴な野生生物との遭遇が何度かあったが、危なげなくこれを撃退して、むしろ食料を増やしつつ、おおむね旅は順調に進んだ。
そしてドルジアを発って4日後、俺たちは皆が一度先行偵察に来たという先代文明の遺跡へと辿り着いた。
巨大な白い建造物群は森の中にあったが、確かな既視感を俺に与えてくれる。かつて俺が召喚された遺跡群と同じものだと確信する。
「どうだ、アルマから聞いちゃいるがお前が召喚された遺跡と似ているか?」
「ああ、多分、同じものだ」
「そうだな、オレが召喚されたのも同じような遺跡だった」
テオドールと2人並んで巨大な遺跡群を見上げる。
「これだけ大きいとどこから手を付けていいのか分からないな」
「それが困ったところだ。君が召喚されたときはエーテルの暴走の中心を探っていけば良かった。だが今回は違う。片っ端から調べていくしかないだろう。大変な作業になるぞ」
大変だと言いながらアレリア先生の口調にはどこか浮かれたものが混じっている。研究者魂に火が付いているのだろう。こういうときのアレリア先生を刺激してはならない。往々にして長い講義が始まらないとも限らないからだ。
「ともかく野営地を設営しましょう。拠点がなければ調査も捗りませんから」
シャーリエのもっともな意見を受けて、俺たちは遺跡群の近くに天幕を張ってそこを野営地とした。その間にもアレリア先生はガサガサと羊皮紙をまとめて、調査の準備に余念が無い。というか、放っておくと今にも1人で飛び出して行ってしまいそうだった。
「アルマ、1人で行っちゃ駄目だからな」
「分かっているさ」
どこまで分かっているのか、瞳をキラキラさせながらアレリア先生はそわそわを隠せないでいる。
「アルマは前回もこんな調子だったからな。そのままにしとくと遺跡の中で迷って、本人が遺跡の一部になりかねないぞ」
なんとか設営が終わると、とりあえずは野営地から一番近い建物から始めることにした。聞けば前回の調査はその建物の内部をある程度見て回ったところで切り上げたのだという。
「変に魔法陣などを起動させて我々だけがマルク君たちの世界に飛ばされてしまっても、残されたマルク君が困るだろう?」
「まあ、確かにそうなったらすごく困るな」
主にユーリアと離れ離れになるという意味で。
遺跡はかつて俺が召喚されたものと同じ、つまり窓の無い巨大な白い建物だ。風化によってかどうか角が取れて丸みを帯びた形をしているが、元は学校、あるいは病院のような、地上三階建てから四階建てほどの建築物に見える。
近づいてその外壁に触れてみた。
ザラザラとした手触りで、古びた石のようだと思ったが、石材でないことは明らかだ。手甲で強く擦ると、表面が削れ一筋の跡が残った。思っていたよりも脆い。
「先代文明と言うけど、どれくらい古いものなんだろう?」
「推定では一万年前だとも、十万年前だとも言われている」
「そんなに長く形を保っていられるのかな?」
俺は俺の付けた傷をアレリア先生に見せる。
「意外と脆いようだけど」
「君は歴史的建造物に対する敬意とかがないのかね。まあ説教しても仕方ない。それについても諸説ある。本来はもっと丈夫な外殻に覆われていたが、それが剥がれ落ちて内部構造がむき出しになっているのだとか、遺跡自体に修復の魔法が掛かっているのだとか、はっきりしたことは分からない。だが二千年より古いものであることは確かだよ」
「なるほど」
俺は俺の付けた傷をじっと見つめてみたが、自動で修復されるということはないようだ。あるいはもっとゆっくりと傷が直っていくのかもしれないが。
俺たちは遺跡の外壁に沿って進み、その入口に到着する。
入口とは言っても、扉も何もない空洞だ。かつては扉があったに違いないが、今は何も見当たらない。ただぽっかりと口を開けて、暗い遺跡の内側へと俺たちを誘っている。
すでに一度ここを訪れたというテオドールたちは躊躇なくその内側に足を踏み入れていった。俺もその後を追うように遺跡の中に足を踏み入れる。
そこは広く薄暗い空間だった。
テオドールが光の塊を打ち上げ、辺りを明るく照らしだす。
「エントランスホールだな」
「前回の調査でこの建物は居住棟だったのではないかと見ている」
「部屋があったのか?」
「そういうことだ。まずは前回の復習と行こうか」
アレリア先生に案内されて遺跡の中へと歩を進めると、階段があり、それを登る。二階に出ると、廊下があって、左右に扉が並んでいた。その中に開け放たれたままのものがいくつもある。
アレリア先生に続いてその内のひとつの中に入ると、そこは窓が無いことを除けばマンションの一室のような造りで、まずリビングと思しき空間が広がっている。しかし内装は風化が激しく崩れ落ちており、そのかつての様子をうかがい知ることはできない。
「ここだけでも分かることは沢山ある。先代文明人は確かに我々と同じような体格で、区切られた住環境を持つ風習があった。窓を持つ必要が無かったのは、テオによると空気循環機と外環境投影機があったからではないかという話だったな」
「お前に分かりやすく言うとエアコンやテレビがあったんじゃないかってことな」
言われてみれば天井には通風口のような細いスリットが入っているし、壁面の一部は単なる壁ではなく、機械構造のようなものが見て取れた。
「先代文明人はここに住んでいた」
そのはるか昔の人々の生活について考えてみようとするが、とても想像が追いつかない。ただ不思議に思ったことがあった。
「先代文明人はこれだけの遺跡を残せるほどの文明を持ちながら、なぜ世界中に痕跡が残っていないんだろう? つまり大地を遺跡が埋め尽くしていても不思議じゃないのに」
そんな俺の疑問に答えたのはアレリア先生だ。
「先代文明人は数が少なかったのだろう。生殖能力に乏しかったか、あるいは意図的に人口を調整していたのかもしれない。少なくとも産めよ増やせよ地に満ちよとは考えなかったようだな。それでも世界の各地に同じような遺跡を残せることを考えると、当時この世界を支配していたのは間違いなく先代文明人だろう」
「それなのにこの世界から姿を消した」
「神話以外の説としては、天変地異で滅んだとするものや、病気によって滅んだというもの。生殖能力が失われて自然と消滅したのかもしれないし、あるいは君たちを召喚したような魔法を使って別の世界に旅立ったのかもしれない。なにか記録が残っていればいいのだが、先代文明人は文字に書いて残すということをしなかったからな」
「それでも文字を使わなかったということはないだろ」
「当然だ。だが不思議なことに先代文明の遺跡から共通文字が見つかったことは一度も無い」
「先代文明人は共通語を使っていなかったということか」
まあ古代人なのだからそれ自体は不思議でもなんでもないような気がする。
いや、だが待てよ。
「なら先代文明人はスキルを持っていなかった?」
「そう考えるのが自然だろう。テオが先代文明を解読できるようなスキルを習得できないと言っていたことからも、先代文明はスキルからは切り離された存在だったと言える。実際に我々の歴史からも、そのようなスキルを習得したという話は聞いたことがない。天球教会が彼らを神々だと考える理由のひとつにもなっている」
つまり先代文明語スキルなどは存在しないということだ。
「さて、それではこっちの部屋だが、興味深いものがある」
アレリア先生の先導で個室のような部屋に入ると、そこにはベッドだったものと思しきものの成れの果てと、デスクと椅子だったものがあった。
「デスクの端を見てみろ」
言われたところに視線を向けると、そこには小さな基板のような模様があった。この世界におけるいわゆる魔法陣だ。
「危険はないと思うが触れてはいない。マルク君が揃ったことで、今度は触れてみるという選択肢が生まれたわけだが、どうする?」
どうするもなにも、アレリア先生の目は触れてみろと言わんばかりだ。
「触れた途端爆発するとか無いよな」
「そればかりは誰にも分からん。だが過去の調査で魔法陣に触れたからと言って何かが起こった例はない」
「私が触れましょうか?」
「ソフィーがやることないさ。俺が触れてみる」
一同が身構える中、俺はそっとデスクの魔法陣に触れてみる。
何も起きない。
もう一度触れてみるが結果は同じだ。
「君やテオなら何か起きるかもしれないと思ったが、思い違いだったか」
「どうだろう……」
何も起きなかったことで俺は少し大胆になって魔法陣を強く押してみた。ボタンを押すような感じだ。だがそれでも何も起きない。
「不思議だな。魔法陣はまったく風化していないように見える」
俺はその表面をコツコツと叩く。その感触は固くしっかりしている。まるで魔法陣だけ時間が止まっていたかのようだ。
その時間が止まっていたという考えで、ふと俺は自分が召喚された部屋のことを思い出した。
あの部屋も時間が止まっていたかのように風化していなかった。
そういう技術が先代文明にはあったということなのだろう。そして俺を召喚したとき魔法陣は大量のエーテルを暴走させていた。
「エーテルというのは空気中にある光を伝達させる物質のことだったよな」
「ああ、そうだが、それが?」
「それは確かに存在している物質なのか? 光を伝達させているというのは確かなのか?」
「エーテルは確かに存在しているとも。それにエーテル無しにどうやって光が空気中を伝播するというんだ?」
「俺の世界の常識じゃ、エーテルなる物質が存在していなくとも、光は空気中を伝播する。それどころか光の伝播には空気すら必要ないんだ。だからエーテルが確かに存在するとするなら、それは光の伝達物質なんかじゃなくて、別の何かだ」
「しかしエーテルが集中すれば光がねじ曲がるのは確かだぞ」
「テオドール、光魔術の枝にエーテル関係のスキルはあるのか?」
「いや、無いな」
「じゃあ、エーテルは光をねじ曲げる性質を持つ別の何かだ」
それも地球には存在しない何かだ。
この世界の空気中に存在していて、地球の空気中には存在しない何か。
俺には心当たりがひとつある。
しかしこんな単純なことをこの世界の人々が試していないということがありうるだろうか?
俺はもう一度デスクの魔法陣に触れて、そっと魔力を流し込んだ。
「――!」
効果はてきめんに表れた。
デスク上に光で構成された画面とキーボードが出現したのだ。
画面と、キーボードだ。
「パソコンだ」
「ぱそこん?」
呆気にとられた様子でオウム返しに聞いてくるアレリア先生に説明しようとして、俺は頭を抱えた。パソコンをどう説明していいか分からない。
「電子計算機と言って、難しい計算なんかを自動でしてくれる機械なんだけど、用途はそれ以外にもいっぱいあって、とにかくここから情報を引き出せるかもしれない」
そう言って画面に目を向けた俺は当然のことに気づく。
画面に表示されたのはおそらくデスクトップ画面だろう。アイコンと文字のようなものが表示されている。だがその文字がまったく分からない。日本語でもアルファベットでもない、まったく見たことのない模様のようなものだったのだ。そして中心に表示されているウィンドウにはテキストボックスと思しき空白がある。パスワードを入力せよ、というわけだ。
俺はデスク上に投影されたキーボードに目を向けるが、そこのキーに書かれた記号はすべて日本語でもアルファベットでもない文字で構成されている。
「どうしたんだ。マルク君?」
「いや、ロックが掛かっている上に文字がまったく分からない」
「ならそこを代わってくれ。文字には違いないんだろう? 書き留めさせて欲しい」
アレリア先生に場所を譲って、彼女が羊皮紙に文字と思しきものを書き連ねていくのを眺める。
「マルク様、どうやって魔法陣を動かしたのですか?」
「簡単なことだよ。魔力を流し込んだんだ」
「それだけのことで?」
「ああ、そうなんだ。この世界の人が試していないわけがないと思うんだけど」
「無論だ。我々の記録では魔力を流し込もうとしても無駄だと記録にある」
文字を書き付けながらアレリア先生が言う。
「似た特徴を持ったものを我々は知っているな」
「似たもの?」
「マルク君もテオも持っているアレだ」
そう言われて俺はポケットを探り、そこからスマホを取り出した。
確かにスマホは俺が魔力を流し込まなければ起動しない。アレリア先生たちこの世界の人族で無理なことは確認済みだ。
「それと同じように使用者に制限がかかっているのだろう。それは逆に言えば、君たち二人はその制限に引っかからないということでもある。他の魔法陣にも同じことが言えれば、やはり君たちが神人なのだということなのだろう」
と、そうアレリア先生は言った。




