第二話 神人
夕刻の太陽に照りつけられて、マリアナ号はなにも変わらずに港に係留されていた。違いがあるとすれば、港湾局の職員と思しき男性らが船の上にいたことだ。
「元船長のマルクだ。見習い航海士たちに挨拶がしたい。乗船していいか?」
「どうぞ。乗船を許可します」
先ほどまで自分の船だったのに、乗り込むのに許可がいるのも変な感じがしたが、売ってしまったのだから仕方ない。
「見習い航海士たちは今どこに?」
「船室を片付けさせているところですよ」
「船を降りなくていいんじゃなかったのか?」
「彼らは航海士用の部屋を使っていましたから、見習い航海士用の部屋に移らせているところです」
「ああ、なんだ、そういうことか」
航海士用の部屋を余らせておくことは無いと、彼らにはそれらの部屋を与えていたのだった。マリアナ号がドルジア政府のものになって、正式に船長や航海士を迎えることになれば、彼らがその部屋から退去させられるのも当然だ。
「それじゃ船室に入らせてもらう」
「ご自由にどうぞ」
船室に降りて、さらに下、見習い航海士用の部屋は環境の悪い船倉と同じフロアにある。4人で一部屋の狭い居室だ。そこでは荷物を運び込んできたばかりのケントたちがどのベッドを誰が使うかで軽く揉めていた。しかし彼らは俺の姿を見つけると、口論を止めてさっと敬礼する。
「失礼しました。サー!」
「敬礼はもういらないよ。俺はもうこの船の船長じゃない」
「寂しくなります」
「ありがとう。君たちがマリアナ号に残れてよかった」
「船長の、いえ、マルクさんの紹介状のお陰です」
「ところで何やら揉めていたようだが」
「大したことじゃありません。誰がどのベッドを使うか議論していたところです」
口論ではなく議論と来たか。
「それなら俺が口を出すようなことじゃないな。ちゃんと話し合って決めるといい」
「アイアイサー」
「では、君たちの新たな門出に良き風が吹かんことを祈っている」
「マルクさんにも良き風が吹きますように」
船乗りのお決まりの挨拶で別れを告げて、ついに俺はマリアナ号を後にした。
桟橋に降り立った俺はその足で港の酒場に向かい、暇そうにしている運搬人を4人雇って宿屋に戻った。部屋にはアレリア先生も帰ってきていて、俺が戻ったのを察知したテオドールもやってくる。
決して狭くない部屋だが、9人もひしめくと流石に暑苦しい。ただでさえドルジアの夏はアルゼキアの夏と比べてずっと暑いのだ。俺は早速運搬人に木箱を持たせて宿屋を後にする。他の面々も全員ついてきた。
ドルジアの冒険者ギルドはこれまで訪れたどの冒険者ギルドよりもこじんまりとした建物で、それほど人がいるわけでもなかった。その割には掲示板には多数の依頼が貼り付けられている。明らかに冒険者不足といった様子だ。
カウンターに木箱を置かせて運搬人たちに金を支払う。彼らはほくほく顔で冒険者ギルドを出ていき、後には呆気に取られた様子の受付嬢が残された。
「ああと、冒険者として金を預けたいんだが」
「冒険者登録はお済みですか?」
受付嬢がこちらの面々を見回すが、ドルジアでは誰も冒険者として登録はしていない。
「冒険者登録が必要なのか?」
「はい。冒険者の方以外からの金銭の預かりはしておりませんので」
「あーっと、強制徴募がかけられる予定とかないよな?」
受付嬢だけではなく、テオドールたちにも確認するように言う。
「ドルジアでは強制徴募がかけられたことは一度もありませんし、これからも予定はありませんよ」
「そういう不穏な噂は聞かないな」
「特に他国と隣接しているわけでもないし、魔界も遠い。強制徴募が必要になるようなことはまずないだろう」
「そういうことなら俺が冒険者登録しよう」
「では契約を」
そういうわけで受付嬢を介してドルジアの冒険者ギルド長との契約を結び、それからようやくお金を預ける話になった。
「ご存知だと思いますが、契約されている方が亡くなった場合、預けられている金銭は冒険者ギルドのものとなります。本当にお一人で契約されるのですか?」
「ああ、そうか、皆それぞれに契約すればリスクを分散できるのか」
死ぬつもりはないが、死なないとは限らない。その時、生き延びた仲間にお金を残すには俺ひとりが金銭を預ける契約をするより、それぞれにお金を分散して契約を結んでおくほうがいいというわけだ。
「ご主人様のお金です。ご主人様の判断に任せます」
「冒険者登録は奴隷でもできるんだったか」
「主人が同意していれば問題ありません」
「じゃあ5人で等分するというのでどうかな?」
「5人ってオレも数に入れるのか?」
驚いたようにテオドールが言う。
「そりゃ表向き、その分はオレの金ってことになるんだぜ?」
「リスクは分散したほうがいいだろ。俺に何かあったときにカタリナたちをよろしく頼む前払金だと思ってくれよ」
「そりゃオレには得しかない話だから、ありがたくそうさせてもらうけどな。もうちょっとは人を疑えよ。これだけの大金だと変な気を起こす奴はごまんといるぜ」
「ちゃんと皆をここまで連れてきてくれただろ。テオドールのことは信用してるよ」
「くそ、しかたねーな」
そういうわけで結局は全員が冒険者登録をして、およそ金貨2500枚分の金銭をひとりにつき金貨500枚分ずつ冒険者ギルドに預ける契約を結んだ。もちろんしばらくの間の活動費は別にしてある。
「それで何か依頼を受けてはいかれませんか?」
「悪いけど、今は手が空いてないんだ」
「そうですか、残念です」
そういうわけで冒険者ギルドを後にする。
太陽はそろそろ天球に隠れようかという時間になっていた。日中で一番暑い時間だ。俺たちは噴き出す汗を拭いながら宿屋への道を急いだ。
「ドルジアの夏が暑いのは、アルゼキアに比べて日照時間が伸びるからだな」
とはアレリア先生の言だ。
「天球の光は柔らかだが、太陽の光は暴力的に熱いだろう? アルゼキアだって一番暑い時間帯は夕方だった。それが南に来ることで天球の庇護から離れ、太陽の光を浴びる時間が伸びることで、より暑くなるというわけだ」
アルゼキアでは空の半分を覆っていた天球は、およそ3分の1を覆う程度にまで、その面積を減らしている。その分太陽が出ている時間が長くなったことがこの暑さの原因だというのだ。
考えてみれば地球でも、なぜ夏が暑いのかと言えば日照時間が長くなるからだ。もちろんまた別の、つまり太陽の当たる角度の問題もあるのだが、細かいことはさておいて、太陽のせいで暑いということで構わないだろう。
「そうなるとさらに南、つまり天球が完全に見えなくなるほど南に行くと、さらに暑くなるってことか?」
「そのはずだ」
そうだ、と断言してくれないのは実体験が無いからか、それともそれほど南に行った人の記録が無いからなのか。
「これ以上南に向かうことにならないことを祈るよ」
「今のところその予定はないな」
テオドールの言うとおり、差し当たっての目的はドルジアの近くにあるという先代文明の遺跡の探索だ。そこで元の世界に戻る方法を、できればそのヒントだけでも手に入れたい。
そのための旅の準備はほぼ整っている。船が売れるのを待つ間にこつこつと進めてきたからだ。武器や防具の手入れ、保存食、天幕に馬。とりあえず一期の間だろうが、遺跡周辺に留まれるだけの準備はある。今回の遺跡は人界領域にあるというのもありがたいところだ。
「後は荷物をまとめればいつでも出発できます」
「なにもこんな夕方近くに出発することもないだろう。出発は明日にしよう」
そんなわけで今日は荷物をまとめ、翌朝に俺たちはドルジアを発つことにした。荷物をまとめ終わると、女性陣の部屋に全員で集合する。アレリア先生のありがたい講義を聞くためだ。
先代文明の遺跡を調査するに当たって、俺たち、特に俺には先代文明に関する知識が無い。それをアレリア先生から教えてもらおうというわけだ。
ユーリアとシャーリエはベッドに座り、その他の3人はそれぞれ椅子に座る。
「昨日までにも話したように、我々人族と先代文明との間に歴史的な接点は無い。人族の歴史は遡れるところまで遡ってもせいぜい二千年というところだ。それに対して先代文明が栄えたのは一万年以上前だと推測されている。だがそれは決して人族と先代文明人との間に接点が無かったという確証にはならない。それは何故だい? マルク君」
「神話としての先代文明ですよね」
この辺りは先日までの復習なので簡単に答えられる。
「その通り。人族と先代文明人との関わりは神話の中に見出すことができる。神話ではかつてバラバラだった人族の各種族は、悪しき神々に導かれた魔族に対抗するために、善き神々によってひとつの種族としてまとまったのだと言われている。争いの末に、善き神々は悪しき神々をこの世界より星々へと追放し、その監視役として自らは天球に帰り星々を見張っているとされている。もちろんこれは天球教会に伝わる神話で、各地に伝わっている神話は似たような別の話になるが」
「その神々が先代文明人ではないか、ということですね」
「少なくとも天球教会はそう考えているし、私も同意見だ。ただ私は天球教会の信徒のように先代文明人を神として崇めていないがね。しかしながら先代文明を探る上での情報源は神話しかないのも事実だ。そして私が一番詳しいのは天球教会に伝わる神話ということになる。そのことを前提において話をもう一歩進めよう」
そこでアレリア先生は一息ついた。
「天球教会の神話によれば神々の血によって生み出された人々が主となって人族をまとめたということになっている。天球教会の信徒の亜人が自らを神人と呼ぶのはそのためだ。そのことから神々は神人と等しい姿をしていたというのが天球教会の主張だ。この説が正しいかどうかは置いておいて、先代文明人が我々に近しい姿をしていたのだろうということは、先代文明の遺跡からも推測できる。その遺跡や遺物は我々が利用するのにも不都合のない造りだからな。扱い方がまったく分からないという難点はあるが」
俺は自分が召喚された遺跡のことを思い出す。確かにその廊下の幅や高さは人間が通るのに適したサイズだった。少なくとも先代文明人は人間よりも非常に大きかったり、小さかったりはしなかったということだ。
「さてこの天球教会の神話が正しいものと考えて、もう一歩踏み込んで考えてみようか。天球教会の神話では神々の血によって生み出された人々が人族を導いたということになっていて、それは亜人のことである。それゆえに我々は神人だ、というのが天球教会の信徒の主張だ。しかし我々は今、それとは別の重大な事実を知っている」
「重大な事実?」
「君のことだよ。マルク君。君の存在だ。先代文明の遺跡から召喚された、神人に近しい姿を持つ君が存在する。しかも自らの、そして他者のスキルを自由に割り振れるという力を持った君は、君らは、まさに魔族との戦いで人族を導いたという神人そのものだとは思わないかね」
アレリア先生の言葉に俺たちは一様に息を呑むのだった。




