第一話 大金
夏上の1日、快晴。
天球の光はそれほど強くないのに、ドルジアはうだるような暑さで、シュラウドに塗ったタールが溶けてぽたぽたと甲板に黒い染みを作っている。朝から小石を撒いてピカピカに磨き上げたばかりだというのに、ケントたちは早速染みを洗い流すためにバケツで甲板に水を撒いていた。
俺はというとマリアナ号の査定に訪れた港湾局の職員たちを相手に、船の中を案内しながら、この船が如何に優秀であるか熱弁を振るっていた。
マリアナ号は最新式ではないものの古くない三本マストのキャラック船で、輸送力があり、船足も決して遅くない。先日の大嵐の中で転覆しなかったことからもその安定性は保証されている。また途中で多くの熟練した船員を失いつつも、ドルジアに到着できたことから操舵性に優れている、等々。
お金に執着しているわけではないが、ここまで一緒にやってきた仲でもある。マリアナ号が安く買い叩かれるのは心情的に避けたかった。
ドルジア港湾局の職員たちは不思議と海賊との戦いについて深く聞きたがった。容易に乗り込まれたのかどうか、その後の反撃に転じる経緯や、海賊船を撃退するまでについて、俺は分かる範囲で答えたが、彼らの望む答えだったのかは分からない。
「海賊船を拿捕するチャンスは無かったのですか?」
「出来たかも知れません。ちゃんとした指揮官が生き残っていれば、の話ですが」
海賊船に対する反撃がオーバーキルだったのは間違いない。もしかしてマルセロ船長が生き延びていれば、俺をうまく使って海賊船を逆に拿捕しようと考えたかもしれない。だがあの時の俺にそんな考えが浮かぶはずもなく、そういう意味ではチャンスは無かった。
「貴方が指揮を取っていたからできなかった、とそういうわけですか」
「そういう認識で構わないと思います」
そう答えると職員たちは小声でこそこそと何やらを話し合う。聞き耳スキルを振りたい誘惑を抑えて、俺は彼らが次に何と言うのかをじっと待った。
「ありがとうございます。続いて船の外周を見てみたいと思います」
「はい。よろしくお願いします」
ボートに乗って職員たちは船の外周をチェックしていく。
「銅板にかなり付着物がありますね。これはこそぎ落とす必要がありそうだ」
「引き渡しまでにやっておきましょうか?」
「いいえ、それはこちらでやりましょう。現状で査定させていただきたいので」
「そうですね、分かりました」
海面下に隠れた部分のことまでは気が回っていなかった。マイナス査定がひとつ、ということだ。しかし銅板を磨きあげればマリアナ号の船足はさらに早まるに違いない。そのことがプラスになればいいのだが。
結局、港湾局の職員たちは太陽が登ってからも数時間ほど船の査定をしてから帰っていった。査定結果についてはまた後日ということだ。
彼らを見送ってから、俺はまだ甲板掃除を続けていたケントたちにもういいぞと声を掛けた。
「査定は終わったんだ。後は甲板が汚れてようが構わないだろ。今日はもう休んでいいぞ。今日は俺が船に残ろう。翌朝までに船に戻ってくること。いいな」
「アイアイサー!」
今日のことは契約にない仕事ということで、彼らには特別ボーナスとして銀貨一枚ずつを握らせる。彼らは顔をほころばせて、汗を拭いながら連れ立って船を降りていった。酒場か何かに行くのだろう。
俺は船長室に入り、今日のことを航海日誌に書きつけていった。俺には不要の物だが、続いてこの船の船長になる誰かの役には立つだろう。
それからさらに5日ほど待たされて、ようやく港湾局からの呼び出しが来た。案内されて港湾局の建物に行くと、いつかの応接室に通されて待たされる。しばらく待っていると、最初に積み荷の査定をした男性が部屋に入ってきた。
「お久しぶりです。その後いかがですか?」
「船なら綺麗にしていますよ。いつでも引き渡せます」
「ありがとうございます。それで船を売られてからどうされるのですか?」
「ああ、それなら先代文明の遺跡の探索に向かおうかと」
「ほう、先代文明の遺跡ですか。なにか依頼を受けてのことですか?」
「いいえ、個人的な興味です」
「なかなか変わった趣味をお持ちのようですな。いえ、悪気があるわけじゃありませんよ。先代文明の研究者というのは少なからずいますからね。ただあまり……」
「お金にはならないんでしょう。知っています」
だからこそこのドルジアの近くにある先代文明の遺跡も手付かずのままなのだ。
「これまでも先代文明の遺跡を探索されてきたのですか?」
「まだ一箇所を軽く調査したくらいで、本格的な調査は今回が初めてになりますね」
「それは気合が入ることでしょう。なにか調べたいことでもあるのですか?」
「それは秘密、ということにさせてください」
「これは失礼しました。雑談が過ぎましたかな。船の査定結果の話をしましょうか」
「よろしくお願いします」
男性はもったいぶって、手元の丸めた羊皮紙を広げた。
「我々の査定結果ではマリアナ号は金貨1800枚での買い取りとなります」
「1800枚ですか」
とほうもない金額だが、積み荷の買い取り価格が金貨350枚であったことを考えると、やや安いような気がしないでもない。
ケントを連れてくればよかったと今更ながらに後悔する。彼なら少しは船の値段について知識があったかもしれないのに。
「また足元を見られているとお考えかもしれませんが――」
俺の心情を読み取ったように男性は言う。
「我が国の財政状況からこれ以上は出せないというのが本音なのです。ですからこの価格でご納得いただけないと、今回のお話は無かったということになります」
読心スキルでもあれば男性の言うことが本当かどうか分かるのだろうが、今のところ読心スキルというのはどのスキルの枝にも見当たらない。おそらく商人スキルの枝あたりだろう。
「切りの良い所で2000枚にはなりませんか?」
「残念ですが、本当なら1500枚から交渉するところを私の独断で1800枚をご提示させて頂いているのです。正直な話、今回の買い取りは私の査定には影響しませんのでね」
「つまり先の積み荷の査定では、ポイントを稼いだ、と」
「そのお礼だと考えて頂ければ」
どうやら交渉の余地は無さそうだ。
「分かりました。金貨1800枚で手を打ちましょう」
「ありがとうございます。それで現物はどうさせていただきましょう。金貨1800枚となるとお一人で運ばれるのは難しいかと思いますが」
言われてみればその通りだ。金貨350枚でも結構な量と重さだった。
「白金貨で受け取るというわけにはいかないのですか?」
「この国では白金貨は発行していないのです。宿がお決まりでしたら運搬人を呼びましょうか?」
「そうですね。お願いします。それと一応現物を確認させてください」
「もちろんです。少々お待ちください」
男性が出て行ってしばらく待つと、二人がかりで小さめの木箱が部屋に運び込まれてきた。中には金貨がぎっしりと詰まっている。
「運搬人を用意しますので、それまでの間にどうぞご確認ください」
「そうさせてもらいます」
大金だ。数えないわけにはいかないだろう。
少々うんざりしながらも、俺は木箱の中の金貨を机の上に積み上げていって、その枚数を確認する。結構な時間をかけて木箱の中身を空にして、確かに金貨が1800枚あったことを確認する。
俺はそれを木箱に戻して、念のため自分でも持ち上げてみた。
身体強化を使えば持ち運ぶのは不可能ではないが、これだけの大金を両手に抱えて運ぶというのは不用心な気がする。誰かに運ばせて、俺はその護衛に徹したほうがいいだろう。
「運搬人の用意ができました。それではこの証書にサインをお願いします」
マリアナ号をドルジアに金貨1800枚で売り渡すという証書にサインをして、これで正式にマリアナ号は俺の手を離れ、代わりに金貨1800枚が俺の手元に転がり込んできた。
「船には三人の見習い航海士が残っています。彼らはどうなりますか?」
「彼らが望めばそのまま船に残ってもらうことになります。マリアナ号に詳しい船乗りは一人でも多いほうがいいですので」
「それを聞いて安心しました。後で挨拶に行ってもいいですか?」
「もちろん構いませんよ」
それから屈強な体格の運搬人が2人やってきて、金貨の詰まった木箱を軽々と持ち上げると、俺の案内でユーリアたちの宿まで運んでいくことになった。
大金を運んでいるので、途中で何か起きるのではないかと俺は目を光らせていたが、特に何も起きることもなく、宿に到着する。宿にはあらかじめ俺の部屋を確保してあるが、お金のことなのでアレリア先生たちの部屋をノックする。船長の私物であった金の詰まった木箱もこちらの部屋に運びこんである。
部屋にはユーリアとシャーリエという珍しい二人組が残っていて、俺は運搬人にその部屋に木箱を運び込ませてから帰らせた。
「おかえりなさい、マルク様」
「ただいま。ようやく船が売れたよ」
「みたいですね」
そう言ってシャーリエは嘆息した。
「どうしたんだ?」
「お金があるのはいいことなのですが、これだけともなると気疲れします。それにこれだけのお金を持ち歩くこともできません。白金貨に両替しようとしたのですが、この国では白金貨が流通していないみたいなんです」
「それは俺も聞いた。確かに持ち運べないのは困るな」
お金の詰まった木箱をふたつも運びながら旅をして先代文明の遺跡探索というわけにもいくまい。
「銀行があればいいんだけどな」
「銀行、ですか?」
「お金を預けておけるところだよ」
「それなら、冒険者ギルドが、あります……」
助け舟を出してくれたのはユーリアだった。
「冒険者ギルドでは、その、冒険者のお金を、一時的に、預かる仕事もしています」
「そうなのか」
「仕事に、お金を持ち歩くのは、不便で、危険、ですから……」
「そりゃまあ、確かにその通りだ。だけど手数料とかはどうなるんだ?」
「かかりません。その代わりに、その冒険者が死ぬと、そのお金は、ギルドのものになります」
「ああ、なるほど。契約を結んでおいて、契約が消えたらギルドのものか。分かりやすいな」
とりあえずお金の物量の問題はそれで解決しそうだ。
「それなら最初から冒険者ギルドに運んでもらえばよかったな」
運搬人を帰してしまったのが悔やまれる。
「どっちにしても、こちらのチェストも運ばなければいけませんし」
「それもそうか。それじゃケントたちに挨拶をしてくるついでに、港で運搬人を雇ってくるよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃい、ませ」
2人に見送られて俺は宿屋を後にした。




